イン・マイ・メモリーズ 投稿者:沢村奈唯美


 ぱたぱたと革靴が堅い床を踏んで走り、
 長瀬主任、
 と私の同僚を呼ぶ明るい女の子の声が聞こえた。
 必要以上に幼い声、こめかみの辺りをきゅっと締め付けるような。あれは、マルチだ。
マルチはメイドロボで、長瀬は彼女を開発した来栖川電工HM研究課2班の主任だった。
私が主任を務めるメイドロボ【セリオ】の同時開発機、それが【マルチ】だ。
 閉まろうとしたエレベーターのドアを、『開』ボタンを押して開け、私は真っ直ぐ
玄関へ向かう。
 こんな時間に帰ってくるなんて。
 別に、上から決められた門限がある訳じゃない。メンテとデータ取りの手間で帰宅
時刻が遅れるのを嫌がらなければ、経験値を溜める為にも、長い時間外の世界に触れ
させているほうがいい。今は運用テスト中なのだし。それに他人事だ。2班の事に1
班の私が首をつっこんでいい権利はない。ただ、
「こんな時間まで、どうしたの?」私はマルチを諌めてしまう。なだらかに、なるべ
く優しくと気を付けて。「あまり心配かけないで」
「あ、秋山主任」マルチが私に気付いて緑の髪を揺らす。夜の蛍光灯は不健康な色合
いで、彼女のバービー人形のそれのような髪を照らしていた。耳のアンテナと同様の
理由で、そんな、人間離れした髪質をしている。人間とメイドロボを区別する為に。
「あなた女の子なんだから」私が言うと、
「ごめんなさい」マルチがすまなそうに俯いて、上目遣いで私を見る。膝の上、伸ば
した手が重なって、鞄のハンドルを掴んでいた。
「まぁまぁ。一応電話は入れて来ましたし」
「心配じゃないんですか? あなたの子でしょ?」長瀬に顔を向けて口にしてから、
自分の失態に気が付いた。音を立てない暗いの舌打ちの後で長瀬はにやにやと嫌味な
表情で笑っていた。目を逸らしてマルチを見ても、彼女は私を理解出来ずご褒美の餌
を待つ子犬のように私を見上げたままでいる。
「もちろん、マルチは私の可愛い子供ですとも」
 そう言って長瀬は右手を前に出し、マルチの頭を数回撫でる。
「主任……」
 マルチは頭を撫でられるのが好きらしい。そういう風に設定したのか、それとも、
そういう風に学習したのかは知らない。私にとっては、どっちでも構わない事だった
が、面白い、とは思う。頬を染めて両手の指で口元を隠すマルチを見ていると。
 少し、罪悪感も感じる。
 セリオには、それが出来ない。どこまでも無表情。どこまでも冷静。機能重視がコ
ンセプトとは言っても、マルチのような反応をするように作る事が出来なかった訳じ
ゃない。
 心は、周囲の現実への反応として、育っていく。開発現場の人間以外は勘違いして
いる事が多いのだが、今、地球上で稼働している最新型メイドロボの多くは、心を持
っていると言っていい。一定の動作を繰り返すだけのロボットとは違い、人間社会の
中で、多種多様な仕事をスムーズに、人間並、或いはそれ以上の手際で遂行する為に
はどうしても、経験を積み重ね『学習』、起こりうる事態を『予測』する機能が必要
になってくる。それはつまり、ロボットに『思考』させる脳を与えるという事で、同
時に音声を介してコミュニケートさせる機能を備えさせた事により、人間の感情につ
いても思考、理解し、そこからどんな場合に自分が悲しんだり喜んだりすればいいか
を学習・予測する事が可能になっているという事なのだ。そしてそれは、わざわざ我
々が与えてやるまでもなく、メイドロボが感情を持ちうるという事も示唆している。
セリオを含めた他のメイドロボとマルチの違いは、抱いた感情を表情として表現出来
るかどうかだ。セリオには、頭を撫でられて頬を染める事は出来ない。何より頬を紅
潮させる物理的手段を備えていないのだから。
「芹香さんとは、何を話したのかな?」長瀬がマルチの頭から手をのけて、訊いた。
ずっと芹香と一緒だったのか、この時間まで。
「あ、はい」マルチは夢見心地から覚めるまでの少しの間を置いて、髪の毛を勢いよ
く跳ね上げて目を輝かす。「あ、そ、そうなんです!」
 ぱしん、と喉元で手を叩き合わせて、明るい声を出す。
「『お友達になって下さい』って!」
 静かなロビーにマルチの声が響き渡る。総硝子の玄関の向こうは、夜だった。
「え、芹香さんが?」にわかには信じられなくて私は訊いてしまう。
「はい!」
 長瀬が息を漏らした。横目を向ける。中年男の微笑みは、少し気色が悪い。
「良かったね」長瀬が言った。
「はい! 私でよろしければ、ぜひ、って私、言いました!」
 また長瀬がマルチの頭に手を置いた。よしよし、と声に出しながら右に左にと撫でる。
 マルチはまた嬉しそうに、頬を染める。
「よし、じゃ、行こうか」
「はい!」
 マルチを連れて、長瀬が私が降りてきたエレベーターの方へ向かおうとする。私は
肩越しにふたりの姿を見送り、また前を向き、玄関へと足を向ける。
「あ、秋山主任」マルチが私を呼んだ。私が振り返り目が合うと、閉まった青い扉の
前で、私にお辞儀した。
「さようならー」
 扉が左右に割れ開く。
「はい、さようなら」
 私は微笑んで、首を前に倒した。
 ふたりが扉の奥へ足を踏み入れ、そして扉は閉まっていく。
 到着階を示すランプが『4』で光を止めるのを見届けてから、私は、また、玄関に
歩き出した。
 
 変化だな。
 私は自分を省みる。人間は学習していく。これは、私の変化だ。私はリアリストだ。
だからこそ、現実に抱いた感情にリアルに反応して分析していく。多分これが、子
を持った親の気分、と言う奴なのだろう。
 明日、ここに来て、セリオを起動したら、と私は勝手に開く硝子のドアを急ぎ足で
抜けながら考えた。

 いつもより優しく『おはよう』と声を掛けてやろう。
 そう決めた。
 桜が咲いていた。研究所の庭に咲いた桜が、花を散らして月の下、ほの白く燐光を
放っている。

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・・・眠るハズでは? 俺(笑)

 「MEMORIES」外伝、その3を書いてしまいました。
 セリスさん、感想ありがとう、と書こうとしただけなんですけどね(笑)
 それだけじゃ寂しいから。

 ではでは、今度こそ、良いお年を〜