危険な妄想(ヴィジョン) 投稿者:鈴木R静


   危険な妄想(ヴィジョン)


「ええと、なんですって?」
 来栖川電工中央研究所の一室に抑えた声が響いた。
 HM開発課の主任のひとりである長瀬源五郎は、そう言って飲みかけのお茶をデスクに戻すと、
寄り掛かっていた椅子ごと振り返った。
 来栖川電工――一般には来栖川エレクトロニクスという名前で知られる同社の、第七研究開発室。
ここのHM開発課は、最近社会のいたるところで目にするようになったメイドロボと呼ばれるお手伝
い用人型ロボットの、文字通り新製品開発を担当している部署で、House Maid(お手伝いさん)の
略である『HM』は、来栖川エレクトロニクスのメイドロボシリーズの型番を表している。
 第七研究開発室は、実際は結構な広さのはずなのだが、スタッフたちの机がどかどかとならべられ、
さらにその上にも下にもワークステーションや業務用コンピュータなどのマシン類、さらには書類、
記憶ディスクの束、果ては個人持ち込みの私物などが積み上げられて、印象としてはかなり手狭な
感じを受ける。
 長瀬の視線の先には、こちらも開発主任である柳川達也が立っていた。声を掛けてきたのも彼で、
そのかっちりとした隙のない立ち姿は、よく言えばエリート然とした、しかし悪く言えばしゃちほこ
ばった堅苦しい感じを与えた。いや、エリート然とした、ではなく、実際に柳川はHM開発課の中
でも一番の出世頭だった。工科大学を主席で卒業した才能の持ち主で、まだ入社して2年ほどしか
経っていないにもかかわらず、すでに主任として新製品の企画、開発を手掛けているのがなによりも
そのことを証明していた。
 長瀬はもうすぐ四十近く。
 対して柳川は大学を出たての二十代そこら。
 経てきたキャリアも経験も、ともにまったくといっていいほどに異なるふたりだったが、立場上は
同じ開発主任として汎用アンドロイドの製作に辣腕を振るっている。
「マルチの様子がおかしい?」
 長瀬はいぶかしげな表情を柳川に向ける。
「……はい」
 そう言って柳川は金属フレームの眼鏡――それは彼の理知的な顔立ちによく似合っていた――の位置
を正すように、軽く指で押し上げた。
「どうせまた、マルチがなにかとんでもないヘマでもしたんでしょう? ……柳川君、マルチの思考
プログラムの基本が学習型で、そのシステムの性質上、まだ生まれ立てのあのコがたまにびっくり
するような失敗をすることがあるのは、わたしよりも君のほうがよく知ってるくらいでしょう?」
「それはそうですが……」
 この人の会話は、いつ聞いても、なんだか寝起き直後のふわふわと漂ってるような感じだな――柳川は
ふとそんなことを思った。
 マルチ――正式名称HMX−12型。長瀬が責任者として中心になって開発した最新型の試作メイド
ロボット。見た目はとても子供っぽく見えるが、取り敢えずの設定年齢は高校生クラス…らしい。正確さ
が身上のロボットなのに、なぜかドジばかりするといった非常に人間くさい動作――もちろん同じ技術者
の柳川には、それが分散処理型エキスパートシステムである超並列処理演算神経網コンピュータと、そこ
に組み込まれたスーパー・カオス・ニューロン素子とによって実現された、驚くべき最新テクノロジー
の賜物だということはよくわかっている――と、造った人間に似たのかほんわかした性格が特徴の、
可愛らしい女の子型アンドロイドである。……もっとも、メイドロボはそのほとんどが女性型なのだが。
「しかし、今回はどうもいつもとは様子が違うような気がしますが……」
 柳川の口調には言外に非難の響きが込められている。
 彼が言っているのは、来栖川グループが出資している近所の高校でつい先日まで行なわれていた、
マルチの一週間ちょっとの試験運用のさい、そこで知り合ったある男子生徒に特に彼女がお世話になった
ということで――マルチの、どうしてももう一度会ってお礼がしたい、というたっての希望もあって――、
長瀬が、独断で試用期間を一日延長してマルチをその生徒のところに外泊させたことだった。
 メイドロボットは、各社がその持てるテクノロジーの粋を集めて、最先端の技術力の全てを傾けて開発
する、いうなれば歩く企業秘密とでもいうべき代物である。その最新試作機ともなれば、おのずと扱い
は慎重の上にも慎重を期すべきだった。
 長瀬も彼の言わんとしていることを察したのか、
「いや、わたしだって最初からマルチをあんなに長い時間無断外出させるつもりではなかったんですよ
――ああ、わたしが行っておいでと許可を出したんですから、無断ではありませんね。……まあ、成り
ゆき上ああなってしまいましたが、もう終わってしまったことを後からくだくだ言っても仕方がない
ですしね……」
 そんな言い訳じみたことを言った。
 そして柳川が何か言い掛けた機先を制して、
「それで、いったいマルチがどうしたっていうんです?」
 と無理矢理話を先へと押しやってしまった。
 柳川は出掛かった言葉を飲み込むと――彼は長瀬ののほほんとしているように見えて、その実、結構
強引な性格というのが、この2年という短い、しかしその人物のひととなりを知るには充分な期間の
つきあいで、いやというほど、それこそいやというほど心底思い知らされていたので――心中溜息を
つきながら、あきらめてマルチの様子について説明を始めたのだった。

「やあ、マルチ」
「……あ、長瀬主任」
 反応までの微妙な間――呼ばれて振り返るマルチ。
「……それに柳川主任も」
 研究所の長い廊下の途中。手にはモップブラシ、床には雑巾とバケツを置いて、マルチは掃除に精を
出していた。
「また掃除ですか、いつもえらいですねえ」
「……そんなことないですー。これがわたしのお仕事ですし……それにわたし、お掃除が大好きなん
ですー」
 なんだか今日のマルチは、いつにもまして反応がおっとりしているようだった。
「本当にマルチのおかげで、この研究所もとても住みやすくなりました。……えらい、えらい」
 そう言って長瀬は、マルチのつややかなショートカットをなでなでした。
 ぽっと嬉しそうに頬を染めるマルチ。
 誰かさんの大ざっぱな性格がここを住みにくくしてるんじゃないんですかね――柳川はそんなことを
思ったりもしたが、もちろん口には出さない。
「ところで、最近調子はどうですか?」
「……はいっ、元気ですぅー」
「体調は万全か?」
「はいっ」
「充電したか?」
「はいっ」
「風呂はいったか?」
「はいっ」
「歯ぁみがけよ」
「はいっ」
「それではまた来週〜」
「はいですぅー」
 柳川は頭が痛くなるのをおさえながら、我知らずこわい顔で、こほん、と大きく咳払いした。
 あー、こほん――と長瀬も小さく咳払いをすると、取り繕うように、
「まあ、ロボットも人間も元気が一番です」
 と言った。
「しかし柳川君、見たところマルチの様子に、特にこれといっておかしなところはないようですけどねぇ」
「そうでしょうか。最近マルチの言語活動に、ときどき意味の認識系統に関するバグと思われる、理解
不能な言葉が発音されるのが確認されています。これには私だけでなく他にも複数の証言が寄せられて
おり……」
 マルチは長瀬に微笑みながら問いかけている。
「でも、長瀬主任。今日はどんな用事でしょうか」
「いや〜、特にこれといった用はないんですがね。ま、呼ばれて飛び出てじゃじゃじゃじゃ〜〜〜ん、
といったとこですか」
「じゃじゃじゃじゃ〜〜〜ん」
「そう、じゃじゃじゃじゃ〜〜〜ん、です」
「……また、このところ彼女の運動能力、反応力などが、設計時のデフォルトに比べていちじるしく
低下していることも明らかになっています。これは学習型という能力の可能性の幅を考慮しても、許容
しがたい範囲で、こちらに関しても即急なメンテナンスが……」
 長瀬がマルチと話し込んでいる。
「まあ、今日も一日、ぶわぁ〜といっちょうまいりますか」
「はいっ、ぶわぁ〜ですね」
「……ていうか、人の話を聞けーーー!!」
 柳川がキレた。
「どうしたんです、大きな声を出して」
「主任……私の話を聞いてました?」
 はあはあと肩で息をする柳川。
「いやですねぇ、もちろん聞いていましたとも」
「で、どういうふうに理解されました?」
 確認を取るのも忘れない。長瀬はときに意図的ともとれる的確さで自己流の解釈をすることがままある
からだ。本人に悪気がないぶんなお始末が悪い。
「つまり学習型として構築されたマルチのシステムが正常に動作している、ということでしょう?」
「は? といいますと……」
「いやあ、古き良き七十年代、八十年代のレトロネタを駆使するメイドロボなんて、そうそういませんよ。
ソフトウェアのカオス性がハードウェアにフィードバックされる、マルチだけの、そしてわたしの自慢の
独創的設計も、威力を発揮しているようですね。どうりで最近、マルチと妙にテンポがあうわけですねえ」
 そこまで説明して一息つくと、長瀬は懐から煙草を取り出し、「ぽちっとな」というお約束の言葉と
ともに火を付ける。
「今週のびっくりどっきりメカ、発進ですぅ」
 マルチの絶妙の合の手。
「お、偉いですねえ、かなりわかってきましたね」
 ぽっと嬉しそうに頬を染めるマルチ。
「長年連れ添った夫婦というのは、だんだん顔形や行動が似てくるといいますが、これこそが学習型の
利点ですねえ。――おっと、そういえば柳川君、あの当時、君はまだ生まれてなかったんですねえ。それ
じゃあ、理解できなかったのも無理はないかもしれませんねえ。まあ、マルチにわかって自分にわから
なかったからといって、そう気落ちすることもないでしょう。気楽にいこうよ、気楽にね。ぶわっはっ
はっ」
 長瀬が豪快に笑った。
 黙れ!
 柳川は――心のなかで(笑)――叫んだ。
 おまえかあ、おまえのせいだったのかあ! やっぱりおまえが全ての元凶だったんだな!
 柳川は自らのなかで何かが壊れる音を聞いたように思った。

 はぁ、はぁ……。
 荒い肉食獣のような呼吸。
 全身が震え、汗が流れ続ける。
 胸が苦しい。
 頭が割れそうに痛い。
 脳裏にもうひとりの柳川があらわれ、ささやく。
 ……ククク、本当はお前だって気付いてるんだろう?
 ……もうこれ以上、我慢できないってことを。
 ……さあ、解き放て。
 ……明日が今日に、明後日が今日になるだけだ。
 ……だったら、苦しむだけ損じゃないか?
 駄目だ。
 駄目だ、駄目だ、駄目だ!
 ほんの僅かでも気を抜けば、理性というたがが弾けてしまいそうだった。
 しかし、負けるわけには……。
「……さん……柳川さん?」
「はっ!」
 女性の声に、柳川は不意に現実に引き戻された。
 目の前では研究所の若い女性職員がけげんそうな表情で彼をみつめている。
「こんなところでぼうっとなさって、どうされたんですか?」
「……いや……なんでもないんだ」
 見れば廊下にたたずんでいるのは彼と彼女のふたりきりで、長瀬とマルチの姿はすでにどこにも無か
った。
 いつか、自分を抑え切れなくなるときがくるかもしれない。
 そしてそうなったとき……妄想という仮想現実で私という意識がもうひとりの私に飲まれてしまった
とき……いったい、この自分に何が起こるのだろうか?
 ……なーんてね。
 どうせ所詮は妄想。
 そんなことしたら職を失っちゃうからね。
「あはは、本当になんでもないんだ」
「もう、おかしな柳川さん」
 来栖川電工中央研究所の一角にほのぼのとした笑いがあふれた。

 ――その後。
 柳川が現在手がけ、のちに製品化されることになるメイドロボ、HM−13型セリオに、彼はオプション
として密かに対長瀬用決戦兵器サテライトキャノンを装備したり、しなかったりするのだが、それはまた
別の、お話。