真昼の光は嘘をつく。  その12 投稿者: 沢村奈唯美
 雨月山の模型の中腹に、ミニチュアの鬼の人形が置かれている。
 身の丈は十センチ程、プラモデルの人形を改造したもので、鬼、とは言っても、その姿は人間の女性のものだ。髪は黒く長い。和服を着ていて、草履履きのその足元には、名前の書かれた小さな白いプラスティックのプレートが置かれている。プレートを見なくても、彼女たちの名前を、私は暗唱する事が出来る。私の見ている、この髪の長い鬼女の下にも、他に3体の鬼が縦に、それぞれ適当な間隔を空けて置かれていて、上から順に、
 千鶴
 梓
 楓
 初音
 という名前だ。
 この鬼が、私たち姉妹と同じ名前を持っているのは、決して、偶然ではない。祖父が、柏木の家に女子が生まれた際には、この名を付けるようにと、父に言いつけてきていたのだ。つまり、私たち自身も、鶴来屋と同じように、祖父の遺産だと言う事だ。
 もはや、どれがオリジナルか分からなくなってしまっている程バリエーションのある「雨月山の鬼」伝承中、最も長く、最もよく纏められたテクストのヒロインが、この鬼の四姉妹だった。
 その子供向け版、幼い頃私が、父や母から聞かされて来たお伽話では、鬼退治に現れた討伐隊のリーダー次郎衛門に恋した楓が、彼の為に一族を裏切り、その為に一族の掟により処刑されてしまう。残された次郎衛門は、その妹の初音との間に子を設けるが、楓への思いを断ち切れず、ある日、いずこへと消え去ってしまう。

   本を読むのは好きだった。

 伊丹さんが、コーヒーを静かに、デスクの片隅に置いて去って行く。
「ああ」
 遠く、ドアの前で振り返る彼女に言った。
「昨日はありがとうね、お土産」
「ありがとうございます」六十度のお辞儀をしてから、彼女は部屋を出て行く。
 出ていった彼女から逸らした目を私は、細くする。
 あのチョコ、どこに置いたかしら。彼女が居なくなってから、私は考えてみる。今朝はもう、バッグの中にはなかった。多分、台所だな。きっと。
 再び本に目を戻した。
 この分厚い本を読む事が、私の今日の仕事だった。「鬼」をPR戦術の前面に押し出している鶴来屋の会長として、郷土史の知識は必須であるからだ。それは理解出来る。

 取り急ぎ知識を身に付ける必要はなかった。インタビュー対策の勉強、という訳でもない。

 富山さんが、自分の仕事で忙しくて、エクセルの講習が出来ない為、自習する事になったのだ。
 座り心地の良い椅子と、見晴らしのいい景色。
 一体、仕事場で何をやっているのだろう。
 溜め息をつきながらページを捲る。
 結局退社までには読み切れずに、屋敷に持って帰る事にした。持って帰っても一日ではとても読み切れないだろう、とは思う。
「レポート、書きましょうか?」
 富山さんについ、言ってしまって恥ずかしい思いをした。

「学校じゃないんだからいいですよ」そう言って、富山さんは笑ったのだ。

 鬼の千鶴に別れを告げて、歩き出す。
 車庫では、飯山さんが私を待っている筈だ。
 家には帰りづらい。
 でも、帰らなければならない。
 それが私の義務だからだ。
 赤い絨毯の敷かれた通路を歩きながら考えた。父も、母も、叔父も、みんな、そんな風に考えていたのだろうか。叔父の優しい作り笑顔の裏側にあったのは、そんな、自分を縛る責任に対する諦めだったのだろうか。諦めを、「仕方ない」とごまかす為に、笑って。
 耕一さんと叔母さんの元を離れなければならないのを、「仕方ない」と笑って。
 だからこそ、「頑張ろうな」って、「いい事なんてどこにでも転がっている」って、
 K・K、あなたは……………
 はじめて、叔父が、哀れだと思った。
 誰にも言えなかったのだ。
 自分が会長としての責務を、家族よりも重視した事が、果たして本当に正しかったのか、誰に訊く事も出来ずに、自分で考えても分からなかったから、叔母の危篤の知らせにも、帰る事が出来なかったのだ。自分には、その資格がないと思っていたから。
 ここは、モラリストの王国。歪んだ王国。
 自分の好きなものを、あるだけ犠牲にする事が、美徳とされる。
 その所為で、叔父は壊れた。死を望み…………
 そして、解放された。
 車の中では黙っていた。私が話しをしたくない気分なのを、2、3の言葉で悟って、飯山さんも黙って運転を続ける。
 淀まず流れる窓の外の景色。流れていく杉の木立、町、人。
 魂だけを車に乗せて、歩く速度で流れていく世界を飛び越え、違う時代、違う人々の間で、生きる事を初めからやり直せるのなら、もし、そんなことが出来るのなら、その時は、きっと。
 次は、きっと。

 三和土の靴の数を確認して、鍵を掛けずに中に上がった。
 本の入った伊勢丹の紙袋を手に提げ、「ただいま」と呟き、奥へと向かう。
 楓が、どこかにいる筈だ。あまり会いたくはなかった。だが、この屋敷にいる限り、そのうちどうしても会ってしまう事も分かっている。
 楓は仏間に居た。外の廊下を歩いていた私から、正座した、その背が見える。
「ただいま」私は声を掛ける。言葉は縮れて、不貞腐れた音になってしまう。
 楓は振り向き、私の顔を見て言った。
「お帰り、千鶴姉さん」
 仏壇には三つの位牌が並び、私たちを見守ってる。そのうちひとつは、近いうちに耕一さんに返さなければならないものだ。
 私は斜めに首を倒す仕種だけで、楓の言葉に応える。
 じっと楓は私を見ていた。
 昨日はごめなんなさい。笑顔を作れば簡単に言う事が出来る謝罪の言葉を、今、私には言えない。でも、何かを口に出さなければ、自分の罪をうやむやにしようとしているようで、余計な罪悪で、また、心が痛む。
「ほら、見て」
 私は紙袋から、会社から持ってきた本を取り出す。
 楓は表情を変えずに、茶色の布張を施されたハードカバーを見詰める。
「会社で、読めって。読み切れなくて、持ってきちゃった」
「『雨月山鬼站』?」
「へぇ、知ってるんだ? かなり古い本だけど」
 本を紙袋の中へ、またしまいこむ。かさ、と音が立った。
「読んだ。全部。学校にあったから」
「これに出てくる鬼の楓がね」私は言った。「エディフェルにそっくりなの」
 楓は「そう」と矢張り無表情に応え、首だけをこちらに向けていた姿勢から、体を回して、立ち上がった。私の脇を通り廊下へ出る。
 私の目は、楓の姿を追う事が出来ずに畳の縁の緑を見る。
 静かな楓の足音が、どんどんと遠ざかって行く。
   楓が、私を避けた。
 きっと、耕一さんは、あの日、こんな風に…………
 何も持たない方の手を握って口元を押さえ、私は目を閉じる。
 目蓋を閉じても、現実は形を無くさなかった。
 K・K……
 私は位牌を見る。
 
  歌っていたんだ、あの日。
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はぅぅ。
リーフ図書館さんにも幾つかファイルが置かれてありますが、
SCR3をちょっと勉強中です。
け、結構演出って大変〜〜

http://www3.airnet.ne.jp/nayurin/