雫の痕 四 〜しずくのあと よん〜 投稿者: 五老志乃
「お待たせ致しました。こちらへどうぞ。」
 僕の遠縁に当たる老人が、そう言った。
 その声に、僕と耕一さん、そして柏木さんの三人は、立ち上がり、老人の後
へと続いた。ここは来栖川本家―――世界の富の何%かを支配する大企業、来
栖川グループの中心たる屋敷である。

 あの事件から一週間が過ぎ、僕達は一見普通の生活に戻っていた。
 HM型の暴走について、来栖川エレクトロニクスは始めこそマスコミの攻撃
を受けたが、来栖川の研究所の所員が皆殺しにあった事、そして被害の一切を
来栖川エレクトロニクスが賠償する事、等が発表されると、マスコミは一転し
て来栖川の弁護に回り、さながら来栖川エレクトロニクスは悲劇の主人公と言
った趣を呈していた。
 そんな中で、僕達三人は、いつ自分達に矛先が向けられるのかと、緊張した
日々を送っていた。理由こそはっきりしないものの、あのメイドロボ達が僕達
三人を、否、正確に言えばこの僕を狙っていた事は明白だったからだ。だが、
TVは僕達の事には一切触れず、事件は僕達と関係なかったような、そんな気
持ちになっていた。そして、この老人―――長瀬源四郎が現れたのはそんな矢
先の事だった。
 源四郎老人と僕とはほとんど面識がなかったが、父からよく話だけは聞かさ
れていた。
 某大企業の執事として働く親類が居る事。
 そしてその親類が、格闘技の世界では一目置かれた人物である事、等の話だ。
 その大企業が来栖川グループだった事は、先刻初めて知った。
 そして、源四郎老人はこう伝えてきた。
『お嬢様方がお会いしたいと申しております。』
 と。
 そして僕達三人は、今まで乗ったこともないような高級車に乗せられ、この
屋敷に連れてこられた。
 実際僕も聞いてみたかった。
 TVでは分からない、裏の事実というものを。
 だから僕達はここに来た。
 真実を問いただす為に。
 誰があのメイドロボ達を操ったのか、知る為に。
「どうぞお入り下さい。」
 源四郎老人が目の前の扉を開き、僕達を招き入れる。
 その中に、一人の女性が待っていた。


「初めまして。」
 女性は椅子から立ち上がると、両手を広げ、僕達を歓迎するポーズを取った。
 僕達は促されるままに中に入り、その女性の正面に立つ。
 後ろで、扉の閉まる音が聞こえる。老人も出ていった様子で、今、この部屋
にいるのは四人だけとなった。
「私、来栖川綾香と申します。」
 綾香と名乗った女性は、右手を差しだし、僕達に握手を求める。耕一さん、
僕、柏木さんの順でそれに応じ、それぞれが自分の名前を名乗る。そして、女
性は僕達に座るよう勧め、僕達が座ったのを確認すると、部屋の片隅に据え付
けられたホームバーでお茶を煎れ、人数分のそれをテーブルの上に置き、そし
て自分も腰を下ろした。
 意外だった。
 この女性は「来栖川」と名乗った。
 この大企業の、お嬢様なのだ。
 そのお嬢様が、手ずからお茶を煎れるとは。
 紅茶の香りが鼻を刺激する。
 一拍の間を置いて、綾香お嬢様が口火を切った。


 そして、一時間程が過ぎた。
 話は、全くはかどらなかった。
 綾香さんの問いはただ一つ。
 僕達の疑問もただ一つ。
 それは、僕達の狙われた理由。
 どちらも確たる事は何も知らない。
 犯人の目星も付いていない。
 互いが互いに「知っているかも知れない」と言う希望を抱いているのだ。
 どちらも互いの裏を覗こうとするが、どちらも裏がないのだから覗けるはず
がない。
 話は全くの平行線を辿っていた。
「…なら聞くわ…」
 口調を強め、綾香さんが言った。
「貴方達、何者なの?」
 僕達三人の間に、緊張が走った。
 それは触れてはならない疑問。
 僕と耕一さんと、そして柏木さんが、あの喫茶店以来避けていた、そんな疑
問だった。
 僕の「ちから」の正体を、二人は何も知らない。
 そして、二人の事について、僕も何も知らない。
 互いに触れてはいけない。
 それは、臑(すね)に傷持つ者達が共に抱える、暗黙の了解事項だった。
 それを、綾香さんはこじ開けたのだ。
 その声は止むことなく、尚も続けられる。
「メイドロボを易々と破壊する貴方達…」
 綾香さんの人差し指が二人に向けられる。
「あれは人間業じゃない。人以上の何か、よ。貴方達、何者?」
 耕一さんと柏木さんは目を背け、何も答えようとしない。その態度に業を煮
やしたのか、綾香さんは矛先を僕へと向ける。
「貴方も! メイドロボは貴方を狙った。そして私たちが止める前に、貴方が
 あのメイドロボを止めたのよ! 何をしたの!?」
 当然僕が答えよう筈もない。
 この時僕は知らなかったが、セリオタイプはともかく、マルチタイプのメイ
ドロボは電源が切れるまで止めようがなかったのだと言う。それが突然、一斉
に動きを止めたのだ。不思議に思わぬ方がどうかしている。
 僕も、耕一さん達も、何も答えない。
 答えてどうなる?
 自分達が危険な存在だと、この女性に教えてどうなるというのだ?
 綾香さんは何も知らない。
 言ってみれば只の被害者だ。
 多大な損害を受け、名誉を傷付けられ、多くの従業員を殺されて。
 僕と犯人との関係に―――それが何であるかはっきりしないが―――巻き込
まれただけではないか。
 出て行こう。
 そう思った時だった。
 扉を叩く音がした。
 綾香さんも、去りたがっていた僕達も、そちらを振り向いた。
 気勢を削がれた綾香さんは、一息付くと、その音に応じた。そして、そこに
姿を見せたのは源四郎老人だった。
「どうしたの?」
「はい、実は芹香お嬢様が皆様にお会いしたいとおっしゃいまして…」
 源四郎老人の顔に、戸惑いの表情が見える。
 そして、同じ表情が綾香さんにまで移る。
 一体どうしたというのだろう?
 綾香さんは一瞬迷ったようだが、ため息を付きながらも、
「…分かったわ…呼んで頂戴…」
 と言った。

 そして入ってきたのは、綾香さんとそっくりの女性。
 だが、綾香さんが自信に満ちた、自分の意志を発散させている人間だとする
ならば、この女性は正反対。
 柔らかな物腰に、穏和な瞳。
 だが、その表情に時折見える『憂い』はなんだろう?
「…紹介するわ…私の姉の、来栖川芹香よ。」
 綾香さんの声に、芹香さんは深々とお辞儀をする。
 芹香さん、か。
 瑠璃子さんとはまた違う、深窓のお嬢様、といった言葉の良く似合う女性だ。
「それで、どうしたの、姉さん?」
「………」
 どこか投げ遣り調子な綾香さんの問いに、芹香さんはほとんど聞き取れぬよ
うな声で答える。
「…え? 頬に傷のある鬼を知っていますか…ですって?」
 綾香さんがその答えを繰り返す。明らかに呆れ果てた声だった。
 確かに、直前までの会話を考えれば当然の反応だろう。
 僕も思わず頬が緩んだ。
 そして、同意を求めるように耕一さんへ振り向いた。
 だが、そこにあるのは予想もしない顔だった。
 それは驚愕の表情。
 否、耕一さんだけではない、柏木さんも。
 その表情に、綾香さんも気が付いたようだ。綾香さんも僕も、場が凍り付い
た事を感じていた。
「………」
「…え? それが今回の犯人だ…って、ね、姉さん!?」
 コクコク。
 問い詰める綾香さんに、頷いて答える芹香さん。
 鬼?
 何の事だ?
 そして耕一さん達は何を驚いているというのだ?
 本当なのか、本気なのか、綾香さんが芹香さんの肩を掴み、揺さぶりながら
尋ねる。だが、芹香さんは黙って頷くだけで、それ以上話そうとはしない。代
わりに耕一さんと柏木さんを見つめ、その瞳で問いかけていた。
「…直接の心当たりはない。」
 そして、凍り付いた空気を、耕一さんの一言が氷解させた。
 耕一さんの瞳は真剣で、ふざけている様子もない。
「だが、鬼と言うからには確かに俺に関係有るだろうな…」
 やや自嘲気味に、一言一言はっきりと、耕一さんは言った。
 正直僕は混乱していた。
 否、僕だけではない。綾香さんもそれは同様だろう。
 鬼と耕一さんが関係ある?
 鬼って何だ?
 おとぎ話の生き物じゃ…
 そこまで思考を進め、そして僕はふと思い出す。
 あの夜―――耕一さんと初めて出会ったあの夜…
 あの時襲い掛かって来た獣は何だ?
 隆々とした筋肉、人間離れしたその力、そして頭に生えた角―――正しく伝
説の鬼そのものではないのか?
 そしてその鬼と互角以上に渡り合える耕一さん…
 もしかして耕一さんの力と言うのは…
「芹香さん、だったね。一体どこまで知っているんだ?」
 柏木さんは、すがりつくように耕一さんに抱きつき、そして耕一さんは柏木
さんを護るように抱き締めている。
 その姿は、決して世間に溶け込めぬ、疎外されたモノの姿。
 そしてその姿は、僕の先程の疑問を確信に変えた。
 耕一さんは『鬼』の仲間だ。
 少なくとも、同じ力を有する『同類』なのだ。
 そして柏木さんもまた…
 互いに互いのみを頼らねば生きていけない二人。
 僕は胸の奥が締め付けられるような感じがした。
 耕一さんと柏木さん…理由は違う…でも、一緒じゃないか。
 あの二人と、一緒じゃないか…
「………」
「鬼を狩る貴方の事は気付いていました…って、え?」
 綾香さんの声は戸惑いを隠せない。
「…そこまで知っているのか…」
 更に強く抱き締め会う二人。
 でも、どうだって良い。
 もう、どうでも良いよ。
「…二人を苦しめて、どうなるって言うんですか。」
 自然と僕の口からそんな言葉が漏れた。
 突然の言葉に、僕に向かって視線が集まる。
 だが、僕は止まらなかった。
 止まれなかった。
「二人が何だろうと、関係ないじゃないですか。あのロボット達と、一体何の
 関係があるんですか。今大事なのはそんな事じゃないでしょう!?」
 次々と言葉が溢れ出す。
「今はまず犯人の事でしょう!? それだけ聞けば良いじゃないですか? な
 のに、どうして…」
 こんな二人は見たくない。
 耕一さんと柏木さんはどこから見ても幸せな恋人同士で、互いに支え合って、
認め合って…そう、理想の二人で…
「長瀬さん、もう良いです。」
 気が付くと、目の前には涙を流した柏木さんが居た。
 柏木さんは手にハンカチを持つと、それを僕に差し出している。
 泣いているのは柏木さんなんだから、柏木さんが使えば良いのに。
「…ありがとう…」
 柏木さんの姿が滲む。
 あれ?
 どうしたんだ?
 泣いているのは柏木さんなのに…
 僕が自分の涙に気付いたのは、柏木さんの手が僕に触れた時だった。


 僕が落ち着くまで、しばらくの時間が必要だった。
「………」
「…そんなつもりはなかったです…ごめんなさい…だって?」
 芹香さんは、申し訳なさそうに言った。
 でも、確かにそうだ。
 別に芹香さんは二人を責めた訳じゃない。
 誰が悪いわけでもなく、結果的にこうなっただけだ。
「うん…そうだね。僕もちょっと興奮しすぎたよ…ごめん…」
 僕は素直に謝った。
 すると、芹香さんはほんの少しだけ頬を赤らめて、そして、その顔に笑みを
浮かべた。それは本当に僅かな変化でしかなかったが、僕は素直に可愛いと、
そう思った。

「それで、結局どういうことなの?」
 綾香さんは多少いらついた様子で、誰とは無しに尋ねる。
 確かにほとんど何も分かっていない。
 最も事情に通じていると思われる芹香さんに、皆の視線が集まった。
「………」
「…犯人が『鬼』であるのは間違いがない、と。」
 コクコク。
 僕の言葉に頷く芹香さん。
「なら、その狙いは一体何だ?」
 耕一さんが問いかける。
 話に因ると、耕一さんは探偵とは言っても、人間に危害を加える人外のモノ
―――特に『鬼』を見つけそして狩る、そんな仕事を主にやっているらしい。
これでも口コミや、柏木さんの実家の口利きで、そこそこ仕事はあるのだとい
う。そんな耕一さんにとって、今回の事件は決して見過ごせないものだった。
「………」
「…え? 僕だって…?」
 コクコク。
 頷き、更に言葉を続ける。
「………」
「正確には、僕の『ちから』…」
 コクコク。
 僕の「ちから」…電波の「ちから」…
 考えてみれば当然だ。
 僕を狙って、それ以外何のメリットがあるだろう。
 だが、どうして分かった?
 高校以来、この「ちから」は隠し通してきたのに。
 使ったのはあの夜の、あの鬼達相手に使った、その時だけだというのに…
「………」
「僕の『ちから』の正体は芹香さんにも分からなかったって?」
 コクコク。
「………」
「隠された、強い『ちから』…多分それを狙っているんだろう…か。」
 コクコク。
 そんな馬鹿な…
 それだけの為に、それだけの為にあんな騒ぎを起こしたというのか?
 それだけの為にあのロボット達を操ったというのか…
 この「ちから」を悪用されてたまるものか。
 この「ちから」は瑠璃子さんの…月島さんを助ける為に、瑠璃子さんが僕に
くれた「ちから」だ。
「…そんな事は許せない…」
 そう、絶対許すわけにはいかない。
 例え敵が誰であろうとも。
 許すわけにはいかないのだ。


 来栖川本家・正面玄関。
 正門前に立つ警備員に、近付く影があった。
「すみません、警察の者ですが、ちょっとここのお嬢様に聞きたいことが有る
 んですが…」
 男は警察手帳を見せながら、そう言った。
 警備員は、直にその警察手帳を見てそれが本物であることを確認すると、屋
敷の中にいるはずの執事に連絡を取った。そして執事の指示に従い、通用門を
開け、刑事を中に入れる。
 その刑事は人なつっこい笑みを浮かべて一礼すると、そのまま屋敷へと向か
って行った。
 警備員は思った。
 手帳の写真にはなかったが、あの頬の傷はいつ出来たのだろう、と。
 まるで獣に引っかかれたような、あの傷はどうして出来たのだろう、と。
 そして、つくづく刑事とは大変な職業だと、そう思うのであった。

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 全4話は嘘です、すみません。
 軽く済ます筈のシーンが長くなり、その結果エピソードも増えました。
 全ては長瀬ちゃんと先輩の仕業です。
 もうしばらくお付き合いを願います。

 人の文章を見ると自分が書きたくなる為、多少の暇があっても感想が書けま
せん。ただし、4月以降全ての文章に目を通してはいます。
 感想・意見を下さったAE様、健やか様、久々野彰様、悠朔様、TaS様、
他、私の文を読んで下さる方々に、一言お礼を。
 ちなみに五老志乃は「ごろう しの」です。由来は友人に付けられたモノで…
理由ははっきりしてません。
 それでは再見。