「仲秋」 2.  投稿者:霞タカシ


「鬼が……来るんだ」
 何? 耕一さんは今なんて言ったの?
「耕一さん……それは一体?」

=======================================

 仏間に流れ込んでくる秋風がさらさらと私の髪を弄ぶ。その髪の下で、私はどんな表
情をしたのだろう。刹那、私は耕一さんに抱きしめられていた。

「こ、耕一さん? 一体どうしたんです?」
「ゴメン……ゴメン、千鶴さん。きっと俺のせいなんだ」

 私を抱く腕に力が入る。

「一体何がです……?」

 首筋に何かが流れる感触。

「耕一さん、泣いて……」
「ゴメン。な、何か変だな俺。オヤジの前なのに、全く」

 耕一さんは照れ笑いを浮かべて頭を掻き、元の場所へ坐りなおした。

「耕一さん……」
「ゴメン。今はあんまり詳しく言えないんだ。あ、そうそう。こっちに来たのは大学が
暇だからってだけで……」

 耕一さんは少しだけ申し分けなさそうに私の目を見つめた。私は小さく頷いて続きを
促す。

「終電になったって、梓に言ったことは本当なんだ。タクシーも捉まらなかったし、大
分遅かったから電話するのも気が引けてね。我ながらみっともないと思いながら夜道を
歩いてきたんだ」

「もう、私の部屋だったら構わず電話してくださればいいのに、家に着いてからどうす
るつもりだったんです?」
「あ、あはは。どのみち電話するなら少しでも寝てられたほうがいいかな、なんて」

 照れ笑い。つられて私も苦笑を漏らす。こういうところは昔とちっとも変わっていな
いなと思う。

「はは……。で、本題なんだけど」
「……はい」

 ちょっと迷った風に視線を泳がせてから、

「鬼を感じた」
「鬼気を、ですか? 私達以外で?」
「そうだ。あれは柏木のものじゃない……絶対に」
「そんな……」
「まだはっきりとは言い切れないけれど。隆山には俺達以外の鬼がいる」
「そ、それじゃ、またあの時のような……?」
「事件が起こらないとは、言い切れない」

 私は晩夏に起きた事件の再来を想起した。次々と起こる猟奇殺人、誘拐と陵辱……。
 だめ。今度鬼を見たら、私にそれと戦う事が出来るかどうか。でも、耕一さんにまで
柏木を、私達の生活を守るための“鬼退治”なんてさせられない。

 ナラバ戦エ、アノ時ト同ジヨウニ──

 心の内から私の鬼がささやく。
 あの時って? あの夏の夜?
 いいえ、もっともっと昔。
 叔父様がご自分の鬼と戦い始めた頃?
 いいえ、もっともっと昔。
 自分の中の鬼に気が付いて、恐くて恐くて、お爺様へ泣きついた頃?
 いいえ。それは幾重にも重なる記憶の彼方の……。

「千鶴さん、大丈夫? 顔色が……」

 気がつくと、私は泣いていた。さっきとは逆に今度は私が耕一さんに縋り付く格好よ
うにして。

「耕一さん、私、わたしぃ……」
「いったいどうしたの? どこか具合、悪いの?」
「わからない……です。でも、とても悲しくて、寂しくて……」
「千鶴さん」
「あ……」

 耕一さんはとてもやさしい表情を浮かべて、私をゆっくりと抱きしめてくれた。片手
が髪をゆっくりと撫でる度、不思議と心が落ち着きを取り戻してゆく。

「ゴメン、千鶴さん。話が急過ぎたね。まだあの時からさほど経っていないから──
 気に病むことはないんだよ? 千鶴さんは間違ってない、自信もってよ」
「…………」

 小さく頷いて答えながら、私はどこか違和感を感じていた。夏の夜のことを気にして
くれたのだろうけど、私の心を一時埋めつくしたのは懐かしい恐怖と後悔と羨望。

 もう、鬼の声は聞こえていない。



「会長、ご気分がお悪いのでは?」

 いつまでも抱き合っているわけにもいかず、迎えにきた車で鶴来屋へ向かう道すがら、
はじめて見る運転手さんがバックミラー越しに心配そうな声をかけてきた。

「いいえ、大丈夫です。心配してくださってありがとう」
「よかった、何か深刻なお顔でしたのでてっきり」
「ふふ、平気です」

 たしか中途採用した方だったな、と思いつつも、頭は新たに隆山へ出現したらしい鬼
のことでいっぱいだった。
 耕一さんは、昨夜自分が向かっていた先、つまり雨月山になにかあるかもしれないか
ら調べに行く、と言って会社へ向かう私と一緒に家を出た。
 そういえば耕一さんは気になることを幾つか言っていた。

――ゴメン、オレのせいかもしれないんだ――

――千鶴さんも感じただろ? 水門の辺りなんか、気配が充満しててどこに何がいるの
かわからなかったんだ――

 これから何か起こるにしても、それがなぜ耕一さんの所為になるのだろう? つい昨
日こちらへ戻ったばかりなのに。
 もう一つ。昨夜感じた鬼気は耕一さんのものだけではなかったようなのだ。じゃあ鬼
はもう覚醒しているの?

「……分からないわね……」

 少なすぎる情報にとまどっているうちに、車は鶴来屋へ滑り込んでゆく。会長室に向

かう業務用エレベータの前で、足立さんが待っていた。

「おはよう、ちーちゃん」
「足立さん、おはようございます」
「なんだか元気がないようにみえるけど、どうしたの?」
「あ、いえ。ちょっと寝不足気味で」
「梓ちゃんから聞いたよ、耕一君来てるんだって?」
「あ、あ……その、そういう意味で寝不足って言うんじゃ」
「あははは。私もそんなつもりで言ったんじゃないんだけどね」

 私、顔真っ赤。

「もう、からかわないでください。で、でも、梓からって、一体いつなんです?」
「ついさっき。学校の公衆電話からね。耕一君が来たから、食材別けて欲しいって。帰
りに寄ってもいいかどうか」

 梓ったら。こういうことは抜け目無いんだから。

「もう、仕様の無い子。ごめんなさい、ご迷惑おかけして」
「いやいや、いいんだよ。このくらいのことならいくらでもね」
「申し訳ありません」

 エレベータのなかで火照った顔をぱたぱたとしながら、私は耕一さんの言っていた話
を足立さんにも話すべきかどうか迷っていた。夏の一件では随分と心配を掛けてしまっ
たし、あれから事件に関る隆山の風評を払拭するため足立さんはあちこち飛び回ってい
たから。
 実際、この時期は夏休みとお正月の間で鶴来屋の予約状態はゆとりがあるのだが、今
年は例年より空きが多い。この上、新たな鬼の出現ともなれば隆山全体の観光収入に響
いてくる。

「なにか、心配ごとでもあるのかな」
「いえ……」

 エレベータを下りて会長室に向かう途中、足立さんは私の顔をのぞき込むように訪ね
て来た。やっぱりこの人には隠しごとはできない。

「足立さん、実は……」

 意を決して口にした言葉は、駆け込んできた若手社員の声にかき消された。

「社長! あ、会長もご一緒でしたか」
「どうしたんだね」
「またです」
「また、とは一体何だ」
「例の猟奇殺人事件です、大型の肉食獣って本当にいるらしいです」

 私は目の前が真っ暗になった。足立さんと社員の方はまだ話を続けていたが内容はさ
っぱり耳に入ってこなかった。

 ふらつく足取りで会長室へ入り、テレビを付けて速報を探す。2つ目の局でテロップ
が流れていた。

“――海岸で男性の2遺体発見。夏の事件に類似点多し、警察は捜査を開始”

 私は額を押さえながら、ぽすっとソファへ座り込んだ。右手に感じる違和感がぶり返
してくる。

「ちーちゃん、さっき話そうとしてたのは、このことだね?」

 遅れてやってきた足立さんが心配そうに私の顔を見つめる。

「足立さん……」
「そうそう、頼まれてた調査の報告がちょうど来たところだよ。
 柳川祐也。隆山署の刑事で、母親が耕平氏と付き合いがあったらしい。夏の一件は耕
一君の言うようにこの男で間違いなさそうだ。警察からも姿を消している」
「そう……、ですか」

 足立さんの声が遠くに聞こえる。まるで思考のどこかが止まってしまったようだ。

「ちーちゃん、気持ちは解るが、そう何でもかんでも自分の内に仕舞い込まないで。パ
ンクしてしまうぞ」
「でもこれが鬼の仕業なら……私は」
「耕一君も来てるんだろ、みんなで相談していけばいい。私に出来ることは何でもしよ
う」
「すみません、足立さん」
「少し休んで。午前の会議は欠席にしておくよ。なんならしばらく休暇にしてもいい。理
由はなんとでも付くよ、今年は色んな事があり過ぎたからね」
「ありがとうございます、でも平気です。そうですよね、まだ鬼の仕業と決まったわけ
ではないですし」
「無理はしないでよ、ちーちゃん」
「はい……」

 足立さんは念を押すようによく休んで、と言い残して会長室を辞した。私は違和感の
残る右手を投げ出して身体をソファに埋める。
 耕一さんが気配を追ったのは昨夜のこと。新たな鬼、その覚醒が新たな犠牲者を生ん
だ。あれだけの気配、もっと注意していれば昨日のうちにもっと動きが掴めたはずだ。

 ふと、思う。
 水門での鬼気は耕一さんと同時に現れた。
 今度も事件は耕一さんが来てから起きた。

 まさか、耕一さんは……鬼を制御できていない……?

「そんな……ことは……」

 無い、と否定したい。私を助けてくれた時、耕一さんはハッキリと自分の意思を持っ
ていた。

「私が……私が信用しなくてどうすうるの……」

 涙が溢れ、視界をゆがめる。軽い眩暈に似た感覚と共に、いつしか私は浅い眠りに入
って行った。
 ・
 ・
 ・
 ・
 ・
 ここは……どこ?

 ヨーク……そうだ、私達はこの星へ流れ着いたんだっけ。

 私は壁にもたれてうたた寝をしていたらしい。どうも本調子でないようね。
 やはりヨークの傷が我らにも影響を与えているのだろうか、エディフェルとリネット
に調べさせなくては。
 壁を叩く乱暴な音がした。

「リズエル。奴等の動きは聞いているか?」

 アズエルは私室へ来るなり床へ座り込み、手近な器へ水を注しながら聞いてきた。

「ああ、またも群を成してここへ攻め入るつもりらしいな。無駄なことを」
「へへ、今度は好きなだけ狩れるんだろ? 心置きなく暴れられるぜ」
「気を抜かないことね、奴等に倒されたものもいる」
「へっ、そいつが間抜けだったっだけさ」

 アズエルは器を口にして一気に飲み干す。

「しかし、いい水だな。獲物にはもったいない」
「本当だな……。時に」
「なんだ?」
「もう相手は選んだのか?」
「ブッ、な、何をいきなり」

 口に含んだ水を吹き出しつつ、首筋まで赤くなる。日頃勇猛な戦士として知られるア
ズエルもこの話題になると途端にリネットの如きか弱さを見せる。
 私は苦笑した。

「我らがこの星を飛び立つことができるかは多分に怪しい。なれば、この地で幾世代を
経ることも考えねばならん。問題はヨークのレザムがいつまで持つか、だがな」
「そ、それは分かってるって。気高きエルクゥの血統を絶やす訳にはいかないからね。
でもなぁ、この船にいる男はどいつもこいつもパッとしなくて、へへへへ」
「エディフェルやリネットはどうだ?」
「うーん、リネットはともかく、エディフェルはいい奴が居そうな感じだぜ」
「エディフェルに? それは意外だな」
「2、3日前の夕刻、赤い顔して戻ってきたから、思い切りからかってやった」
「ほう」

 確かに意外だった。4皇女の中でも変わり者と見られていたエディフェルだ、彼女を
選んだ男というのはどのようなものだろうか。興味がある。

「そういう姉者はどうなんだ? ダリエリと上手く行ってないんだろ?」

 アズエルは皇女にあるまじき下卑た目つきで私を見上げる。手にした器にはいつの間
にか酒が入っていた。

「……まあ、な」

 ダリエリ。男たちの長と目される屈強な戦士。恐らくこの星に流れ着いた同胞の中で
は最強であろう男。それ故に今のような状況になって後、4皇女の長姉たる私と伴にな
ると噂されていた。
 だが現状を見るに、一族を統べる考えが皇族のそれと多々異なる点があり、私との間
では口論も絶えずに居るのだ。

「ダリエリと私では考えが違いすぎるのだよ」
「へっ、贅沢いってらぁ」
「……そうかな……」



 その日の夜更け。獲物たちがやってきた。
 カタナと呼ぶ剣を手にした総勢100名ほどの、戦士と呼ぶには余りにか弱き者達。

「天城忠義様が命により、雨月の鬼を退治せんとす! いざ、出ませい!」

 雑魚共が。
 これが2度目となるが、兵装に変化はない。懲りぬ奴等だ。

「へへ、先頭は貰った!」

 嬉々として飛び出してゆくアズエル。それを見送る私の傍らに、エディフェルがいた。

「珍しいな、エディフェルがここにいるのは。いつもならアズエルと競うように駈けて
ゆくお前が」

 エディフェルはちらり、と私のほうを見ると、口の端で小さな笑みを浮かべた。

「ちょっと、出遅れた」

 言うや、残像を残しつつ風となる。

「疾い」

 いつものことだがエディフェルの足の疾さには舌を巻く。疾風の駆け抜けた先。戦場(いくさば)
に2つ、3つと目映い光が上がる。

 命の炎――

 燃えつきんとする刹那、激しく燃え上がる命の煌めき。我らエルクゥを酔わせる糧。
 エルクゥに似ているが故に、この星の獲物が上げる炎は強く、美しい。

「手応えの無い連中だ……」

 私も次々と上がる光に誘われるように地を蹴った。
 前回と同じ装備と思っていた私は群れの中に幾つかある粗末な荷車に目を止めた。

「火薬……か?」

 なるほど、ヨークに投げ込もうという気らしい。辿りつけねば意味のない物だ。私は
手近な1台の上に舞い降りるとそれを引く男の首を刎ねた。突如として現れた私の姿に
驚いた数人が地を這うようにして逃げてゆく。
 私は荷を崩し、爪先で火花を散らす。
 爆炎が夜空を焦がし、逃げ遅れた獲物を炎に包む。

「わひゃああ……うわ、うわうわうわ」
「見苦しい。散れ」

 火に包まれてのたうちながら私の姿を見、更なる恐怖に醜態を曝した男を切り刻む。

「手応えの無い……?」

 次の獲物を物色している時、エルクゥの信号を感じた。この気配は良く知っている。
 エディフェルのものだ。

「どうかしたのか?」

 周囲を探るがあちらこちらで火薬が燃え上がり、辺りは黒い煙で咽ぶ程になっていた。

「ええい……エディフェル! 何があった!」

 死骸の山を踏み越え、信号を感じた方向へ急ぐ。
 信じられない光景を見た。

「エディフェル! 何をしている!?」

 エディフェルは瀕死の男へ肩を貸し、何処かへと跳ぼうとしていた。奇妙な風体、ダ
ランと下げた手にある剣。どう見てもその男は獲物であるはずだ。

「リズエル姉さん……」
「エディフィル。どういうつもりか」
「私は……知ってしまった」
「知る? 何をだ」
「説明している時間はありません。もう……会うことも無いでしょう」
「なにを……!」

 エディフェルは空いた手に隠し持っていた少量の火薬に火を付けて私へ投げた。崩れ
た火薬は弾ける火の粉となり私の視界を被う。

「くっ! ま、まて! エディフェル!」
「どうした、リズエル?」
「ん……その声、アズエルだな。エディフェルが……」

 いけない。今、事情を話せばアズエルは激昂して間違いなくエディフェルを殺す。私
は未だ残像の舞う視界を必至で取り戻そうとしていた。

「エディフェルが如何したって!? ええい、何がどうなってんだ! リズエル! シャ
ンとしやがれ!!」
 ・
 ・
 ・
 ・
 ・
「……さん、チズルさん!」
「まって、待ちなさい」
「しっかりして、千鶴さん!」
「待ちなさい、エディ………」

 唐突に視界が戻った。
 目の前には昼前の柔らかな日差しを受けて輝く白い壁。
 誰かが私の肩を抱いて揺すっている。
 ここはどこ? 戦場ではないの? テキは……エモノは……

「千鶴さん、大丈夫?」
「こ……ういちさん……?」
「よかった、随分うなされてたから、どうしちゃったのかと」

 ここ、会長室……だわ。
 酷く頭が痛い。

「よかった。なんか胸騒ぎがしてさ、家に戻ったら足立さんから連絡を受けて。具合悪
そうだから、よければ迎えにって。そしたら……」
「こういち……さん……」
「どうしたの? 恐い夢でも見てたんだね」

 耕一さんは私の傍らに坐ると肩を抱いてくれた。

 いつもの笑みを浮かべた耕一さんがいる。
 でも。
 私は間違いなく柏木千鶴なのだろうか。

 今度ははっきりと覚えている。悪夢の内容を……。

<続く>


http://member.nifty.ne.jp/~kasumi/