投稿者:くのひち・トム
 それはそれは、静かなお話です。
 玄関を抜けるとずっとずっと続く、ジュータンの海。
 見上げるとおぼろげな明かりを宿す、シャンデリアの隊列。
 そのずっと先へ進んでいって、暖炉のある部屋を見つけてください。
 それが、来栖川のお屋敷の居間なのです。

 高い天井、こぢんまりとした家具の配置、少し明るめの電灯。欧米のお客様の多い来
栖川家は、お部屋の照明が比較的押さえ気味なのですが、このお部屋は例外でした。
 お部屋の中、芹香さんは落ち着いた色調のソファに座り本を読んでいます。今日は芹
香さんのほかにも、居間に佇む人影があるようですよ。
「…………」
 テーブルを挟んで向かい合うソファに座っているその方は、ピンと背筋を伸ばし礼儀
正しく座っています。

「芹香お嬢さま、本日の紅茶はいかがなされますか?」
 控えめなノックの後、メイドがお部屋に入ってきて訊ねました。
「…………」
「かしこまりました」

 カチャ……カチャ……。
 しばらくして、二つのティーカップがテーブルに乗せられました。
 芹香さんはテーブルの上に乗せてあったしおりを読みかけの本に挿み、自分の鞄にし
まいました。……でも、それをもう一度鞄から取り出し、ソファの上に置き直します。
「…………」
 本の背表紙がソファの縁と垂直になるように、芹香さんは調整しました。
「…………」
 じっとその本を焦点を合わさずに眺めていた芹香さんでしたが、前触れもなく立ち上
がるとテーブルの縁を廻り、向かいのソファに座り直しました。
 すっ、と紅茶を差し出す芹香さん。
「…………」
「…申し訳ございません、芹香さま。わたしには飲食をする機能がついておりませんの
で」
「…………」
「はい、では気分だけいただくことに致します」
「…………」
「そうですね…砂糖は抜きで、ミルクはたっぷりお願いします」
 とぽとぽとぽとぽとぽとぽ…
 芹香さんは、たっぷりとミルクを注ぎました。

 たまにカップとソーサーが触れ合う音がするだけの時間が過ぎていきます。思い出し
たように、ティーカップに口に付ける二人。
 ふいに、芹香さんが隣の方に顔を向けました。
「……………ともだちに……」
「友達……ですか? わたしは人間の方に奉仕するためにつくられましたので、ご期待
には添えないかと思いますが…」
 その方は、『不思議に思う――質問の意図を計りかねる』ということを示すために、
小首を傾げました。つられて、芹香さんも小首を傾げます。
「「…………」」
 いく秒か、いく分かの、沈黙。

 トン、トン。
「芹香お嬢さま。ピアノの先生がいらっしゃいました」
 メイドの声に少し遅れて立ち上がり、ソファの上の本を鞄にしまい、芹香さんは居間
を後にしました。

 その日の夕食は、久しぶりに芹香さんのご両親がお屋敷に戻られたので、綾香さんも
含め家族四人でレストランでの食事となりました。

「綾香、またエクステントなんとかで優勝したそうじゃないか」
 食事を終えたお父さまが話し掛けます。
「あら、エクセレントですわよ。ねぇ、綾香」
 とお母さま。
「違います。エクストリームです、お父さま、お母さま」
 テーブルの上で指を組みながら、綾香さん。

 はむはむはむはむ…
 芹香さんは、まだお食事中です。

「ふむ、綾香も、もう少し淑やかさが身に付くといいな。芹香のように」
 少し大げさな手振りを交えつつ、お父さま。
「そうねえ…」
 お母さまの軽い援護。
「そんな…同じような人間ばかりじゃつまらないでしょう。自分らしく、が一番よ。…
ねっ、姉さん」

「…………」
 ごちそうさまでした。

「ね、姉さん…?」
「ははは、芹香は礼儀正しいな」
「おほほほ」
 みんなが芹香さんに微笑みかけます。

「…………」

 翌日。
 今日は土曜日で、授業は半日しかありません。
 キーンコーン…
 終業のチャイムが鳴ると、教室は途端に騒がしくなりました。
『ねぇねぇ、今日どこ寄ってく?』
『あっ、ワルイ、あたし掃除当番なんだ』
『えっ、じゃあ、ヤックで待ってるよ』
『わかった、じゃね』
 生徒たちの楽しげな会話が聞こえてきます。

 五分…一○分…やがて、教室に静寂が戻ってくると芹香さんは立ち上がりました。
「あっ、来栖川さん、さようなら」
 教室の中でおそらく誰かを待っているであろう生徒が、芹香さんに笑顔で挨拶します。

「…………」
 さようなら。

 芹香さんはコクンと頷きました。

 その後、セバスチャンに送られお屋敷に戻った芹香さんを、メイドたちが迎えます。
「おかえりなさいませ、芹香お嬢さま」
 メイドたちは、にこやかに挨拶をします。

「…………」
 ただいま帰りました。

 昼食を摂り、芹香さんは温室へとやってきました。芹香さんは、お気に入りの場所で
しゃがみ込みます。
 大きなワカメを思わせるサボテン。月明かりに照らされて咲く、その白い花はなんと
も美しく、また爽やかな甘い香りを放つそうです。
 …………。
「あら、姉さん、やっぱりここだったのね」
「…………」
「んっ!? どうかしたの?」
 ポンッ、と綾香さんが肩に手を添えると、芹香さんはしゃがんだ姿勢のまま横に倒れ
ました。
 コテッ。
「…………」
 困った表情の芹香さん。
「ちょ、ちょっと姉さん、少しぐらい抵抗しなさいよぅ」
 綾香さんは急いで芹香さんを起こすと、服や髪の毛についた土を払いました。
「…………」
「…えっ? 足が痺れたですって? もう……姉さんったら」
 しばらく、二人とも静止。そっと髪を撫でる妹に、目をつぶって身を預ける姉の姿が
そこにありました。
「暖炉の居間にお茶の用意ができてるそうよ。あっ…そうそう、セリオのことよろしく
ね、姉さん」
 そう言い残し、綾香さんは去っていきました。芹香さんは、ぎこちないしぐさで立ち
上がるとお部屋へ向かいました。

 カチャ……カチャ……。
「…………」
「…………」
 静かな時間が流れていきます。
 穏やかな時間が流れていきます。
 少しだけ減っているレモンの輪切りを入れた紅茶と、まったく減っていないミルクを
たっぷり入れた紅茶が空中とテーブルの上を行き来しています。
 そこには笑顔がありません。
 そこには会話らしい会話がありません。

 …でも、そこには、やすらぎがありました。

「あの…芹香さま」
「…………」
「友達になるには、どのようなことをすればよろしいのでしょうか?」
 と訊ねるセリオさんに、小首を傾げてみせる芹香さんでした。
                                                                           fin
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Appendix『それって傘の種類…よ・ね?(微笑)』

「あっ、楓お姉ちゃん!」
「初音…傘忘れたの?」
「う、うん、持ってったんだけど…さっき会ったおばあさんに渡しちゃった」
「そうなんだ…じゃあ、一緒に帰ろうよ」
「うん」

「雨ばっかりで、なんか気が滅入っちゃうね」
「そう? 私は結構好きだけど…雨」
「ふうん、そうなんだ。どんなところが好き?」
「…ねえ、初音。こんな歌知ってる?」

 雨 雨 降れ 降れ
 姉さんが 蛇の目 でお迎えウレシイナ…

 ZIP!(ずぃっぷ!) ZIP!(ずぃっぷ!)
 ZAP!(ざっぷ!)  ZAP!(ざっぷ!)

 乱(らん) 濫(らん) 嵐(らん)

「どう? おもしろい?」
「……ちょっと」