マルチ、起動。 投稿者:沢村奈唯美


かた、かたかた、かた、かたかた、
     かた。
  
 シスオペの吉松くんが、現在の状況を声に出して確認しながら
、キーボードを叩いていた。
 少し離れた、この位置からでも、彼の目の下にクマが出来ているのが分かる。
 下瞼が腫れていた。徹夜続きなのだろう。こっちのチームは、
相当、体に無理を強いている。
     楽じゃないのは、うちも一緒だけど。 
    
「ベロシティ100、起動準備、入ります」

「ああ、お願いしますねぇ」
 『刑事コロンボ』のような、気の抜ける、寝ぼけた声で、主任の長瀬が、吉松くんに言う。
 この男は、しゃべり方は、いつも、こんな感じだ。だから、返って、みんな警戒してしまう。
 きっと、友達も少ないだろう、と、思う。
 そう思って私は、聞こえるように溜め息を大きくついてから、その背中に訊いてみる。
「どんな気分ですか? 未婚の父になるっていうのは?」
 長瀬は、ハハハと、お定まりの笑いを口に出してから、こう言った。
「秋山さん、ご自分で良く分かってらっしゃるのではないですか?」
 秋山、は、私の名字だ。フルネームを、秋山涼子と言う。仕事は
・・・・研究員。この来栖川エレクトロニクスHM研で、
「私、リアリストなの。セリオは、私の娘じゃないわ」私は言った。
 この来栖川エレクトロニクスHM研で、次世代メイドロボの開発に携わっている。
「なるほど」
 長瀬は口角をつり上げ、フレームのない楕円のレンズの奥で、目を細め、私を見て、笑った。
 バカにされてるみたいで、少し、ムッとする。
「そういうコトに、しておきましょうか」
 見透かす様な態度。嫌だ、と思った。けれど、礼儀だから、私は一応、ほほえみを返す。
「マルチ、目覚めます。第一声をどうぞ」
 吉松くんが言った。彼は元々、私たち『セリオ』チームの人員だった。
 『マルチ』チームに席を置いているのは、本人の希望からだ。
 移籍は、SSSS、『セリオ・サテライト・サービス・システム』のβ版完成と、ほぼ同時期だった。 
 古い話だ。
「いいの?」長瀬が訊いた。訊いておきながらも、脚は既に、このテストルームの奥に向かっている。
「どうぞ。お父さん」くすくすと笑いながら、吉松くんは、キーボード
から右手を離し、長瀬に、その親指を立てて見せる。
「いやいや、すまんね」
 後頭を掻きながら、長瀬は靴音を響かせて、『マルチ』の元へ進む。
 テストルームは広い。ルームと言うよりも、ホールと言った方がふさわし気さえする。
 人間は、ここに三人。
 私、長瀬、吉松くん、の三人だけだ。
 部屋の奥には、革張りのシートに座って、
『レオタード』と、開発者連中で呼んでいるテスト用スーツをつけたメイドロボが居る。
 HMX-12   マルチ。
 首輪には、二本のプラグが繋がれている。
これで、さっきまでプラグインをインストールしていたのだ。
 サーボモーターの回転が始まる。
 きゅぃぃん、と云う、高い音が僅かに聞こえてきた。
 長瀬が深呼吸をするのも、聞こえる。 
 この男でも緊張するのか、と、こみ上げる笑いを、私は押し殺す。
 マルチが、ずっと開いたままだった瞼を、ゆっくりと閉じた。
 そして、また、開ける。
 2、3度瞬きをしたのを間ってから、長瀬が云った。
「おはよう、マルチ」


 扉を閉める。
「あ、おかえりなさい。どうでした?」
 永島くんが、私を振り向く。
「あら、まだ残ってたの?」私は訊いた。
 永島くんは、自嘲気味な笑みを口元に張り付け、
「いや、別に残業手当が欲しい訳じゃなくて」
 苦笑混じりに、そんな事を呟いて、部屋の中央に目を遣る。
 そこに、『セリオ』が居る。
「あれ? 瞼・・・」私が呟く。
「あ、ああ」また、苦笑した口元を隠すように、永島くんは、頬に手を当てる。
「なんだか、開けたままにしておくの、怖いじゃないですか」
指に覆われて、くぐもった声が、私の耳に届く。
「臆病ね」私は笑った。
「いやぁ」永島くんも笑って誤魔化そうとする。
 並んだデスクの間を通り抜け、私は、『セリオ』に近づく。 
近づけば近づく程、永島くんが瞼を閉じさせたくなった気分が理解出来る気がしてくる。
「セリオって、真面目な、とか云う意味のイタリア語なんですよね?」
 遠くなった永島くんが、私に尋ねた。
「そうよ? 知らなかった?」
「ボク、後から入って来ましたから、ここ」
  serio. 名付けたのは、私だ。
性能重視のハイエンドマシーンとしてのコンセプトがあったから、語感と、意味から決めた。
 と、いう事になっている。
 セリオに近づく。
 閉じた瞼の下を見た。
 手を伸ばして、ふれてみる。
 冷たい、という訳でもない。利用者の違和感を出来るだけ減らす
為に、人肌の温もりを再現する素材を使っているのだ。
 【触れると硬いのが不気味】
 【肌が冷たいのが怖い】
 その外見が、だんだんと人間に近づいてゆくメイドロボのユーザーから多くよせられた意見を
反映した結果だった。
「明日からの試験運用、大丈夫ですかね、こいつ」
 近づいて来て、永島くんは、私の隣でため息をついた。
 私はセリオの頬から手を離す。
「心配?」
  それで、残ってたのね・・・・・・
「なんていうか、子供を初めて小学校に上げた親の、登校初日の日の気分が、よく分かるっつーか・・・」
 応える迄に、時間がかかる。何秒か経ってから、私は、
「そうね」と、それだけを口にした。
 私にも、不安があるのは事実だ。認める。
 ただ、それが、子を想う親の気持ちであるのかどうかは、自信がない。
    だめだったな、私は・・・・・
    親には、なれなかった。
    結局、他人との生活なんて営めなくて、出戻って。
 セリオの頭に永島くんが、右手を伸ばして、そっと撫でる。
「こいつ、無愛想だから。うまくやってけるといいんだけど」
 私は、いとおしげな彼の瞳を横目で眺め、瞼を閉じて、また、開けた。
 セリオを見る。その、オレンジの髪の毛から、永島くんの手が離れる。
「大丈夫よ」
 私は云った。

「この子なら、きっと」
  
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  ・・・・・・あのよろしさん、何故に、その方言?(笑)
なんか、いろんな意味で面白いんですけど・・。 (笑)