堕説・痕 第七話 投稿者:セリス


鶴来屋旅館。
それは、一地方都市には似合わないほど豪華な宿泊施設である。
これだけの規模の宿泊施設を、たった一代で築き上げた奇跡の人物、それが
俺や千鶴さん達の祖父なのだ。
そして、現在、かつて天皇が泊まったこともあるという立派なホテルの
支配者は、若干二十三歳の女性、千鶴さんなのである。


「みんな乗ったか? じゃ、行こうか」
俺はキーを差し込み、エンジンを始動させた。

ドドドドド・・・。

心地よい振動が体に伝わってくる。
「えーっと、ホテルはどっちだったかな・・・」
「・・・こっちです」
助手席に座っている楓ちゃんが教えてくれた。
「ん、ありがと」
ヘッドライトを点灯させると、ホテルの方角へハンドルを切った。
「あ、あの、わざわざ送っていただいて、ほんとにありがとうございます」
後ろに座った二人のうち、女の子が言った。
「いいっていいって。さっきも言ったろ、笑った罪滅ぼしだって」
「すいません」
「お願いします」
俺は運転しながら会話する。
「それよりもさ。自己紹介しないか? まだお互い、名前も知らないだろ」
「あ、そうですね」
「俺、柏木耕一。で、この娘が・・・」
「・・・柏木楓です」
俺の言葉を継いで楓ちゃんも名前を言う。
「俺の名前は藤田浩之です」
「私は神岸あかりです」
後ろの二人も自己紹介した。
「藤田君に神岸さんか。よろしくな」
「はい、よろしくお願いします」
「よろしく、耕一さん」
そんな話をしながら、俺達は鶴来屋を目指していた。


耕一達が柏木家を出た直後・・・。
「ここだ。ここにあるはずだ」
柏木家の門の前に、一人の男が立っていた。
「・・・悪いが、前回のように手加減してやることはできない。
上の方からせっつかれているんでね・・・」
誰にともなしに呟く。
「・・・手段は問わない。目的のものを見つけられれば、それでいい」
柏木家を向いたまま、わずかに声を大きくする。
だが、それで十分であった。
彼の後ろに控えていた黒づくめの男達は、かすかにうなずいた。


「鶴来屋」の大きな看板が見える。
ホテルまで、もう少しだ。
「あ、あの看板、来るときに見たよね」
「ああ、そういえば見たな」
後ろの二人が話している。
俺と楓ちゃんは・・・
「耕一さん、そこの角を左です」
「あ、そうかそうか、そうだったよね、うん」
・・・恥ずかしい話だが、俺はホテルまでの道順を忘れていた。
「楓ちゃんがいなかったら、鶴来屋にたどり着けなかったよ」
「いえ、それほどでも・・・」
楓ちゃんは頬を染めて俯いた。
「・・・おっ、鶴来屋の正面玄関だな。二人とも、ホテルに着いたぜ」
俺は車を止め、後ろを振り返った。
「どうもありがとうございました」
「ほんとに助かりました」
「いや、いいよ。じゃ、またな」
「はい。それでは」
「ありがとうございました」
二人は礼を言うと車を降りていった。
「さて、じゃあ帰ろうか」
「・・・はい」
俺は再びアクセルを踏んだ。


「いい人達だったね。ひろあきちゃん」
「わざわざ送ってくれたんだものな。感謝しなきゃな」
浩之達はロビーに入った。
「あっ、そういえば、みんな心配してるんじゃない?」
「そうだなあ。結構長いこと出てたからな」
「みんなに謝らないとね」
「ああ」
そんなことを話しながら、二人はエレベーターに乗り込んだ。


「・・・・・」
「・・・あの、耕一さん。どうしたんですか?」
「・・・え?」
助手席に座っている楓ちゃんの声がきこえた。
「どうしたって、何が?」
「いえ、耕一さん、何か考え事してるみたいでしたから・・・」
「ああ、ごめんごめん。あのフロッピーについて、ちょっとね・・・」
前を向いたまま、楓ちゃんと話す。
「フロッピー・・・ですか? あれは・・・」
「いや、内容のことじゃないんだ。それ以外に、ちょっと気になることがあってさ・・・」
「内容以外で・・・? どんなことですか?」
楓ちゃんが不思議そうに俺を見る。
「ああ。親父の本の中に、”俺に任せる”ってあっただろ? あれがちょっと引っかかるんだ」
「・・・それは、どう扱うか、耕一さんに一任する、ということなのでは?」
「でも、あのフロッピーは、千鶴さんが親父の遺品の中から見つけたんだ。
俺に処理を任せるっていうんなら、俺の手元に届くようにするものじゃないか?」
「・・・それは、おじさまが急に亡くなったからでしょう」
「親父は自殺したんだ。いくらエルクゥの血に苦しんでいたからといって、
それくらいはできると思う」
「・・・それは・・・」
そう言ったきり、楓ちゃんは口をつぐんだ。
悲しそうな表情だった。
「あっ、ゴメン! 別に楓ちゃんをせめようとか、親父が悪いなんて言うつもりはないんだ。
ただちょっと気になっただけだからさ」
俺は慌てて謝った。
「・・・いえ、いいんです。すみません」
楓ちゃんはそう言うが、悲しげな表情のままだ。
俺は自らの愚かさを呪いつつ、柏木家へと車をはしらせた。


「じゃあ、あとでな、あかり」
「うん。一緒にご飯食べに行こうね」
浩之はあかりと別れ、1220号室へ入った。
おそらく雅史は怒っているだろう、浩之はそう予想していたが・・・。
「あ、おかえり、浩之」
「・・・あ、ああ、ただいま」
雅史は笑顔で浩之を迎えた。
「・・・雅史、お前、怒ってないのか?」
「怒る? 僕が? なんで?」
雅史はきょとんとして浩之を見た。
「僕の方こそ、浩之に怒られるんじゃないかと思ってたよ。僕だけ寝ちゃって、
浩之が退屈だったんじゃないかな、って思ってさ」
「ああ、まあ、退屈は退屈だったけどな」
「うん。ついさっきまで寝てたんだよ。ごめんね、浩之」
雅史は申し訳なさそうな顔をした。
「あ、いや、いいんだ。俺も今まで遊んできたんだしな。おあいこだ」
「そうなの? どこに行ってきたの?」
「後でゆっくり話すよ。それより、飯食いにいかないか? 俺、ホテルに戻って来た
途端に腹減ってきたんだよ」
「あ、いいね。僕もちょうど、お腹空いてたんだ。あかりちゃんたちも食べないかな?」
雅史は1221号室の方を見た。

1221号室。
「ただいま・・・」
あかりが入っていくと、
「はいっ、おかえりなさいませ!」
「おかえりなさい」
「・・・・・」
「先輩は、おかえりなさいと言われてます」
三人とも笑顔であかりを迎えた。
「あの、みんな、ごめんなさい! しばらく留守にしてて・・・」
あかりは頭を下げたが、
「・・・・・」
「先輩は、私達も起きたばかりですから、と言われてます。先輩の言われる通り、
私も起きたばかりですから。気にしなくていいです」
「そうです。お気になさらなくて結構です」
「・・・うん。ありがとう」
あかりも笑顔になった。
「ところで、みんな、お腹空かない? ひろあきちゃんとご飯食べに行く約束をしたんだけど・・・」
「そういえば、列車の中でお昼ご飯を食べてから、何も食べてませんね」
「・・・・・・」
「先輩は、食堂に行けば夕食があります、と言われてます」
「私はロボットですから・・・」
「あ、そうなの? じゃあ、みんなでご飯食べにいかない?」
「はい、いいですね」
「・・・・・」
「先輩も、食べに行きましょう、と言われてます」
「はい、みなさん行ってらっしゃいませ!」
「マルチちゃんも一緒に行こうよ」
「でも、私は何も食べませんから・・・」
「・・・・・」
「先輩は、そんなこと気にしなくていい、と言われてます。私もそう思います」
「ね、一緒に行こ、マルチちゃん」
「・・・はい! それではご一緒させていただきます」 
マルチは嬉しそうに微笑んだ。


「・・・!」
柏木家まであと少しというところで、急に楓ちゃんが緊迫した表情になった。
「? どうしたの、楓ちゃん?」
「急いで下さい、耕一さん!」
俺の問いには答えず、それだけを言った。
「・・・? うん、わかった」
俺は車のスピードをあげた。
すでに人影などはなく、事故を起こす危険はない。
「・・・・・」
楓ちゃんは緊張している。
「楓ちゃん、どうしたの?」
「・・・・・」
楓ちゃんは何も答えない。
「何なんだ・・・?」
俺には何がなんだかわからない。
スピードをあげたので、数分で柏木家に着いた。
「急ぎましょう、耕一さん!」
楓ちゃんはそれだけ言うと、車を降りた。
「何なんだよ、一体・・・?」
俺も車を降り、玄関へ向かう。
「ただいまー・・・」

ガラッ・・・。

楓ちゃんと一緒に引き戸を開いた。
だが、俺達を迎えてくれたのは、初音ちゃんの笑顔ではなかった。
「・・・うう・・・」
「梓?!」
玄関前で倒れ、苦しんでいる梓だったのだ。
「梓、どうした?!」
「梓姉さん!」
「・・・こ、耕一・・・?」
梓は俺を見ると、
「・・・耕一、あ、あいつらだよ・・・。あ、あんたのフロッピーを奪った・・・」
それだけ言うと、意識を失った。
「あいつら・・・。あいつらが来たのか・・・」
俺の体を流れるエルクゥの血が騒ぎだした。

ダッ!

俺は一気に走り出した。
「あっ! 耕一さん!」
楓ちゃんが叫ぶが、俺の耳には入らない。
俺はそのまま居間へ飛び込んだ。
そこには・・・
「・・・うう・・・」
「・・・」
倒れ伏している千鶴さんと初音ちゃん、それに・・・
「これはこれは。主賓のお帰り、というわけですか」
どこか皮肉気な口調でそう言う、高校生風の少年が立っていた。
「・・・貴様か? 貴様がやったのか?」
俺は今にも殴りかかりそうになるのをこらえ、少年に話しかけた。
「ええ、まあそういうことです」
少年は事も無げに答える。
「・・・どんな手品を使ったんだ?」
「手品? それを言うなら、あなたもその手品に屈しているんですよ。柏木耕一さん」
「・・・なるほど、すべて研究済みというわけか?」
「ふふっ。あなた方も、ちょっと変わった力を持っていますよね。僕もそうなんですよ」
「・・・貴様の名は?」
「僕の名前ですか? 別に教える必要もないのですけど、まあいいでしょう。僕は長瀬祐介です。
よろしくお見知りおきを」
祐介は慇懃に礼をした。
「・・・フロッピーを奪ったのも貴様だな?」
「いえ、とんでもない。僕はあんなやり方はしませんよ。まあ、僕の仲間ではありますけど」
「・・・何が目的なんだ?」
「さあ。あなたの方が詳しいかもしれませんよ」
祐介はのらりくらりとかわす。
俺は一気に祐介に殴りかかりたかった。
だが、そんなことをしてもこの間の二の舞になるだけだ。
じりじりしながら、祐介と会話をする。
「さて、と。僕はあなたが帰るのを待っていたんですよ。耕一さん」
祐介はテーブルの上に置いてあった親父の本を手に取った。
「この本、読ませていただきました。なかなか興味深いことが書いてありますね」
「興味深いこと・・・?」
「はい」
俺には何のことだかわからない。
「お察しの通り、あなたのお父上が遺したフロッピーは、僕達がお借りしています。しかし、
プロテクトがかかっているんです」
「プロテクト・・・?」
「そうです。そのおかげで、内容を見ることができないんです」
祐介はお手上げだと言わんばかりだ。
「それで、キーワードを教えていただこうと思い、参上したわけなのですが。なんとか
キーワードが分かりそうで、とても嬉しいですよ」
「キーワード・・・? そんなもの、どこにあったんだ?」
「おやおや、おとぼけになるんですか? 柏木耕一さん、ほかならぬあなたこそが
キーワードを知っているはずですよ」
「な、なんだと? 俺が知っているだと?」
「そうです。あなたは知っているはずです」
祐介はそれまでの笑顔から一転して真剣な表情になると、俺をまっすぐに見た。
「さあ、教えて下さい、耕一さん。キーワードは何ですか?」
「・・・そんなもの、俺は知らない」
俺はきっぱり答えた。
「そんなはずはない。あなたは知っているはずです。教えて下さい」
祐介は真面目な顔で俺に尋ねる。
「知らないものは知らないんだ。それ以上答えようがない」
「いえ、必ず知っているはずです。お願いです。教えて下さい」
祐介は真剣だ。
その姿を見ていると、さっきまで感じていた敵意が薄れてくるような気がする。
「本当に知らないんだ。すまない」
俺の態度も、知らず軟化していた。
「・・・そうですか」
祐介も納得してくれたようだ。
「ごめんな。できることなら教えてやりたいんだが」
俺は慰めるように言ったが、
「・・・どうあっても隠すというのですね」
俺を見るその目は、さっきまでの鈍い光を放っていた。
「違う! 俺は本当に知らないんだ!」
「・・・ふふっ。いつまでそんなことを言ってられるでしょうかね」
祐介は視線をずらした。
「あなたが強情を張っているのなら、その子がどうなってもしりませんよ」
いつの間にか、俺のそばに楓ちゃんが来ていた。
「や、やめろっ! この子に手をだすな!」
「これが最後です。キーワードは何ですか?」
「そんなもの、俺は知らない!」
「・・・そうですか」
祐介の言葉と同時に、
「きゃあああああっ?!」
楓ちゃんが悲鳴をあげ、頭を抱えてうずくまった。
「楓ちゃん?!」
俺は楓ちゃんの肩を掴んだが、楓ちゃんは反応しない。
「耕一さん。早くキーワードを言わないと、取り返しのつかないことになるかもしれませんよ」
そう言う祐介の口調には、どこか悲しげなものがあるような気がした。
「俺は本当に知らないんだ! 教えようがないだろう!」
俺は叫んだが、
「まだ強情を張るのですか・・・? その子、本当に死んでしまうかもしれませんよ」
「きゃああああああっっっっ・・・」
楓ちゃんは再び悲鳴をあげ、倒れ込んだ。
「や、やめろっ! 頼むからやめてくれ! 何でも話すから!」
俺は祐介に懇願した。
「簡単なことです。あなたがキーワードを言いさえすれば、それでいいのですから」
「俺は知らないんだ! 本当だ! 知ってたら、とっくに話してる!」
「・・・・・」
それまで信じなかった祐介も、少し表情を変えた。
「・・・どうやら、本当に知らないようだね」
「ああ! キーワードなんて、さっき初めてきいたんだ!」
「・・・・・」
祐介は少し考え込んだが、
「まあいい。どのみち、あなたを招待するつもりでしたから」
その言葉と同時に、どこからともなく黒づくめの男達が現れた。
「おとなしくしたがってくださいよ。これ以上その子を苦しめたくなかったらね」
「・・・くっ・・・」
俺は黒づくめの男達に拘束された。
「この本も、一応持っていくか・・・」
祐介は親父の本を見た。
「じゃあ、行きましょうか。耕一さん」
そして、玄関に向かって歩き出した。
「待て! お前の目的はなんだ? 一体何のためにこんなことをする?」
俺は拘束されたまま、祐介に問いかけた。
「・・・・・」
祐介は少し振り向いた。
「僕にも、事情があるんですよ・・・」
そう言う祐介の瞳は、深い悲しみの色を宿していた。


                              第七話 了