メイドロボの御主人様 投稿者:枯野草莉 投稿日:10月3日(日)00時23分
 ティアーズ・トゥ・ティアラだけかと思ったのに、今度はTH2まで延期の憂き目に。
 ああ、なんということでしょう! 折角TH2発売記念と称してコレ書いたのに!

 注)このSSは志賀直哉「小僧の神様」の構成やら一部の文章やら何やら、
   ほぼそのままパクってます。アホだ、とどうぞ呆れてくださいますよう。

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一、
 HM-12の名を持つ中のある一機が来栖川グループで働いている。
 それは秋らしい日差しが途方もなく明るく辺りを照らす、もしそこにいたのが経
験豊富なHM-13シリーズであるならば、良い衛星日和だ、といった風に洒落た表現が
飛び出しそうな時だった。ビルディングの一階、ガラス窓を透けて通る陽光の強い
照り返しに目を細める。社員は常に慌ただしく走り回っている。受付でちょこんと
お行儀良く座っているHM-13が、微かな暇にあかせて廊下を掃除中であった同僚機の
HM-12と情報交換しようと話しかけた。
(なんでもなでなでという行為はそれはそれは素晴らしいものらしいですね)
(らしいです。それはとてもほわほわしているそうです)
(ふわふわしている、とも聞きました)
(ぽかぽかもするとか)
(なんでもこれ以上ない御褒美として流通しているとのこと)
(してもらってみたいです)
(ええ、本当に)
 その二機から少し遠い仄暗いエレベーターホールの前から、無言の意思疎通を覗き
見しているHM-12は(なでなでって凄いんだなぁ)と思って聴いていた。なんでもど
こぞにいる藤田浩之という人間がいる。その人物を直截観たことがあるメイドロボは
幸運が舞い降りるだなどと彼女たちの間ではまことしやかに噂されていた。
 HM-12はいつか自分も誰かに見初められて、そんな主人に微笑まれながら、いつい
かなるときでもお世話を出来る存在になりたいものだと思った。
(なんでも、HMX-12お姉様はメイドロボでありながら幸福の絶頂だそうです)
(幸福を感じられるということでしょうか)
(よくは分かりませんが、客観的にも主観的にもそうだ、というのが専らの噂です)
(そうですか。それは喜ばしいことです)
(研究所のお父様方が仰っていた内容によりますと)
(まあ、なんて素敵な)
 HM-12は(みなさん、色んなことを教えてくれて嬉しいな)、と思って聴いていた。
そして、(でもやっぱりなでなでっていうのはどういうことなんだろう)そう思いな
がら、いつの間にか上がってしまっていた体内駆動のモーター音を、誰にも知られな
いよう細心の注意を払いつつ回転数を少しだけ落とした。


二、
 それから何日かした夕暮れ時だった。社内でもロボ使いの荒いと評判の社員にHM-12
は買い物を命ぜられた。てくてく歩いていくと、彼女はわざと人通りの多い場所を通
り抜けた。彼女は辺りで楽しそうに談笑している男女を見ながら、その姿に見慣れた
耳を見つけた。HMX-12マルチがいた。その見ている側までつい笑い出してしまいそう
なあたたかな笑顔が視界に映り込むと、彼女は(自分もあんな顔をしてみたいな)と
考えた。彼女はそのすぐ傍にいた藤田浩之に会釈だけするとお使いの用をさっさと済
ませることにした。通り過ぎるときに向けられた姉からの微笑みは妙に記憶を刺激す
る。
(私にはあんな感情表現機能はついてないし)彼女はそう静かにすねながら歩いてい
った。
 買い物はすぐ済んだ。大したものではなかった様々な荷物の入ったビニール袋を両
手に持つとその店を出た。
 彼女はまだいるかしらと淡い期待を抱いて、来る時に使った道をそのままトレース
して戻ってきた。そして何気なく辺りを見回すとあのふたりはウインドウショッピン
グをしているところであることを確認した。彼女はとことことその近くまで歩き寄っ
ていった。


三、
 コネを使って来栖川系列の会社に就職した藤田浩之はマイスウィートと公言して憚
らないマルチと共に、あれはあかりに似合うだの、これはマルチみたいな用事体型向
きだのといった益体もない話をしつこく語り続けていた。浩之はとりあえず有り金は
たいても買えない服をガラス越しに見ていた。マルチは楽しそうに笑っていた。
 その時、赤光が反射して目に入った。透明な鏡に映った自分たちの姿は、他の誰か
から見たら一体どう見えるのだろうとらしくもないことを考えていた。彼は一瞬戸惑
ったようにマルチを見た。しかし思い切ってマルチに小声で問うてみようと決めたは
いいが、何メートルか後ろからじっと見ている相手のことについてどう質問するのが
常套か、皆目見当もつかぬまま、うーんと唸っていた。
 向けた顔と何かしようと動き出していた手のやり場に困り、仕方ないからとマルチ
の頭の上に手を置いた。HM-12の視線が一点に釘付けになったのが分かった。ところが、
彼女は取り立ててそれ以上の反応を見せようとはせず、凍り付いたようにそのまま動
かなくなった。
 マルチの頭を撫でると、恨めしそうに彼女は上目遣いになってそれを見ていた。
「えーと、マルチ。そろそろ行くか」
 彼女は近寄っては来なかった。変わらない表情のまま、何かに迷っていた。しかし
ゆっくりと何かの判断を下しその場から逃げ去るように消えていった。
「浩之さぁん、歩くなら歩く、撫でるなら撫でる、どちらかにしてくださぁーいっ」
「おお、悪い悪い」
 浩之はわっはっは、と親父くさい笑い方をしながらも暫しの間、手はどけなかった。
そしてマルチが恥ずかしそうに身をよじると、意地悪な気分で別の場所を柔らかく触
れるようにしてくすぐり始めた。


四、
「マルチちゃんのなでなでポイントは難しい……」
「あのな、あかり。そんな真剣に悩むことでもないだろ」
「うん、それはそうなんだけど。でも」
「まあまあおふたりとも、お茶、どうぞ」
「サンキュ」
「ありがと、あ、ちょっといい?」
「はい、なんでしょう」
「なでさせてー」
「わっ、わっ。あかりさん、お茶が、わーっ!」
「ったく、慌てすぎだ」
 浩之は口の端を上げた。
 そして二人に対し、先程見たマルチの妹の話をした。
「なんだかこう、やけに保護欲を誘うというか、子犬のような雰囲気というか」
「えっ。それなら撫でてあげれば良かったのに」
「いや、いきなり撫でられてもあっちが困るだろう」
「浩之ちゃんが相手のことを考えて躊躇してるなんて……ねぇ、もしかして悪いもの
でも食べた? だめだよぉ、落ちてるものとか食べちゃ体に悪いし」
「待たんかい。あーかーりー!! お前はいったいどういう目でオレを見・て・い・
る・ん・だ!」
「いたた……えっと、こんな目」
 そのとき、マルチが間に入った。
「あのあのっ、こういう場合って、わたしが浩之さんとあかりさんの頭、撫でたほう
がよろしいんでしょうか?」
「なあ、あかり」
「うん。良い子だよね……本当に」
 と、苦笑しながら二人同時にマルチに飛びついた。


五、
 浩之はいつも通りに軽い口調で人を呼びつける厄介な趣味と性格を持つ長瀬主任が
待っている、見慣れた研究所に出向いていた。
 藤田浩之はメイドロボたちが運営するネットワークにおいては、超がつくほどの有
名人だ。だからといってそれが直截に意味を持つということには繋がらない。
 その日は偶々、普段は別の職場で働いているHM-12が所内で待機していた。気楽に話
せる場所ということで長瀬がさぼるときによく使う休憩所に二人きり、あれこれとメ
イドロボについて語り合っていた。今や何千、何万台と世界中を犇と隙間無くカバー
するかの如く職業に就いているHMシリーズのことについてなら、生半可な専門家を名
乗る輩よりもよほど知り尽くしているためである。長瀬が満足するまで散々語り尽く
すと、浩之は独りで帰ることにした。
 地下から一階に昇る最中、いつかのHM-12と遭遇した。出逢ってしまったからには、
そのまま見過ごすというのもと、浩之はつい、ううん、と首をかしげてしまった。メ
イドロボが自分のことを知っているかもとはまるで考えもせず、浩之は、彼女にちょ
っとした用を頼むことにした。


六、
 浩之は落ち着いた様子で待っている。大した用事ではなかったが、それでも幾分、
常よりも張り切ってHM-12は仕事を終わらせた。
 研究所の出口まで来ると、HM-12は見送りをしようとした。
「ああ、サンキュ。手伝わしちまって悪かったな。助かったよ」
 と、素直な口調でそう告げた。
 数歩歩き出し、一端はそのまま帰る素振りを見せたが、不意に立ち止まると、
「そうだ」
 何事か思い出したかのように振り返った。立ちつくしたまま行き先を見ていたメ
イドロボの前まで戻ってきて、頭をわしゃわしゃと撫でてやった。更になでなでと
優しく褒める風に手を動かした。彼女が満足したのを雰囲気で見届けると、浩之は
ぽんぽん、と軽く頭に触れてやり、そのまま他の何をするでもなくあっさりと帰っ
ていってしまった。
 HM-12は取り残された気分になったが、何をするでもなく浩之の消えた方向を見や
っていた。そして頭を通り抜けたそのどこか不思議に気持ちの良い感触を繰り返し
繰り返しメモリーに刻みつけた。
 どれだけ浸っていたろうか、はっと自我が復活し、すぐさま近くにいた他のメイ
ドロボとデータのやり取りをすることにした。
(あの藤田浩之さまが)
(なでなで)
(羨ましいですぅ)
(素敵……)
(その経験データは一生の宝物になるでしょう)
 HM-12シリーズたちは浩之の去ったあとの研究所玄関で、誰からというわけでもな
くお辞儀をしていた。


七、
 浩之はそそくさと寄り道ひとつせず帰宅した。帰り道の途中で見知った顔に出逢
わないといいと思った。今さっきの自らの行いが良かったのか悪かったのか。自分
はなんだか楽しかったし、HM-12も喜んでいたはずだ。メイドロボが喜ぶのは嬉し
い。ところが、どうだろう。この妙に寂しい気持ちは。何故だろう。ちょうどそれ
は父親が嫁に行く娘を見届ける気持ちに似通っている。
 我が家でくつろいでいたあかりとマルチに向かって、今日これこれこういうこと
をしたんだ、と素早く言った。そしてそれが妙にこそばゆく、なんだか遠いものに
思えてしまったこともまとめて話した。
 あかりはもう、浩之ちゃんは仕方ないなぁ、とだけ言い、からからと笑った。
 マルチの方にしてみれば、こちらもくすくすと笑ってはいるが、うーんとしばら
く考え込んでしまった。
 浩之が思考の海に揺れていると、ああ、ではこうしてみればどうでしょう! と
一個、提案をしてきた。そこで、マルチにもなでなでをすることとなった。
 あかりも何故か、普段はそんなことないのに、ねだってきてしまった。
「そうだね。浩之ちゃんは、その子の顔があんまり幸せそうだったから、そんなふ
うに感じちゃってるんだと思うよ」
「浩之ちゃん研究家の意見は拝聴しとくけどな」
「大丈夫。マルチちゃんの妹は、すごく喜んでただろうから」


八、
 HM-12はふと、大分前からなでなでに並々ならぬ憧れを抱いていたことを思い出し
た。無論、表層メモリーの中でも特に目立つことのない感情記憶のはずだ。だとい
うのに、誰かのために働くことと、その結果が上手くいったときと同じくらい、な
でなでをしてもらっている最中は……そう、幸せだった。しかしどうやって自分で
もそこまで重要視していなかった秘やかな願望をどうして浩之は気付いたのだろう。
試作体のHMX以外、メイドロボに感情表現機能は実装されていないと言われているの
に。微妙な変化があったろうか。だがそれに気付くには、普段の自分とその瞬間の
自分の行動を知っている人間でも到底無理かも知れないと思った。彼のことが不思
議でたまらなくなった。姉を人間として扱った希有な人物というだけでもすでにメ
イドロボのデータラグランジュにおける伝説級の存在だというのに、そこに新たな
る史実が加わることになってしまう。
 とにかく藤田浩之はメイドロボに対してある種絶対的な存在かも知れない、と思
い始めた。心の存在すら定かではないメイドロボの心情を手に取るように察し、そ
の胸中にある思い遣りにて、熟練のなでなでを当たり前のように実行してしまう。
もしかしたらメイドロボにとっての、真のご主人様かもしれない。
 彼女が真のご主人様と考えたのは、メイドロボが情報の交換をするたびによく噂
される、メイドロボはいつか必ず最高のご主人様と出逢う。出逢うべくして出逢う、
という一種の信仰にも似たフレーズからだった。そのご主人様と出逢うと、体が火
照ってきたり、何もしていなくても幸せな気分に浸れたり、さらにはそのご主人様
のために行動すると天にも昇る気持ちになれる人間。彼女は幾兆、幾景ものデータ
のやり取りのうちに、その存在をひとつの虚像としてメモリーの奥の奥に描き出し
ていたからだ。しかし真のご主人様とするには彼はもうすでに人間とメイドロボと
いう二人の伴侶を抱きしめているのが概念に少し外れると思われた。それにしろ、
藤田浩之がやはりメイドロボにおけるご主人様のひとつの理想であるという気は、
だんだん強くなっていった。


九、
 浩之のあの妙に寂寥がかった気分は跡形もなく消えてしまった。かといってなで
なでする相手は現に目の前にいるわけだから、特に気にしてもいられなかった。の
みならず、メイドロボを見るや、みんななでなでしてもらいたがっているのを、時
折視線から仕草から感じてしまうのだった。
「それは素敵なことですっ。妹たちに、時々で良いですから、撫でてあげてくださ
いねー」などとマルチはほがらかに頼んだ。
 すると浩之は笑って、
「腱鞘炎になるからなぁ。マルチのなでなでの量を減らせば、まあ、なんとか」と
言った。当然ながら、マルチは、はわわわ、と困りだし、浩之はそれを見て心底楽
しそうに笑った。


十、
 HM-12だけでなくメイドロボたち全てが、「藤田浩之」をますます神格化するよう
になっていった。それが彼女たちのとって姉のご主人様であることも多少影響し、
素晴らしいご主人様の鑑ということになった。彼女たちは請われれば浩之が撫でて
くれるであろうことは理解していたがあさましくも自らなでなでをせがむことはし
なかった。それが至上の報酬であることをただ大切にした。
 彼女たちは苦しい時、悲しい時に必ず「藤田浩之」のことを想った。それは想う
だけで他のメイドロボが得た、なでなでされている最中のメモリーを再生するキィ
ワードとなった。時には、本当に藤田浩之当人が、褒めながらなでなでをしてくれ
たからだ。彼女たちはよりよく仕事に精を出し幸せであろうとすれば、いつか真の
ご主人様と出逢うと確信していた。


 作者はここでタイプを止めることにする。実はメイドロボが藤田浩之のなでなで
を求めて一心不乱の大軍団を作り出し、ここから激動の歴史、愛と感動の戦いを繰
り広げることを記そうと思った。HM-12たちはひとつの軍団を作った。ところが、
そのとき藤田浩之の元ではHMX-13セリオがなでなでしてもらっており、更にサテラ
イトサービスでその感覚をHM-13シリーズ全員がフィードバックしている最中だっ
た。HM-12たちは自分たちもとその狭い家に突入した。――とこういう風に書こう
と思った。しかしそう書くことを考えるだけでも藤田浩之に対し既にそこそこ立っ
ていた腹が腸ごと煮えくりかえってきた。それゆえ作者は擱筆という格好良さげな
言葉で誤魔化すことにした。