堕説・痕 分岐1 第2話 投稿者:セリス


 ・・・さん、・・・一さん・・・。
 ・・・誰だ・・・? 俺を呼んでいるのは・・・。

 目を開けると、千鶴さんの、見慣れた顔があった。
 いや、涙に濡れている表情なんて、初めて見たかもしれない。
「耕一さん! よかった・・・、気がついたんですね!」
 千鶴さんは、心底ほっとした表情になった。
「・・・梓は?」
「あなたよりは軽症です・・・隣の部屋で、眠っています・・・」
 そう言いながらも、千鶴さんの表情は暗くなってゆく。
 その時になって、俺は自分がベッドで眠っていたことに気付いた。
「俺、どれくらい寝てた?」
「一時間程です・・・」
「千鶴さん、無事だったんだ・・・」
「・・・はい。あなたがフロッピーを持って窓から出たのを追って、みんな出ていったので・・・」
「ごめん、見捨てるような真似して・・・」
「いえ、私がそうして下さいと言ったのですから・・・」
 俺達の表情は、暗くなっていく一方だ。
「あのフロッピー、何が入っているんだろう?」
「・・・わかりません。調べる間もなく、逃げてきたので・・・」
「ただのフロッピーじゃなさそうだな・・・」
「ええ・・・」
「どこから出てきたの、あれ?」
「たしか、おじさまの日記などと一緒に、ひとまとめにしてありました」
「日記?」
「はい、おじさまは普段、日記など書かれていなかったので、珍しいなと思ったのを覚えています」
「親父の日記か・・・それって、まだある?」
「たぶん、あるとは思いますが・・・」
 千鶴さんの語尾は不明瞭だった。
 おそらく、あの黒ずくめの男達が持っていったかもしれないと思っているのだろう。
「・・・だったら、まずその日記を読んでみたいな」
「日記をですか?」
「うん。フロッピーとひとまとめにしてあったんでしょう? 
 なら、なにか手掛かりがあるかもしれない」
「そうですね。それなら・・・」
 その時、隣室とのドアが開き、梓が入ってきた。
「梓! もう、起きてもいいの?」
「梓、大丈夫か?」
 俺と千鶴さんが声をかけるが、梓は暗い表情をしたまま、口を開かない。
「・・・梓、どうした?」
 俺はもう一度声をかけたが、やはり梓は何も言わない。
 たぶん、何も出来ず、あっさり負けてしまったことにショックを受けているのだろう。
 俺はそう思った。
「・・・とりあえず、耕一さんの考え通り、おじさまの日記を調べましょう」
 千鶴さんが、その場を締めくくるように言った。


その、約一時間前・・・。
耕一からフロッピーを奪った男達は、近くに止めてあった高級そうなリムジンに乗り、
どこへともなく走り去った。
そのリムジンには、あるマークがついていた。
ちょっと知識のある人間になら、すぐに分かっただろう。
そのマークは、日本有数の大企業、来栖川グループの物だということが・・・。

 三十分後、リムジンは、来栖川エレクトロニクス研究所の前に止まった。
 だが、車から降りてきたのは、怪しげな黒づくめの男ではなく、ごく普通の高校生だった。
 彼は、颯爽と研究所へ入ろうとしたが・・・。
「あのー、すいません・・・」
 入り口で、誰かに呼び止められた。
「なんですか?」
 彼は、微笑みを浮かべながら振り向いた。
 その彼が、ほんの三十分前に、耕一達を一方的に打ち負かしたことなど、
 誰が想像できようか。
「あのー、ここは一応、機密施設なので、えっと、部外者の方の立ち入りは・・・」
 彼の前で、一生懸命に説明しているのは、ちょっと変わった女の子だった。
 背が低く、緑の髪、緑瞳。
 だが、何より変わっているのは、耳のところについている、おかしなアクセサリーだった。
 耳をすっぽりと覆う形で、SF映画の通信機と言われたら、信じてしまいそうなデザインだ。
「・・・ですから、あなたのような、普通の学生さんが、来られるところでは・・・」
 彼は、懸命に説明を続ける彼女に、パスのようなものを見せた。
「僕も、関係者なんだよ」
 彼女はそれを見て、途端に、頭を地につけるほどの勢いで謝りだした。
「ごっ、ごめんなさあぁぁぁーーーーーい! 
 わっ、わたし、てっきり普通の学生さんだとばかり・・・」
「いや、いいんだよ。みんなにも、そう言われてるしね」
 彼はそう言って微笑んだ。
「じゃ、もう行ってもいいかい?」
「はい、どうぞ! あっ、なんでしたら、わたしがご案内しましょうかっ?」
 彼女もそう言って微笑んだ。
「いや、いいよ。もう何度も来て、道順は覚えたから」
「そうですか・・・残念です」
「それより、きみ、何でこんなところにいるの?」
 その言葉を聞いた途端、彼女ははっとした顔になって、
「ああっ、そうでした! スタッフの方に、お使いを頼まれてるんでしたーー!」
 そういって、慌てだした。その仕草も、実に愛らしい。
 彼も笑いながら、
「じゃあ、早く行っておいでよ」
「はいっ! 行って来ます! ほんとに、すいませんでした!」
 そういって、彼女は飛び出して行った。
「・・・・・ああああー! ぶつかるー! どいてくださぁぁーーーい!」
 彼は外の声を聞き、一瞬笑顔をみせたが、すぐに厳しい表情になった。
 そして、身体の向きを変えた。
「さて、行くか・・・」
 そう言って、彼は、研究所の奥へと消えていった。


 研究所を飛び出した彼女・・・実は、最新鋭のメイドロボなのである。
「出来る限り人間に近いロボットを」・・・こんなコンセプトに基づいてつくられた彼女、
 形式番号HMR−12型、通称「マルチ」は、開発者達の努力の成果か、神の偶然か、
 人間以上に人間らしいロボットであった。
 そのすべてを記すにはあまりにも時間がかかるので割愛するが、ちょっと見た感じでは、
 ごく普通の女の子であった。
 だから、駅前で買い物に精を出しているマルチを、初めて会った耕一達が
 人間の女の子と思ったとしても、なんら不思議はない。

「あーあ、列車が出るまで、まだ二時間もあるのか」
「すいません、田舎で・・・」
「あ、いえ、別に千鶴さんを責めてるわけでは・・・」
「・・・でも、こうやって気晴らしできるんだしさ・・・」
「俺にとっちゃ、見慣れた風景だけどねえ」
 そんなことを言いながら、俺達は駅前を歩いていた。
「車はないの? 鶴来屋の車」
「乗ってきた車は、壊れています・・・」
「柏木の家から呼ぶことは?」
「家に電話したんですけど・・・」
 そう言って、千鶴さんは俯いた。
「連絡がつかないんです・・・」
「そ、そう・・・」
 楓ちゃんと初音ちゃんが心配なんだろう。千鶴さんはそれ以上、何も言わなかった。
 俺達がまた暗い雰囲気で歩いていると・・・。
「あうぅぅぅーーー、みなさんどいてくださあぁぁーーい」
 そんな声が聞こえてきた。
 何事かと見ると・・・、
「なっ、なんだありゃ?」
「ティッシュペーパーとトイレットペーパーが歩いてる!?」
「まさか、そんな・・・」
 俺達が呆然と立ち尽くしているうちにも、それは近づいてくる。
 そして・・・。

 どんっ!

「うわっ!」
「きゃっ!」
「うっ、うわぁぁぁ?」

 正面衝突してしまった。

 どさどさどさっ!

 ティッシュペーパーとトイレットペーパーがあたりに散乱する。
「うーん・・・」
 頭を振りながらあたりを見回すと、緑の髪の、変なアクセサリーを着けた女の子がいた。
「あいたたた・・・」
 その子は、一瞬ぼうっとしていたが、はっと気がついて、
「すっ、すいませぇぇーーーんっ! 前がよく見えなかったものでえぇぇーーー!」
 そう言って、ものすごい勢いで謝り始めた。
「い、いや、こっちの不注意だよ。こっちこそ、ごめん」
 俺も素直に頭を下げた。
「・・・それより、あんた、何でこんなにたくさん買い込んだりしたのさ?」
 気を取り直して梓が聞いた。
「はい、たまたま、安く売っているのを見かけて、腐らないものならいくつ買い込んでおいてもいい、
 という格言を思い出したもので・・・」
「そんな格言なんかないよ・・・」
 梓がつっこむ。
「はっ、こうしてはいられません! 早く帰らないと、スタッフのみなさんに、
 心配をかけてしまいます!」
 突然、女の子が元気よく言った。
 あわてて、ティッシュやらトイレットペーパーやらをかき集める。
 が・・・。
「・・・・」
 女の子も、眼を大きく見開き、困っている。
 すごい量だ。よく一人で持ってこられたものだ。
「・・・あのさ、手伝おうか?」
 さすがに、静観を決め込むわけにもいかなかった。
「いえ、見ず知らずの方に、これ以上ご迷惑をおかけするわけには・・・」
「でもさ、俺達がぶつかったことが原因なんだし・・・」
「いえ、さすがにそこまでのご迷惑はおかけできませんから・・・」
 でも、彼女の眼は、「どうしよう・・・」と言っている・・・。
「・・・うーん、じゃあさ、俺、柏木耕一。で、あっちが柏木千鶴、こっちが柏木梓。
 で、きみの名前は?」
「えっ、みなさんマルチと呼んで下さいますが・・・」
「うん、じゃあ、マルチ」
「はい、なんですか?」
 マルチは、一体何を言い出すのか、という顔をしている。
「ほら、これでもう、見ず知らずの人じゃない、友達だよ。友達として、手伝わせてよ。ね、マルチ?」
 そう言って、俺は笑った。
「・・・ふふっ、そうですね。じゃあ、お願いします、耕一さん」
 マルチも、にっこり微笑んだ。その笑顔は、とっても可愛かった。


 コツ、コツ、コツ・・・。

 人気のない廊下を、彼は足音高く歩いていた。

 コツ、コツ・・・。

 そして、ある扉の前で立ち止まった。
 プレートには、「CYBERNETICS CONTROL」と書かれている。
 扉はロックされており、右側にカードキーの入力口がある。
 彼は内ポケットからカードキーを取り出すと、スッと通した。

 ピッ・・・。

 小さな機械音が響く。

 シュッ・・・。

 扉が音もなく開く。
 彼は素早く入室した。
 直後、再び扉が閉まる。
「早かったな・・・」
 室内の人物が言った。
「目的は、達成しました」
 彼が答える。
 その声は、先ほどの機械の少女に対していたような、暖かみのあるものではない。
「当然だ。そのために、お前はいるのだからな・・・」
 抑揚のない、感情の感じられない声。
「あっけないほど、簡単でした。
 この分では、フロッピーも、大した役には立たないと思うのですが・・・」
 彼もまた、事務的に話す。
「それは、我々が判断することだ。お前は、指示に従っていればよい」
「はい。わかっています」
「では、フロッピーを」
「これです」
 彼は、耕一から奪ったフロッピーを、室内の人物に渡した。
「ごくろうだった。次の指示があるまで、待機していろ」
 その言葉と同時に、扉が開いた。
「失礼します」
 彼は一礼すると、退室していった。


「うわー、でっかいなー。ここが、マルチの家か?」
「はい、わたしがお世話になっているところです」
 俺達は、やっと来栖川エレクトロニクス研究所に着いた。
「でも、あの二人もひどいよなー。おみやげを選びたい、なんてさー」
「いえ、耕一さんが手伝って下さっただけでも、すごく嬉しいです!」
「おっ、嬉しいこと言ってくれるね、マルチ!」
「そ、そうですか? 耕一さんが嬉しいと、わたしも嬉しいです!」
「うんうん、マルチはいい子だなあ」
 などと話しながら入ろうとした時。

 ウィーーン・・・。

 入り口の自動ドアが開いた。
「う、うわっ!?」
「きゃっ?」
「おっと」
 危うく、出てきた人にぶつかりそうになったが、すんでのところで避けることができた。
「あ、アブねーだろっ!?」
 思わず俺は怒鳴ってしまったが・・・。
「おや、君はさっきの・・・」
「ああ、先ほどの高校生さん! どうもご無礼をいたしまして・・・」
「おいおい、高校生さんはひどいよ。ぼくにも、月島拓也っていう名前があるんだから」
「そうですか、ではあらためて。月島さん、どうもご無礼を・・・」
「それはもういいってば」
 二人のやりとりを見ていた俺は、
「知り合いの人?」
 とマルチに聞いた。
「ええ、こちらの方は・・・」
「はじめまして。月島拓也です。マルチとは、さっき初めて会いました」
「ええっ、どうしてわたしの名前をご存じなんですか?」
「だから、僕も一応ここの関係者なんだって。最新型のメイドロボのことくらい、知ってるよ」
 そういって、月島は笑った。
「そうなのか。はじめまして、月島君。俺は、柏木耕一だ」
「拓也でいいですよ、柏木さん」
「俺も、耕一でいい。拓也」
「はい。耕一さん」
「ふふっ、几帳面な奴だな・・・」
 そういって、俺も笑った。
「あっ、あのっ、わたしもマルチでいいです!」
「もともと、みんなそう呼んでるよ、マルチ」
「ああ。マルチって、言いやすいもんな」
「そ、そうですね・・・」
 マルチも笑った。
「それじゃ、僕は帰ります。耕一さん、マルチ、またお会いしましょう」
「ああ。またな」
「あのっ、今日はほんとに、すいませんでした!」
 月島は、軽く会釈をすると、そのまま出ていった。
「なかなか、いいやつだな」
「そうですね」
 俺達は、そんなことを言いながら研究所に入っていった。


                                第二話 了
 

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先日司堂さんが書いていた「堕説・痕」、分岐@の続きはぼくが書くことになりました。
小説投稿初挑戦です。
超シリアスな小説になってます。
読んで下さった方、ご意見、ご感想などいただけると、嬉しいです。

                                 セリス