真昼の光は嘘をつく  その7 投稿者: 沢村奈唯美
 秘書課の女の子のフランス土産だと言うフォションのチョコレートを貰って、屋敷に戻った。
 まだ、日が沈んでいない。こんなに早く帰ってきていいのだろうかとも思う。けれど、私が仕事場に遅くまで残って居ても邪魔なだけだと言うのも事実だ。それに帰っていいのなら、早く帰れた方がいい。正直言って会社に居るのは疲れる。色々。
 溜め息を吐いて、笑顔を作る。
 会長は強気でないとね。
 帰り際、富山さんからノートパソコンを渡された。
 新品だった。前社長のお下がりで構わない、と申し出たのだが、叔父が使っていた物は型が古いと言う理由で却下された。現行のOSが動かないらしい。モデム内臓なんですよ、コレ、と富山さんは喜々としていた。新製品だと言っていた。小柄でも、MMX搭載だと言っていた。
 その場で電源を入れ、画面の指示に従ってパーソナライズを済ませた。
 かしわぎ
 入力して漢字に変換する。続けて、
 ちづる
 入力して、また、変換する。
 柏木千鶴
 柏木千鶴。それが私の名前だ。そう呼ばれている。
 ただし、今、ここでこうしている肉体の中に、柏木千鶴という個人が在るかと問われれば、疑問に思わざるを得ない。こうして車のバックシートに背を預ける私は、会社にとっては形式上の会長であればいいのであり、屋敷に帰れば、妹たちの生活を支える大黒柱としての役目を果たさなければない(ちょっと間の抜けた)姉、であればいいからだ。
 悪戯に「メモ帳」に打込む。液晶のくすんだ色合いは、揺れる車の中でさえ、CRTよりはずっと私の目に優しかった。
 叔父の死と私の就任との騒ぎで、秘書課は夏の休暇が取れずに今になって各々が交替で代休を与えられていた。いつも私にお茶を入れてくれる伊丹さんは、その休暇を利用して、フランスを旅行してきたという。
 伊丹さんは、髪の毛をお団子に結った、明るい「女の子」だ。自分の足に躓いて会長室の絨毯の上にコーヒーを零してしまうなど、多少そそっかしい所もあったが、同い年という事もあって私は、彼女のそんな一面にさえ好感を持っていた。オモチャ人形の王国のような、あのビルの中で、彼女だけが人間らしい。見ていて安心出来る。
 真昼の光は嘘をつく。とてもきれいな絵を描く。
 
 そういうのってやっぱ、直接渡した方が点数高いんじゃない?
 ええ? やだ。富山さんみたくなりたくない。
 偉い偉い。
 ダメだなぁ、もっと賢くやらなきゃ。会長も淋しい盛りなんだから、そこにもっと付け込んでかなきゃ。利用出来るものは親でも利用しろって言うじゃん。
 やだよォ、自分でやったら? 魚沼くん。
 おれ?
 他人に媚びるの、上手そうじゃん。ムカシ同人誌とか作って儲けてたんでしょ?
 ぼったくり野郎。
 人聞き悪いなぁ。おれはさ、伊丹さんが会長と仲良さそうだから……会長も淋しそーだし、向こうの心も補完されて、伊丹さんも出世して、万事OK、みたいな。
 ばっかみたい。そー簡単に行かないって。大体、私だって仕事だから仕方なくやってるだけだよ。自分の出世の為に御機嫌とったりするのって、絶対やだ。
 偉い偉い。
 はーあ。そんな風に言われるんだったら、もっと、事務的に接した方がいいのかなぁ………
 そうだね、あんまり近付きすぎて、妙なウワサとか流れたらコトだし。富山の爺さんみたくプライドなくなったら、人間、終りだよ。

 飯山さんが、後部席の私に言う。
「携帯パソコンですか?」
「ええ。貰っちゃった」私は答えて、「メモ帳」を閉じようとする。
「良かったですね」子供を褒めるような嗄れ声が、私の心に突き刺さる。あなたはどうなの? 私の事、
 ウィンドウの右上、小さなバッテン印にカーソルを合わせてボタンを指でた叩くと、私の独り言を保存するかどうかをコンピューターは訊いてくる。「いいえ」を選択して、電源を切った。

 妹たちは全員、屋敷に戻っていた。三和土に置かれた靴の数でそれが分かる。
 漂ってくる匂いから、梓が夕飯の準備をしているのが分かる。醤油の匂い、和食の匂いだった。
 玄関に鍵を掛けて、靴を脱いだ。踵が高いと矢張り歩きづらい。重い足を引き上げて中へと上がり、台所を目指しながら、和食からの連想で夏に旬の魚は何だったかと考えた。実際の季節はもう秋になろうとしているのに、夏の旬を思った。
 台所には梓と楓が居た。
「ただいま」
 と私が言う。
 エプロンで手を拭きながら、梓が振り向く。
「あ、おかえりー」
「おかえりなさい」
 楓はエプロンをしていた。
  エディフェルがエプロンを……
 唖然としている私を横目で捕らえて、楓は動きを止めた。エプロンが似合っていない。違うな。私が見慣れていないだけだ。背筋に、毛虫が這っているような悪寒が走っていた。
「なによ」
「どうしたの……そのエプロン」
「…………………………買った」
 楓は私から目を逸らして俯き加減にぼそりと呟く。
「料理したいって言うんだよ、これが」
 梓は大袈裟に、そして自慢気に楓の頭を撫でる。料理の出来ない私への嫌味のように聞こえた。「泣かせるじゃないか、ええ?」やっぱり嫌味。ちょっと癪。
 とても可愛らしいエプロンだった。肩紐にはフリルが付き、色は薄い黄色で、おなかの辺りで赤いステッチが丸底のポケットを縁取っていた。吊り目がちでキツい感じのする楓には、やっぱり、あまり似合っていないと思う。
「これはこれで可愛いじゃんよ」私の考えを読んで梓は、楓のエプロンのフリルを一片摘み、「一生懸命ってカンジがして、さ?」
 それから楓の肩を揉む。
 それまで無表情だった楓は顔全体を一瞬で赤らめて、尚更俯いてしまった。膝が震えていた。梓もそれに気付き、楓の両肩に手を置いて体を回し、私に対して背を向けさせる。
「さ、頑張ろうな」梓は楓の両肩を揉みながら、背後から優しく、彼女の耳元に告げた。
 楓は小さく頷いたようだった。梓の頭が邪魔で、良く見えなかった。
 私は取り残された。
 私ひとりが悪人にされたようで、決まりが悪いのと同時に、二人に少し腹が立つ。ここでも、私は…………
 疎外感。
 ただ黙って立っていた。
 梓が楓に包丁の持ち方を指導している。楓は梓の声に頷き、垂れ下がった犬の耳のようなおかっぱを何度も揺らす。そんなふたりの姿はきっと、微笑ましいものなのだろう。
 私は妹の後ろで立ち尽くして、立ち尽くして、ただそれだけだ。
  昔もこんな事、あった。
 みんなは一緒に遊びに行っちゃって私ひとりだけお屋敷でお留守番をして……………………………………………………
 耕一さんが「耕ちゃん」だった頃の話だ。
「千鶴お姉ちゃん、ちょっと来て」
 廊下から私を呼ぶ声がした。初音だった。
「あ、はいはい」振り向いて私は、台所を離れる。助かった、と安堵した。
 安堵の溜め息の後に訪れるのは、誰へともない憤りだ。
 馬鹿みたい。ホント馬鹿みたい。
 初音は私たちの部屋のある方へと足を進める。その後について私は歩いた。
 今感じているのが、とても嫌な気分だと分かっていて、それを押し出してしまいたくて溜め息をつく。それでも心臓の隣辺りから勝手に湧き上がってくる呪詛の言葉は、同じ気分を頭の中に繰り返し流し続けている。視界の上辺に、初音の髪をくくっている赤いリボンが見えている。
 なんで仕事から帰ってまで、こんな思いをしなきゃなんないんだろ。馬鹿みたい。
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>紫炎さま
 プラーン、プラーンの辺りがウケました (笑)
 好きだなぁ、僕も、こういうの………


なんか、出てくるパソコンの仕様がちょっち古いんですが、これを初めに書いた時はこれが最新だったのです 笑
個人的には今バイオのA4のが欲しいところ……

http://www.0462.ne.jp/users/nayurin/index.html