バトルッチ・ノアル・フウケイ 2/2 投稿者:くのひち・トム
『風吹く刻』

 ……なぜでしょうか?
 なぜ、気持ちというあいまいな状態のときには、たくさん詰まっていたものが言葉に
した途端に零れ落ちてしまうのでしょうか? あいまいなものはこの世界に存在しては
いけないのですか? わかりません。
 わたしは、言葉になる前の気持ちが好きです。そんな『気持ち』たちを、伝えるには
どうしたらいいのでしょうか。
 流れていく町並みを眺めながら、そんなことを考えていました。
「お嬢様、本屋に到着いたしました」
 こく。感謝と信頼をこめて頷きます。
 本屋へ足を踏み込むと、お気に入りの古本たちが出迎えてくれます。鼻孔をくすぐる
カビの臭いも歓迎の挨拶のような感じがしませんか?そっと手をかざしてみると、本た
ちが持ち主だった方たちの気持ちをその中に貯えているのが感じられます。今日、読ま
せていただける本は誰なのでしょうか?
 あれ? いないのですか?
 ビリビリビリ……そのとき古本屋の窓が震えました。風がなにかを探しているようで
す。
 ひゅーひゅー。どうやらわたしを呼んでいるようです。風はわたしを傷つけないかの
ようにやさしくまわりを踊っているみたいでした。
 風の後をついていくと、あるところでつむじ風となり、その少し粘り気のある風は消
えました。
「…………」
 箱が落ちています。
 呼んでいたのは、この方でしょうか?
 手に取ると、その箱が思いに溢れていることが感じられました。
『これできっと良太も喜んでくれる』
『ああ、はやく良太の喜ぶ顔が見てみたいな』
『そしたら、わたし、もっと頑張れるよ。オカーチャン』
 じっと見つめ、その幾層にもわたる思いを眺め続けました。人の心はどうしてこんな
にも深いのでしょうか?
「お嬢さまああああぁぁぁ、探しましたぞおおおぉぉぉ!!」
 セバスチャンがわたしが突然消えたかのように、あわてて駆けてきました。ほんの少
ししか離れていないのに。
「ささささ、お嬢様、お車の方へどうぞ」
 車に乗り、風の声が聞こえなくなったところで、セバスチャンに相談してみます。
「…………」
「はっ? りょうたという子供を探してほしいですと!? しかし、名前だけでは…」
「…………」
「わかりました。このセバスチャン、命に代えても探し出してみましょうぞ!」
 でも、あまり無理をせずに、お身体をいたわってください。
「おぉぉぉぉぉ、この私の身を案じてくださるとは、セバスチャン感激にございます。
……ところで、お嬢様、お手伝いするかわりに条件がございます」
 はい?
「お嬢様もどうかご自愛なされるよう、約束してくださいませ」
 こく。
「では、お屋敷に帰り次第任務遂行にあたります」

 そして、次の日。
 車一台通れる程の道に面した小さな空き地に、その子はいました。一人でした。
「…………」
 ご機嫌いかがですか?
「ネーチャン、だれだ?」
 わたしは風です。
「なんかようか?」
 プレゼントを持ってきました。
「プレゼント?」
 箱を良太さんに差し出します。風よ、気持ちを届けてください。
「カゼのネーチャンのプレゼントか?」
 いえ、あなたのお姉さんからのプレゼントです。
「りおネーチャンからか?」
 はい、そうです。
 自分の姉からだと聞かされ、手で受け取る良太さん。その瞬間、微かな輝きが箱から
良太さんへと流れていくのが見えました。物は、人の心を受け継ぐモノ。言葉に比べれ
ばなんと不安定なのでしょう? その思いは。
 でも、確かに届きました。風を伝って。ありがとう、風さん。
「…………」
「…………」
「やっぱりかえすぞ。しらない人にものをもらうと、ネーチャンにおこられる」
 でも、これは良太さんの物です。
「じゃ、やる」
「……?」
「カゼのネーチャンにやる!」
 そう言って、良太さんは走り去っていきました。一陣の風が、東の方へ吹き抜けてい
きます。もしかすると、良太さんは風の子だったのでしょうか?

 その次の日。
 休み時間、中庭で太陽の光を身体に貯めこんでいると、目の前に女の人が現れました。
「あの…来栖川先輩ですよね。うちは2年の保科智子といいます」
「…………」
 こんにちは、保科さん。
「ん、ああ…こんにちは、来栖川先輩。……ってちゃう。単刀直入に訊きますけど、先
輩、一昨日バトルッチを拾いませんでしたか?」
 バトルッチ?
「…ああ、バトルッチって、ほら最近小学生の間で流行っとる…ほらこれぐらいの――」
 これのことですか?
「そうや、これ! これや! 先輩これずっと持っとったんです?」
 良太さんに届けました。
「届けたって? まだ、あるやないですか? それに良太って誰なんです?」
 はい、届けたのですが、それをまた良太さんからいただきました。
「あーなんやもう、わけ判りませんわ。悪いけど先輩、これ失くして困ってる子がいる。
そないな訳で、これ持っていっていいですか?」
 こくこく。
「ほな、うち急ぐんで! おおきに!」
 よかったです。持ってきておいて。あの箱に、新しい思いが入るのでしょうか? や
さしい、人を大切にする思いが。きっとそうなるとなんだか思えます。

 そして放課後。
 セバスチャンが迎えにくるまでの時間、中庭で本を読んでいました。
「あのぅ…来栖川先輩。先程は申し訳ありませんでしたぁ」
 こんにちは、保科さん。
「ああ、こんにちは、先輩。これ、お返ししますわ」
 そう言って、保科さんは先程差し上げた箱を渡そうとします。
 これは、保科さんに差し上げたものですよ。
「いや、先輩、うちそんなつもりじゃ……ところで、先輩知ってたんです? 藤田くん
がその…バトルッチを……いや、うちも迂闊だったんやけど…隣の席なんに……」
 困りました。保科さんが何を言っているのかわからないです。
「もう何でもええ、とにかくこれは先輩に返します。せやないと、うちがなんかアホみ
たいやん」
 よくわかりませんが、保科さんはなにか悲しいことがあったようです。
 なでなでなでなで…
「――って、来栖川先輩!? なんでうちの頭を撫でるんです?」
 元気になりましたか?
 なでなでなでなでなでなで…
 なでなでなでなでなでなで…
 なでなでなでなでなでなで…
「…………」
 まだ、悲しいですか?
「ううん、もう大丈夫やわ。ありがとう、先輩」
 そう言って、にっこりと保科さんは笑いました。とても綺麗な笑顔だと思いました。
保科さんはきっと、とても思いやりのある方なのでしょう。なぜって、とても澄んだ目
をしていますから。
「先輩は、いつもここにいるんです? 今日は土曜やから帰ると思いますが、いつも昼
食ここで食べてるんです?」
 こく。
「一人で……ですか?」
 こくこく。
「うちは、いつも屋上で……その…やっぱ…一人なんやけど、今度から一緒にお昼食べ
てもいいですか?」
 こくこくこく。
「ありがとう」
 ふるふる。
 わたしも、嬉しいです。
 その日は、セバスチャンが迎えにくるまでずっと保科さんとお話していました。


「芹香さま、これはたぶんバトルッチという名称の携帯型ゲーム機と思われます」
 どのように使うのですか? セリオさん。
「はい、それではご説明いたします……」

 おじいさま、バトルッチはどうやらお友達をつくる機械のようです。

 * * *

 物は心を伝えていく。たとえ、誰もそのことに気付いていなくても。
 まっすぐな心を姉から弟へ。
 思いやりをおせっかい焼きから少女へ。
 やすらぎを先輩から後輩へと。
 そして…人からメイドロボにも。
                                     (了)