いま、そこにある危機 投稿者:九条公人 投稿日:8月2日(水)05時51分
 とある高校の裏山、その上にあるさびれた神社の境内。
 そこに、いつもの様に小気味の良い打撃音が響いている。
 
 速球派投手が投げた球を綿を抜いたキャッチャーミットで受けているよ
うな軽く乾いた音は、しかしそれが野球のボールを受けているのではない
証拠に、素早く連続した音として鳴り響いていた。
 
 「葵ラスト1分!」
 ストップウォッチを持つ、黒髪を腰まで伸ばしすらりとした、まるで
モデルのような容姿のネコ目の少女が、道着姿でオープンフィンガーグ
ローブをつけた小柄なショートヘアの少女へ指示を出した。
 「はい、綾香さん!!」
 上がった息の向うから元気一杯の答えを返した少女は、彼女の腕と足の
打撃をほぼ完璧に受け止めている少し目つきが悪いおさまりの悪い髪型を
した少年への打撃速度をさらに上げた。
 
 右のショートフックを戻しざま、ひねった腰から左のミドルキック、そ
してそれを打ち抜かずに即座に引くと姿勢を低い位置からのボディアッパー。
 これも打ち抜かず、さらに左のフックをテンプルへ向かい打ち込む。
 だが、少年もそれに良く反応し、キックミットを顔の位置にまで即座に
引き上げる。
 しかし、それは少女が放った囮のパンチであり踏み代えた左足を軸に体
全体を旋回させ、高い位置を狙った後ろ回し蹴りを放つ。
 
 しかしその大きく振り上げた右足も実は、フェイントだ。
 彼女はたたんだ右足をそのまま振り出さず、回転速度をたもったまま低
い位置へ蹴りだした。
 それは少年のわき腹へ吸い込まれるように思われた。
 
 しばらく前までの少年であったなら、その打撃をそのままわき腹へ受け
その場でしばらく動くことすら出来なかったであろう、だが、数ヶ月とい
う時間は、彼の体へそこそこといいうるだけの格闘能力を付与することに
成功していた。
 紙一重ではあったが、かれは必殺のキックを斜め後ろへ飛びのくことで
躱すことに事に成功した。
 「それまで!」
 ストップウオッチを止める音と黒髪の少女の声が同時に響いた。
 
 
 「頼むぜ葵ちゃん、本気でコンビネーションを打ち込んでくるのは、勘
弁してくれよ」
 ストップウォッチを持った少女からタオルとスポーツドリンクのボトル
を受け取りながらやけに爽やかな口調で、同じようにドリンクとタオルを
受けとっているショートヘアの少女へ言った。
 「すいません先輩、つい夢中になってしまって・・・でも先輩、すごい
ですよ、もう一発もミット以外には当たらないんですから」

 「ミット以外を狙ってたんかい!」
 思わずそう突っ込みを入れてしまったのは、藤田浩之、この神社のすぐ
近くにある高校の2年生だ。
 「まあまあ、そうじゃなくっちゃ、浩之の練習にならないじゃない」
 神社の社殿の回廊へ上がる正面の階段に座って面白そうな口調でそう言
ったのは、来栖川綾香、日本最大級の財閥「来栖川」その総本家の直系の
ご息女、西園寺女子高校2年である。
 そして、ぺこぺこと浩之へ向かって頭を下げているのは、この神社の境
内で総合格闘技同好会を主催している松原葵、浩之と同じ高校の1年生で
あった。
 
 「葵、良いのよそんなに謝らなくっても、浩之はちゃんとガードしきっ
たんだから」
 「おまえかぁ綾香、ったくずいぶんとハードなスパーリングだと思った
らよぉ・・・」
 ぶちぶちと文句を言っているが決して本気で怒っているわけではない。
 「あら次回の大会に出場するのなら、葵の打撃くらいガードできなくて
どうするの?」
 「そりゃあ葵ちゃんのスピードに付いていけりゃそれなりってぇのは解
るけどもよぉ」
 「まあ、葵もラスト1分で本気を出したみたいだから、予選敗退なんて
ことにはならないでしょうね」
 「へいへい女王様のおっしゃることですから素直に拝聴いたしますよ」
 「で、葵、今日の練習は終わりなんでしょ?」
 綾香は、すっかりふてくされモードに突入してしまった浩之を放り出す
と、彼女のライバルへ声をかけた。
 「はい、ストレッチをして終わりです」
 「じゃあ浩之借りてくわね」
 「俺は、ネコじゃね〜ぞ!」
 その綾香へ浩之が反抗する。
 「あたしに付き合えないっていうの・か・し・らっ藤田浩之くぅ〜ん!?」
 ギンッ! と鋭い眼光で浩之をにらみつけパキパキと指を鳴らしつつゆ
らりと鬼気をまとい綾香が立ち上がった。
 「い、いいえ、綾香様のためでしたら、どこへなりとお供いたします。
 はい」

 −−−いまの<気>は、本気(まじ)だったぜ。
 などと心の奥で呟きつつ愛想笑いで口元を引きつらせてしまう浩之だった。
 
 
 「で、なんだって俺だけ付き合わせるんだ?」
 物欲しそうな顔で背中を見送っていた葵を思い返し、浩之が尋ねた。
 「あら、あたしとデートできるのに、嬉しくないの?」
 「デートぉ? 思い切り汗臭い男を連れて、デートもないだろうが」
 「シャワーがどうしても浴びたいなら、そこらのシティーホテルにこの
まま入っちゃっても私は良いのよ浩之」
 しれっとした調子で恐ろしいことを口にする。
 「お前なぁ! で、本当のところはなんなんだ?」
 「もう一回、あたしと勝負しましょ」
 
 
 「HMX−13c行動不能!!
 ・・・こ、コードA221(エー、フタフタヒト)発令!!
 目標周辺に存在するフリーのセリオへSS優先信号を、お嬢様とご友人
をなんとしても保護するんだ!!」
 来栖川セキュリティーサービスVIP対応チームの発令施設で、そのコ
ードが設定されてから初めての事態が発生していた。
 <A>とはAbduction:誘拐の略。
 221の最初の2は、VIPコードで最上位に近い人物すなわち総本家
直系の成人未満を対象としたもの、そして次の2は、次女である綾香を、
そして最後の1は、巻き込まれた一般人が存在していることを指している。
 
 階段状の発令所の第2階位のスタッフの手がキーボードの上を目まぐる
しく走る。
 この指揮所が存在している新宿の高層ビルの屋上に設置されたパラボラ
から、特定の地域で位置情報を返してきているHM−13型メイドロボッ
トへ向かい、優先割り込み命令を発令するためだ。
 
 スケジュールに余裕のある機体は、公共命令として、犯罪や災害の抑止
に協力をしなくてはならないと労働支援独立機器保全法に規定が存在して
いる。
 これは、せいぜい火災を検知した場合の初期消火やその通報、けが人を
発見した際の応急手当や通報程度が見込まれた物であった。
 その際に被ったメイドロボの損傷などは、政府と各種の財団が設立した
基金から充当されることになっている為、ユーザーからの不満も出ること
はないと考えられていた。
 
 しかし来栖川は、それを拡張し、自らのセキュリティーサービスへ組み
込んだのだ。
 そしてユーザーは契約時に、セキュリティーサービスからの支援命令を
受けるか否かを選ぶことができる。
 セキュリティサービス命令を受信可能とした場合、機体価格が数パーセ
ント値引きされるし、メインテナンスの料金も割引されることになっている。
 またサービスに呼応した場合には、来栖川からお礼も出るし、その際損
傷が合った場合、全額保証される。
 
 そして、綾香と浩之の周囲には、命令受領可能でなおかつスケジュール
に余裕のある5体のHM−13が存在していた。
 
 
 「綾香様・・・申し訳ございません」
 速乾性ガラスコンクリートの海の中で、綾香お付きのHMX−13cは
なおも足掻いていた。
 彼女の側には4体の他社製メイドロボその電子機器に高度に収束された
EMPを食らい動作を停止していた。
 「機械のくせに、口を聞くんじゃない!!」
 そしてそのセリオへ向かって罵声を浴びせているのは、20代も後半だ
と思われるがりがりに痩せている白人女性だ。
 酷いカリフォルニア訛り米語で叩きつけられているその罵り言葉は、セ
リオにすら理解できないスラングである。
 
 「止めとけキャリー、もうなにも出来やしない」
 そう言って、汚い言葉を投げつけつづけている白人女性をなだめたのは
同じくがりがりにやせこけた白人男性だ。
 「ビル甘いよ、ま、あんたは、あの機械人形が好きな様だけどね」
 「止してくれ、機械をいじるのは好きだけどな、人型をして人の言葉を
喋るジャパニメーションの産物は、触るのもおぞましいって知ってるだろ?」
 「ああ、そうじゃなけりゃグリーン・ビジョンの同志であるはずがない
わよね」
 「そうだ、向うもそろそろ決着がついただろ。
 うす汚いJAPの小娘を手に入れて、クルスガワからがっちり活動資金
をいただくんだ」
 
 白人至上主義とロボット排斥運動、そして過激な環境保護が結びついた
集団、グリーン・ピジョンは、世界中で大小のテロを行っていた。
 
 だが二人はこのセリオを単なる量産型のセリオだと思いこんでいた。
 <セリオ>のアップリンクは、量産型の数十倍のバンド幅を持ち、自身
のバックアップですら数秒で行える彼女は、4体のメイドロボに襲われた
時点からリアルタイムで中継映像をセキュリティーサービスの指揮所へ送
くっていたのだ。
 そしてそのデータからアメリカの当局への照会で、すでに自分達の正体
が割れていることにも、ガラスコンクリートを叩きつけられた時に、キャ
リーの髪の毛へ発振器を絡ませることに成功していることにも多分気がつ
いていないだろう。
 
 だが、セリオの活動は限界に達していた。
 排熱がうまく行かずさらに無理にもがいたため、各部のモーター人工筋
肉がオーバーヒートを起こしていたのだ。
 
 「ここじゃガンが手に入らないのが最大のネックだわ、今ならこんな
デク人形、蜂の巣にしてやれるのに」
 「もうなにも出来やしなない、いこう終わったみたいだ」
 
 そう、綾香と浩之は、今の今まで目の前のビルという名前で呼ばれた男
が違法改造した、メイドロボ三体の襲撃をそれでも躱していたのである。

 
 
 「またここでやるのか?」
 そこは、数ヶ月前二人が一週間に渡ってこぶしを交えた河川敷だ。
 「ええ、ルールは・・・そうね、エクストリームルール」
 「おいおい、寝技は、無理だろ?」
 「そうねスタンディングだけでいいわ、どちらかがKOされるか、ギブ
アップするまでね」
 「・・・なんだかなぁ」
 「嫌なの?」
 「いいや、俺の力を試してみたいんだろ?」
 −−−オレも自分の実力がどの程度だか、計ってみたい。
 それが正直な浩之の心境だ。
 「いい目をしてるわよ浩之」
 「ぬかせ・・・綾香、本気で行くぜ」
 「当たり前よ・・・レディ・・・」
 「「ファィッ!!」」
 
 浩之がまず仕掛けた。
 待って居ては、綾香のペースで試合が進むだけだと思ったからだ。
 ダンと思い切り良く踏み込み、そして深く体を沈ませ、さらに脇へ抜け
るように飛び込む。
 飛び込みざま手で足を刈る。
 
 いきなり大きく踏み込んできた、それは判った。
 そして体を沈ませた、それも判った。
 だからその顔を叩くため膝を打ち上げた。
 だがそこに浩之は、居なかった。
 まさかと思った瞬間、綾香の体は、しろつめ草の絨毯の中へ沈んでいた。
 
 「いったぁ〜い」
 という声、その瞬間、いきなり綾香の闘気が消えた。
 もはや試合は、終わったということなのであろう。
 
 「おい、大丈夫か?」
 「女の子は、腰を大事にしなくちゃいけないのよぉ」
 「試合っていたつうのに、そりゃあねえだろうがよぉ」
 「ううん、浩之のいぢわる、いぢめっ子ぉ」
 ぷるぷるを顔を振りつつ思い切り可愛い声でんな事を言う。
 −−−こ、こいついきなり素の女の子に戻るんじゃねぇ!!
 「なんてね」
 
 ズルッ。
 
 
 「立てるか?」
 「うん・・・」
 頷き伸ばされた手を掴んだ瞬間、綾香は思い切りその手を引っ張った。
 「おわっ」
 「掴まえた!」
 ぎゅっと頭を強く胸に抱きしめられる。
 「このまま窒息したくなければギブアップなさい」
 「ぶごご、ふぬぬぬ、うごごご〜」
 浩之は、綾香の柔らかくも張りのある胸に顔を押しつけられて本気で苦
しんでいるのか、悦んでいるのかは、難しいところだ。
 「ぶぶっぶ、ぶぶっぶ!!」
 背中に感じた二度のタップに綾香は腕の力を抜き浩之を解放した。
 「よろしい」
 「・・・ったくよぉ、女の武器、使うなんてずりぃよ」
 「そっちこそ、あんなとんでもない隠し球持ってるなんてさ」
 「まあな、ずいぶん前に思いついちゃいたけどよまさか出来るとは思っ
 ちゃ居なかったんだぜ」
 
 その時、二人の耳に聞き慣れたソプラノが響いた。
 『お逃げください! 綾香様っっ!!』
 「セリオ!?」
 −−−あなた何を言ってるのよ。
 そう言おうと思った、だがそれは口にできなかった。
 なぜなら、米国フェアウェル・ジオマトリックス社製、メイドロボ
 「FGM−7 イシュタル」が三体、二人を取り囲む様に近づいていた
からである。
 
 「なんだこいつら、見たことがねぇメイドロボだな」
 身長は、綾香並み、四肢はかなり太いものの一応は人造皮膚が張られ
人様をみせており辛うじてそれが人型を模したロボットであることを認識
させる。
 そのマニュピレータには、3本の指しかなく、マルチやセリオを知って
いる浩之には、それがいかにも過渡期の製品に見えた。
 「イシュタルよ」
 「・・・ああ! くさび形文字で書かれたギルガメッシュ叙事詩に出て
くるやつだな?」
 「よく知ってるわね」
 「ゲームにゃありがちの名前だぜ」
 「出典まではなかなか知らないものでしょ」
 「そうかぁ?」
 「とにかく、アメリカのフェアウエルって所のひと世代前のロボットよ
もっともうちの敵じゃなかったようだけど」
 そう言っている間にも、じりじりと三体のロボットは二人に近づき、彼
我の距離は、もはや数メートルを残すだけだ。
 「なんか、剣呑な感じがするのは、気のせいじゃないようだな」
 改造をされたのか、それとも標準装備なのか、三本しかない第2指と第
3指との間で高圧電流をチャージしていると思われる放電音が聞えてくる。
 「STOP! Go Away!!」
 「向うは、やる気十分で来てるのに「帰りなさい」は、効かないだろう
・・・」
 「そりゃあ、判ってるけど、一応あがいてみたのよ・・・そんなのは駄目
あたし一人でなんか逃げないからね」
 綾香は、浩之の瞳を見つめる。
 「どう考えてもお前を狙ってるんだぜ」
 −−−そんなにオレの考えって読みやすいのかよ。
 などと心の中でぼやく。
 「だったら余計にその挑戦受けて立って上げるわ!!」
 −−−我ながら損な性格よね。
 と自嘲気味に苦笑しつつ、目の前に来た、一体へすかさずミドルキック
を放つ。
 イシュタルは、それを受け止めようと反応はした、しかしモーター、そ
して人工筋肉の反応速度がそれに追いつかなかった。
 殺気をもって放たれた綾香の一撃は、イシュタルを数メートルも吹き飛
ばし、サイクリングロードの赤いアスファルトに生白い人造皮膚の痕を残
させた。
 「流石、エクストリームの女王」
 見ほれてしまう見事なキックだった。
 「無駄口叩いてないで、後ろ来るわよ!」
 「葵ちゃん直伝、ハイと見せかけ後ろ回しミドルキック!」
 人の体で一番硬い骨、それは踵である。
 その踵を十分な速度とパワーで打ち込まれたならば、華奢なアルミ軽合
金で作られたメイドロボのフレームなど簡単に歪んでしまう。
 浩之につかみ掛かってきていたイシュタルは、わき腹へその重い一撃を
食らい真横へふっ飛ぶ。そして綾香が倒れ込んだしろつめ草を盛大に掘り
返し逆さになって止まると、電装系に問題が生じたのか、薄い煙を上げて
完黙した。
 「ったくあんまり気持ちいいもんじゃねぇな」
 「んな事いってる余裕なんて、なさそうよ、シッ!」
 鋭く息を吐きながら綾香は電撃を秘めた両腕を突き込んできた最後のイ
シュタルへ再び体重の乗ったキックを放つ。
 だがこれは予想していた攻撃だったのだろう、両腕を十字に組んでそれ
を受け止める。
 しかし、背後に回り込んだ浩之が今度はみごとなハイキックで頚部を打
ち抜いた。
 人で言うならば頚部骨折という状態だろう、イシュタルは体を痙攣させ
ながら二人へ迫ろうとするが、脊椎電路を破損した状態では、満足な行動
ができる筈もない。
 しかし、イシュタルは両腕を突っ張り綾香へ迫る。
 そのゾンビのような動きに、綾香は悪寒を覚え、そして浩之同様ハイキ
ックを頚部へ向かい打ち込む。
 
 その凄まじい一撃は、イシュタルの首をその胴体から弾き飛ばした。
 がっくりと膝を折り、イシュタルの胴体はその場に突っ伏した。
 
 「これで、終わりかしら?」
 ほっと一息を吐くのを待って居たのだろう、最初に綾香が吹き飛ばした
イシュタルの腕の中に出現した、四角い器具が綾香を狙っていた。
 
 「危ねぇ!!」
 パン!
 という乾いた音と、浩之が綾香に覆いかぶさるのが同時、そして浩之の
体には、イシュタルのもつスタンガンから伸びるワイヤーが突き刺さった。
 「ぐぁあああっっ!!」
 「浩之!」
 だが浩之のその行動も無駄に終わった、二つめのスタンガンからワイヤ
ーが放たれ、綾香も意識を失ったのだった。
 
 
 「早く運び込むのよ」
 キャリーが五体満足なイシュタルへそう命じている。
 イシュタルは、綾香の両脇を支えると、ずるずると堤防へと上ってくる。
 「あのボーイも連れてくのか?」
 自分とて大した人生経験をもっている訳でもないビルがそうのたまう。
 「お嬢様のご友人なら、それなりにハイソな家だわきっと」
 その一言で、浩之の運命も決まってしまった。
 
 だが、そこへセキュリティーサービスの命を受けた量産型セリオニ体が
姿を現した。
 「綾香様を還していただきます」
 あくまで丁寧語を使っているが、英語しか理解しない二人には全く通じ
ていない。
 しかし固有名詞とニュアンスは伝わった。
 「はん! 機械人形のくせに人間様に命令するのか!! イシュタルや
っておしまい!!」
 いったい何体の違法改造ロボットを持ち込んだのか、さらに数体のイシ
ュタルがバケツをもって姿をあらわす。
 「無駄です!」
 すでにそのバケツの中身が速乾性のガラスコンクリートであることは伝
わっている。
 さらにいかに量産型セリオとはいえ、リミッターを解除されていた。
 その体内に存在している燃料電池の電力を使い、反応速度が上がってい
るのだ。
 そして今、SSによってもたされたペルソナは、HMX−13c<セ
リオ>そのものだ。
 来栖川綾香と一番長い時間を共に過ごしてきたセリオ、彼女のペルソナ
には、来栖川綾香の格闘家としてのデータが十二分に蓄積されている。
 そのデータの使い方も熟知している<セリオ>にイシュタルごときセコ
ハンがかなう相手ではない。
 
 だが、数が多かった。ニ体のセリオに対してイシュタル6体。2台もの
ワンボックスカーにイシュタルが詰め込まれていたのだ。
 その6体相手に手間取る間に、キャリーとビルは、自分達が乗って来た
ワンボックスカーへ二人を連れ込む事に成功していた。
 
 「イシュタルは?」
 機械人形は嫌いだが、いくらセコハンとは言え、あれには金と手間がか
かっている。
 「回収している暇なんかあるか! いくぞ」
 ビルは、かまわずアクセルを踏み込んだ。
 タイヤが悲鳴を上げ、堤防道路に黒黒としたゴムの痕がくっきりと焼き
つけられる。
 だが次の瞬間、凄まじい破裂音と共にワンボックスカーは失速し金属と
アスファルトが奏でる大音響の不協和音と共に一ミリも進むことができな
くなってしまった。
 
 さらに姿を現した三体のセリオによって、駆動輪である後輪のタイヤを
バーストさせられていたのである。
 後から現れた三体のセリオもまた先のニ体のセリオ同様のペルソナをま
とっている。
 綾香と浩之の為であるなら自らの体など惜しげもなく潰す事が出来る。
 そのセリオが左腕を手刀とし、タイヤへ突き込んだのだ。
 タイヤももちろん彼女たちの左腕も無事に済むはずがない。
 あらぬ方向へ関節がひしゃげ、二の腕付近まで痛々しく表皮がはがれて
しまっている。
 冷却/潤滑用の体液が雫となってしたたり彼女たちの足元に小さな水た
まりを作り出している。
 だが、普段は酷薄である彼女たちの表情には安堵の笑みと、大切な人を
傷つけた存在への怒りがない交ぜになった複雑な表情が浮かんでいた。
 「どうしたのよ!!」
 突然の大音響の連続に度を失っているキャリーが喚く。
 「オレに・・・うわぁあああっっ」
 −−−解るか!!
 とビルは、キャリーへ怒鳴ろうとした、しかしいきなりフロントガラス
にひびが入り左右のドアのガラスが弾け飛んだ。
 そして左右から伸びた細い腕に首根っこを掴まれ車外へ引きずり出され
る。
 弾けたガラスの破片で顔といわず手といわず傷が出来るが、おかまいな
しに引きずり出され、その場に有無を言わさず引き倒される、二人には抵
抗をする余裕すらない。
 腕を後ろ手に押さえつけられその上から肺を押しつぶすようにのしかか
られる。
 二人は息が詰まり声をあげることすらかなわない。
 
 こうして二人の危機は、去ったのだった・・・。
 
 
 「コードA解除、お嬢様と藤田様は、病院へ搬送中。
 各セリオのユーザーへの説明と代替機の送出を急げ」
 来栖川セキュリティーサービスの移動指揮車である大型トレーラーの内
部にはほっとした空気が流れていた。
 もちろん綾香と浩之に命の別状が無かったためだ。
 そして<セリオ>は、ガラスコンクリートから救出され、一時的であっ
たが、可動状態に復帰していた。
 後で十分な分解整備が必要であることは言うまでもないだろう。
 「セリオ、ご苦労だったな」
 「いいえ、執事長、綾香様をお守りできず申し訳ありませんでした」
 「いや、お前は十分その役目を果たした、これからも綾香様をたのむか
らな」
 「かしこまりました」
 悲痛な表情が、明るさを取り戻す。
 この失敗で、綾香の護衛の任を解かれてしまう事を恐れていたのだ。
 もっとも、たとえ護衛の任が解かれたとしても、綾香はセリオを手放す
などということはあり得ない。
 「さあ、おまえの妹たちを労ってやりなさい」
 普段は厳しい長瀬である、が自分のするべきことを十全に果たした者へ
の労いは、決してわすれない。
 それが上に立つ者の義務であり資質であることを彼は知っていた。
 「はい!」
 
 
 「・・・ヒロユキ・・・浩之」
 自分の名を呼ばれ深い喪失から意識が浮かび上がる。
 「・・・あ、綾香、ここは・・・オレ達掴まっちまったのか?」
 その割りにはずいぶんと清潔で明るい場所のような気がする。
 「ううん、ここは来栖川が経営している病院、助かったの」
 ベッドへ乗り上げるように綾香は、浩之の顔を覗きこんでいた。
 「お前が無事で良かった」
 浩之は、綾香の頬へ思わず手を伸ばす。
 綾香は、その手の感触を確かめるように頬をすり寄せる。
 「スタンガンじゃなくてピストルだったらどうするつもりだったのよ!」
 「目の前でお前に死なれたら夢見が悪いからな」
 「あたしの夢見が悪くなるでしょ!!」
 「ああ・・・悪かったよ」
 「うん・・・浩之・・・ありがと」
 「ばぁか、好きな女の子の一人くらいは、守らせろ・・・って守れなか
ったんだけどなぁ・・・まいったな、ははは」
 「・・・いま・・・今なんて言ったの?」
 「へ?」
 「どんな女の子の一人くらい守らせろって言ったのよ!」
 「そんなこと何度も言えるか!!」
 「照れてないでもう一度言ってよ」
 
 ・・・二人の危機は、去った、しかし藤田浩之の人生の危機はどうやら
去っていないようだった。
 
 
                              Fin

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