Merry×3 X’mas そのよん。 投稿者:沢村奈唯美


 開いていた障子を開けて、楓お姉ちゃんは立っていた。
 ちょっと背を、凭れるようにして。


 かおりの腰に手を回す。
 街はクリスマス・カラーに彩られていて、緑の地に赤の縁取り、そして更に金紙の縁を貼り付けた
ホームベース型の旗が幾つも、ショッピング・モールには外国のダウンタウンでビルの間にぶら下げ
られた洗濯物のように並んでいた。
 旗の中、文字は白で、右に傾斜する『Merry X’mas』。通り過ぎて、また通り過ぎ、い
くつも頭上を通過させて横道に入る。
「先輩」
 目を閉じるかおりの瞼を見つめて、遠くなった街の喧騒を耳に聞く。  
 
   ラストクリスマス アイ ゲイブ ユー マイハート
   バット ザ ベリー ネクストデイ ユー ゲイブ イット アウェイ
     ディス イヤー トゥ セーブ ミー フロム ティアーズ
   アイル ギブ イット サムワン スペシャル
 
 寂しい歌だ……
 意味が分かってしまうのが、少し悲しい。
 線路の下、自転車置き場の煤けたコンクリートの柱にあたしは背を軽く預けて、キスを待つかおり
の瞼を見つめている。
 腰に触れた手の、指を僅かに内側に曲げるだけで、かおりはあたしに体を預けてくる。あたしのダ
ウンの胸を押しつぶして、少し背骨を逸らし、キスし易いように首だけは真っ直ぐ、あたしに向けた
ままでいる。
 唇を重ねた。
 何回目になるのかは忘れた。確か13回か14回の辺りで数えるのを止めてしまった。その辺りで
、あやふやになってしまった。
 たくさんキスをした。何度もキスをした。服を脱いで胸と胸を合わせ、頬を撫であう、そんな一度
の情事の裡に二十回以上のキスをした日もある。
 今は軽いキス。だから味はしない。あたしの唇を押し返す力と心臓の中でくすぶっているときめき
とを感じる事が出来る。
 かおりの姿勢が無茶なのは分かる。反り返す首が痛そうだと分かる。
 でもなんだろう、離したくない。
 カールするかおりの髪に右手の親指から中指までを潜らせて、手首で右回りに円を描き、絡ませて
みる。
 頭上を電車が走った。がたんがたんという無神経な騒音が響いて遠ざかり、あたしはやっと、かお
りから唇を離す。瞼を開けて、抱えていた手を緩めると、かおりも目を開けてあたしを見上げていた。
優しげに細めたその目を数秒見つめてから、つい視線を左右に走らせてしまう。そうして、また叱
られるな、と思った。
「あ、また周りを気にする」予想通りに、かおりは少し不機嫌になる。
「すまん」だからあたしは謝った。
 かおりはまだ、あたしを見つめたままでいる。あたしの方が背が高い。だから、かおりはいつもあ
たしを見上げていなくてはならない。
「……やっぱり、嫌ですか?」かおりが訊いた。
「嫌じゃないけどさ」
 人目についたら、やばいだろ。
 こんな関係。
 嫌じゃないけれど。
 嫌ならしなければいいのだ。こんな場所でキスなんて。しかも女同士で。
  かおりは右頬をあたしの胸に埋めようとする。額をあたしの喉になすりつけて深く息を吐く。
「今日はずっと一緒に居たかったのに」
 そうだな。そう言ってあたしの左手はかおりの左肩を抱き、あたしの右手はかおりの頭を後ろから
あたしの体へと押さえつける。
「愛してる」
 なんとなく言ってしまった。覚悟も度胸も必要ない。そんな言葉を口に出そうなどと考えていた訳
でもない。考えも準備もなくて、ただなんとなく、それだけでそんな言葉を言えてしまった自分が、
とてもいい加減な人間のような気がして怖くなる。怖くなるから、かおりにしがみつく。
「そうですか?」
 抱きしめられて、埋めたままの顔でかおりは訊き返す。
「一緒に居たかったのにな」
 電車がまた頭上を通過する。音が止み、かおりが言う。
「女ふたりでホテルって訳にも行かないですしね」笑い声が混じる。
「予約、とっとけば良かったな、姉貴んトコでも」
「高いでしょ、鶴来屋は」
 あたしは少し考えて、「多分」と答えた。
「知らないんですか? 自分の家のとこなのに」
「関係ねーよ。鶴来屋背負ってるのは千鶴姉だし」
 きつく締め付けるあたしの腕から顔を上げ、あたしの左顎の下に、かおりは唇を吸い寄せる。僅か
に離して、
「キスマーク、つけていいですか?」
 耳のすぐ側で、かおりの声が聞こえる。息の音も聞こえる。あたしは答える。
「うん」
 軽く歯を立て、かおりはあたしの首を噛む。あたしは目を閉じる。もし誰かに見られていても、そ
れを自分から発見する事がないように。
 ずっと異端者だった。
 あたしたち柏木家の4姉妹は、ずっと異端者だった。金持ちの家の子供、両親の自殺した子供、叔
父と一緒に暮らしている子供、その叔父まで死んでしまって残された遺族たち。
 自分がどうしても、この社会とは相容れない性質なのだと自覚すると、自然、覚悟と狡猾さが身に
ついてくる。
 適応しているフリ。表面上の依存。形通りの信頼。形だけの自立。
 条件に合わない異端者に向ける軽蔑の眼差し。
 『普通の』人間である為のそれらの条件を影でバカにしながら、自分もそれに追随する。そうしな
ければ生きていけないから。やっていけないから。深く重くそして鈍い敗北感をもう何年も、あたし
たちは味わってきた。
 だから普通の人間を、自分が『普通』でいる事が重要な事だと信仰しているような人間を、あたし
は信じない。好きにもなれない。嫌いだ。
 大嫌い。
 かおりの唇が離れていく。
 唇が離れてそして、あたしはまた、かおりをきつく抱きしめる。かおりの髪の中にあたしの指が潜
っていく。けれど、かおりは『痛い』とは言わなかった。抗いもしないで、体を自分から寄せてくる。
頭から手を下ろしていき、左手はかおりの左肩のそのままに、おろした右手で腰を抱く。
 かおりを本当に好きになったのは、あの9月、耕一が東京に戻ってからだった。耕一が消えて、そ
の寂しさの埋め合わせだった。かおりは真摯で、そして健気だった。いつまでも真摯で健気だった。
 だから痛い。離したくなくなる。
 離れたくない。
 

 楓お姉ちゃんが立っていた。
 開いていた障子を背中で押して、少し凭れるようにしていたその縁から、背筋を伸ばして手を後ろ
に組んで立っていた。少し上がった左の爪先。
「ただいま」そんな声が聞こえた。いつもよりも、僅かに高い声。その理由まではまだ分からない。

「おかえり」
 私は体を、おこたの中に埋めたままで顔だけを向けて微笑んでみせる。柔らかく、優しく。千鶴お
姉ちゃんがする様に。
 楓お姉ちゃんは、私の顔をじっと見詰める。
 何か言いたげなのが私には分かる。人の顔色を伺うのは結構、得意。
「目、悪くするよ。そんな近くで」
 これは違うと、そう思った。
 楓お姉ちゃんはそこに立ったままで、部屋の中に入って来ようとはしなかった。
 もっと別な何かを、今、そこで言いたいのだと思う。
「うん」って一応言ったきりで私は動かない。動かないで、楓お姉ちゃんと見詰め合った。
 楓お姉ちゃんが息をつく。短い息。小さな溜息。けれど胸が縮むのが見えた。赤のPコートの胸が
縮む。
 呆れられたみたいな気がして怖くなる。
 楓お姉ちゃんの手が動いて、その所為でだから私は息を飲む。
 背中に隠していた楓お姉ちゃんの右手が、私の目の前に差し出される。
「はい」楓お姉ちゃんが言った。「メリークリスマス」 
  
 ★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

そのよん。です。
なんか、クリスマスネタ、更に増えてきましたね (笑)
久々野さん、お帰り、お待ちしてますよ〜〜(笑)