マルチライダー 〜序章(後編)〜 投稿者:川村飛翔

次に気が付いた時は、オレはベッドの上で寝かされている様だった。
「様だ」という表現をしてるのは、オレの身体のほとんどは
包帯でグルグルに巻かれているらしく、自分の寝ている場所がどこなのか、
体や首がほとんど動かせないからよくわからんのだ。
そういえば、オレはなぜこんなカッコをしているのか?
オレはその事を考えてみたが、答えは速攻で出た。

そう。
歩道に乗り上げてきたBWMに轢かれそうになった先輩を、
オレは歩道から突き飛ばして、代わりに轢かれたんだったんだよな。
ったく、オレとした事がカッコ悪りぃぜ。

自嘲したオレは、自分がいる所を僅かに動く首を使い、
自分で見回せる限りの範囲を見回してみた。
部屋の面積はとても広く、普通の病院の病室の数倍はある。
横や上を向けば、立派な木目が入ってて高級そうな木で出来た壁と天井。
角度を変えてみれば、何に使うのかよくわからん医療機器らしき物。
窓には上品な素材で出来てそうな白いカーテン、そっから漏れてくる日の光。
この部屋は空調設備も整ってるらしく、部屋の室温はとても快適だ。
床の方は体が動かない状態で、首が自分から見て後ろ側に曲がらないから不可能。
まあ、首が180度回転すれば話は別だが、オレはそこまで人間離れしたマネは出来ない。
目が覚めて気付いたが、オレの額には大きなガーゼが貼ってある。
この状態から推測すると、オレはBWMに轢かれてボロボロになった後、
そのまま病院に担ぎ込まれたという事だと分かる。
だけど一体誰がオレをここに?
先輩か?でもあの辺は確か、電話ボックスの類は無いはずだろ?
それに確か、先輩は大学であの日は携帯は持ってなかったって言うし・・・・。
だけどその前に、このままだとレポート落ちて留年だ・・・。

コンコン。

オレが暗澹たる思いになっていた時、どこからかノックの音が聞こえた。
ノックの音がする方を首を動かして見てみると、オレから見て左上の方角に、
壁と同じ様だが僅かに色が違う木製のドアがあった。

コンコン。

ドアが再びノックされる。
起きているのに黙っているのも失礼だから、
とりあえず声の出る様だったオレは
「はい」
と答える事にした。

ガチャ・・・。

待つ事3秒。
遠慮がちにドアが開けられる。

コツ・・コツ・・コツ・・。

規則的に床を叩く靴の音。
オレの視界の中には、まだ誰なのか判別できる材料は入ってない。
相手が誰なのか分からないオレには、それはある種の恐怖として感じる。
息を呑むオレの視界に、やがて足音の発信源が現れた。
「・・・浩之さん」
小さきながらもオレの名前を呼んでくれたのは、芹香先輩だった。
上品な色合いで彩られた春物のセーター、その胸には花の装飾を施されたブローチ。
そして両方の耳には、小さな宝石をあしらったイヤリングが一個づつ。
残念かな、先輩の上半身から下は、首がそこまで回らないからわからない。
「・・・・・・・・」
「身体の方は大丈夫ですかって?見ての通りさ」
腕が動けば肩をすくめるところだが、身体が固定されてて動かない。
オレは仕方無しに顔を動かして、それらしく見せると、
「先輩。ところでさ、オレが車に轢かれてから何日経ってんだ?」
「・・・・・・」
「そうか・・あれから三日経つのか・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「ごめんなさい。私をかばったせいで、こんな目に逢わせてしまいましたって?
先輩、気にしなくても大丈夫。これくらい何でもねえよ」
オレは固定されていなかった親指を立てる。
「・・・・・・・・」
「強いんですねって?そんな事ねぇよ」
オレはくだけた表情を正すと、
「だけど、あの車は一体何だったんだ?
あんな猛スピードの状態で、いきなり歩道に乗り上げて来やがった。
しかも、先輩を確実に狙ってたような動きだったな・・・
最後に覚えているのは、また車のエンジン音が聞こえた所までだ・・・」
オレは久しぶりに難しい顔をした。
だが、身体のあちこちが包帯でグルグルなオレには、
その表情はいかんせん不似合いだった。
「・・・・・・・・」
「えっ、一体何なのか綾香に調べさせてる?
セバスチャンもって・・・・あのじじいも一緒にか?」
オレの問いにゆっくり頷く先輩。
しかし、何でまた綾香やじじいなんかに調べさせてるんだ?
普通に考えたら、あの天下の来栖川だ。専属の探偵や調査チームがいるはず。
それを先輩のプライベートに近い人間に調べさせてるって事は、
今度の一件、相当ヤバイ事が起きてるって事なのか?
わかんねぇな・・・・・。
オレの中に一抹の不安が過ぎるが、
「・・・・・・・」
「今は何も心配しないで、一日も早く身体を治して下さいって?
わかった・・・先輩がそこまで言うんだったら、オレはそうするぜ」
オレは先輩にウィンクをして答える。

「ところ先輩、一体誰がオレをここまで運んでくれたんだ?
それに一体ここはどこなんだ?先輩が一人でやったなんて思えないし・・・」
少し間を置いてオレは、さっきまで失念していた疑問を先輩にぶつけてみた。
「・・・・・・・・・・・・」
「えっ?走って電話を掛けに行く途中に、
通りかかりの親切なお医者様に助けてもらいましたって?
そいつぁ助かったな。一度その人に会って、お礼を言っとかなきゃな」
オレが軽く笑うと、先輩は続けて、
「・・・・・・・・・・・」
「そしてここは、来栖川家専属の救急病院ですって?
専属って、それって一体どういう事なんだ?」
「・・・・・・・・・・・・・」
「来栖川の一族か、一族が認める人、あるいは国の要人しか利用できない
我が国最高の医療スタッフを揃えた特別な救急病院ですって!?
そんな凄いところに、オレみたいな一般人が入院してていいのか?」
思わず驚くオレに、先輩は、
「・・・・・・・・・・・・・・」
「えっ?浩之さんは私にとって大事な人ですからって?」
こくん、と頷く先輩。
「・・・・・・・・・・・・」
「だから、ここでゆっくり身体を治して下さいって?」
「・・・はい」
先輩にとってオレは大事な人。
つまり、来栖川の一族の芹香先輩は、こんなオレを大事な人と
思ってくれているから、オレをここに入院させてくれたんだ・・・。
先輩・・・・。
「じゃあオレはお言葉に甘えて、ここで養生する事にするぜ。
先輩、オレの事を気遣ってくれてありがとな・・・」
オレの言葉に、ほのかに顔を赤らめる先輩。
先輩のそんな仕草を、オレは素直に可愛いと思った。
「それじゃあオレは先輩の願い通りに、早く身体を治さなきゃな。
そういうわけで、オレは一眠りさせてもらうけど、いいかな?」
オレは先輩に尋ねると、
「・・・・・はい、わかりました。
おやすみなさい、浩之さん。どうかお大事に・・・」
先輩の声を聞き届けたオレは、そのまま眠りに落ちた・・・。


――それからオレの入院生活が続いた。
オレはこの病院で、最高のスタッフによる治療やリハビリを受けていた。
さすが日本最高の医師が集まってると言うだけあって、
オレの回復力も伴って、医者が予想していたものよりも回復が早いらしい。
特別な人間しか利用できないと言うだけあって、
お見舞いに来る人間は、予想通りだが基本的には先輩以外は来ない。
たまに綾香がからかいにやってくるが、まあそこは我慢するのがご愛敬。
またある日には、ちょっと前に先輩の言っていた、
オレの手術の助手を務めたと言う医者が尋ねてきてくれた。
その横には、同じ小児科を担当している看護婦と言う女の人がいた。
医者の方は折原と名乗り、看護婦の方は七瀬と名乗った。
オレがお礼を言ったその直後に、この医院の院長と名乗る医者と
お見舞いに来てくれた先輩が部屋に入ってきた。
オレは、先輩と一緒に入ってきた院長の顔を見てふと思った。
顔が伝統あるモンスター、スライムの形に似ている、と。
まあ、声に出して言わなかったけど。

松葉杖をついて歩ける様になったころ、オレは窓から外を覗いてみた。
オレの目に飛び込んできたのは、景色いっぱいに萌えあがる緑の嵐。
多分この医院は、周辺の幾多もある山の一つを買い取って、
その山の一部を刳り貫いて建てられた代物なのだろう。
景色の面から考えても、この医院は最高の施設と言ってもいい。
しっかし、こんな金が掛かりそうな事をやってのけるとは、
来栖川グループの資本力という物は恐ろしい。
オレはこの来栖川グループの凄さを、改めて思い知らされた。

――松葉杖一本で歩けるようになったオレは、暇になる昼からこの医院を見て回った。
話に聞いた、オレが運び込まれてきた時のトンネルは北側にあった。
どうやらここは、建物の半分以上が山に埋まってるだけあって
日の光が射すのは南側だけのようだが、細かい配慮があちこちに施されている。
ちょっと前にオレの病室に置いてあるテレビの番組で見たんだが、
病院でよく耳にする、頻繁に起こる様々な怪奇現象は、特別な病院の構造や勤務状態で起こるらしい。
オレはテレビで見た通りの検査方法でこの医院を調べてまわって見たけど、
どれもこれも、何もそういった物が起こらない様に設計されている。
何度も同じ事を言うが、来栖川グループ恐るべし。

――オレが入院してから大体1ヶ月半が過ぎた。
もう身体は殆ど完治し、杖無しで動けるようになった。
何とか仮退院まで出来る様になったオレは、外でのリハビリを兼ねて、
先輩に高校時代に約束した事を実行するために、オレ今いる大学の近くにある
大学に在籍してて、家庭料理研究サークルに所属しているあかりを捕まえ、
料理をするメンバーにあかりと、その料理サークルのメンバーを加え、
「下町料理の研究」と称してみんなの先頭に立ったオレは、先輩の為に料理を作り始めた。

作った物は、とろろぶっかけごはん、おろしなめたけ、湯豆腐の3品。
サークルのみんなと楽しく食べてる最中に、ちょいと一品の感覚で
あかりが御御御付けを作ってみんなに配りだした。
御御御付けとはあかりが言った言葉で、味噌汁の丁寧語の事らしい。
赤出汁仕立ての豆腐入り味噌汁は、塩の加減も薄くなく濃くなくて丁度良い。
この辺の気の配り方は、さすがあかりと言ったところだろう。
先輩は全ての物をおいしいです、と言ってくれたので、料理の出来は上々なのだろう。

――そして今日。
やっと本当の退院が出来たオレに、何と先輩が迎えに来てくれた。
オレが来栖川家のリムジンに乗れたのは、これで2回目。
最初の一回は高校2年生の頃、先輩と出会ってから間も無い頃。
そしてこれが2回目。
執事に復帰したじじいの運転で、リムジンはオレの家に到着した。
先輩はじじいに家に戻るように言うと、一緒に家の中に入ってくれた。
そのままオレと先輩は、久しぶりに2人で居る時間を過ごし、
暗くなるとオレは先輩を家まで送って行った。
何も無い平和な日々が続いたが、どうやらそうも行かなくなったのは、
それから5日経ったある日の事だった。
先輩に呼ばれ、オレは大学の教室に来ていた。
「・・・・・・・・・・」
「えっ?お話があるので、私と一緒に来てくださいって?」
こくん、と頷く先輩。
もしかして、先輩を狙おうとしたかも知れない、例のBMWの件か?
だけど、ただ言うだけだったら、別に場所を変えなくてもここで話せるはずだ。
オレは怪訝に思いながらも先輩に連れられ、これで乗るのは3回目になる
じじいの運転するリムジンに乗って、大学を後にした。

乗せられたリムジンに揺られる事およそ1時間。
この時間はそれなりに空いている方の都市高速を走り続ける最中、
オレの目に入って来たのは、看板に来栖川重工と書かれたビルだった。
あそこに向かうのか?と思っていたオレの予想通りに、
車は高速を降りてそのまま来栖川重工の駐車場へと向かう。
駐車場にたどり着くと、オレと先輩は車から降りた。
じじいは運転席で待機している。
「・・・・・・・・」
「えっ?もう少しで目的の場所に着きますって?」
こくん、と頷く先輩。
しかし何でまた、こんな場所なんかに・・・?
どうやら先輩が先に行くようなので、俺は考えるのを一時中断して
先輩の後を着いていくと、やがて駐車場に設置された
エレベーターの前にたどり着いた。
先輩はどこからともなく何かのカードを取り出すと、
エレベーターのボタンの横にあるスリットにカードを通した。

ピッ!

何かの電子音が鳴ったかと思うと、エレベーターの階表示ランプが
どんどん下の階に行っている事を表示し始めた。
多分、エレベーターがこちらに向かって降りて来てるんだろう。

チーン!
ヴ・・・・・・ン・・・。

エレベーターが降りてきて、音と共にドアが左右に開いた。
先輩がエレベーターの中に入ったので、オレも続いて中に入る。

ヴ・・・ンン・・。

エレベーターの静かにドアが閉まる。
先輩は、今度はエレベーターの中にあるスリットにカードを通した。

ピッ!
グ〜〜〜ン・・・・。

小さな電子音と共にエレベーターは上昇を始めた。
「なあ、先輩。そのカードは一体何なんだ?」
オレは先輩に尋ねてみると、
「・・・・・・・・・」
「来栖川一族のみが使えるIDカードですって?
って言う事は、ここは来栖川グループの重要な場所って事か?」
「・・・・・・・・」
「えっ?グループの工業系の研究室になっていますって?
だけどさぁ、何でまたこんな所に連れてきたんだ?」
「・・・・・・・」
「私にもよく分かりませんって?それって一体どういう事だ?」
「・・・・・・・・・」
「は?綾香がオレを連れて来いだって?」
「・・・・・・・・・・・・」
「浩之を連れてきた時に全てを話すって言ってたって?
綾香の奴、勿体ぶった言い方しやがって・・・。
そういう言い方をするんだから、相当大きな事件なんだろうな。
これで大した事無かったら、終いにゃ怒るぞ」
「・・・・・・・・」
「え?何だか嫌な予感がしますって?ああ、オレも同感だ。
綾香が何を考えているのか分かんねぇ以上はな・・・」
「・・・・・・」
「いえ、私が言いたいのはそうではなくて・・だって?
それじゃあ先輩が言う嫌な予感って?」
「・・・・、・・・・・」

チーン!
ヴ・・・・・・ン・・・。

先輩が言葉を全てを言いきる前に、エレベーターのドアが開いた。
ドアの向こうには、顔は分からないが誰かが立っていた。
「来るのがちょっと遅いんじゃないの?浩之」
「いやはや、お待ちしてましたよ」
エレベーターから出たオレたちを出迎えたのは、
オレ自身もそうだろうなぁとは思ってたけど・・・綾香と長瀬主任だった。
「予定の時間より30分も遅刻じゃない。何のんびりしてたのよ?」
綾香がいきなり文句を付けてくる。
「んな事知るか!オレが先輩にここに来てくれって
頼まれたのは、1時間前のついさっきなんだぞ!
遅刻がどーのこーのなんて、オレがんな事知るかよ!」
オレも負けじと綾香に言い返すが、
「申し訳ありません。途中の道が混んでましたので、
予定の時間に大幅に遅れてしまいました」
いきなりじじいが背後に現れて、オレの弁護をしてくれていた。
弁護してくれるのはありがたい事だが、どうやってここまで来たんだ?
あのエレベーターに乗っていたのはオレと先輩だけのはずだろ?
この階に着いて分かったが、地下からここまで優に100mはあったはず。
あんな短時間でここまで来れたじじいの体力って、一体何なんだ?
おまけに、息も服装も乱れちゃいねぇ。
「まあいいわ。それじゃあ、早速始めるわよ」
綾香はこの現象が、まるで日常茶飯事と言わんばかりに進める。
「まず最初の議題だけど、その車が姉さんを轢こうとしていたのか、
ただの居眠り運転か何かの事故かどうかの検証だけど、
これは100%姉さんを亡き者にしようと狙った殺人計画ね。
根拠に入るけど、姉さんの話によれば襲ってきた車はBWMと言っていたわ。
浩之、襲ってきた車はBWMで間違いないわね?」
「ああ」
「丁度長瀬さんの親戚に刑事さんがいてね。
内密に鑑識を使って、タイヤの痕跡を調べてもらったわ。
私が警視庁で盗難車届けを調べて見たら、これまたビックリ。
何と、この来栖川グループが国内で生産していたヤツだったのよ。
盗難届の方告は、上の方まで届いてないみたいだけど」
ふうっ、とため息をつく綾香。
どうやら先輩を亡き者にしようとした車は、
先輩の一族が経営するグループで作られたのか・・・。
オレは内心歯噛みする思いだった。
「私の方がちょっと都合が悪くなっちゃったんで、
後の調査はほとんど長瀬さんに任せっきりにしちゃったわ。
それじゃあ長瀬さん。後の調査結果の報告を頼んだわよ」
綾香は、解説役をじじいに無理矢理バトンタッチさせた。
しかしじじいの方は、内容ついて語るその前に、
「綾香お嬢様。私めの名前はセバスチャンでございます」
「はいはい、それじゃあセバスチャン。これまでの捜査の報告よろしくね」
綾香の台詞にじじいは・・・いや、セバスチャンは複雑な表情をした後、
「うぉっほん!私めの独自の調査によりますれば、我が社の製造したBWMを奪い、
芹香お嬢様を襲った人物は、今から3ヶ月前に他社に雇われたスパイだと発覚し、
今は解雇処分にされた、来栖川重工研究部長だった男でございます。
名前は履歴書には【神無月 貴之】と明記されておりますが、
これは偽名と判明しましたので、追跡に使う捜索の材料にはなりません。
ですが、この男が今から1ヶ月前に、東京湾の倉庫から車を持ち逃げしたと言う情報がございます」
「へぇ・・・ねぇセバスチャン。一体どこからそんな情報を手に入れたの?」
綾香が目を丸くしてセバスチャンに尋ねている。
オレも確かにそこの部分は不思議に思う。
「私めが大旦那様に拾われる前に、荒れた日本の街中でストリートファイトに
明け暮れていたのは、綾香お嬢様も藤田様もご存知かと思われます。
今回の調査につきましては、私めがその頃出会ったかつての戦友たちが調べて下さいました。
持つべき者は、やはり戦友と言ったところでございましょうか、ぶわっはっはっはっは!」
意味不明な笑いをあげるセバスチャン。
アホらしくなったオレは、ふと先輩の事が気になったので、
先輩の方を見ると、先輩もオレたちと同様立ったまま話を聞いていた。
ついでに長瀬主任の方を見てみれば、近くの作業デスクにある椅子に座って、
一人だけ午後の紅茶を飲みながら心底くつろいでいた。
・・・まあ、いいけどさ。
「さて。ひとしきり笑わせていただいたので、そろそろ本題に戻りましょう」
セバスチャンが笑っていた顔を正す。
「ですが・・・芹香お嬢様を亡き者にしようとした輩の行動理由を、
とてもではありませんが、私めの口からは申し上げる事は出来ません。
こうするのは大変失礼かとは思いますが、綾香お嬢様。
この私めに代わって、この報告書を読み上げていただけないでしょうか・・・」
セバスチャンは震える両手で恐る恐る綾香に報告書を差し出す。
綾香はそれを無言で受け取ると、報告書を読み出した。
時が流れることしばし。
「・・・浩之。今回はちょっととんでもない事になってるみたいよ。
もしかしたら・・・私達の一家全員まで危険だったかもね」
と、言って綾香は報告書をオレに突きつける。
「どういうことだ?」
オレは突き出された報告書を受け取って読んでみた。
内容はこうだ。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

源四郎よ、今回の騒動はただの殺人で終わりそうもない。
芹香嬢を轢き殺そうとした輩は、表の世界の連中ではないようだ。
これは確定事項ではないが、昔は裏の世界にいた我らも全く知らない、
裏ではとても大きくて深い組織が動いていると思われる。
あの騒動を起こしたのは下っ端だったが、それでも多少の情報を握っているだろう。
そう踏んだ我々は、裏の情報網を使って何とか男の所在をつかむ事に成功した。
そいつをとっ捕まえて吐かせ、情報を一つだけ増やす事に成功した。
分かったのは、芹香嬢を亡き者にしようとしたのは計画の最初の段階だと言う事。
それだけに止まらず、さらに来栖川一族の殲滅を行うのも計画の最初の段階の内らしいのだ。
さらに言えば源四郎には悪いが、その段階は失敗しても成功しても意味が無いそうだ。
お前の大切なお嬢様がいなくなろうが無事だろうが、そいつらにとってはどうでもいいらしい。
どれだけ大きな事が動いているのか調べるのは、我々の立場の関係上できない。
しかし、これだけは確信して言える。
そいつらは、この世界が根本からひっくり返す様な事をしでかしても不思議じゃない連中だ。
世界の破滅を望んでいたと予想しても、それが当たる確率はとても高い。
今の段階で分かる事はこれだけだ。
源四郎よ、これ以上力になれなくてすまない。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
・・・・・・チッ。

バサッ!

オレは手に持っていた、紙の束に成り果てた物を投げ捨てた。
「ちょっと浩之!あんた何してんのよ!?」
綾香はオレの行動を咎めたが、
「ったく、こんなつまんねぇ事で人殺しを考えるってのは感心しねぇな。
しかも・・・・生きようが死のうが関係ないと来たか・・・」
「えっ?」
オレの言動でちょっと身を強ばらせる綾香。
そのままオレは、近くにあった壁まで移動する。
そしてオレは壁と向かい合った体勢のままで、
「今時子供向け番組でもやらないような古いマネしやがって・・・!
そんな裏だか表だかなんだか知らねぇが、先輩をあの世行きにしようとした
そんな陳腐な連中なんざ、オレが1年以内で探してぶっ潰す!」

ガシッ!

オレは一しきり叫んだ後、拳を目の前の壁に叩き付けた。
正拳突きで壁に入ったオレの拳が、痛みできりきりと悲鳴を上げる。
だけど、今のオレの怒りの心境を抑えるにはこれは丁度良い。
今までに無い焦燥感に駆られるオレは、壁に拳を押し付けたまま下を向く。
「浩之・・・」
綾香が憂いのかかった声でオレを呼ぶ。

すっ・・・。

壁に当てられたままのオレの拳に、そっと手を握られる感覚が走った。
顔を上げたオレの視界には、オレの拳に手を添えて悲しげな表情でオレを見る先輩がいた。
「・・・・・・・・、・・・・・・・・・・・・・・」
「無茶な事はしないでください、浩之さんにもしもの事があったら・・・だって?」
先輩は小さく首を縦に振る。
やっぱり先輩は、オレの事が心配なんだな。
そしてオレも同様に、先輩の事が心配なんだ。
ありがとう。
「先輩」
オレは拳を壁から離し、先輩の両肩に手を置くと、
「別にオレは、世界の破滅がどうたらこうたらを救う為に
こういう事をしようなんて思っちゃ無いよ。
ただ、人殺しをしてもそれが計画に無意味だと思ってる連中が許せないだけさ。
しかも、その人殺しの被害者になりかけたのが先輩だったら、なおさら」
オレは先輩の肩においていた手を離すと、
「オレはここで誓うぜ。事態をこんなに引っかきまわしてくれた、
その陳腐な連中をぶっ潰してやるって、改めてここに誓ってやらあ!」
オレは綾香、セバスチャン、先輩の3人の前で、自分に言い聞かせるように叫んだ。
しばしの沈黙がよぎった。
オレはふっ、と肩の力を抜くと、
「そんじゃ早速、オレは宣言どおりに旅に出るぜ。
まずは、組織とやらのありかを捜さないとな・・・・・」
「ちょっと浩之、あんた大学はどうすんのよ?それに、その間姉さんはどうする気よ!」
「大丈夫だ。旅と言っても先輩のそばを完全に離れるわけじゃないし、大学のほうはしばらく休学する。
どうせオレは飛び級でこの学年にいるんだ。1年くらいなら浪人しても問題はないさ」
「でも、たった1年でどうするつもりよ?相手は裏の人間でも正体の知れない奴等よ!」
「そんなこと、やってみないとわからねぇだろ?人間成せば成る、だ」
オレは以前レミィに教えられた諺を呼び起こした。
そんなオレを見て、綾香はふうっ、と溜息をついたかと思えば、
「ま、あなたが本当にそこまで言うんだったら、私は止めはしないわ。
後は姉さんの承認次第。で?姉さんは、浩之の行動に賛成するの?」
先輩は少々戸惑いの表情をしるが、すぐに表情を戻すと、
「・・・・・・・・・・・・・」
「何か移動手段があるなら・・・だってさ。浩之、あんた車かなんかの交通手段持ってる?」
「ああ、前に志保からもらったオープンカーだったらあるけど・・・・」
「・・・・・・・・・」
「目立ちすぎます・・・ね。確かに姉さんの言うとおりね」
「でも、他に車は持ってない」
「バイクとかは?」
「ない」
「自動3輪車は?」
「誰が持ってるんだよ?そんな古いもん」
「じゃあ、誰かからか貰っちゃいなさいよ」
「そんな奇特なヤツ、この世にそう滅多にいねーよ。
志保の場合でも希に見る珍しいケースだったんだぜ?」
「・・・あー、それでしたら、我々のほうでご用意させて頂きましょうか?」
「あ?」
オレと綾香のシンクロ「あ」が炸裂した。
半ば言い合いに発展したオレと綾香の会話に、誰かがヤリを入れたからだ。
誰かと言っても、この場にはオレを含め5人しかいないんだから、
今の喋り方と声で誰だか特定するのは簡単だ。
その声の主誰かと言うと、さっきまで午後の紅茶を飲んでいた長瀬主任。
何時の間にか椅子から立っていた。
「長瀬さん、何を用意してくれるって?」
綾香が問いただす。
「我々来栖川電工と来栖川重工の2社が、浩之君の移動用の車をご用意いたします」
あの大企業の来栖川グループがオレに車を提供してくれるだって?
「でも、長瀬主任。そんな大それた事簡単にできんのかよ?」
長瀬主任はオレの周りをウロウロしながら、
「ええ。我々来栖川重工が、来年度に新しいタイプの車を発表するのはご存知ですか?」
「いいや」
オレはハテナ顔のまま首を振る。
「ああっ、おっと失礼。これはまだ社内の秘密事項でした」
そんなオレを見た長瀬主任は苦笑いすると、
「今回のプロジェクトは、ロボットに引き続いて、
自家用車にも人工知能を与えて見てはどうかと言う物なのですよ。
まあ、感情を持った新しいナビゲーションシステムを搭載した
新型自家用車の開発、と考えて頂ければ結構です」
「はぁ・・・」
思わず生返事を返すオレ。
「丁度、昨日付けでその車のテスト機が完成しましてね。
物はついでなので、浩之君にしばらくの間、試乗と言う目的で乗って欲しいのです」
人工知能を備えた車・・・オレがそれの最初の操縦者ってことか・・・。
なかなかかっこいいじゃねぇか。
来栖川グループが開発した新車で例のヤツらを片づけるってのも悪くないな。
「ところでさ、試乗の期間は一体どのくらいなんだ?」
「う〜ん・・・そうですねぇ・・・」
長瀬主任はあごに手を当て、しばらくあさっての方角を見つめると、
「まあ、今回のプロジェクトは内容が内容ですからねぇ。
多種多様かつ大量のデータを取るために、1年くらいは様子を見ましょうか」
それって・・・・。
「嫌が応でも、1年で解決せざるを得なくなっちゃったわね。浩之」
クスクスッ、と小さく笑う綾香。
「でも、これで姉さんも納得するわよね?」
綾香の答えに、静かにうなずく先輩。
「え〜、お嬢様のお許しが出たようなので、
さっそく車の保管場所であるラボに向かいましょうかねぇ。
それでは浩之君、私と一緒に行きましょうか。
他の皆様方はいかがなさいますか?」
残る全員が首を縦に振る。
「はい。それでは皆さんで参るとしましょう」
長瀬主任が行くまで気がつかなかったが、
主任はオレと先輩が乗ってきたエレベーターの横にある
一枚の小さな正方形の鏡の前に立った。
そして鏡に右手で触れ、何やらごにょごにょと呟いている。
「・・・・・・」
長瀬主任の呪文みたいな意味不明な言葉が終わる。

ピピピピッピピッピッピピ・・・。
ピ〜ン・・・!
ヴヴ・・・・・・・ン!

オレの耳に色んな電子音が届いたかと思えば、
今度は機械の駆動音が唸る。
大方新しいエレベーターでもやって来てるんだろうと
思ってタカをくくっていたら大間違い。
何気なく外を見たら、何とまあこの部屋自体が
エレベーターのごとく下へ下へと下がってたんだな。
お約束というか、何というか・・・。
長瀬主任のさっきの行動は、SF番組で見た事があるけど、
指紋センサーとパスワード照合だったんだな・・・。
オレが内心呆れている最中に、部屋で唸る駆動音が収まった。

シュン・・・!

エレベーターのドアが静かな音を立てて横に開き、
来栖川重工のラボと思われる入り口となった。
さっきの部屋から出て見ると、そこには広大な空間が広がっていた。
ナトリウムランプが広大な空間を照らしてるから、一応暗くない。
「さあ、行きましょう」
長瀬主任に促され、オレたちご一行はその後についていく。

コツ・・コツ・・コツ・・。

静かで広大な空間に足音が響く。
今この施設の中にいるのはオレたち5人だけらしい。
会話の類は、ない。

コツ・・・コツ・・コツッ。

足音が止まった。
後続のオレたち4人は横1列の体制になる。
主任の方は、一台の小さなパソコンの前に立っていた。
パソコンに電源を入れ、キーボードを叩いている。
まあ、次に起こるパターンも予測できない訳ではないのだが・・・。

ピッ!
ヴヴヴヴヴ・・・ン・・・・ヴヴヴヴヴヴヴ・・・ン!

キーボードを叩き終えると、目の前の床が割れて
床に開いた穴から、一台の車を乗せた床がせり上がってきた。
予想通りだな・・・・・。
半ば呆れながらもオレは出てきた車を見てみる。
黒・・・と言うよりは、黒に近い深緑の色に塗装された真新しいボディ。
前にどっかで見た事がある形にくり貫かれたタイヤのホイール。
ギリギリまで車高を低くしたシャーシに、全てのガラスにはUVフィルムが。
まあ、色も形もそんなに目立たないとは思うが・・・。
「これが今度のプロジェクトで考案された最新式の自家用車です。
まだこれはテスト段階なので、性能とボディを一部レース用にしています」
ということは、かなりの速さが出るって事か。
長瀬主任の説明は続く。
「今の段階ではまだ未定ですが、名前も仮に考案されています。
現段階では[ Kurusugawa Industory Two Thousand Year ]が正式名称になっています」
今は1999年だから、来年の2000年に掛けたのか。
なるほどね。
「重工側の開発チームは略称で[ KITTY(キティ)]と呼んでいるらしいです」
「らしいって、どういう事?」
綾香は頭に疑問符を一個浮かべる。
この場の人間はその現象を気にも留めずに、
「ボディの開発と思考回路の開発は別々で行っていました。
来栖川電工は思考回路を、来栖川重工はボディを、と言った具合で。
私もこの重工のラボに来たのは、これで2回目です」
ひとしきり説明が終わらせた長瀬主任は、キーボードの横の何かのボタンを押した。

ピッ・・ピピッ・・!
フウゥゥゥ・・ン!

「さあ、これで電源が入りました。
思考プログラムはインストール済みですし、燃料も満タンで入っていますよ。
ドアノブに触れた瞬間、あなたは彼女のマスターとして登録されます」
「彼女?」
オレが問いただすと、
「詳しくは、ご自分の目でお確かめを」
何だか重要な部分をはぐらかされたような気がするけど、
オレは気にせずにそのままドアノブに触れた。

ピピッ。

無機質な電子音が車から鳴った。
「これでいいのか?」
「ええ。これであなたは彼女の正式なご主人様として登録されました」
「ご主人様って・・・何だか妙な感じだな」
「まあまあ、細かいことはお気になさらずに。
ほら、彼女がもうじき目覚めますよ」
「ん?」
車のほうに向き直ったオレの視界に入ったのは、
まだキーも挿してないのにライトがひとりでに点いた車の姿だった。
フロントには、光が左右に走るランプが点灯していた。
今にも自分で走って行きそうだ。
まあ、何はともあれ。
「・・これから1年間の間、オレの事をよろしく頼むぜ」
オレは車・・もとい、キティに話し掛けた。
「はい。どうかよろしくお願いします、浩之さん」
・・・・・は?
今の声、前にどっかで聞いたことがあるような・・・。
「お久しぶりです、浩之さん・・・とってもお懐かしいですっ!」
「その声・・その喋り方・・もしかして、マルチか!?」
「はい!浩之さんが高校生の頃に初めてお会いした、あのマルチです!」
やっぱりあのマルチか!
と言うことは、あのホイールのくり貫いた形は耳のセンサーだったのか。
「ええっ・・・・でも、それって・・・?」
「いやぁ・・実はですねぇ」
長瀬主任が後ろから会話に入ってくる。
照れくさそうに頭を掻きながら、
「感情プログラムの構築と言うのは、意外と時間がかかりましてね。
どう考えても開発の締め切りに間に合いそうもなかったんで、
ホストコンピュータ内にあったマルチのデータを引っ張ってきて、
車の記憶媒体に使うメモリーカード内に入れちゃいました。
なにぶん、時間がなかったものですからね・・・」
笑いながら長瀬主任は、どこからか取り出した禁煙パイポを口にくわえる。
オレもそれにつられて顔がほころんでしまった。
「皆さん、楽しそうですね」
「ああ・・お前のおかげだ。マルチ・・・じゃなかった、今はキティか」
「はい。開発の方々からはそう呼ばれています」
一般人から見れば、車と話している人間なんて間抜けだな。
まあ、オレは別に気にしないが。
「でも、オレは今まで通りマルチって呼びたいけど、だめかな?」
「わたしも、浩之さんだったらマルチって呼ばれたいです。
でも、開発の方々が許してくれるかどうか・・・」
「・・・確かに、そうだよな・・・」
「あー、その点ならご心配なく」
再度長瀬主任が割ってくる。
「名前は今はまだ仮の段階でも、最終的に彼女の名前はユーザーである君が決める事なんだよ。
でも、私はかつての娘の名前を使ってくれた方が、嬉しい限りなんですけどね」
長瀬主任は照れ笑いを隠すように、周囲をうろうろと歩き始める。
オレはマルチに向き直って、
「よし!ご主人様としてお前の名前を発表する!
お前はキティじゃない、マルチだ!わかったな!?」
「はいっ!改めてよろしくお願いしますっ!」
「よしっ!」
オレはボンネットの部分を撫でた。
多分、これがマルチの頭に部分じゃないかって思う場所だ。

すっ・・・。

そしてオレと同様に、マルチのボンネットに触れる手があった。
顔をあげれば、オレの視界に先輩が映った。
「・・・・・・・・・・・・・」
先輩はマルチに何か語り掛けている様だ。
話す相手が違うと、流石にオレでも先輩の声は聞こえない。
「はいっ!お任せくださいっ!」
話が終わった様だ。
「マルチ、先輩は何だって?」
オレはマルチに尋ねてみると、
「浩之さんのことをよろしくお願いしますって頼まれましたっ!
浩之さん。これから1年間、がんばって行きましょう!」
「よし!」
オレはマルチの運転席側のドアを開けようとしたが、
「藤田様。少々お待ちくださりませ」
いきなりセバスチャンが待ったを掛けた。
「何だよ?一体」
オレは面倒臭そうな言い回しをすると、
「これから裏の世界を歩くおつもりでしたら、
裏の世界で表の戸籍や姿を晒すのは危険でございます。
藤田様は芹香お嬢様にとって、とても大事な御方でございます。
私めは、安全の為に顔の整形と変声手術の方を行われてから
行かれる方がよろしいかと思います」
「まあ、セバスチャンの意見ももっともね。どうするの?浩之」
綾香が尋ねてくる。
確かセバスチャンは、昔は裏の世界を歩いた事があると聞いた記憶がある。
NYの闇プロレスで無敗の強さを誇っていたとか、色々だ。
その裏の世界を歩いてきた人間が言う事だ。蛇の道は蛇と言うからな。
ここは大人しく従った方がいいだろう。
「わかった。なら、そうするぜ」
「では、私めの知り合いに腕のいい整形外科の医者がおります。
藤田様はそこで、顔と声を変える手術を受けてくださりませ。
全ての事が終わったときに、顔をもとに戻せるように頼んでおきましょう」
「ああ、そうしてくれ」
オレは半分開いていたマルチのドアを閉める。
ちなみにこのドアは、上にスライドして開く様になっている。
「浩之さん?」
マルチがおずおずと尋ねてくる。
「心配すんな。別にオレの中身が変わるわけじゃねぇからな」
オレは小さく笑うと、
「それじゃあ、先輩にマルチ。オレのこの顔もしばらく見納めだ。
今のうちにしっかりと、目に焼き付けておいてくれよ。
おっと、マルチはいつまでも覚えていられるんだったよな」
自分で勝手にオチをつけたオレは、
しばらくの間先輩とマルチを交互に見つめ、
「藤田様。そろそろ参りましょう」
セバスチャンのお呼びとともに、オレは2人の前から姿を消した。


取り残された芹香、綾香、長瀬主任。
綾香が芹香の方に手を置くと、
「姉さん。今はただ、浩之の事を応援してあげないとね。
姉さんの方も、激しく止めはしなかったでしょ?」
こくん、とうなずく芹香。
「だったら、悲しまなくてもいいじゃない。
あいつはそう簡単に姉さんを残して死ぬような男じゃないわよ。
だったら、姉さんの元に帰ってくるまで、待っててあげましょう?」
「・・・・・・・」
「ん?別にお礼なんていいわよ。私たちは姉妹じゃない。
これくらいは、姉さんの妹として当然の事よ。
ね?マルチもそう思うでしょ?」
「は、はいっ!」
「だから、ね・・・?」

3人と1台はその静かな空間の中で
そのまま1時間は沈黙の中ですごしたと言う。


んでもって、あれから2週間が経った。
オレは自分がかつて住んでいた、街の歩道を歩いていた。
紹介された整形外科で顔と声帯の手術も終わらせ、戸籍の書き換えも終わった。
顔の細部を変更し、声帯の幅を少し縮めて、声のトーンをちょい高めにした。
戸籍も新たに「天現寺光一」と言う姓名に変わった。
前の「藤田浩之」と言う戸籍は、来栖川家に居候していると言う事になっている。
これでオレは、今まで会ってきた皆を、知らない事にしなければならない。
先輩の関係者は別として、オレが今まで会ってきたメンツを忘れなければならない。
中学からの幼なじみだった志保、委員長だった智子、超能力使いの琴音ちゃん、
ずっとバイトで苦労していた理緒ちゃん、エクストリームで頑張っている葵ちゃん、
生みの親であるオレの両親に、幼稚園からの幼なじみの雅史とあかり。
オレが再びオレに戻るその日まで、オレは忘れる。楽しかった高校時代を忘れる。
かつての自分を忘れる。今の新しい自分を生きて行く。
昔を思い出す事は、多分、マルチか先輩と一緒にいる時だけだろう。

オレは無意識のうちに、前に住んでいた家の近くにある公園に来ていた。
新しいオレが今立っている場所。
それは昔のオレが幼き日に、今は覚えていない女の子と一緒に
お願いの小瓶を埋めた木の前だった。
オレはその木に手を触れると、
「オレの存在が留守の間、思い出の瓶の見張り番を頼むぜ」
と囁き、木から離れて公園を後にした。

やがて退院前に連絡された場所、昔通っていた高校の前にたどり着いた。
確か今日は日曜日で、中間試験前だから人はいないみたいだ。
そこには、前のオレが2週間前に見た、黒色に近い深緑の塗装のボディを持つ車。
そう、マルチだ。
昔と今のオレの両方を知る、数少ないパートナー。
オレはマルチのドアノブに手を掛け、ゆっくりとドアを開けた。
このドアは、指紋と末端神経から伝わる特殊な電気信号を感知して、
触れた人間がマスターであるかどうかを判断するらしい。
なんたって、運転できるのはオレだけなんだからな。
オレは来栖川の科学力を再度思い知ると、マルチの中に乗り込んだ。
こいつはキーの類は必要無いらしく、
操縦者なしでも自分一人で動く事が出来るそうだ。
オレは、色々なところから助力を貰って、今生きている。
それを無駄にしないためにも、絶対にあの連中を潰すつもりだ。
オレは意を決すると、まずはマルチに声を掛ける事にした。
「待たせたな。行くとするか、マルチ」
「はい、わかりました。浩之さん」
オレはMT式のギアをローに切り替えると、ゆっくりアクセルを踏み出した。

もしかしたら、全てはあの時から始まっていたのかも知れないな。
オレは運転しているマルチの中でそう思った。
マルチが俺の家に、短い間のメイドロボとしてやってきたあの時から。
どこからともなく聞こえてくるマルチの声に従って、
オレはマルチの性能に慣れることを始めた。
マルチはマルチで、これはナビゲーションの訓練になる。
早く慣れないとな・・・と思っていたオレは、
マルチの言う通りにハンドルを切った。
しかし、目の前に立ち塞がっていたのは大きな壁の行き止まり。
「・・・・・お〜い?」
「はぅぅぅっ、すみませぇ〜〜ん!浩之さ〜ん!!」
どうやらオレの新しい人生は、当分苦労が付きまといそうだな。
ヤレヤレ。

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とりあえず予定時刻よりだいぶ過ぎましたが、
やっとこさ序章の後編をお送りできるようになりました川村飛翔です(−−;)
無闇に長くてすみません(TT)

HDDがクラッシュこいてクリアデータがかっとんで
やる気がナノレベルまで落ち込んだ・・・・
もうこれを書いてる時も午前3時まで掛かっちゃって・・・
気がついたらヤケクソに長かった・・(涙)
作品をご覧になれば、元ネタが何なのか御分かりになったでしょう
ちなみに本物の正式名称は

Night Industory Two Thousand = KITT

です。
知ってる方は何人いらっしゃるでしょうか(笑)?
とりあえずうろ覚えのレスです(汗

>>久々野彰さん
>潤子さんの声で当てないでください
私はどうも綾香に岩ちゃんの声を当てるのは嫌です(汗
個人的にはやっぱ水谷優子さんのが似合ってると思うんですけど(笑)
あの凛とした声でLF97の綾香をやってもらえたら・・(爆)

前に感想などを書いてくださった方、ありがとうございます
感想などを返したいのですが、ログはすでに過去のかなたに行ってました(TT;)

http://kobe.cool.ne.jp/khrj/