「真昼の光は嘘をつく」 投稿者: 沢村奈唯美
「真昼の光は嘘をつく」
                    沢村奈唯美
                

セックスで『イク』と言う感じが、まだ掴めない。
 自慰でなら絶頂に達する事も出来るのだが、セックスとマスターベーションの快感は別物だとは、良く聞く話だ。自慰の経験はある。日本人女性5000人を対象とした某セックスリポートの、およそ80パーセントの中に私も入っている。
 「慎みを持った」と言う模範的な女性像が、男の手によって「開発」されなくとも性欲を持っている女を対象としない幻想であり、男性中心社会の日本で男は、その幻想を不文律として女に強要してきた。だから自慰を知っている事に罪悪感を抱く必要はないのだ、と知ってはいても、改めて自慰の経験がある女の方が世の中には多いのだと誰かに言われれば、それなりに安心が出来る。多数者である事の安心を得たいと言う不安が、少数者の抹殺を目指す排他的風潮を生み出していると分かっていても、周囲から疎外される事への恐怖に、私は、勝つ事が出来ない。日本の人間の大多数は、他人を非難する事によって、社会に適応していると言う安心感を得ようとする。倫理は、異端者、つまり、閉鎖社会の内輪でのみ通用する「理想の人間」モデルから外れた少数者を検索する為に作られ、道徳は、検索された異端者を誹謗し、村八分を正当化する為に作られる。
 「道徳」を「守るべき」規範として絶対化すれば、他人を否定するのに、多くの者の賛同を得られると言う意味で、これ以上都合のいい後ろ盾はない。道徳家の言葉が空々しくて胡散臭く聞こえるのは、自分が他人よりも劣っている事を正しい事だと主張する為に倫理道徳を用いる人間がやたらに多い所為だ。
 醜いと思う。
 醜い自分を直視するのは堪え難く嫌な事だけれど、自分より醜い者と自分を比べるのは、楽しい事だ。だから、自分より「醜い者」は無限に造り出されていく。
性にしろ人種にしろ部落にしろ、差別の源は、自分とは違う他者への恐怖と、劣等感に、彩られている。
 そうでしょう? K・K
 私もそうだけど。
 
 何度かするうちに、私の部屋も使うようになっていた。
 始めに誘ったのは私の方だ。彼の部屋へと夜這って、自分で服を脱いだ。羞恥はあったが、それよりも抱かれたいという想いの方が強かった。
 耕一さんはもう、私の部屋から出ていった。ベッドの横に畳んで置いておいたパジャマ代わりのネイビーブルーの甚平を着て、音が部屋の外に響かないように時間を掛けてドアノブを回して引いて、廊下に出て、頬の筋肉の強張ったような微笑を目の前の私に向けながら、「おやすみ」の代わりに首を一度小さく前に倒して、静かに廊下を歩いていった。私は耕一さんが開けたドアの、部屋の内側を向いて取り付けられている方のノブを両手で握り回して、ドアを閉める。バネ仕掛けの突起が受け側の金具に引っかかる時の、かちゃり、と言うあの音が立たないように注意して、ゆっくりとノブを戻して手を離す。
 ひと息を、ほっとつく。音を立てず上手くドアを閉める事が出来た事に、まず、ひと息。ベッドに戻る。ふたりで寝ていたベッドの上へ今度はひとりで体を横たえリモコンで明かりを消して目を閉じ、更にひと息をついた。
 耕一さんとのセックスが終わって、息をつく。溜息だった。
 セックスでは、まだ、感じる事が出来ない。それが事実で、そして、セックスをしたがる耕一さんが居る。それが事実。
 耕一さんとのセックスを疎ましいとは思わない。私は耕一さんが好きだから。ただ、耕一さんが荒い息で、私の上でせっせと腰を動かしているのに、下の私が無反応でいるのは、彼に悪いという気がする。だから感じているフリをする。具体的には、「あっ」とか「んっ」とか喘ぎ声をあげてみたり、切なげに「耕一さん、耕一さぁん」と、彼の名前を呟いてみたりする。膣の中に異物を出し入れされる痛みの中でよくやるものだと、我ながら感心もする。男の人には分かり難いと思うが、口の端と端に指を掛けて、左右に引っ張っていった時の痛みに似ていると思う。自分の口で試してみた。「裂けちゃう」なんて、ステレオタイプな台詞を口にした事は無いけれど、それも間違った表現でもなかったのだと、自分から服を脱いだあの日、初体験の時、私は知った。
 目を開けた。青く暗い夜が天井に映る。耕一さんが上に載っていた時にも、彼の左耳の向こうに同じ天井が見えた。妹たちは、もう熟睡している筈の時間だった。時計が針を進める音がずっと聞こえていた。
 チック、チック。ちっく、ちっく。その音に私は耳を澄ます。時間は、流れている。
 目を閉じた。明日も会社がある。眠らなくては不可ない。大した仕事をしている訳ではないけれど、駆け出しの会長だから、社員一同にナメられるような状態で出社は出来ない。
 眠たくはなかった。柏木の血の所為だろうか。
 柏木は鬼の一族。夜と月に強い。細胞内で日中は抑制されている「鬼」の因子が、夜、紫外線の照射量が少なくなると、ミトコンドリアのβ繊毛活動により活発化する。一時的な体型変化や意識変容を伴う事もあるが、むしろ、リジンやグルタミン酸ソーダの過剰分泌により、カフェイン摂取と同じ効果を表す事のほうが日常的な意味は大きい。また、月の反射光に含まれるブルーツ波が60000を越えると脳下垂体からのドーパミンの分泌量も通常の100倍近くまで上がり、常人のそれを遥かに上回る集中力が………
 なんてね。
 溜息をついた。
 いつのまにか開いていた瞼に気づき、体を耕一さんの出ていったドアの方へ向けて、再び目を閉じた。おやすみ、とドアに向けて告げた。声には出さなかった。
 時計が針を進める音がする。
その文字盤の裏で、歯車が音もなく回っているのだ。随分昔に、高校で卒業記念に貰った時計を、裏蓋のネジを外して分解してみた事がある。金色の幅の薄い歯車が高回転で回っているのが見えた。怖かった。最速で円周360度の60分の1を一秒ごとに回るだけの動きの裏で、歯車のギザギザが見えなくなるまで速く回転している歯車があるのだ。手にしていた、精密作業用の極細のマイナスドライバーを回る金色の歯にぶつけてみると、意外にも、回転に弾かれる事もなく殆ど力を加えずに動きを止める事が出来てしまった。
 月が出ている。カーテンを光の粒子はすり抜けて月の光は私の部屋を明るく濡らしている。
 『グラン・ブルー』で、こんなシーンがあった。主人公がベッドで眠っていると天井から海が落ちてくる。沈みかけの船を床から浸していく海水のように、天井から、波の立つ海面が沈んでくる。
 チック、チック、チック。
 時計の音。時間は進んでいる。この時計の裏にも、あの歯車は回っているのだろうか。あれからひと月、ひと月を、もう越えた。
 
 ベッドから右足を、そっと下ろす。絨毯の毛が、私の足の裏をくすぐった。


「あの………耕一さん…柏木耕一さんのお宅ですか?」
 受話器の向こうは答えない。耳に当てたスピーカーからは何も聞こえない。死んでいるの?  そうじゃない。留守電だというのは分かっていた。「発信音の後にメッセージを」というアナウンスも、きちんと聞こえた。ピーと鳴った発信音も聞こえた。私の言葉は今、録音されている。留守電に向かって相手が誰かを尋ねた自分を馬鹿だと思って、両親が死んでから何度も見てきた、決まりの悪い時に人が見せる不快な微笑を、私は暗い居間で自分の顔に浮かべていた。電話はいつも居間の前の廊下に置いてある。コードを引っ張って、明かりを付けない居間に引き入れ、グリーンに発光するプッシュボタンを耕一さんの電話番号の順に押した。
 電話の向こうに応答はない。当たり前だ。誰も居ないから留守電になっているのだ。分かっていて、用件を切り出せない。居留守を使っているとは考えなかった。私は顔を上げて息を飲む。息の音が録音されないようにと口を手で抑えた。
 電話が切れた。通話の終了を知らせるツーツーという音が受話器の向こうで聞こえる。
 馬鹿…………
 耳に付けたままの受話器を畳の上に叩きつけて壊してしまいたい衝動を抑えながら、フックを指で押した。
 ゆっくりと指を離した。
 再び耕一さんの自宅の番号をプッシュする。0・4・2・7・・暗闇の中で私の指が緑に光るボタンを押していく。市外局番は0427。東京は全部03だとばかり思っていた。耕一さんは東京にひとりで住んでいる。
「ただいま、外出しております。ご用のある方は、ピーという発信音の後、メッセージをお入れ下さい」
 私はアナウンスが終わり、発信音が鳴るのを待つ。
 発信音が鳴った。大きな音だと思った。暗く静かな海底に響く潜水艦のソナーの音かも知れない。
 用件を告げる。
「あなたのお父さんが」
 死にました。
 今度は録音時間内にきちんとメッセージを収める事が出来た。
 
 通話を切る。
 話す言葉も消えた居間で、電話機のプッシュボタンはグリーンに光っている。留守電のボタンも光っていた。そっちは赤だ。
 そのまま後ろに、畳の上に仰向けに倒れて、天井を見た。自分が留守電に告げた言葉を思い返す。
 死にました。
 あなたのお父さんが死にました。
 酷い死に方だった。遺体を確認した私が言うのだから間違いがない。酷い死に方だった。


   続く

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SS掲示板軽量化記念〜〜というコトの筈だったんですが、
…………変更されてませんね、まだ 笑

ま、まぁ、いいや。

とりあえず、この先大分続きます。笑
分かる方もおられる事とは思いますが、ずっと前
僕が出した同人誌の原稿のちょっと手直ししたものです。
タイトルは某歌手の某曲より。  
 
もうすぐ、コンサートのチケット発売何ですが、取れるといいなぁ……
全曲リクエストの回……


http://www.0462.ne.jp/users/nayurin/index.html