ちいさな兵隊さん 後編  投稿者:くのひち・トム


「――到着いたしました。芹香お嬢様、雛山様」
 動く応接間…としかわたしは形容できないようなリムジンが、来栖川家の車寄せに止
まった。わたしは今、このリムジンで学校への送り迎えをしてもらっている。
『そんな、困ります。わたし、大丈夫です。歩くの馴れてますから』
『滅相もございません。家来が殿をお連れするのは、至極当然のことでございます』
『わたし、女の子です!』
『はーはっはっはっはっは、このセバスチャンにお任せください!』
 と、うやむやのうちにこんなことになってしまった。朝は、家の近くまで迎えに来て
くれて、放課後はこうして来栖川のお屋敷――というのが違和感のない邸宅――に送っ
てもらっている。足の捻挫が直るまで、ここでメイドのバイトをするためだ。
 メイドのバイトといっても、実際にメイド修行をするわけでもなく内容としては芹香
先輩の『お相手』をすることだった。実に割の良いバイトだったけど、いままで身体を
動かすようなバイトばかりしていたわたしは、最初混乱した。

 行き帰りの車の中、そして家の帰ってからのお茶会……芹香先輩が自分から話し掛け
てくることは滅多になかった。それどころか、ぼーと何処か遠くを見ていたりして、わ
たしが邪魔なのかと最初は思っていた。後で、これは誤解であることが判明した。
 わたしは、自分のまわりのとりとめのないことを話す。街で数少ない銀杏(いちょう)
の雌の木が銀杏(ぎんなん)を付けはじめたこと。独特の匂いのする雌の木は、あまり街
路樹に使われないので雛山家は困っていること。うかれ気分で買い物から帰ると、犬に
追いかけられたこと。でも、玉子はちゃんと庇ったこと。…など。

 芹香先輩は、わたしが話をしている間ずっと、顔をこちらに向けてじっと見つめてい
る。特に、相づちを打ったりはしない。
 先輩がそういう仕草をするときは、何かを待っているか、興味があるかのどちらかだ。
 逆に照れているとき、それほど興味のないときは、顔を前に向けたまま横目でわたし
を見ることが近頃わかってきた。
 では、似たような仕草の場合どのように判断するかというと、それは目の開き方と瞬
きの回数によって推測できた。
 眠たいときや悲しいときには、瞼がいつもより下がる。ただ、眠い場合は瞬きの回数
が多くなるので、それで判断できた。ただ、気分がいいときも同じような感じになるけ
れど、そのときは焦点を定めていないことが多い。
 セバスチャンさんは、芹香先輩の目の表情は一つとして同じものがないが、だいたい
十二パターン程に分けられると言っていたけれど、結局わたしにはそこまでの見分けは
つかなかった。

 初めは退屈かと思われていた芹香先輩と過ごす時間は、わたしにとって探求と発見を
もたらすかけがえのないものになっていた。それに先輩は、驚くほどものをよく知って
いた。今日も帰りのリムジンの中で、
「この曲なんていうものなんですか?」
 車内には、情熱的だけなピアノの演奏が流れていた。
「…………」
「へえ、ショパンの…エチュード作品25第11番……木枯らしのエチュードですかぁ」
 こちらを向いて、聞こえるか聞こえないかの声で話す芹香先輩のことばを繰り返す。
ちなみにわたしには、ショパンがパンの種類でないことくらいしかわからない。
「…………」
「ジョーゼフ・レヴィン夫妻? 今から60年以上も前の録音なんですかぁ〜 芹香先
輩って物知りなんですね!」
 先輩は前に向き直り、チラチラとわたしへ視線を送ってくる。
 照れてる、照れてる。

 だいたいこんな感じだった。それから、先輩がいつもぼーとしているのはエネルギー
を浪費しないためなのだそうだ。魔術師にとって、今わたしがしているような心の中で
のお喋り――正確には内的対話というらしい――を止めるのも立派な修行であるという
ことだ。


「セバスチャンさん、何か手伝うことありませんか?」
 芹香先輩は、毎日いろいろな習い事で結構忙しい。つまり、その間はわたしの自由時
間ということになっていた。といっても、お金をもらっているのに遊んでいるのは気が
引けるのでいつも何か簡単な作業をやらせてもらっていた。
「――これは、隊長殿、このような場所においで頂きありがとうございます!」
「…えと……うむ、ご苦労である!」
 車を掃除していたセバスチャンさんは、敬礼してわたしを出迎えた。二人きりのとき
はこうしてふざけるのが通例となっていた。初めは面食らったけど…。まさか、一見堅
物であるかのようなこのおじいさんが、こんなにも御茶目な人だとは想像しろという方
が無理な注文よね。

「それでは、芋掘りにでも参りませんかな?」
「芋って、この近くに畑があるんですか?」
「いえ、旦那様に御貸し頂いた個人的な畑にございます」
 そう言って、セバスチャンさんは目をキラキラさせた。まるで、少年のような熱気が
そこにあった。

「うーん、しょっと」
 わたしが連れていかれたのは、お世辞にも広いとは言えないサツマイモ畑だった。で
も、手入れの行き届いた畑であることがまわりとは明らかに違う土の色からも見て取れ
た。
「ふむ、こんなもんですかな」
 十数本程のサツマイモを抱え、セバスチャンさんは満足そうに頷いた。
「隊長! 提案があります!」
 サツマイモを持った手で不格好に敬礼しながら、セバスチャンさんが言った。
「何か? セバスチャン軍曹」
「自分は、この芋を焼き芋にして食したいであります!」
「よし、許可する!」
「ありがとうございます!」

 わたし達は早速準備にかかる。枯れ葉は既に木の根元などに集められていたので、す
ぐに調達できた。小枝は焼却炉に束ねてあったものを拝借した。
「わあ、すごい煙」
「ふむ、芋を入れるタイミングが重要ですな」
 ぱちっ、ぱちっ、と音を立て、炎が立ち上がる。
 揺らめく炎を見ているうち、自然とわたし達は無口になっていた。
 突然、風向きが変わった。煙がわたしの方にやってきて、むせる。
「けほっ、けほっ…」
 急いで場所を変える。そうしたら、どういうわけか煙がわたしの後をついてきた。
 するとセバスチャンさんが、わたしをぐっと自分の隣に引き寄せた。
 二人して地面に座ると、煙はもうついてこなかった。

 頃合いを見計らって、サツマイモを数本をたき火の中にくべた。
「子供のときを、思い出しますな…」
 セバスチャンさんが、呟くように話始めた。
「雛山様、ワタクシは人に説教をするほど立派な人間ではございませんが、この年にな
って思うことがあります」
「はい」
 曖昧に頷く。
「何事も少し足りないくらいが、一番いいと思うのです。お金も頭も愛情も…」
「はい」
「足りないところを自分で補った分が、その人の財産ではないかと思います」
「そう…ですね」
「では、最初から何もかも持っている人はどうすればよいのですかなぁ…」
「…………」
 寂しい笑顔でそう呟くセバスチャンさんに、わたしは曖昧な笑顔で答えることしかで
きなかった。
「……つまらぬ話をしてしまいましたな、失礼致しました」
 そのとき、こちらへ歩いてくる人影を見つけた。芹香先輩だった。白いニットのセー
ターに薔薇の刺繍の入ったタイトスカート、肩にショールをかけている。
 作業着姿のわたし達とは、まるで違う世界にいるようないでたちだ。
「芹香お嬢様いかがなされましたか?」
「芹香先輩、おいもいっしょにいかがですか?」
 かすかに肯定の意を示すように頷きながら、芹香先輩はセバスチャンさんの横まで来
て、そっと服の裾をつかんだ。

「あっ…」
 そのときの芹香先輩の表情をわたしは一生忘れないだろう。
 それはわたしが見たなかで、一番の『先輩の笑顔』だったから。


 二日後の土曜日、わたしの為のささやかな送別会兼お茶会が開かれた。
 メンバーは、芹香先輩とセバスチャンさん、いつものお茶会のを一緒にしているセリ
オさん、そして、芹香先輩とわたしの共通の友人である――とつい最近知った――保科
智子さんである。
 中庭が見渡せるガラス張りの部屋で、円卓を囲んでわたし達は座っている。ただし、
セバスチャンさんだけは女の子と一緒にいるのが気恥ずかしいのか、一人立って給仕を
こなしていた。
「先輩、友達増えてよかったやないの!」
 バンバンッ。
 保科さんが、勢いよく芹香先輩の背中を叩く。
「ああっ! 先輩が壊れちゃいますってば、保科さん!」
 …あっ、でも芹香先輩嬉しそうだ。

 横を見るとセリオさんと目が合った。
 表情からは何も読み取れない。わたしは一計を案じ、レモンティに入っていた輪切り
のレモンを口に含むと、ニッと口だけで笑ってみせた。

「…………」

 セリオさんはテーブルに向かいティッシュを2、3枚手に取ると、丁寧に折り畳みわ
たしの前に差し出した。
 ……ぺろっ。
 わたしがそこへレモンを吐き出すと、彼女は何事もなかったようにティッシュを仕舞
った。至極、ソツのない行動。やはり、彼女は動揺とは無縁の存在であるらしい。
「んっ!?」
 わたしの前に、広げられたティッシュと神戸から取り寄せたという一口チョコレート
が置いてあった。特になんの疑問もなく、チョコレートを口に運ぶ。食べられる前に食
べろ! …それが、雛山家の流儀であるし。

「あま〜い!!」
「やはり…」

 声のした方を振り向くと、セリオさんがわたしを見ていた。いえ、観察していた。


 そんな感じで、送別会兼お茶会は過ぎていった。結局、その間一度もセバスチャンさ
んと話すことはできなかった。芹香先輩の前で、セバスチャンさんと話すことがどうし
てもできなかった。
 そう、正直に言うと、わたしはセバスチャンさんに自分の理想の父親像を重ねていた
のだ。もしかしたら、それがわたしの心の原風景なのかも。今になって考えると、藤田
君にも同じようなことを感じていたような気もする。

 でも。
 あの…芹香先輩の笑顔を見たわたしには、どうしても確かめなけらばならないことが
あった。


 リムジンが家の近くに止まると、わたし達は少し肌寒い外へと降り立った。
「えと、短い間でしたけど、お世話になりました」
 わたしは軽くお辞儀をした。
「いえ、元はと言えばワタクシが招いたこと、ご迷惑の数々何卒御容赦くださいませ」
 セバスチャンさんも頭を下げる。
「…………」
 また、遊びにいらしてください。と、芹香先輩。

「……」
「……」
「……」
 沈黙が重い。
 でも、わたしには言わなければならないことがある。
 神様、そうか勇気を。

「セバスチャン軍曹、本時点をもって雛山理緒の保護に関する任務を解除する!」
 敬礼し、突然声を張り上げたわたしに呆然とする二人。いえ、芹香先輩はいつもと変
わらないようだった。
「……はい! ありがとうございます!」
 セバスチャンさんも敬礼し、そう答えた。
「最後に一つだけ訊ねないことがある!」
「はい! なんでありましょうか?」

「軍曹は、雛山理緒と来栖川芹香のどちらが好きか?」
「――! 自分は来栖川芹香嬢が好きであります!」

「よろしい、以上だ」
「ありがとうございます!」

 即答だった。
 わたしの二度めの初恋は、その瞬間に終わったのだった。






 そして冬がきた。