MIN 投稿者:枯野草莉 投稿日:4月20日(火)23時27分


 某月某日、午前十一時頃。
 志保ちゃんニュース増刊号が配布された。媒体は安売りのB5コピー用紙、薄くなりかけたプリンターのインクが所々かすれている、そんな薄っぺらい似非校内新聞である。
 通常は口コミあるいは遠回しな噂による伝達若しくは路上での大騒ぎによるこの志保ちゃんニュースがこのような手段によって校内に流布する運びとなったのには、勿論理由があった。志保なのだから、所謂、自己満足の為と考えて差し支えはない。(当人の予想ではこの情報によって一躍校内がセバスチャン一色に染まる、と思っていたらしいがそれは全くの見当違いも良いところである)無論、真実やそれなりの根拠が存在し、その上で何らかの大いなる意図を以てこのような行為に及んだという可能性もなきにしもあらず、ではあるのだが、それは穿ちすぎと言うものであろう。志保という人間の人格を考えた場合、まず切って捨てるべき思考である。斜に構えていると言う無かれ。彼女の及ぼした被害をひとつひとつ枚挙する暇はないが、このたびの志保ちゃんニュースを剥がし、捨てねばならないのは誰か。志保ではない。志保ではないのだ――という、その係を宛がわれた不幸な人間の心の叫びはさておき、
 放課後である。
「で、来栖川センパイの執事さんいるじゃない」
「おう。セバスがどーした」
「ふっふっふ。今回のスクープはね! なんとあの長瀬さんのシークレット情報なのよ」
「……激しく聞きたくないし、全くといっていいほど興味も無いんだが」
「ヒロ、あんたねぇ〜! アコガレのお嬢様に付き従う執事さんのことなのに、なによそのつまんなそうな顔は」
「他当たってくれ。オレは忙しいからな。そんなものにいちいちつきあってられん」
「ふん、甘い。甘い甘い甘ぁーい! 甘すぎるわッ!」
「甘くて結構。……まあ、聞いてやるからさっさと帰れ。な」
「やめとくわ。別にそんな嫌そうな顔のヤツに教えてもしょうがないし」
「ほう。聞かせてください志保お嬢様」
「……嫌味ね」
「どっちがだ。だいたいそのニュース、お前が自信満々で校内に貼っつけたのに、まるで見向きもされなかったんだろ?」
「まあ、とにかく」
「ロコツに目をそらすな」
「ありがたく聞きなさいよ〜?」
「話を聞けいっ」
 とまあ、学友である藤田浩之のみ、この戯言に付き合った。神岸あかりには「志保〜、こういうのはやめよう。ね?」とやんわりと諫められた挙げ句、佐藤雅史など「うーん、あんまり軽々しくひとの事情に立ち入らないほうがいいんじゃないかなぁ」とあからさまな批判を行ったのである。白羽の矢が浩之に立ったのはある意味、当然とも言えよう。
 単なる一個人の詳細プロフィールをこのような形でニュースと称する情報媒体に掲載することの是非はこの際問うまい。私人か公人かで語るならば、彼は私人の部類に属するであろう職業であるからだった。しかし来栖川家専属である以上、そういった括りで捉えるには無理も生まれる。志保の存在と行動は、長らくの間諜報機関によって逐一調査され、長瀬一族の耳に届いていたのであった。そこには一筋の瑕瑾さえあり得ない。完全なる記録は、延々と何メガバイトもの情報として一枚のCD−Rに収められていた。
 閑話休題。ここで本筋に戻ろう。

 志保ちゃんニュース、概要。

 セバスチャン(長瀬源四郎氏、以降は「セバス」と記す。)には息子が居る。来栖川エレクトロニクスのメイドロボ開発研究部に所属する人物であり、その名を長瀬源五郎という。ここで注目すべきなことは名称である。源五郎と源四郎、名前には親子としての明確な繋がりが窺える。しかし他方より入手した情報を付け加えると、ここには大きな問題が発生してしまう。
 志保の調査によると、長瀬の名を持ち、また容貌に共通項の存在する人物として、教師の長瀬源一郎が近隣他校に在職しているのが既に確認済みである。遠方である隆山の方面には勤務十数年のベテラン刑事である長瀬源三郎、他にも海外を巡るキュレーターである長瀬源次郎といった人々が存在していた。
 源一郎、源次郎、源三郎、源四郎、源五郎。だが、年齢から推察する限り、彼らで親子であると確認が取れているのは源四郎、源五郎の二名のみ。ここからは志保の推測であるが、おそらく源一郎、源三郎、源五郎の四名は兄弟と考えられる。理由は単純なことで、彼らの容貌は父親譲りであると傍目にも分かるからである。
 問題は、源次郎である。長瀬の一族はいささか縦長の面持ちをしているが、彼は平均的日本人に多少ながら近づいた顔面の形状である。セバスとの親子関係を成立させるには根拠としては弱くなってしまう。また、彼のみ年齢が不詳のようでもある。
 そこで考えられる可能性を広げてみよう。親子以外の近しい関係としてあり得るのは、兄弟か甥、叔父の関係。後者は否定する。ここでは肯定できるだけの理由が存在しないからである、としておこう。そこで残った兄弟という繋がりではあるが、ひとつの不思議がある。
 セバス、すなわち源五郎は何歳なのであろうか。
 ここに至っても明確な回答が無理なのはまあ仕方ないとしても、更に一名を追加せねばならない。喫茶店エコーズ店主、フランク長瀬である。
 彼のみ、フランクという英米系のファーストネームが付いている。これは何故だろう。偽名か。名前を変えたのか。他称であるのか。様々なことが考えられるが、最も簡単な理由は本名だから、であろう。すなわち母親が欧米人種なのである。
 さて、更に大きな疑問が生まれた。
 父親は誰なのか。戦争をくぐり抜けて来たというセバスを鑑みるに、どれほど若くとも八十歳は越えているであろう。だが、彼らには源五郎の父親を名乗れるほど年を召した老人がいただろうか。
 その疑問に答える者が現れた。志保の混乱に一筋の光明が差し込んだ瞬間でもあった。
 とある街の片隅で店を構えていた、長瀬源之助である。彼こそが源五郎を初めとした、長瀬一族の長なのではないだろうか。志保は独自に調査をし、やがてひとつの真実の壁にぶつかることとなる。
 長瀬源之助と名乗るこの男には、戸籍が無い。国籍がない。しかし、皆が知っている。彼は長瀬源之助であり、骨董品の世界ではちょっとした有名人であることを。
 謎が謎を呼び、ようやく気づけたことがあった。一見して奇妙な順列を描く彼らの名前が指し示す秘密である。
 フランク長瀬は除外する。名前から予測する限り、彼は後から長瀬源之助がロマンスで燃えた後の落としだねであろう。それすらも受け入れるあたりに、長瀬一族の大らかさが垣間見える。
 まず長瀬源之助に始まるこの名称は、源四郎、源次郎の順番で名付けられたようである。しかし一般的とは言えない。数字の小さい順から名付けるのが普通とされているからだ。が、ここに一定の規則性がある。源一郎、源三郎、源五郎。彼らが出生するという事実が予見されていたとしたらどうだろう。そして、そう名付けられることを予定されていたとしたら。
 もっと分かりやすく書けば、こうなる。
 彼らは生まれるべくして生まれ、名付けられるべくして名付けられたのではないか。長瀬源之助は、先見の力を持っているのではないか。
 すなわち、長瀬源之助は魔法使いである。
 突飛な発想だろうか。しかし魔法が実在するのなら、そして近くに存在するのであれば。そう考えて何が悪い。様々な噂も聞いた。高価な壺や、皿や、そういったものの欠片は繋ぎ合わされ、どれほどの破損が彼の手で直されてきただろう。
 人々は言う。まるで魔法だ、と。
 志保の発見は、ここに来て大きな……あまりに大きすぎる花を咲かせた。だが分不相応な花実は、その自重によって茎から折れ、やがて地に落ちるのではないか。それはそう遠いことではないのかもしれない。

 しばらくしたある日、とある学生が帰宅途中の志保に近づき、話しかけた。
「……あの」
「なんか用?」
「僕は長瀬祐介と言います。長岡志保さん、ですよね?」
「長瀬……長瀬ねえ……なんか頭でひっかかってるんだけど思い出せないわ。で、何よ。あたしとあんた、会ったことあったっけ?」
「いえ、これが初めてですし、たぶんもう会わないでしょうけど」
「あっそ。じゃあいったい何の用なのよ」
「分からないのであればそれでいいんです。じゃあ、僕はこれで」
「……? なんだったのよ」
 首を傾げながら、志保は家に帰っていった。足取りにおかしなところはなく、意識もはっきりしている。だが、どこか不安定な気分が彼女の思考を支配していた。

 祐介は電話をかけていた。何やら叔父に頼まれてこの街まで来たのだが、何がどうなったのかがさっぱり分からない。長岡志保の前に行って名前を名乗れ、特に反応が無ければそのまま報告せよ。これが祖父の用事だそうで、これから瑠璃子さんとデートなのに……と軽く憤った祐介であった。用事が済んだから、さっさと帰りたかった。
「……はい、祐介です。何もなかったですけど、結局、これって? ああ、はい。叔父さんがそう言うときは大抵厄介ごとだと思ってますから今更ですし、……え? はぁ、まあ、別にかまいませんけどね」
 報告が終わると、素早く話を切り上げる。すぐ外に出た。全く、あの親戚たちに似なくて、本当によかった。安堵感で胸がいっぱいになった。早く帰ろう。瑠璃子さんの膝枕が待っているのだ。
 不意に世界の片隅にいるように感じられた。視界に入った、どこかに遠ざかっていく志保の姿が、なんとも言えず頼りないものに思えたのだ。関係ないことだと、祐介は気にしないよう逆方向の駅に向かった。その途中、知った顔の誰かがいたような気がして振り返る。柔和で優しげで、いつも矍鑠とした祖父の姿を。
 そのひとは祖父に似ていて、違うひとのようだった。どこかに去っていくみたいに寂しげな背中のひとだった。
 祐介は、彼の後ろ姿を不思議そうに見つめた。事実、奇妙な印象を受けたのだ。
 なんだか、この世界のひとじゃないみたいだ、なんて。

 (了)