リーフ童話・人魚姫 投稿者: 仮面慎太郎
  
  「リーフ童話・人魚姫」


 「綾香ちゃん・・・あなたも、もう15歳。これで立派なレディの仲間入り
  です」
 「はい・・・お母様」
 珊瑚や苔で装飾された玉座の前に二人の女性が対峙していた。
 「今日からあなたは、海の上に出る事を許されます。しかし、人間にだけは
  近づいてはなりません。いいですか」
 「はい、お母様」
 「よろしい、では下がりなさい」
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 「おや? 綾香姫、早速上に行かれるんですか?」
 門番のタコのセバスは、嬉しそうに泳いで来るセリオに話し掛けた。
 「えぇ、だってやっと15歳になったのよ。早く<地上>を見てみたいの」
 年寄りのタコは嬉しそうに頷きながら、珊瑚の門を開けた。
 「あっ、綾香姫。人間にだけは近づいてはいけませんよ」
 綾香は遠くで手を振っている。たぶん聞こえただろう。そう思いながらも、
もう15になったのかと、年寄りの門番は昔の事を思い出していた。
 スイスイと、海面目指して綾香は泳いでいた。長くきれいなブロンド。美し  
い顔立ち。そして、うっとりするような繊細な声。どこに出しても恥ずかしく
ない、そんな娘が綾香でした。
 「よぅ、綾香姫、どうしてこんな上にいるんだい?」
 後ろを振り向くと、仲の良い鯛の好恵が付いて来ていました。
 「あら、私も今日で15歳よ。海の上にだって出られるんだから」
 自慢そうに、綾香は笑いながら言いました。
 「へー、城の中の真珠と言われた綾香姫がもう海の上の真珠になったかぁ」
 「ふふふ・・・ あ、見てみて、海面がキラキラ光ってる。綺麗・・・」
 うっとりとその場に止まって上を見上げている綾香。
 「はいはい・・・ ふふ。それじゃ、人間には気を付けるのよ。じゃねぇ」
 好恵は何処へともなく泳いで行きました。綾香は暫く海面を見上げていまし
たが、急に上へと泳ぎだしました。
  トプン
 「すごぉぉぉぉぉぉい、ここが海面なんだ」
 眩しい太陽。何もない水平線。同じ様で全てが違う波しぶき。青い空。白い
雲。本でしか見た事の無い鳥達。全てが綾香にとって初めての事でした。
 「このまま、ずっとここにいたいなぁ」
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 「どうでした、綾香様。海の上の感想は」
 門番のセバスは、嬉しそうに帰って来た綾香に聞きました。
 「セバス、凄いの。だってね・・・」
 綾香の話しを本当に嬉しそうに聞きながら、セバスは昔話しを始めた。
 「綾香姫のお母様のあかり様も15歳になった時、それはそれはお喜びにな
  られて、その日は帰ってこなかったんですよ」
 「えぇっ!」
 あの厳格なお母様が・・・ とても信じられない、思って、綾香は大声を出した。
 「そして、次の日帰って来られたら、とても怒られましてね。あの時は大変
  でしたよ」
 しみじみと思い出しながらセバスは一人で何度も頷いていた。
 「そうなんだ・・・ あっ、もうそろそろ行かなくちゃ。じゃね、セバス」
 そう言うと、綾香は凄いスピードで城の中へと戻って行った。
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 次の日。
 また昨日と同じ様に、一日海面で過ごしていた綾香は、日も暮れてさぁ帰ろう
と思った時一隻の大きな船を見つけました。
 「まぁ、あれが船なのね。大きいわ・・・」
 暫く追いかけていると、空の様子がおかしい事に気付きました。雲が黒く、
大きいのです。風も強くなってきました。嵐です。船は大きくバランスを崩しながら
沈んでいきました。
 (大変だわ。あれに乗ってる人間は確か水の中では死んじゃうはず、助けなきゃ)
 綾香は必死に木片を避けながらもうすでに半壊してしまった船に近づきました。
目の前で一人の人間が沈んでいるのを見つけた綾香は急いでその人間を抱いて、
近くの砂浜まで送ろうとしました。しかし、次の瞬間、大きな木片が背中に当た
り、綾香は大きくバランスを崩してしまいました。
 (痛い!)
 苦痛に顔を歪めて、とにかく上へ、とにかく岸へと、無我夢中で綾香は泳ぎ
続けました。
 もうすぐ砂浜だという時、人間が意識を取り戻しました。
 「ぅぅ・・・ ああぁ・・・」
 苦々しく頭を左右に振り、薄っすらと目を開け、こちらを見ました。  
 「もうすぐ砂浜よ、心配しないで」
 そう言って綾香は、改めてその人間の顔を見ました。なんと、凛々しい顔でし
ょう。なんと、逞しい腕でしょう。なんと、澄んだ瞳でしょう。綾香は一目で
恋に落ちてしまいました。そして、それは人間も同じだったようです。二人は
暫く海面で見詰め合っていました。
 「君はいったい・・・ 僕はどうしたんだ・・・」
 「あなたの船は沈んだのよ。だけど喜んで、あなたは助かった」
 「そして・・・ 君にも出会えた」
 くすくすと綾香は笑った。人間がこんなにも楽しいなんて、こんなにも素敵
だなんて、誰も教えてはくれなかった。でも、自分は知ってしまった。もっと
一緒にいたい。ずっと話していたい。綾香はそう思いました。
 「僕はリーフランドの王子、セリオだ。君は?」
 「私は・・・ 私は、綾香」
 我ながら、なんて色気の無い返事だ、と少し後悔したが王子はそんな事全然
気にしていない様子だった。
 「助けてくれてありがとう。お礼がしたいのだが・・・」
 王子は何がいいかと聞いて来ました。
 「もし、よろしければ・・・」
 「なんだい?」
 「もしよろしければ、今夜一晩、一緒に居て下さいますか?」
 綾香は顔が真っ赤になっていると、自分でもわかった。こんな事を言うのは
初めてだ。自分でも、どうしてそんな事を言ったのか不思議に思った。
 「ああ、喜んで」
 

 砂浜に着いた後も、一晩ずっと話していた。王子はどうやら目に塩が入って
よく見えないらしく、綾香が人間だと思っていたようだ。
 「もう帰らなくては・・・」
 「そうか・・・ 僕はこの砂浜をずっと行った所のリーフ城に居る。気が向
  いたら、いつでも来てくれ。君の顔はよく見えないが、声は覚えた。また
  歌を聞かせてくれ」
 「はい。必ず・・・」
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 案の定、たっぷりと叱られた綾香は暫く外出禁止になっていました。そして、
外に出られない日々は、綾香の中の恋心を大きく膨らませるのに、十分過ぎる
効果を持っていました。
 (あぁ、もう一度セリオ様に会いたい。そして、歌をお聞かせしたい・・・
  でも、誰も許してくれない。セバスも、お母様も、そして、好恵も・・・
  こうなったら・・・)
 謹慎が解かれてすぐに、綾香は魔女の洞窟に行きました。
 「魔女さん! いますか?」
 そう叫ぶと、奥から若い魔女が出て来ました。
 「魔女・芹香よ。私の願いを聞き届けて」
 興奮した口調で綾香はこれまであった事をまくしたてた。
 「と、いう訳なの・・・ それで私は、人間になりたいの。だから私に
  人間の足を下さい!」

  コクン

 何という事でしょう。綾香は自分を人魚から人間にしてほしいと言っている
のです。
 「え・・・ わかった? 本当!? そのかわり? 私の声がほしい?」
 魔女はにやりと笑うと奥へと行ってしまいました。
 「わかったわ・・・ 私の声をあげる! その代わり・・・」
 言い終わらないうちに、魔女がまた出て来ました。今度は手に小瓶を持って
います。
 「え・・・ これを飲め? わかったわ。 何? その前に・・・?」
 魔女の話しはこうでした。その薬は願いを叶える薬だ。だが、万能ではない。
人魚が人間になりたいと言うのだから、それ相当のリスクを背負う事になる。
万が一、次の満月までに王子と愛し合い、将来を約束できなかったら、万が一、
その王子と結ばれなかったら、綾香は海の泡となって消えてしまう。それが嫌な
ら、王子を殺すしかない、これが薬の副作用だと、こういう事でした。
 「わかったわ・・・ 私、幸せになる」
   
  ゴクゴクゴク・・・

 「ヴ・・・ まじゅいぃぃぃぃ・・・」
 綾香は頭がくらくらしてきました。そして、自分が今、立っているのか座って
いるのかもわからなくなり、気を失ってしまいました。
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 (ん・・・ ここは・・・)
 目が覚めると立派なベッドに寝ていました。部屋はとても大きく、綺麗で、
そして、空気で一杯でした。
 (そうか・・・ もう地上なんだ・・・)
 ボーっとしていると、部屋のドアがガチャリと開いて、一人の女性が入って
来ました。
 「あのー、こんにちはー。目が覚めましたか?」
 緑の髪が美しい、綾香と同じ年頃の娘でした。
 「・・・ ・・・ ・・・」
 「あのー、大丈夫ですか?」
 
  コクン

 「それは良かったですー。あ、私はマルチと言いますぅ。このリーフ城の王
  子、セリオ様の婚約者で、あなたを最初に見つけた人です」
 おっとりとした喋り方で、ゆっくりと話し掛けてきた女性は、なんと、王子
の婚約者だというのです。綾香は驚いて、目を丸くしました。
 「えーと、あなたは、海岸で倒れていたんですよ。それを朝の散歩をしてい
  た私が・・・」
 言い掛けた所で、またドアが開き、今度は中年の男が入って来た。
 「マルチ様、そこから先は私の役目ですよ」
 「あ、ドクター」
 ドクターと呼ばれた男は綾香の前までくると、一つ質問した。
 「さ、君の名前は」
 「あ・・・ あぅぅ・・・」
 しかし、足と引き換えに声を失った綾香は、言葉を伝える事ができません。
 「大変だ・・・ ショックで言葉が出せなくなっている・・・」

 それからというもの、マルチ姫は綾香に対して、とても良くしてくれました。
城の中の人達も皆優しくて、素性のわからぬ、声の出ない少女を励ましながら
接してくれました。ある時は、珍しい食べ物をもらい、ある時は、一緒に出かけ、
またある時は、狩りにも連れていってくれました。しかし、王子は自分の事を、
あの日の少女だと思っていない様でした。
でも、綾香はそんな毎日が楽しくて楽しくて、しょうがありませんでした。
しかし・・・
 (今日が約束の満月・・・ 私はマルチ姫とセリオ様との間には、とても入る
  事などできない・・・ でも、死にたくない・・・)
 「あのー、どうしたんですか? 何か悩み事でも?」
 振り向くと、そこにはマルチが立っていました。綾香は首を横に振ります。
 「そう・・・ でもね、自分の中に何か悩み事がある時、一番の解決方法は
  自分を信じる事ですよ」
 まるで心の中を見透かされた様なセリフにビクッと肩を震わせる。
 「ごめんなさいね、あなたがあんまり悲しそうに月を見ているから・・・」
 そう言ってマルチはテラスを後にした。
 「あ、そうだ。ねぇ、明日は皆でピクニックに行きましょうか?あなたと初
  めて行ったあの場所へ。また、皆で」
 綾香はコクンと頷くと、目に溜まった涙を拭き、また月を見ました。
 (私は・・・ 私の信じる事・・・)
頭上の月は彼女を慰め、眼下の海は彼女を包み込む様に・・・

 夜中、フルーツ入れの中の果物ナイフを持って、綾香は城の中を歩いていました。
そして、王子の部屋のドアを開け、中に入りました。月は明るく王子の寝顔を
照らしていました。
 (セリオ様・・・ あなたを殺せば・・・)
 果物ナイフを両手でギュッと握り、王子の首筋に持っていきました。しかし、
ポタリ、ポタリとその手に落ちてくる自分の涙はまるでもう一人の自分が止めろ
と言っているかの様でした。
 (私は何をやっているの? こんなに愛した王子じゃない。こんなに愛した、
  愛しい人じゃない)
 綾香は涙をポロポロ零しながら、唇をきつく噛みました。
 (私は信じる・・・ 私はあなたに幸せになってほしいと願っている私を信じる!)
 

 マルチの部屋の前、綾香はずっとドアを、中に居るであろう心優しき女性を
見つめていた。


  月はもうすぐ・・・


 「僕はリーフランドの王子、セリオだ。君は?」
 

  月はもうすぐ・・・


 「明日は皆でピクニックに行きましょうか?」


  月はもうすぐ・・・


 「そして・・・ 君にも出会えた」


  綾香はテラスに立っていた。月は涙が出るくらい優しく・・・


 「自分を信じる事ですよ」


  月はもうすぐ・・・ 悲しみを受け止めてくれる














 






    スッ・・・ 


























     パシャッ・・・




                         完