優しい童話 投稿者:鈴木R静


      優しい童話


 空気が柔らかく膨らんで、おひさまの笑顔を、いっぱい、いっぱい映し出し
ています。
 黄金(きん)色の蜂蜜みたいな、甘い、甘い空気です。
 藤田家の、野の草が生え放題、背の低い木々が伸び放題の緑が元気な庭先で
は、物干し竿が二対、自分たちの仕事をいまかいまかと待ちわびています。
 庭はブロック塀と家屋にはさまれてちょっと窮屈そうですが、土も草木も空
気も物干し竿も、そんなことは全然気にした様子もなく、みんながおひさまの
笑顔につられてきらきらと輝いています。
 がらがらがら。
 ブロック塀と向かい合っている家の縁側の、雨戸がわりの大きな大きな窓ガ
ラスが、そんなうがいみたいな音をたてて大きく左右に口を開きました。
 うんしょ、うんしょ。
 あかりママとマルチちゃんです。
 両手いっぱいに、びっくりするくらいたくさん服やスカートがはいりそうな
大きな洗濯籠をかかえています。そのなかにはやっぱり、びっくりするくらい
たくさんの洗濯物が、犬小屋の入り口から頭だけのぞかせてお昼寝している犬
さんのように、そこにいるのが当然、みたいな顔で、たくさん、たくさん、積
み重なっています。
「日曜の朝がいいお天気だと、お洗濯も気持ちがいいね」
 あかりママはおひさまの笑顔に、柔らかな笑顔でこたえながら、目を細めま
した。
「はい、ですぅ。いつも楽しいお洗濯が、もっともっと、楽しいですぅ」
 マルチちゃんも、嬉しそうです。
「じゃ、洗濯物、干し干ししよっか?」
「あ、待ってくださいっ」
 あわてたマルチちゃんは、いそいであかりママのそで口を引っ張りました。
「ん? どうしたの、マルチちゃん?」
「あかりさんは、赤ちゃんが生まれる前の大事なからだなんです。ここは私に
まかせてください」
「ふふ、ありがとう、マルチちゃん。でも赤ちゃんといっても、二人目だし、
それに赤ちゃんが生まれてくるのは、あと半年たってからなんだよ。んー、で
も、マルチちゃんの気持ちに甘えちゃおっかな……ん、じゃ、お願い、できる
かな?」
「はい、ですぅ」
 よいしょ、よいしょ。
 マルチちゃんはスリッパをつっかけに履き替えると、あかりママとマルチち
ゃんがそれぞれかかえてきた二対の洗濯籠を、二往復して、二対の物干し竿の
根元まで運びました。
 あかりママは、マルチちゃんの優しい気持ちを、優しい微笑みで見送りなが
ら、よいしょ、と同じ言葉を唱えて縁側に腰を下ろしました。
 るるんるるんるるんるるーん、るるんるるんるるんるるーん、んー、るるん、
るるん、るるん、るるん、るるん、るるん、るるんるるーーーん、ふー……。
 マルチちゃんはとても楽しそうに鼻歌を奏でながら、一枚、また一枚と洗濯
物をとりあげては、物干し竿にかけていきます。
 散歩につれていっていってもらった犬さんみたいに、洗濯物もとても嬉しそ
うです。
 物干し竿も自分たちの出番がいよいよやってきたことに、とても嬉しそうで
す。
 マルチちゃんもとても嬉しそうです。
 みんなの笑顔を見下ろしているおひさまも、笑顔でいっぱいです。
 あかりママは、マルチちゃんの姿を見つめているうちに、なんだか不思議な
涙がにじんできました。
 ――どうしてかな、みんながこんなに幸せでいっぱいなのに、なんだか不思
議な気持ちがあふれてくるよ。
「あっ、まるねーたん、ひとりでおせんたくをほしてるー。ずるいー、ひかり
もてつだうー」
 藤田家の小さな一人娘、ひかりちゃんも起き出してきました。ふたりの姿を
見つけると、元気いっぱいに駆け出してきます。放っておくと、そのままはだ
しで外まで飛び出していってしまいそうです。
「ひかり、起っきしたら、最初はおはよう、次にパジャマの着替え、でしょ」
「うん、おはよう、まま。ぱじゃまはおてつだいしてから、きがえるの」
 ズックに小さな足をつっこむと、ひかりちゃんは元気いっぱいにマルチちゃ
んのところまで駆けていきました。
「おはようですぅ、ひかりちゃん」
「おはよう、まるねーたん」
 マルチちゃんとひかりちゃんは、仲良く並んで洗濯物を干し始めました。
 ひかりちゃんが洗濯物を取り上げると、マルチちゃんがそれを受け取って、
物干し竿にかけていきます。でも、小学校にもまだ上がっていない小さなひか
りちゃんには、洗濯物の一枚、一枚はとても大きな荷物のようです。マルチち
ゃんはひかりちゃんの優しい気持ちを、手もとに届けられるまでじっと待って
から、優しく受け取ります。
 ――マルチちゃんと、マルチちゃんの妹みたいな、娘のひかり……。
 ――マルチちゃんの妹たちは、誰もマルチちゃんのことを知らないし、覚え
てもいないんだね。心は、マルチちゃんにしかないんだね。
 ――マルチちゃんのことを知っている、マルチちゃんのことをずっと覚えて
いる妹は、ひかりだけなんだ……。
 あかりママは、ふたりの姿を見つめているうちに、なんだか不思議な涙がに
じんできました。
 ――どうしてかな、みんながこんなに幸せでいっぱいなのに、なんだか不思
議な哀しみを感じるよ。
「まるねーたん、きのう、おねむのときにきかせてくれたえほん、すっごくお
もしろかったよ、またきかせてね」
「昨日はぁ……ピノキオですね。じゃあ、今日は……あれにしましょう」
「あれって、あれって?」
「お寝むの時間まで、秘密です」
「ぶー、ききたぁーい」
 ふたりの優しい会話が、あかりママの心に流れてきます。
 ――絵本……そっか、マルチちゃんは童話なんだ。
 ――マルチちゃんは自分を取り巻く世の中に対する自分の位置づけが、すべ
てわかってるんだよね。だって、マルチちゃんはかしこいもの。心を持ったメ
イドロボ……すごく残酷な現実だよね。みんなロボットのメイドロボ、でもた
ったひとりだけ、マルチちゃんだけが心を持ったメイドロボ……。
 マルチちゃんの楽しそうな笑顔が目にしみました。
 ――童話はときに子供じみた無邪気な残酷さを隠しひそめているけれど、で
も優しい童話は、やっぱり、優しく、優しく読んだほうが、楽しいよね。
「あかりさーん、お洗濯、完了ですー」
「ままぁ、おわったよー」
 ふたりの嬉しそうな声に、あかりママも嬉しい笑顔で答えました。
「ん、ありがとね、ふたりとも」
 そのとき、マルチちゃんとひかりちゃんの嬉しそうな顔が、もっともっと嬉
しそうに輝きました。ふたりは、あかりママの、さらに後ろを見ているようで
す。
「おはよう、あかり」
 大きな影が、あかりママにおおいかぶさってきました。
 ちょっとびっくりしたあかりママでしたが、でもすぐにいつも見慣れている
優しい顔を見上げて、優しい笑顔を浮かべました。
「おはよう、あなた」
 藤田家のご主人様は、ひとつ、大きなあくびをしました。
「あかりー、朝ごはん食べようぜー。起き抜けはお腹がすいちまって」
「ふふ、もう準備してあるよ。マルチちゃんと支度したんだから。あとは目玉
焼きを焼くだけかな。でもその前にパジャマは着替えないとだめだよ」
「へいへい。日曜だってのに、ふたりともはえーなー。マルチも偉いぞ。感心、
感心」
「ひかり、まるねーたんのおてつだい、したのー」
「そうか、ひかりも偉いぞ」
「じゃ、みんなで朝飯に……あ、マルチは飯が食えないんだったな、ロボット
だけに……でも、味見できなくても、料理の腕ってのは上達するんだから不思
議だよなー」
「あかりさんの教え方がうまいんですー。あかりさんはシェフ顔負けですから」
「まあな、あかりと結婚して何が一番よかったって、やっぱ飯がうまいことに
尽きるよな」
「もう、あなた、まるでそれだけしかないみたいじゃない」
「でも朝飯の間、マルチはひまだなー、いつものことだけどよ。今日もいつも
みたいに掃除でもしてるか?」
「はい、ですぅ」
「そうか……ま、無理だけはすんなよ」
「はい、大丈夫です。……わたし、お掃除が大好きですから」
 おひさまの笑顔がいっぱいの、黄金色の蜂蜜みたいな空気に包まれて、みん
なが優しい幸せに輝いていました。
 ――優しい童話は、やっぱり、優しく、優しく読んだほうが、楽しいよね。
 あかりママはそんな言葉を、世の中の現実のなかの、ちっぽけな我が家の現
実が、マルチちゃんの優しい現実であることが本当に嬉しくて、そっと心につ
ぶやきました。
                                (了)