Merry×3  X’mas そのろく。 投稿者:沢村奈唯美


 ベッドに潜って、明日を思う。
 まだ11時だった。あと一時間で今日が終わる。イブが終わって、クリスマスの25日が
始まる。
 結局、何が変わったという訳でもないのかな、あれから。
 何かが変わるかも、と言う予感はいつも、よくない何かがいい方へと変わって欲しい時に
現れて、その度に一つずつ、諦める事を教えて消えていく。
 お父さんとお母さんが死んだ後、叔父さんが耕一お兄ちゃんと一緒にこの家を訪れた時、
これで叔父さんや耕一お兄ちゃんと一緒に暮らせるのだと思って、嬉しかった。嬉しくて喜
んでいる私を、幼くて両親の死の意味を理解出来ないのね、と哀れむひとたちの声が聞こえ
たけれど、そうじゃない、悲しくて仕方なくて、嬉しい事をひとつでも見付けないとやって
いけなくて、それで、喜んだんだ。

   【叔父さんだけが『お屋敷』に残った。東京に残された
       耕一お兄ちゃんの気持ちを考えると、そんなに沢山は喜べなかった。】
 
 叔母さんが死んで、耕一お兄ちゃんはひとりになってしまった。叔父さんの『一緒に暮ら
そう』という誘いを、耕一お兄ちゃんは断ったのだと知って、喪中に年賀状は出せなくて、
手紙も書けなくて、はげましてあげたいと思っていても、そんな事、出来る訳なかった。
 
   【私たちじゃ、耕一お兄ちゃんから叔父さんを奪った私たちじゃ、
    全ての言葉が耕一お兄ちゃんを傷つけるんだと、その頃私は気付いてしまっていた。】
 
 叔父さんが死んだ。
  千鶴お姉ちゃんが泣いていた。楓お姉ちゃんが、もう誰も居なくなってしまった叔父さん
の部屋から動こうとしなかった。私は叔父さんから貰ったペンダントを誰にも知られないよ
う堅く強く握りしめ、梓お姉ちゃんが作る、通夜に訪れるひとたちへのおにぎりを運んだ。
地球外物質で出来ているんだ、なんて昔笑いながら渡されたそのペンダントは、牙の形をし
ていた。棘の形をしていた。私の心に、棘が刺さる。

   【棘は絶対に抜けない深さまで潜っていった。それは秘密。
    私の秘密。辛い気持ちを表に出せば、他の誰かを辛くする。
           他の誰かを辛くすれば、私は一層疎まれる。】
 
 耕一お兄ちゃんがここに来たのは、叔父さんが死んでひと月が過ぎてからだった。それが
きっと、耕一お兄ちゃんの中での、叔父さんの重さだった。耕一お兄ちゃんは叔父さんを憎
んでいると、はっきりと知った。
 誰にも内緒のペンダントを耕一お兄ちゃんにだけ見せてみた。叔父さんから貰ったんだよ。
でも耕一お兄ちゃんはやっぱり嫌な顔をする。見せない方がよかったと、後で悔やんだ。

 
   【楓お姉ちゃんは耕一お兄ちゃんを避けた。嫌いだったんじゃない、
    好きだったんだ。でも、耕一お兄ちゃんは叔父さんを憎んでいた。そういう事だ。】

 こころに、痕がある。目に見えない傷は癒しようもなくて、けれど、痛みには時が経つに
つれて慣れていく。だけど、いくら慣れても、何も感じなくなっても、ひとの間で生きてい
く限り痕は確実に増え続け、ある日ふと振り返って自分が傷つけた誰かのこころを想えば、
そこに、自分が傷ついたのと同じ過去が見えるかもしれなくて、それで、傷つけるのが怖く
なる。生きていくのが。でも、嫌われて死んでしまえるような勇気はなくて……………
 少し、じゃなくて、沢山、期待していたんだ。耕一お兄ちゃんが、今年はクリスマス・カ
ードをくれる事。
 目を閉じよう、そう思った。
 明日になれば、何かが変わるかもしれない。
 変わっているかもしれない。
 時計が、針を進める音がする。


 除夜の鐘が鳴っている。閉めた雨戸の隙間から、低く、染み込んでくる。
 TVでは紅白歌合戦が佳境に入っていた。退屈な演歌を歌う歌手を、みんなで炬燵に入り
ながらぼーっと見ている。
「終わっちゃうね、今年」私が言った。
「ホント、早いものねぇ、一年なんて」千鶴お姉ちゃんがミカンの皮を剥く。
 楓お姉ちゃんは何も言わない。何も言わないで湯飲みに口をつけている。
 25日になっても26日になっても、耕一お兄ちゃんから手紙は来なかった。そんなもん
かな、と今私は思う。
「つまんないよぉ、これぇ」横に倒れて梓お姉ちゃんがTVに向かって指を差す。千鶴お姉
ちゃんは
「いいじゃない、もうすぐ終わりなんだから」と、剥いたミカンを私の前に、開いた皮の上
に乗せて置いた。「大晦日には、おこたで紅白歌合戦。これぞ、柏木家の年末です」
「どこでも一緒じゃないかしら」湯飲みを手に、楓お姉ちゃんはぽそりと言った。
 私が言う。
「最近はどこでもって訳でもないような気もするけれど」
「うちは毎年そうだったでしょ?」千鶴お姉ちゃんは次のミカンを剥く。「去年だって」ミ
カンを剥く手が止まる。思い出し笑い。「そういえば、去年はあれね。楓、ホラ、叔父さん
の膝にのっかって」
 あ。叔父さんの事が話題に登って、私は一瞬、どきっとする。横目で楓お姉ちゃんをちら
り見る。
 え。楓お姉ちゃんは頬を赤くしている。「そんな事は………」黙り込んでしまう。
 あったあった。あはははは。心の中で私は笑う。
 知らないひとの演歌と、余韻の長い除夜の鐘が聞こえている。ふたつのリズムは良く似て
いて、4人でいるこの部屋で、年は、過ぎては行かずにこのまま止まってしまいそうだった。
「去年の事は」
 楓お姉ちゃんが口を開く。
「去年の事だわ」
 誰も何も言わないで、みんながみんな楓お姉ちゃんに視線を向ける。
 千鶴お姉ちゃんの手から、ミカンが離れる。ミカンを放して、千鶴お姉ちゃんが言った。
「そうね」
 剥かれたミカンは皮の上、楓お姉ちゃんの前に置かれている。
 あーあ、来年はなんかいい事ないかなー、と手を背の後ろの畳に付いて天井を見上げる千
鶴お姉ちゃんに、梓お姉ちゃんが
「いい事なんか、どこにでも転がってるさ」うつ伏せになって言う。「気付くか気付かない
かの差だろ?」
 天井を見上げたままの千鶴お姉ちゃんが、声のトーンを一段落とした優しい声音で言う。
「そうね」
 表で、自動車のエンジンの音がした。うちの近くで止まり、しばらく経ってやがて呼び鈴
の
 ピン・ポーン
 と鳴る音。
「あら、誰かしら」千鶴お姉ちゃんが立ち上がるのにつられて、私もその後を追う。無言で
炬燵に手を付いて楓お姉ちゃんが立ち、ちっ、と舌打ちしてから梓お姉ちゃんが「仕方ねえ
なぁ」と、立ち上がる。
「ヘビみたい………」私が呟いたら
「うるさい」と叱られた。
 玄関までの長い廊下を歩く。
 この廊下を、耕一お兄ちゃんと一緒に歩いた。それは、ずっと昔。ついこの間。どちらに
しても、過去の事だ。
 この廊下を、お姉ちゃんたちと一緒に歩いている。これからは、分からない。それでも、
ただ、失いたくないな、と思った。ただ、思った。
 千鶴お姉ちゃんが引き戸をからからと開ける。
 深い藍色の夜を背に、くたびれた感じの中年男性が立っている。フライトジャケットが全
然似合っていない。特に、もこもこのボアが。
「あ、ども」
 長瀬さんだった。県警の刑事さんで、叔父さんが死んだ時、随分とお世話になったひとだ。
「あ、初音ちゃん、こんばんはー」顎の出た縦長の顔でニコニコと笑う。締まりのないのは、
小さなタレ目の所為かもしれない。
 私は「こんばんは」と、後ろ手に、上半身を横に傾けて微笑む。
「なんですか?」千鶴お姉ちゃんは不安げに眉間に皺を寄せる。「また、何か」
「あ、いや、今日はそういうんじゃなくて」
 みんなで ? と思った。
「落とし物をですね、届けに来たんですよ」
「はぁ………」千鶴お姉ちゃんは間の伸びた返事をする。
「いや、駅前で拾っちゃって。いや、拾われちゃって」
 長瀬さんが後ろを向く。そこに、もうひとり、ひとが立っていた。
 戸口を塞いでいた長瀬さんが、場所を譲る。
 一歩、前に出る。「あ」と声を出したのは、梓お姉ちゃんだった。
 千鶴お姉ちゃんが口を押さえている。鐘が鳴る。
 鐘が響く。
 耕一お兄ちゃんは、ただ、静かに目を細め、そして、ゆっくりと微笑んだ。

 そんな夢を見た。 
 
 ★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
 
 その六です。
 サブタイトル
  「初音のないしょ!!」
  って事で(笑)
 おお、リアルタイム、リアルタイム(?)(笑)
 冬コミで僕の本を買ってくれた方々、本当にありがとうございました。
 こうして仕上がりを見てみると、なんだかあとがきの誤字が
 すごかったりする本だったりしますが(笑)
 
 ああ、それにしても、もっとたくさん本を買いに走りたかったのに〜
 
 なんとか、あと一回で終わりそうです。
 「 LOVE&HATE」のものとは少し変えてみようと思っています。
                                                
 それでは また。良いお年を。