仲秋 1.  投稿者:霞タカシ


 夢。

 夢なのね、これは。

 だって、水面に写る顔は私じゃないもの。でも、どこか懐かしい顔。

 自分を押さえ騙し、運命に従うことだけで生きてきた、私に似た私。


 『私』は無心に手を洗っていた。
 澄んだ水が赤く染まり、ぬるりとした色彩を引いて流れてゆく。
 近頃、狩りの高揚感を全く感じなくなった。
 原因は解っている。

「エディフェル……」

 一族を、いや、我ら四皇女を裏切ってまでこの星に住む獲物の下へ走った私の妹。誰
よりも疾い足とその狩猟技術は私の誇りでもあったのに。
 私は洗い終えた手で水をすくい、一口含んだ。

「……美味い……」

 この星は貴重だ。大気組成、土地、水。呆れるほど溢れかえる植物と生物達。今まで
幾多の星々を渡ってきたが、これほどまで恵まれた星はみたことがない。加えて、この
星には我らエルクゥと姿を同じくする生物達がいる。ヨークが翼を失った今、同胞達の
荒ぶる本能を僅かでも押さえることができるのは僥倖といえる。でも、それも時間の問
題。エディフェルを欠いた私達ではもう皆を押さえられない。

「こんな処に居たのか、リズエル」

 怒った様な声に振り向くと、そこにはアズエルがいた。

「いい加減、ケリつけたらどうだよ。我らがエディフェルを忘れるか、エディフェルに
忘れさせるか」
「わかり易いわね。彼女を狩れ、さもなくば奴を」

 彼女は鼻先で笑う。不快に感じた私は眉根をひそめた。

「怒るな、判ってるならそういうことだ」

 アズエルはそれだけ言うと私に背を向けた。

「早いほうがいい、ダリエリは焦れている」
「言われるまでもない。明日にでも――」

 アズエルは嘘付け、と吐き捨てるように呟いてから地を蹴り跳び去った。
 遠ざかる背を見つめながら、私は溜め息をついた。

「誇り高きエルクゥたる我ら……この地で獲物と同じく朽ちていくのか。真なるレザム
にも戻れず……」

 ザッ――

 風が舞い、心細げな音を立てた。小川の向こうには背の高い草原がある。草木のざわ
めく音とはなんと物悲しいのか。

「物悲しい――?」

 理解しがたい。私はいつからこんな感情を抱くようになったのか。
 視界を満たす草原の向こうに、この星の月が紅い姿を現し始めていた。


 ヨークの中枢に戻ると、リネットが壁にもたれるようにしてヨークと会話をしていた。
 船を操る力は彼女が最も秀でているため、傷ついたヨークを慰め、母星との連絡を快
復させようと付ききりになっていた。流れ着いてから彼女がこの部屋を出ることは希だ。
私やアズエルではヨークの声を聞くことすらままならないのだから。
 本来、エディフェルがその補佐についていたのだが、今ではリネット一人の仕事にな
ってしまった。

「リズエル姉様」

 私の気配を感じたのか、ヨークに教えてもらったのか。リネットは幼さの残る顔を私
に向けて微笑んだ。目元にははっきりと疲労が現れている。

「……また眠らずにヨークと?」
「……ええ……それくらいしか……できませんから……」

 沈黙。疲労の上に微かな絶望の色が浮かんだ。

「そうか。見込みはないということか」

 リネットは答えずにただ俯いた。

「エディフェルのことだが」

 彼女の名を口にすると、リネットはビクッと身体を震わせ、縋るような視線を私に向
けた。

「解っているはず」
「しかし……」
「もう、我ら皇族の力はないと思え。いずれ、一族の中から我らに爪を向ける者が出よ
う。もう時間がない」
「……ヨークから聞きました……ダリエリ……ですね」
「恐らくな。
――何にせよ、あの男を殺してエディフェルを連れ戻すか、我らがエディフェルを殺…
…忘れるか。それが出来なければ明日にでも我らは姉妹以外の全員を相手にしなくては
ならないだろう。それがどういう意味かわかるな?」
 この星に流れ着いた同胞の女性は少ない。ヨークを御しきれなかった責任を取らされ、
殺されるか、子孫を残すためだけの器に成り下がるか。

「姉様……」
「今夜、仕掛ける」
「!」

 リネットは自分の肩を抱き、視線を落とした。静かな嗚咽が室内に響く。

「私一人で行く。アズエルには適当に話して置いてくれ」

 私はやりきれない思いと共にヨークの中枢を後にした。


 夜風が私の頬を嬲る。木々の狭間を駆け抜けてゆく間に日はすっかり暮れたが、月の
光は夕暮れ時の如く辺りを照らしていた。
 1つ2つ小さな尾根を越え、かつて狩り場としていた集落跡へ向かう。そこにある2
つの気配、エディフェルとその血肉を分け与えられてエルクゥの力を得た男。既に私に
気が付いたらしい、明かりの灯った褄屋に動く気配があった。
 私は自らの気配を最大にして、集落の入り口へと舞い降りた。

「ジローエモン!」

 人気の無いうらぶれた集落跡に凛とした声が響く。解っている、私は緊張しているの
だ。そして、彼等も。
 エルクゥの血肉を受けた獲物がどれほどの力を秘めているか。目の前に現れた気配は
かつて感じた如何なる物とも異質だった。

「そこな者、何用か」

 私の正面に立った男はこちらの殺気を感じ取ったか、剣に手を掛けて問うた。

「……女か?」
「我が名はリズエル。エルクゥの長である」

 やや侮蔑を含んだ声音に嫌悪を抱きつつ、私は続けた。

「お前がジローエモン、だな?」
「左様。えぢへるの姉上様と見受けらるるが。このような夜更けに如何なる御用向きで
御座るか」

 物言いは柔らかげだったが、依然剣を抜かんとする姿勢のままだ。エルクゥの力を得、
自らのものとしたのは間違いない。私は殺気を強めはすれ、収めることはしなかったか
らだ。
 男の背後に、小さな影が駆け寄った。エディフェルだった。

「……エディフェル。もういいだろう、一族の下へ還れ。今なら間に合う」

 ジローエモンの傍らに寄り添うようにしていた小さな影はビクッと震えたようにみえた。

「リズエル……アーダィ エス ダ イリー.アフ ヒヴィオ ヒジィ ダ リハ」

 エディフェルはエルクゥの言葉で返してきた。

『――それはできない。貴方も彼のココロを知れば、わかる』

 エディフェルが、自分へ言い聞かせるように区切りながら、はっきりと口にした言葉
は、予想していた通りの返事だった。
 昔から一度決めたことに頑な処は変わらない。私は苦笑しつつ、ジローエモンへ視線
を向けた。差すような視線が交錯する。
 脹れ上がる殺気にエディフェルはジローエモンの腕へ縋るようにした。そして、今度はこの星の言葉で語てきた。

「私はこれで、星の言葉を捨てます。リズエル、解ってください……彼と戦っても、エ
ルクゥの一族は誰も勝てません」
「それだけの力を与えたというか」
「いいえ。力だけじゃない。この星の人々には我らにはない、深い思いがある」
「思いだけでは戦いに勝てない……ジローエモン」
「……何か」
「今、この地を去ってエディフェルを忘れればよし、さもなくば我と戦い、地に還れ」
「どちらも訊けぬ、と申さば如何に?」

 私は黙って右手を変化させた。ツイ、と伸びた禍々しい爪に月光が絡み、怪しげな光
を放つ。ジローエモンも抜刀して正眼に構え、それに応えた。

「では死ぬがいい」

 私は全てを諦めて地を蹴る。

「リズエル! なぜ戦うの!? どうしてこの星の人達のココロを! 深い思いを感じる
ことはできないの?」

 叫ぶエディフェルが、剣を構えるジローエモンの前に飛び出した。

「退きなさい! エディフェル!!」

 全力で跳んだ私は獲物の前に立ちはだかる彼女めがけて飛び込む恰好になり、そして――
・
・
・
・
「っひ……! ……え? あ……ここは……?」

 しばらく空ろな光を映していた視界がゆっくりと像を結ぶ。見慣れた天井にカーテン
の隙間から漏れる朝日が爪痕のように白い筋を幾重にも刻んでいた。
寝汗で額に張りついた前髪を払おうと手を伸ばそうとした時、言い知れぬ不快感が心の
奥から沸き上がってきた。指先がまるで他人の物のようで、酷くわずらわしく感じる。

 身を引き裂かれるような深い後悔と、僅かな羨望と。そして右手に残る、肉を裂くあ
の感触。

 なんて気分の悪い。あの夜のことを思い出してうなされるなんて。

「ふう……」

 私は身体を起こして額を左手の指先で押さえた。

 ……まって。
 あの時のこと?

 夢の中で私が手に掛けたのは、耕一さんじゃなかった――。
 ――そう、あれはエ……――

「そんな……思い出せない。今、私は何を言おうと……?」

 ベッドサイドの時計をみると、いつもより随分と早い。
 私は頭を軽く振りながら、カーテンを開ける。と、目が眩むほどきらきらした朝の風
景が目に飛び込んでくる。

「奇麗な朝……」

 耕一さんが家にいるせいだろうか、あんな酷い夢を見たのにいつもの朝より心が軽い。
 昨夜は結局巧い具合にはぐらかされちゃったけど。耕一さんの行動の意図がよく解ら
ない。とにかく何か聞き出さないと落ち着いて仕事にもいけないじゃない。

 時間があるのでさっとシャワーを浴びる。仕事着に着替えて居間に顔を出すと、不機
嫌このうえない梓と鉢合わせになった。

「千鶴姉! こりゃ一体どういうことだ!?」

 開口一番、梓は噛付きかねない勢いで私に詰め寄ってくる。

「おはよう、梓。どう、ってなにが?」
「アイツだよ、ア・イ・ツ!」

 梓はおたまを振り回して食卓を差した。

「あら、耕一さん。おはようございます」
「おはよう、千鶴さん」

 新聞を広げている耕一さんに疲れた様子は微塵もない。一安心する。

「……呑気に挨拶交わしてんじゃないよ」

 梓はジト目で私を睨む。朝からおもしろい子。挑発しちゃえ。

「あら、梓はご挨拶しなかったのかしら? 姉さん、挨拶もできないような子に育てた
覚えはないんだけど」

 ついでに指を頬に当てて困った風に視線を泳がせる。

「か〜! んなんじゃねぇって! 朝からボケかましてんじゃないよ」

 むか。

「だ・れ・が・ボケですって?」
「っ……! う、い、いや。なんでもない……です」

 目を細めて威嚇。梓にはこれが一番。

「ま、まあま。千鶴さんも、梓も押さえて」

 険悪になった空気に耕一さんが割ってはいるけど、怒りの矛先が変わっただけ。

「あのな、誰のせいだと思ってるんだ! 大体なんで、耕一が、朝から、ここで、のほ
ほんと、みそ汁飲んでるんだ!」

 梓は畳をドスドス踏み鳴らしつつ、耕一さんに詰め寄った。おたまを振り上げておい
てからちょっと思い直し、制服の上に着けていたエプロンを外して大きな結び目を作る
と、それで耕一さんの頭をぽかぽか叩く。

「い、イテテ。止めろって。まあ、そこはほれ、大人の事情って奴で」
「何が大人の事情だ! 夜中にこっそり忍び込んだくせに! 大人が泥棒紛いのことす
るのかよ!」
「梓、それは違うぞ。俺はちゃんと玄関から……」
「忍び込んだんだな?」
「違うって。ねえ、千鶴さん」

 あら耕一さんたら。いきなり私に振るなんて、ひどいわ。

「……千鶴姉ぇだぁと?」

 鼻息荒い。うんもう、相変わらず女の子の自覚が足りないわ。手にしたエプロンだん
ごをくるくると振り回す梓。当たったら痛そう。

「ちょ、ちょっと落ち着けよ梓」
「落ち着いてる!」
「どこが!」

 さすがに耕一さんが止めに入ってくれたけれど。却って悪化したみたい。
 えーと。どうしましょうか……。

「あ、ああっ〜〜〜〜! 耕一お兄ちゃんがいる!」

 素っ頓狂な声を上げたのは初音。よかった、あの子なら上手くまとめてくれる。

「あ、初音ちゃん、おはよう」
「えっ、えっ? ええっ? どうして? いつこっちに来たの?」
「うん、昨夜遅くにね。あんまり遅くなっちゃったから千鶴さんに直接電話して、こっ
そり入れてもらったんだ」
「そんなぁ。来る前に教えてくれればみんな待ってたのに……」
「あはは、ごめんね、驚かそうと思ってさ」
 耕一さんは初音の頭を撫でてあげながらすまなそうに言う。
「そうなんだ。うん、とっても驚いたよ」

 初音はそう言いながらとことこと耕一さんのとなりへ坐る。いつもの場所だけどちょ
っと羨ましい。

「ごめんなさい、ちゃんとご挨拶しなくちゃね。おはよう、耕一お兄ちゃん」
「おはよう、初音ちゃん」

 毒気を抜かれたのか、梓も食卓へ着く。なんでこの子は立ったり坐ったりのとき、
「どっこいしょ」とかって、かけ声が要るのかしら。

「まったく朝から驚き過ぎだよ。んで、なんであたしにはそういう説明してくんないのさ」
「梓、お前俺に何か言う隙があったとおもうのか?」
「う…………」

 梓にも少し自覚があるみたいね、ならほっといてもいいか。遅ればせながら私もいつ
もの場所へ坐る。

「千鶴お姉ちゃん」
「なあに? 初音」
「そういえばお姉ちゃん、昨夜お出かけしたよね?」

 ぎく。

 梓がジト目を私に向けた。

「えっと、その。ほ、ほら、あんまりお月様が綺麗だったから、ちょっとお散歩に……」
「へえ、夜のお散歩ねえ。で、耕一を拾ってきた、と」
「そうなの。こう、段ボールに入ってミーミー泣いてて」
「嘘つけ! なんで耕一が段ボール入りで捨てられてなきゃいけないんだよ!」
「あら、じゃあ梓だったら拾わないの? 箱入りの耕一さん……」
「う……い、いや……拾うけど…って、そういう問題じゃないだろ!」

 からかい過ぎたかしら、梓ったら本気で切れそう。

「まあ落ち着けって。俺が電話したら、千鶴さんわざわざ迎えに来てくれたんだよ」
「む……ま、まあ辻褄は合ってるな。じゃあ何か、千鶴姉も共犯じゃないか」
「てへっ☆」
「…………この偽……!」
「な・に・か?」

 へええ、朝からその言葉を言うつもり? いい覚悟だわ。久しぶりに教育が必要ね。

「い、いや、その、なんでもありません」

 梓は身震いしながら台所の入り口まで後ずさり。まったく、梓がいると退屈しなくて
いいわ。

「……耕一さん?」

 微かな声の方を振り向くと、ようやく起き出してきた楓がいた。

「おはよう、楓。少しは驚いてくれたかしら」
「おっ、一番最後だ。案外寝ぼすけさんだな、楓ちゃんは」
「えっ……その……」

 真っ赤になって俯く楓。

「ああ、ごめんごめん。おはよう、楓ちゃん」
「……おはようございます」

 半ば俯いたまま、パタパタと逃げるように台所へ。きっと照れ隠しにお茶の用意でも
してるんだわ。耕一さんが鬼を制御してからというもの、楓はずいぶんと自分の感情に
素直な行動を取るようになった。時折何を考えているのか分からない時もあるけど、そ
れは前からだし。

「お兄ちゃん、学校はどうしたの?」

 初音がもっともな疑問を口にする。そうよね、あれから二ヶ月、冬休みはまだずっと先。

「えっとね、今は学園祭の時期なんだ。俺みたいにクラブとか入ってない連中は準備期
間は暇でね。1週間ほど秋休みってところさ」

 そういえば私が学生の時、この期間は叔父様のところへ仕事を習いに行ってたっけ――。

「へぇぇ……」
「ったく、大学生ってのは一体いつ勉強してるんだ?」
「してるさ、昨日だってレポートまとめるのが大変でさ。こっち着くのが最終になっち
ゃったんだ」

 耕一さんはお椀を手に取ると、ひと息でお味噌汁を飲み干す。

 ずずずーっ

 耕一さんは心底美味そうにみそ汁を平らげた。

「ふう、相変わらず梓のみそ汁はうまいなー」
「うっ……い、いきなりなんだよ」

 すごく嬉しそう……うー、わ、私だってお味噌汁くらい……。
 耕一さんがごっそさん、といいつつ軽く手をあわせる。それを見越したように、楓が
湯呑みをそっとさし出す。悔しいけど、この場に私の介入できる瞬間はない。

「お。さんきゅ、楓ちゃん」

 湯のみを渡す時に、指が僅かにふれあう。それだけで楓はまたも耳まで赤くなって俯
いてしまった。ちょっと意識し過ぎてないかしら。

「ねね、それじゃお兄ちゃん、どこくらいこっちにいられるの?」

 梓が何か言おうともじもじしてい間に、初音がすかさずフォローに入る。

「そうだな、1週間は余裕だよ。お邪魔かな?」
「ううん、そんなことないよ。ね、お姉ちゃん」

 初音は私や梓、楓の顔を順繰りに見つめた。期待に満ちた、きらきら輝く瞳で見つめ
られたら何でも言うこと聞いちゃいそう。私は笑顔で頷いて答えた。

「ったく。大学生ってのはいいな。年がら年中休みじゃないか」
「あら、梓は嬉しくないの? せっかく耕一さんが来てくれてるのに」
「なっ……!」
「そうだよ、梓お姉ちゃん」
「……梓姉さん」

 静かに成り行きを見守る楓、すがるような視線を送る初音。勝ち誇ったような耕一さ
んに見つめられた梓は、居心地悪そうに両手のひとさし指を突き合わせながら、

「……ま、まあいいか」

 とだけ呟いた。本当、素直じゃないんだから。


 初音と梓を学校へ送り出した耕一さんが戻ってきた。玄関ではちょうど楓が出かける
準備をしている。

「あ……耕一さん」
「ちょうどいいや。楓ちゃん、そこまで送るよ」
「あ……は、はい」

 そういえば、夏の時もこうやって一人づつ送ってくれていたわね。やさしい人。


 二人を見送ってから、私は仏間へ足を運んだ。仏壇の正面へ正座して叔父様と向かい
合う。
 こうして静かに遺影を見詰められるようになったのも耕一さんのおかげ。悲しみは深
いけれど、すこしづつ癒されていく気がする。
 お線香に火を付けて、ゆっくりとたてる。
 私と耕一さんの事はまだ誰にも話していないけど、足立さんは気が付いたみたい。
そうだ、この機に皆にも話しておこう。初音なら手放しで喜んでくれるかしら? 梓は
どうなんだろう。楓は……?
 ゆるんだ口元に指を当てる。ふと、昨夜からの疑問が心にわき上がる。

「──何故、なんだろう……?」

 耕一さんが来てくれるのは嬉しい。でも鬼化して、姿を変えてまで山中を跳び廻って
いたのに、あれだけの気配に妹達が気がつかないはずが無い。日頃いちばん敏感な楓で
すら、昨夜は起き出してこなかった。

 カラララ……

「あ……」

 耕一さんが戻ってきたようだ。私が出向くより先に、耕一さんはまっすぐ仏間へとや
ってきた。

「あ、千鶴さん」

 廊下から声。少し暗い感じがしたのは気のせいだろうか。私は座を譲って仏壇の前へ
促した。

「千鶴さん、毎日線香上げててくれてるんだ。オヤジも果報者だな」
「そんな、当然のことです」
「あー、いやオレの方こそ……」

 いいながらお線香に火をつけて、さっき私の立てた隣へそっと差す。

「……」

 ジッと遺影を見つめる耕一さんの瞳は本当に済まなそうだった。と同時に、とても穏
やかだった。
 どれくらいそうしていただろう、不意に耕一さんが私のほうへ向き直った。

「千鶴さん」
「は、はへっ」

 突然だったから、変な返事をしてしまった。見る見るうちに顔が火照って行くのがわ
かる。

「――千鶴さん、昨夜はゴメン。ゴタゴタしてたからね。それで――
 一晩考えたんだけど。話さなかったことを言うことにしたよ」
「え……?」
「鬼が……来るんだ」

 何? 耕一さんは今なんて言ったの?

「耕一さん……それは一体?」

<続く>


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