僕にとって不快じゃないこと 投稿者:強兵 投稿日:7月18日(水)01時38分
 僕はメイドロボに特別な想いも持っていないし、まして心があるなんてメーカーの機能
説明なんてものは、政治家の所信表明演説と同じでまったく信じちゃいないんだ。
 だからこれから僕が語ることについて、君がどう考えようとそんなことは忖度したくな
いんだな。
 もともと僕は、人が僕について何かしらの自己の良識に照らし合わせた忠告なんかをし
ようとするとき、はっきりと鏡に向かって言え、と言えるタイプなんだ。
 むろん二十歳をちょっとばかし越えてネクタイをしめ、満員電車にプレスされるように
なってからは、そういった王様の耳的なことはつつましく心の穴ぼこだけに大声で叫ぶよ
うにしているんだけどさ。
 そうでもしないと、お昼にいっしょに食べに行く友達の数や月々の給金、情報の入荷な
んてものの量(マス)の目方で幸福とか人間性が決定されると信じているような輩からは
必ずつまはじきにされるからね。
 そんな夜8時のトレンディドラマ的な同僚なんかと比べると、セリオというのは、まっ
たく節度をわきまえた上等なニンゲンであるような気分になる。
 ──セリオ。
 知らない人はもういまさらいないと思うけどさ、セリオは来栖川重工の一般向けメイド
ロボットだ。
 主に企業用として使われていたのが、ここのところの技術革新とやらで一昔前のパソコ
ンみたいに、ちょっと無理をすれば誰にでも買えるくらいになってきている。
 僕の家にも彼女が一台あって、これがじつによく、かいがいしいと言っても差し支えな
いほど働く。
 彼女に比べると他の家電製品のほとんど、たとえばアイロンやクーラーのリモコンなん
かは許しがたい重罪を犯しているような感じだ(とはいえ、さしもの彼女だって冷蔵庫に
はかなわないけど)。
 困ったことになまじ外観が人間っぽいものだからさ、逆にそういった働きすぎのところ
が僕なんかの鼻について、いったいこの部屋の主体は僕なのか彼女なのかわからなくなる
ときすらあるんだ。
 それこそ僕なんかいなくても、彼女はなんとかこの部屋で生きて(妙な表現だよな)い
けそうなくらいにね。
 特にひどいのが、彼女が動いて部屋の掃除をしたり、洗濯をしたり、食事をつくったり、
つまりそういう生きていく上で仕方なくやらなければならないことをやってくれないと、
僕は満足に日々を無事に過ごすこともできないらしいのだ。
 これってちょっとおかしいんだよ。
 振り返ってみれば、もともと僕はひとりで生活をしていたし、それで十分まんぞくして
いたのだ。
 毎日深夜まで残業してコンビニの弁当を買って帰り、朝起きられずゴミ出しができなく
て部屋の隅にペットボトルやジャンプが山積みになったり、よれよれのカッターを3日お
きに変えたりとか、そういういかにも独り者って生活だとしてもだよ。
 とはいえ、そういった事はやっぱり疲れがたまったときにたまに思うくらいで、自然環
境は大事だとしながらもクーラーを点けっぱなしで寝たりする僕は、セリオを便利な道具
だとありがたがっている。
 もっともそれは主婦が洗濯機をありがたがる程度のもので、感謝って気持ちにはほど遠
いんだ。
 君の知り合いでさ、毎朝通勤している電車の吊革に愛情を抱いてなでなでしている奴な
んていないだろう?
 それと同じくらいの程度のものだったね、今までは。
 ──そう、今までは。

             ・

 その日は快晴とは評しえないまでも、まずまずの天気だった。……ということにしてお
くよ。
 3週間前の土曜日の朝の天気なんて、誰も覚えちゃいないし気にもしないから。
 だから僕も気にしない。
 朝、僕は惰眠をむさぼろうと目覚まし時計を止めていたのだけど、これが相変わらず7
時30分に目が覚めた。
 しかも奇妙なことにいつもなら目覚ましがヒステリーを起こしてもなかなか起きられな
いくせに、どういうわけか休日というのは、ぱっちりとスイッチを入れたように起きてし
まうんだ。それも設定時刻前にだぜ?
 認めたくないけど、惰眠をむざぼるにはどうやら会社に行くという儀式が必要らしい。
 それも朝から叱責を受けるようなヘマをやって、どう言い繕うかうまいてだてが見つか
らなければさ、特にだね。
 やむなく僕はセリオに朝の支度を命じて、歯を磨きに布団を出たってわけさ。
 いやぁ、こいつを買って数日はたしかに幸福を感じていたよ。
 家に女性がいるなんて、それだけで馬鹿みたいに楽しかったさ。
 それでも数ヶ月もするとだいたい慣れてきちまって、おまけに彼女ときたら僕が冗談を
言ってもニコリともしないんだから、僕としてはイギリスのことわざを口に出してつぶや
くしかなかったね。
 ほんと、セリオに比べれば僕なんて必要も無いのにニコニコする、天気予報の晴れのマ
ークみたいだよ。
 セリオがつくる朝食は──焼いてバターを塗ったパンに目玉焼き、新鮮なレタスとトマ
トのサラダ、飲み物はオレンジジュースだ。
 朝食は大量生産的に美味しかった。わかると思うけど、格別おいしくはないって言いた
いんだ。
 僕の生地は愛知県の田舎で、なんでもかんでも味噌をつけて食べるんだ。
 目玉焼きにだって味噌をつけるんだぜ。
 それをこいつに作らせようとしたら、醤油かソースか塩でしか味付けできない、なんて
口答えするんだ。
 まいったね。
 もちろん上の話自体は嘘だけど、僕がメイドロボに何かを期待しないってことはわかっ
てもらえると思う。
 爾来、僕はメイドロボを購入しようとする人にアドバイスを聞かれたときは、がむしゃ
らにセバスタイプを勧めるようにしている。
 誰も聞き入れてはくれないけどね。カッサンドラの気分だよ、まったく。
 とにかく僕はセリオに目玉焼きは塩で食べると言ってあるので、それにはきちんと3g
の塩がかかっていた。
 こいつは僕が塩分のとりすぎだとヤブ医者に警告されても、きちんと3gふりかけるん
じゃないかな。
 パンを一口かじり、オレンジジュースで流しこんでいる間に僕は立ち上がりソファの上
のリモコンを手にとって、それでTVをつけた。
 信じてもらえるかどうかわからないけどね、僕はそれほど日々の生活をセリオに依存し
ているわけじゃない。
 ネクタイは自分でしめるし、ゴミの仕分けだって自分でやる。
 スイカの種だって自分でより分ける。
 ただちょっと苦手な料理や片付け、掃除を手伝ってもらっているだけなんだ。
「今日はなにかイベントとか安売りなんてあったかな?」と僕は、TVを聞き流しながら
言った。
 背後に立っていたセリオは、買い物の途中でふと家の鍵をかけ忘れたことに気付いた主
婦のように真面目な顔をして、3s後に答えた。
「本日は、イベントでは柏木トヨペットで新車試乗会、ダイワハウスでチャレンジャーシ
ョー、松坂屋藤田店でメイドロボ展覧会、安売りでは……」
「メイドロボ展覧会?」と僕は振りかえって訊いた。
「……はい、場所は松坂屋藤田店3F総合ホール、時間は……」
 僕は別に詳細なんて知りたくもなかった。
 そんなものがある、なんていう驚きで聞き返しただけなんだ。
「……主にセリオタイプの展示とユーザーによる品評会が催されます。会場内には同タイ
プのオプション販売や無料点検、また……」
 でもその時だけは、地獄の黙示録のようにふと気になったんだ。
 メイドロボットに気まぐれという奴を見せたかったのかもしれない。
 そういったわけで、僕は、何の気なしに、メイドロボ展覧会になんか行っちまったわけ
だ。

             ・

 会場についた途端、僕はすごく後悔した。
 そとからちらりとのぞいた感じでは、誰もセリオに最初に付属している服なんて着せち
ゃいないってことだ。
 でも僕はそのまま動揺を悟られないように、できる限りすまして受付前までいったね。
 だって、セリオを連れてあそこまで行って、目の前で反転して帰っていくほうがよほど
恥ずかしいじゃないか。
 受付にいたメイドロボはHM−12系マルチだった。
「2名様で1600円です」
「はい。……と、ちょうどね」と僕はお金を手渡したのさ。
「ありがとうございます」とマルチは言って──なんとにっこり微笑んでくれたね。
 これには僕も、彼女には心があるって信じてもいい気になったな。
 だけど中に入って、さらに後悔をしたね。
 こんなことなら家でトイレ掃除でもしていたほうが、どれだけましだったことか。
 ホールには僕と同じ世代のやつらから、すごく若そうな、とても自力でメイドロボを買
えそうにもない大学生風まで、ごまんといやがったんだ。
 よく見るとデジタルスチルビデオを持ったやつもちらほらいる。
 とにかく歩くのにもいちいち誰かの足をふんずけなきゃならないくらいにさ。
 僕は何が嫌いかって人ごみほど嫌いなものはないんだ。
 ましてその人ごみが同じような連中で集まっているときは尚更だね。
 いいかい、そうなると決まってこの手の連中はハメをはずすか、際限なく傍若無人にな
っていくんだよ。
 わかっているんだ。20年以上も生きていれば、たいていのことは多少おつむが弱くて
も、わかるようになるさ。
 いや、理解させられる、と言うべきか。
 とにかくそうなる前に、あるいはそういう現場に遭遇し巻きこまれるまえに、僕は帰ろ
うと思い立ち、とっととセリオの無料検診を受けに行ったんだ。
「番号札をお持ち下さい。順番が来ましたら、お呼びしますので」と無料検診の受付のマ
ルチは言った。
 やれやれ、13番目とはね。
 僕はそれで時間をつぶすべく、展示中のセリオのパーツや、皆のセリオをウオッチング
することにした。
 セリオのパーツにはいろいろ笑ったね。
 単なる眼鏡やサングラスがセリオ用、という名目になるとだいたい1.5倍くらい価格
が跳ね上がるんだから。
 AVセンサのかわりのふさふさとしたたれ耳や、ネイルアート用のマニキュア(セルフ
アーティング用DVD付き)、会場限定のボイス変更用DVD−−堀江由衣編(これはす
でに完売していたな)、とにかく見てて飽きがこないんだよ。
 会場内のセリオたちにも人類史上の嗜好の多様性を見出せたね。
 眼鏡をかけたねこみみが、白エプロンにヘッドドレスで「……にいや、セリオねぇ……」
なんて抱きついたり、まったく飽きなかったね! ほんとに、ぜんぜん。
 それでちょっと疲れたので壁際で呆けていると、すこし離れたところにいる出っ歯が、
選挙前のワンボックスカーのように声高にセリオタイプの良さを連れの人間と議論しだし
たんだ。
 そんなに大声を出して喋るのは、誰かに聞いてもらいたいからなんだよ、まったく。
 そして議論といっても中身はたいてい紋切り型のマルチタイプとの比較論さ。
 僕が感心したのは、彼のイヤミ並の出っ歯だけだったよ。
 冗談じゃないね。
 ここにいる大半の野郎はセリオに心があると信じているやつらばかりなんだ。
 まったくおめでたい野郎ばかりなんだよ。
 彼らがいう心があるって根拠なんだけどさ、それが我田引水というかまったく眉唾もの
だよ。
 以前に僕はこういう話を聞かされたんだ。
 少ない収入をやりくりして贈ったプレゼント(どうせちゃちなイヤリングとか銀の指輪
だろうけどね)をセリオが受け取ったとき、彼女がかすかにはにかんだって言うんだ。
 あまつさえどうにか恩返しをしたいって、彼女はお金がないながら、彼女なりに恩返し
をしようとするわけらしいね、どうも。
「俺は言うわけだ『そんなの気にするなよ。俺はセリオのそういう気持ちだけで十二分だ
よ』」
「それで?」と僕は言った。
「それでよぉ、セリオのやつ、『でも……』とか言うんだよ! おい。で、とどめに俺は
な、そういうときはありがとうって言やいいんだって教えてやったね。そうしたら小さな
小声でさ、『ありがとう……ござい……ました』って。また可愛いんだ。でさ、俺はおい
おい、ございました、なんて不要だぜって──」
 小さな小声ってなんだよ。
 長々とのろけを聞かされたあげく、しまいには彼は阪神が優勝したかのように得意げに
宣言したね。
 でさ、そりゃお前、心がなきゃそんな嬉しそうにしないし、いつまでも大事にしていな
いし、命令もしていないのに自主的に必死に彼女なりにいじらしいことなんてできないだ
ろ? って。
 馬鹿いっちゃいけないよな。
 いまどきそれくらい携帯ペットだってするさ。
 ただそれが美しい女性の姿をしていないから、心がある、なんて思わないだけなんだよ。
 彼らにとって心があるってのは、やっぱりこいつには心があってほしい、って願うもの
にだけあるってことなんだよ。
 たいていは好意的な反応を返してくるれものかな、心があってほしいものは。
 それでつけ加えるなら、わがままでもブ男でも足がくさくてもさ、自分だけに好意を寄
せてくれるものだね。
 だけど世の中は──僕が学生の頃から育ててきた多角的に物事を観るってことによれば
──感情論と経済論と宗教論から眺めるべきなんだろうね。
 感情論からいえば彼らの言い分はまったく正当だし、経済論からいえば企業の戦略上そ
う喧伝したほうが商品性のアップに繋がる。
 宗教論は、まぁ、畑違いだから止めておこうか。
 だから、彼女に心なんて無い、なんてここで叫んだりするやつこそ悪なんだろう。
 その考えは僕をひどくげんなりとさせたけど、生来の貧乏性から僕のセリオの無料メン
テナンスが済むまではここにいることにしたんだ。
 で、勘違いしてもらうと困るので釘をさしておくよ。
 僕は別にセリオが嫌いなわけじゃない。
 心があってもなくっても、本心を言えばどちらでもいいんだ。
 僕は機嫌が悪いとないほうがいいと思うし、幸せだったら心があってもいいと思うくら
いいい加減なんだ。
 彼らにだって特に敵意はもっていやしないよ。
 第一ね、僕は彼らのために、彼女に心なんてないほうがいいと願ってさえいるんだ。
 彼らのためにだよ。
 心があるなら、こんなやつらになんか──と、ここであらためて周りを見渡したんだけ
ど、ひどいね。青色のシャツのすそを同じ青色のデニムのジーンズにいれてる奴とか(し
かもそれがケミカルウオッシュなんだ!)、男が5人も集まってるけど揃いもそろってメ
ガネだとか──仕えたくないと、僕なら思うよ。
 セリオに心があれば、彼女、ぜったい逃げ出すか他の男に乗りかえるぜ。賭けてもいい
くらいだ。
 ほんと僕は彼らのために真摯にそう願っているんだ。
 だからもし君が僕の極論にめくじらをたてて包丁を持って家に押しかけてくるというの
であれば、その前にちょっとばかし再考してくれないかな。
 幸いなことに、僕のセリオがつきとばされて、その非生産的な考えは中断された。
 すこし小太りで丸メガネ。
 それくらいだったらHM−12系のマスターにはよくいるタイプだ。
 おっと、よくいる、なんて偏見じゃないかって君は言うかい?
 驚くべきことには、そんな調査を行った週刊誌が存在するんだ。
 まいるだろ? 実際、僕もまいったね。
 またそれに当てはまるような奴こそ、そういった記事を喜ぶんだから。
 でも奴さんのちょっと違うのは、髪をポマードで塗りたくったようにオールバックで固
めるんだ。
 黒のサングラス、黒のスーツ、黒の革靴、赤いネクタイで決まり。
 セリオ業界内(そんなものがあるんだな、これが)では、それなりに有名なやつなんだ
よ。
 そいつがジオンのザクのように僕のセリオにぶつかったんだ。
 とっさに僕は彼女を抱きとめた。
 おかげで2〜3の人間に迷惑をかけたかな。
 そいつらのあからさまに非難がましい迷惑そうな視線の方が、あいつより腹が立ったね、
正直なところさ。
 僕は紳士らしくふるまうよう自分を律しているので、とりあえず低能の猿のごとき人間
みたいに、いきなりののしったりなんかせずに相手の出方をうかがったんだ。
 そうしたらそいつ、ふん、と言って僕らを見たんだ。
「──なんだよ、どノーマルか。気をつけろ」
 おい親友、君ならこういう場合どうする。
 怒るってのは、雰囲気やお互いの立場を相互に共用しているときにのみ通用することが
はっきりわかったよ。
 僕はまったく虚をつかれて痴呆のように突っ立っていたね。
 あまつさえそんなとこに僕のセリオが立っていたことが罪悪であるかのように思えてき
たんだ。
 僕が何も言わないでいると、彼は、ぷい、と行ってしまった。
 野良仕事をしているときにまとわりついていた蝿がどっかに消えてしまい、もともとの
作業にたちかえるようにね。
 というか、彼は僕なんて見てなかったのかな。
 そういえば彼のセリフは僕のセリオ宛てに向けられたもので、僕自身には一瞥すらもく
れなかったな。
「……ごめんなさい。大丈夫ですか?」
 不意に誰かに声をかけられて、僕はそれが僕宛のものだと気づかなかった。
 ようやく我に返った僕は声の主をたしかめた。
 ──あいつのセリオだ。
 何にしろ、いまどきこんなに誰かに優しいのはメイドロボしかいないよ。
 こんな場所でそんな優しい言葉に出会えるなんて、それだけで僕は彼女のファンになっ
ちまったね。
 あいつのセリオだってのはさっぴいても、さ。ま、いささか単純なんだ、僕は。
「大丈夫、別に何でもないよ。それに君のせいでもない」と僕は僕のセリオを助け起こし
ながら言った。
「ほんとうに申し訳ありません、あの人は悪い人ではないのですけど、多少配慮に欠ける
きらいがあるんです」
「君も大変だね」と、僕は皮肉でもなんでもなく彼女に同情した。
 彼女はセリオタイプにはめずらしくタレ目でさ、伊達メガネをしていた。
 それだけでとても可愛いらしく見えたけど、これがあいつの趣味かと思うと、僕は無条
件で尻尾をふるのもどうかと思ったね。
「──おい! 早く行くぞ、何しているんだ。このノロマ!!」
「はい、ごめんなさい」彼女は言った「すみません、後ほどまたお詫びにうかがいますの
で、この場は失礼させて頂きます。では」
 彼女、謝ってばかりだな、と僕は思った。
 僕にこんなふうに同情されることを彼女はどう感じるんだろう。
 それとも後で謝るってののビットがさ、メモリーにセットされるだけで、その謝りにく
るまでの間中、僕について思い煩ったりはしないのだろうか。
 そんなふうに誰かの気持ちや思考の過程を自分で組みたてていくのは、結局の所、ひと
りずもうで勝手な妄想に違いなく、そういう時、僕は宇宙の深淵に手を突っ込んだ気持ち
になって無条件で誰かにそばにいて欲しくなる。
 たとえ、それが心の無いセリオでも。
 どちらにしろ、絶望的だよ。
 メンテナンスの順番がまわってきたので、僕は僕のセリオを受付に連れていった。
 5分程度かかるそうなので、その間、セリオ品評会のほうをのぞくことにしたんだ。
 そういえば、さっきぶつかったあいつがどうして有名か話していなかったっけ。
 あいつさ、たぶん僕の知っている限りではだけど、個人ユーザーとして全国レベルのセ
リオマスターなんだ。
 奴さんのセリオサイトは、一日で八万件のヒットがあるっていうしね。
 とにかく凄いらしいんだ。
 あるロンドンのアーティストに言わせると「セリオの革命は常に東から来る」らしいか
ら。
 でもおかしな話さ。
 心がどうのって言っているわりに、彼らはセリオのマスターなんだぜ。
 いっそのことブリーダーって改名したらどうだい、なんて思うんだけど、世論は何のう
たがいもなくマスター(持ち主のかた)、マスター(持ち主のかた)って連呼しやがるね。
 しょせんは固定資産扱いなんだよ。
 とまれ、あいつの彼女の素晴らしさについて、いまさら僕が特筆することもないんだけ
ど、一応やっておこうか。
 セリオ。プライベートであいつがなんて呼んでいるかは知らないし、知りたくもない。
 年齢不詳、体重・血液型・3サイズ、すべて不明。
 ようするに、僕は彼女のことをほとんど知らないんだよ。
 ただ彼女が歌う歌、一度ネットのmp3で聞いたことがあるんだけど、これが惚れ惚れ
したね。
 まったく僕のことを歌っているんじゃないかって思わせるくらい上手なんだ、彼女。
 小説でいえばさ、太宰とか島崎のように僕だけが作者の理解者なんじゃないかって思わ
せるのが名作の条件としたら、彼女の歌は見事にそれにあてはまっていたね。
 その上に、彼女、誰にでも優しいし、そもそも謙虚なんだよ。
 これで人気がでないわけがないだろう?
 もうひとつ、あいつを有名たらしめていることがある。
 言わないでもさ、わかるとは思うけど、餌づけした猿みたいに傲慢なんだよ。
 あいつのカースト制度は、奴さんを登頂にしてプロトセリオ、カスタムセリオ、量産セ
リオ、マルチ、人間の順番になってるんじゃないのかな。
 セリオについての凄さは認めるけど、すすんでお近づきになりたくはない、ってのがた
いていのセリオのユーザーに共通した心情じゃないのかな。
 むろん、そんな消極的肯定でなく、積極的否定を口に出す輩も、少なくはないんだ。
 あいつは自分ではバックアップもとれないんだぜ、というのが彼らの口癖だけれど、セ
リオタイプはすべからくサテライトシステムに依存しているので、AIで徐々に覚えてい
くマルチタイプと違いデータが失われてもそんなに困らない、わけで僕はその悪口は見当
違いだと思っている。
 第一、僕だってセリオのデータのバックアップなんてとっていないしね。
 壊れやしないよ。来栖川の製品の優秀さの証左、とも言えるけど。
 品評会は、順当に彼女が一等を勝ち取ったみたいだ。
 彼女のマスターがどういう奴かを考えれば、これはフォレストがエビ漁で成功するくら
い奇跡だと思うんだけどさ。
 僕のセリオは身体強健、精神に異常なしってことでメンテナンスから戻ってきた。
 それで急いで会場から飛び出し、そのまま帰るのももったいないので、デパートの中を
うろついた。
 屋上近くのレストランでランチを食べた後、2、3時間ほどぶらついて、女性物のel
というメーカーのTシャツや夕食のシーフードカレーの材料なんかを買いこんで、僕らは
そこを出たんだ。

             ・

 まさしくその場所で事件は起こった。
 正確にはそのデパートの駐車場で起こったんだ。
 僕の家は駐車場をつっきると近道なので、よくそこを通るんだけど、今日はちっとばか
し後悔したね。
 丁度、あいつとセリオも帰宅しようとしている所に鉢合わせたんだ。
 いやぁ、彼女とばっちり目があってしまったとき、すごくばつが悪かったね。
 だって彼女、きっとさ、品評会が終わったあと僕たちに謝罪しようと、会場内を探しま
わったに違いないんだから。
 だから僕たちを見つけた彼女は、あっとばかりに飛び出したんだ。
 おばさんだったね、乗っていたドライバーは。
 急に飛び出した彼女に驚いてアクセルを踏んだんだ(ブレーキと間違えるか? ふつう)。
 彼女はそのおばさんの軽自動車と停車していたセフィーロワゴンの間に挟まって、押し
つぶされ、引き裂かれ、叩きつけられた。
 出来事はあも、すも無く始まって、終わっていった。
 僕らは考える前に走り出していた。
 しばらく呆然としていたおばさんは、近づいてきた僕と目があうと、シフトレバーをド
ライブにいれ、タイヤに悲鳴をあげさせるとそのまま振り向きもせず去っていった。 残
されたのは、上半身と下半身に分かたれた彼女だけだった。
              、、、、、、
「セリオが! おれのセリオが死んでしまう!」と彼は叫んだ。
 だけど駐車場にまばらにいた人々は、いまのが人身事故ではなく、物損だと知ると一様
にほっとして無関心に去っていった。
 彼や我々にも無関心に。
 僕たちは彼女を抱き上げて泣いている彼の側に近づいていった。
「マスター……」と僕のセリオが言った。
 僕はそれに答えずに、ただ黙って頭をたてにふってやった。
 間に合うか?
 彼のセリオの瞳の明るさが、目に見えて翳っていくのがわかるんだ。
 僕のセリオは右手で手刀をつくり、それを自分に打ちこんだ。
 一分の迷いも一点の曇りもないキリストの教えのように鮮やかな一撃だったね。
 優秀な外科医が神経系の末端の部位の名称まで暗記しているように、セリオは自分の体
について熟知していた。
 メインバッテリーを引きずり出すと、指を開いて手の上にのせ、左手で一気にケーブル
をひきちぎったんだ。
 普段、どれだけ制御されていてもいざというときの膂力には恐ろしいものがあるな、な
んて場違いな感想を抱いたね。
 僕のセリオはそのまま停止した。
 僕はこういう事故の時、女性のパニックがいかに恐ろしいか知っている。
 実際の話し、自宅から300mも離れた火事でもさ、彼女達はパニックを起こして、僕
を冷静さから引き離そうとするんだ。
 それが有効じゃないどころか、どれだけ悪い結果をもたらすってのかがわかっていない
んだ。まったくのところ。
 溺れる人間は、必死に助かろうとして救助者をひきずりこむのだけど、彼女達は安全な
陸上にいようとわざわざ水中までひっぱって、それからひきずりこうもうとしやがるんだ
よ。
 僕がセリオタイプを選んだのもわかるだろう。
 ある意味では僕はセリオをとても信頼しているんだ。
 僕のセリオは優秀で、バッテリを掴んだままじゃなく、手のひらの上に置いただけにし
てケーブルを切断した。
 じゃないと僕はセリオの白魚のような指を一本一本ひきはがす真似をしなくちゃならな
かっただろうからね。
 で、その信頼に応えてくれた彼女のために、冷静に顔色ひとつかえずにバッテリの移植
を行ったんだ。
 柄にもなくジョン・マクレーンを演じてしまったな(実を言うと、僕は自分をトゥルー
マン・バーバンク似だと信じているんだけどさ)。
 奴さんはあいも変わらず、セリオ、セリオと叫んでいたけど、その仕草はちょっとした
見物だったね。
 なにしろいい年をした大人がだよ、鼻水と涙でぐちゃぐちゃになりながら、嬉しそうに
壊れたメイドロボを抱きしめているんだから。
 でもね、その時ばかりは、それが許せたんだよ。
 どうしてだか許せたんだ。
 もし今、誰かが彼を馬鹿にしたら、僕はそいつにつかつかと歩いていって、思いっきり
ぶん殴っただろうね。
 でさ、彼に気づかれないように、そっと今日の晩飯を拾い上げ、僕のセリオをおんぶし
て(もう既にサブバッテリのほうに切り換えは終了していたから、背負うのは楽だったね)
その場から離れていったんだ。
 感謝されるのは苦手だし、それより何より、あいつにお礼を述べられるよりは馬鹿にさ
れるほうがましなんだよ、ほんとに。
 セリオは軽く、たしか駅前までいけば来栖川のサービスセンターか何かがあったはずな
ので、僕はてくてくと歩いていった。
 陽はますます傾いてセリオの橙の髪をもっと赤く染めていった。
 僕らは赤い世界の中、真っ赤になりながら、買物袋をときどき持ち替えて、さびしい赤
い裏道を進んでいった。
 ──不意に、セリオが言うんだ。
「もし……もし、わたしが……破壊されたら、泣いてくれますか?」
 それで残り少ない電気で腕のモーターを動かして、僕の手を握ろうとしたんだ。
 僕はその手をつかんで(あたたかさにドキリとしたな)、自分の中に急にふくらんでき
た例の鼻がちーんとなる温かくて柔らかいそれを振り払うようにぶっきらぼうに言い放っ
た。
「ばか、しゃべるな」
 僕がそういうと、セリオはさ、素直に黙って、顔を背中に押しつけるようにしたんだ。
 僕は心の中で来栖川の連中をそれこそ、口汚くののしったね。
 馬鹿やろうのトウヘンボク! 誰だよこんなプログラムを組んだ奴は!!
 だってそうでもしないと、恥も外聞もなく、それこそナイアガラのように涙と鼻水を垂
れ流し、遠からん者は音にも聞けとばかり泣き叫びそうだったんだから(OK、実はすこ
し泣いた)。
 僕らは夕焼けの中を、さらに真っ赤になりながら、いつまでもどこまでも黙りこくって
歩くことにした。
 駅前の来栖川のサービスセンターは首尾よくみつけたんけど、僕は見落としたふりをし
てちょっと遠くのショップまで行こうとして、実際にそうしたんだ。
 そのことはセリオもたぶん、いや、”むろん”知っていたと思うよ。
 僕は彼女の無口さにはじめて感謝したね。

             ・

 重ねて言うけどさ、これはこれだけのお話しなんだ。
 この後も、僕とセリオとの関係には何の変化もないし、僕自身、それを望んでもいない。
 誰かに話すべきことじゃなかったので、君に話したのが良かったかどうか、実をいえば
多少後悔もしているんだ。
 もっとも後悔は僕にとってセリオ以上に身近な友人だから、それほど気にしちゃいない
んだけどね。
 僕は基本的に、いろいろと捨ててきた人間だ。てひどくかいた恥や根源的な憎しみ、劣
等感や厚顔無恥な楽しさの発露を。
 でも僕は捨ててきただけなんだ。
 恥を糊塗しようと嘘をついたり、憎しみを垂れ流したり、劣等感を解消するために噂を
ばらまいて誰かの足を引っ張ったりなんかしなかった。
 でもそれは人間らしいことだったのだろうか。
 いつかセリオを捨てるとき、僕はどうするんだろう。
 そう、いつかまた、機会が僕を試そうとするとき、僕は一体どうするんだろう?
 わからない。
 だけどセリオに関しては、それがどんな後悔につながろうと、僕はもう一度彼女を知り
たいと強く深く希求している自分に気づかざるをえないんだ。
 僕にとってはそれは不快じゃなくなっていたんだ。


 そう、僕にとっては、だけどさ。

ende.


わかってもらえると思うp.s.

 一点だけ間違いがあった。
 僕は彼女の無口さをはじめて感謝した、と言ってるけど、だいぶ前に一回だけそういう
ことがあったよ。
 はじめて彼女に僕の部屋を掃除してもらった時のことだ。
 まぁ、僕だって健全な成人男性だし、セリオだってそれを知っているわけだし、特に気
にすることもないはずなんだけどね。

 気にしなくてもいいはずなんだ、きっと、たぶん、ね。



http://www2s.biglobe.ne.jp/~higebu/