涙。(serika version) 投稿者:沢村 奈唯美


だから
私にとっての『マルチ』は、あの4月の一週間をここで過ごしたマルチだけだ。

 靴箱の蓋をあけた。
         、、、かちゃん、、、
 揃えて置かれた自分の革靴の踵を指で摘んでそれを、芹香はゆっくりと、スノコの上に下ろす。
  コトン。
  立てたくなかったのに、音が立つ。
 人の気配がしないから、わずかな音の余韻も、いつまでも響いている。
 その音が完全に消えるのを待つ為に、芹香は、俯いた顔のまま、自分の革靴を見つめ続けた。
 先でカールする長い髪が重い。
  この靴を履いて、玄関を出て、校庭に出たら・・・・・・・・・
 かがめた腰で、上履きを脱ぐ。
   箒を持って降り注ぐ桜の花を掃いて遠ざかる私にさよならの挨拶を……
      【なんで、そういう事が出来るのかな、分かんない。】
  分かんない。
 脱いだ上履きを揃えた。靴を履かなかった。
 揃えられた上履きと、揃えられた黒い革靴が、並んでいる。
   この上履きをもう一度履いて、2階の、あの教室の前に行ったなら…… 
 まだ、学校に残っているかもしれない誰かの物音を期待して、耳を澄ます。
   雑巾を絞って、廊下の窓を、一生懸命に拭いて、、、
 夢の終わり。
  あのコは、もう居ない。
 試験運用はもうずっと以前に終わって、今は、眠りについている。
 多分、二度と目覚める事のない眠りに。
   でも、本当はまだ、夢の終わりを信じたくない。
 靴を履かなかった。上履きも履かずに、裸足のまま、玄関を歩く。
    一歩ずつ、歩みの速度は上がる。
  ぺたぺたと、冷たいコンクリートの上を走っていく。
   一年生の靴箱。この列、そうだこの列・・・違う、ここじゃない・・・
 靴箱の扉に、彼女の名札を探す。                    
    この列・・・ちがう、この列・・・
     小さい頃から、ひとりだった。
       だから、ひとりには慣れている。
    何もしゃべらない。   何も聞かない。
 他人と接触を極力少なくしていけば、その分、
 淋しさの痛みにも接する事も少なくなる。
     だから、ずっと、ずっと、そうしてきた。
   けれど、そうしているうちに、私はもっとひとりになって………… 
     違う、この列・・・・ちがう
   涙。
         違う、ここじゃない、ちがう・・・
   泣いてるの、私?
      ちがう、この列・・・・この列・・・・・・あ、
 芹香はしゃがみ込む。一番下の段だった。
 その靴箱には、まだ、名札がつけられたままだった。
 丸い不器用なひらがなで、ただ、「まるち」と書かれている。 
     あのコは学習型だから…………
 可笑しくなって、芹香は小さく震えて笑う。笑うと、
 目の中に溜まっていた涙が、いくつもの雫になって、また零れていく。
 靴箱を開く。中には、何も入っていなかった。
  夢の終わり。それは、現実の始まり。
 空っぽの靴箱を閉じる。
  、、、かちゃん。
   涙を手の甲で拭う。
 だから
 私にとっての『マルチ』は、あの4月の一週間をここで過ごしたマルチだけだ。
 「まるち」 そう書かれた名札を靴箱から抜き取って胸のポケットに入れ、
 芹香は立ち上がった。

            
    …………たまには真面目なの書いてみたかったんだよぅ。
    別タイトル『ひとりでお帰り』 (笑)