セバスの恩返し 投稿者:ギャラ
「藤田様は風呂に入っておられるようですな」
 わたくしは双眼鏡を覗きながら、お嬢様に報告いたしました。
「……」
「はい。仲良くしておられるようでございます」
 わたくしがそう申し上げますと、お嬢様は安堵なさったように一つ頷かれました。お嬢様は、
ご学友である藤田様と、同じくご学友であるマルチ様の最後の逢瀬をご心配なさって、この夜中に
このような場所にまでいらっしゃったのです。
 なんとお優しいことでございましょうか!
 わたくしは、感動のあまりこぼれそうになる涙をそっと拭いました。
 ……と、その時でございます!
「……!」
「ぬうっ! マルチ様!?」
 双眼鏡の中で、マルチ様が転倒なさいました。
 そればかりか、うまく立ち上がれないようでございます!
「……!」
「はっ! 分かっております、お嬢様!」
 わたくしは咄嗟にリムジンから飛び出すと、そのまま藤田様のお屋敷へと突進いたしました。
「セバスチャン・ロケットキーック!」
 どばきっ!
 わたくしの進路を阻む不埒な扉は排除いたしました。
 このセバスチャンの燃える忠誠心の前に、このような扉など紙切れにひとしゅうございます。
 わたくしはそのままお屋敷に駆け込みました。
「マルチ様っ!」
「あ、セバスチャンさん〜。どうしたんで……あううっ」
 マルチ様は身を起こそうとなさいましたが、脚を庇われるようにしてまた地に伏せられました。
マルチ様には異常を感知するための痛覚が備わっているとうかがいましたが……
「……」
「は? 脚の駆動装置が故障しているようですと?」
 こくり。
 お嬢様が頷かれました。
 わたくしは機械のことはよく存じませんが、お嬢様がそうおっしゃるのでしたらそうなので
ございましょう。
「はわわっ、わたし、故障しちゃったんですか〜?」
「……」
「修理しないといけないって……駄目です! わたし、浩之さんにご恩返ししないと……」
「……」
「あうぅ、でも……」
「……」
「でも、それだと浩之さんに……」
 どうやらお嬢様がマルチ様を説得なさっているようですが、マルチ様はなかなか納得なさら
ないようです。
 ですが、わたくしが見ましても、これ以上マルチ様を放っておくのは問題があるようです。
 ならば……
 その時、わたくしの脳裏に天啓のように一つの案が浮かびました。
「お嬢様、マルチ様! わたくしに妙案がございます!」



 十分ほどが経過いたしました。
 わたくしの準備は万端でございます。
「ふ〜っ。いい湯だった」
「藤田様! 洗濯機を回しておきましたぞ!」
 ……ぴきっ。
 藤田様が凍りつくのが分かりました。
「……」
「……」
「……おい」
「はっ」
「……何をやっとるんだ、じじいぃぃぃぃぃぃぃぃっ!?」
 ぬうあっ!
 まさか、わたくしの完璧な変装がこうも容易く見破られるとはっ!?
 ですが、わたくしもここで引き下がるわけには参りません!
 わたくしは、マルチ様が応急修理を終えて戻られるまで、マルチ様の代役を務めねばならない
のでございます!
「わたくしはマルチでございますっ!」
 わたくしは緑の髪(カツラでございますが)を振り乱して抗議いたしました。
「この髪! 耳カバー! 制服! どこをとってもマルチではございませんか!」
「そんな馬鹿デカいマルチがいるかあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!! 制服が弾けそうじゃ
 ねーか!!」
「ぬうっ!」
 それは盲点でございました!
 ……ならば、ここは演技でごまかさねばっ!
「うおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉん!!!」
「うわっ!……い、いきなり絶叫するんじゃねえよ!」
「マルチは泣き虫でございますから、そのようなことをおっしゃられると悲しゅうございます!
 うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉん!!!」
 わたくしは涙を流しながら男泣きに哭きました。
 我ながら完璧な演技でございます。
 これならば、例え藤田様と言えど……
「いい加減にしやがれ、じじい!」
 ぬうっ! これでもまだ疑われるとはっ!
 なんと猜疑心の強い方でございましょうか。
 ですが、マルチ様のため、ひいてはお嬢様のためにもわたくしに敗北は許されませぬ!
「はうあああああああああああああああああっ!!」
 わたくしは高々と跳躍し、三回転半ひねりを加えつつ落下いたしました。
 どしんっ!
「マルチはドジでございますから、何もない所でも転びましてございますっ!!」
 …………
 おや?
 わたくしが身を起こしてみますと、藤田様はわたくしの下で白目を向いておいででした。
 おそらく、マルチを受け止めようとなさったのでございましょう。お優しいことで
ございます。
 ……ということは、わたくしをマルチと信用なさったと考えてようございますな!
「お嬢様! セバスはやりましたぞ!」
 わたくしは一人、快哉を叫んだのでございました。
 ……何やら藤田様が痙攣しておられるような気もいたしますが、おそらく気のせいで
ございますな。



「う、う〜ん……」
 オレ――藤田浩之――はゆっくりと布団から身体を起こした。
 ……なんか、すげー悪い夢を見てたような気がする……
「藤田様! お目覚めでございますか!」
 ……夢じゃねーよ……
「だから、なんでお前がここにいるんだ、じじいぃぃぃぃぃぃっ!!!」
「マルチでございますっ!!!」
 はー、はー、はー。
 オレとセバスは二匹の野獣のように、殺気交じりの視線で睨みあった。
 ……こいつだ、こいつが諸悪の根元なんだ。
 ……コイツヲコロセバ、ラクニナレル……
 オレの中で殺気が膨らんでいくのが分かった。
 ……と、オレは妙なことに気がついた。
「おい、じじい……」
「マルチにございます」
「……なんで、お前は下着姿なんだ……?」
 しかも、スポーツブラにショーツ……
 なんつーか、見てるだけでオレの正気度が50点くらい減っていきそうな気分だ。
 すると、じじいはおぞましげに(本人としては恥ずかしげなつもりだろうが)身体をくねらせた。
「……マルチの人肌で暖めておりましたから……」
 ぽっ。
 ・
 ・
 ・
 ……そうだよな。
 こいつがマルチじゃいけない理由なんてないもんな。
 それを認めてしまえば、楽になれるもんな……
「マルチィィィィィィィィィィッ!」
 がばっ!
「ああっ! 何をなさいますか、藤田様!」
「やかましいっ! マルチシナリオならここはふきふきだろうが!」
「そんなっ! ぬおっ! そこは、だ、だめでございますっ!」
「おらおらおらっ!」
「ふ、ふあっ、ふおおおおおおぉぉぉぉぉぉっ!」



 それから数年後。
 オレは、大学に行かずに就職し、一応の成功を収めていた。
 そして、今日は……
 ピンポーン。
「ご主人様っ!」
 扉が開くのももどかしく、人影が飛び込んできた。
 それは、オレが心から愛する人……
「セバス……」
「……あ、会えた。……また、会えましたぞ……」
「セバス!」
「ふ、藤田様ぁぁぁぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!」
 がしっ!
 オレたちは強く抱きあった。
「セバス、俺、正式にお前の雇い主になったんだぜ? お前のご主人様に……」
「はいっ! ご主人様は、わたくしのご主人様にございますっ!」
 俺は、泣きじゃくるセバスをしっかりと抱きしめた。
 きっと、これから先、色々な問題があるだろう。
 世間からは理解されないであろう愛。
 だけど、オレにはセバスがいる。
 だから、オレは、オレたちは……世間なんかに負けはしない。
 オレは、セバスの重みを腕に感じながら、心にそう決意した。
 そして、流れてくる『あたらしい予感』……



                Happy End……?