届かない星 投稿者: 沢村奈唯美
注意
WHITE ALBUM ネタバレをちょっと含みます。
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 とぅいんくる・とぅいんくる・りとる・すたー

 きらきら光る。 

モニターの向こうで踊る彼女が輝いて見えた。
大きく緩やかにうねる赤ワイン色のベルベットのカーテンの前を、理奈ちゃんはゆっくりと爪先で右から左へと歩いていく。
スピーカーから流れている歌を口ずみながら歩いて、彼女はモニターの向こうの世界から、私を睨むように視線に捕らえていた。
 何故見るの 私を…………
こちらからの接触を閉じている新曲のビデオの世界に、そんな風に考えてしまうのは 自意識過剰な証拠だろう。
集団の中に、いつも埋没している自分を必要以上に嫌悪している証拠だろう。
 緒方理奈が歌う。
 綺麗だと思った。
 熱く、重くゆっくりとしたリズムの上に、背景のカーテンと同じように緩やかにうねるメロディを丁寧に載せていく。
 聞き慣れないドラムの音は、電子の味がする。
 クリスマスの頃聞いた、あの時の曲とは、ずいぶんと違う曲だった。
 少し前までは……と考えようとしてその言葉を取り消す。
 1年は、もう、「少し」じゃない。変わっていく世界の中で、1年という時間が「少し」だと感じるのは、私が変われないでいるせいだ。
  私の時間は止まっている。
 …………昔。昔は彼女が私たちの世界に侵入する事なんて考えてもいなかった。
 だから、世界は変わったんだ。
 昔、その昔、私がまだ寂しさを覚える前、
 由綺ちゃんと冬弥くんと彰くんと、それを静かに見守る私が居るという関係で、私の世界は成り立っていた。
 
     芸能界を目指す由綺ちゃん。
 
 それを見守る彼氏。      その親友。



                                    少し離れて私 。


  
 私は馬鹿だった。
 
 CDショップのドアが開いて、中から出てきた人が、私に声を掛けた。由綺ちゃんだった。
「美咲さん、こんにちは」由綺ちゃんは頭を下げる。
 彼女の方を振り向いた時に見えたのは、下げた彼女の頭だった。艶を帯びたストレートの黒髪に、白い輪を冠している。天使の輪。陽光が……反射して……
 世界が変わったのは、あなたのせい。
 けれどね、そんなのは逆恨みでしかないから。
 何も言わないね、私。
「久しぶり」
 他愛もない無難な会話をするように努めるから。
「うん…………」
 顔を上げて私に、由綺ちゃんは微笑む。 
「学校、行ってる?」  
 何気なくて当たり前な事を訊くから。そして、彼女は私の質問に、目を逸らして照れて答える。
「なんとか」
「そう、良かった」
 私が微笑んだ後、
 ループする4’27。
  タイムを知っているのは、持っているからだ。
 緒方理奈んのビデオは、いつの間にか終わり、いつの間にかはじめからまた、再生されていた。
 電子的なドラムと低い弦楽器の音から始まる曲に、私は目をモニターへ移す。
「新曲、ですね」私のそばに寄り、私の背を通り越して私の右に来て由綺ちゃんが言った。ドア前で立っているのは他の客の迷惑だと思ったのだろう。
 私と一緒に、モニターを見上げる。
 私には、理奈ちゃんが私を睨んでいるように見えるように、由綺ちゃんには、彼女が、由綺ちゃんを睨んでいるように見える筈だ、と思った。
「この曲で、引退するんだって」由綺ちゃんが言った。
 私は少し驚いて「そうなの?」と声に出し、モニターから由綺ちゃんの横顔へ目を移してしまう。
 その目は理奈ちゃんを捕らえていた。
 理奈ちゃんはモニターの中の世界で踊っている。歌っている。由綺ちゃんが、いつも居る世界で。
 その世界が、私から私の世界を奪った。
 怠惰で、優しく、甘く、停滞し続けていた無限の時間を。
 無意味に微笑を浮かべたままの由綺ちゃんから、私はモニターへ顔を戻す。
 理奈ちゃんはワインレッドのカーテンの前を、歌いながら歩いていく。
 緩いリズムに載っているのは、強い、恋の歌だった。強い、苦しみの歌だった。
「由綺ちゃんは……やめないよね?」
 何下ない事を訊いてみる。分かっている答えを。
「私、ですか?」
「うん…………理奈ちゃん辞めちゃったら、テレビも寂しくなるし、なんて」
 歌番組なんて見ない癖にね。そういう事を云う。
「私は……………辞めても帰る場所、ないから」
 由綺ちゃんは、そう答えた。
 知っていた事を聞かされただけなのに、僅かに良心が痛い。
 世界は終わったのだ。
 ただ見守っている、そんな姿で過ごしてきた私の世界が終わったように、あの頃の由綺ちゃんの世界も、もう終わってしまった。
 私は馬鹿だった。
 私が変わらない事、それが世界を変えない事に、少しでも作用すればと思っていた事が、愚かで悔しい。
 変えたくない世界は、由綺ちゃんにとっては変えなければならない世界だったのだと気付くまでの時間が長すぎた。
「美咲さんって、理奈ちゃん、好きなんですか?」
 彼女が訊いた。
 私に訊いた。
 憧れていた、と口には出せないで私は、また無難な答えを返してしまう。
「うん……時々、バロックっぽい曲があって……」
 そして、彼女の世界も。もうじき終わる。
 輝いて見える彼女が、彼を連れて、私たちから去っていく。
 曲が終わるまで、私と由綺ちゃんはそこに居た。
 そこに居て、理奈ちゃんを見ていた。
 今でも私には届かない、そしてやがて、彼女にも届かなくなる星を。
 
 トゥインクル・トゥインクル・リトル・スター。    

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