ホワイトデー特別SS 投稿者:かわさき
14th. March



「浩之ちゃん、行こ。もうぎりぎりだよ」
 すこし慌てたようなあかりの声が、玄関に響いた。
 慌ててスニーカーに足を通しながら、浩之は、ああ、と一声。
 家を出て、戸に鍵をかけると、二人は学校に向けての道へ足を踏み出した。
 ほんの少し前までは、頬に突き刺さるような寒さだった朝も、今は昼の暖かさを予感さ
せてくれるような優しい朝に変わった。
 季節の変わり目、三月中旬。
 今日は、3月14日、ホワイトデー。


 試験期間第一日目であるこの日だけど、さすがに一大イベントとあって、教室の中は、
試験前の緊張感とはまた違った緊張感が張り詰めていて。
 もっとも、浩之、あかりともに、そんな緊張感とはもともと無縁であるし、「公認」である今
となっては、無縁以上に無意味。
 まわりからは、そんな風に感じられた。
 現に、教室に入ってからも、ふたりは自分の机に荷物を置いた後、さっそく復習にとりか
かる、そんな感じ。
 そんな、喧騒を遮断するかのような2人の空間に、
「おはよう」
 声がかかった。
 幼なじみ、佐藤雅史。
「よぉ」
「おはよう、雅史ちゃん」
 ふたりも挨拶をかえす。
 浩之は、あいかわらずそっけない。
 でも、そのそっけなさが、浩之らしくて、雅史は好きだった。
「雅史、勉強したか?自信あるか?」
 机に広げた教科書から目を離し、浩之がたずねる。
 試験前の挨拶の見本みたいな挨拶だなぁ、なんて雅史は思いながら
「うーん…あるといえばあるし、ないといえばないね」
 と、これまた返答の見本みたいな言葉を、発した。
「なんじゃそりゃ」
 特に期待していなかったとはいえ、あまりに雅史らしいあいまいな返答に、浩之はおま
えにきいた俺が馬鹿でした、と言った雰囲気を言葉に含ませ、視線を雅史から教科書へ
もどした。
 まぁ、ここで答える方が「自信あるよ」とかいえば、相手は焦るだけだろうし、「自信ない
なぁ」なんていえば、相手は仲間をみつけた安堵感に身を委ねたりしていい結果は生まな
いだろうし、雅史の答えは理想的ではある。
 曖昧さは、相手の心を思いやった結果なのだ。
 くすくす。
 そんなふたりを見ながら、あかりが微笑む。
 あかりは、こんな雰囲気が好きだった。

 そんなあかりの微笑みに、雅史は本来の目的を思い出し、
「あ、そうだ、あかりちゃん、これ」
 と、小さなビンを差し出した。
「?」
 首をかしげるあかりに、雅史は一言
「バレンタインのお返し」
 と言った。
「…え?…あ、そうかー…雅史ちゃん、ありがと」
 少し呆気に取られていたあかりだったが、やっと事態が飲み込めたらしく、そのビンを雅
史からうけ取った。
 そっか、あかりの奴、雅史にもチョコレートあげたんか、と浩之が思う。
 …嫉妬、なぜなら、あかりは自分のものだと思ってたから。
 好きなものを独占したい…そんな気持ちは、もちろん浩之にもあった。
 それと同時に、さりげなく自然にお返しができる雅史の行為にも嫉妬。
 …なさけねーなぁ…、自己嫌悪がこころの中に広がる。
 そんな自己嫌悪から逃れるように、勉強に集中しようとする浩之。
 と、そんな浩之を見て、雅史が
「どしたの?浩之?」
 声をかけてきた。
「…うん?…別に」
 あくまで、自分には関係ありませんよ、と言った感じで浩之が答える。
 そんな浩之を見て、雅史が何を思ったか
「あ、そうだ。浩之にも、これ、あげる」
 と、ビンを差し出した。
 …はぁ?
「日ごろの感謝を込めて。これからもよろしくね」
 そう言うと、雅史はビンを浩之の机の上に置いた。
 …ヲイ、ど、どーゆーことだ…これは。
 とまどう浩之を前にして、雅史はにっこり微笑み
「じゃ、僕は行くね。まだ、渡さなきゃいけない女の子いるし」
 そう言った。
 あかりが
「雅史ちゃん、もてるから大変だね」
 そんな風に声をかけた。
「もらったからには、お返ししないとね」
 かみ合ってるのかかみ合ってないのか、これまた不思議な会話が二人の間で交わされ
た後、じゃね、と雅史はかるく言うと、二人の前を去っていった。
 …それはともかく。
 時々…雅史の奴…俺の思考を超えた事をしやがる…なんだってんだ…?
 目の前におかれたビンを見つめて浩之。
「…なぁ…あかり…これ、どーゆー事かわかるか…?」
 つぶやいた、聞こえるか聞こえないかぐらいの声で、ぼそっと…。
「雅史ちゃん、ホントに浩之ちゃんの事がすきなんだね」
 あかりが、事も無げに言った。
 …。
 目の前が真っ白になった気がした。
 そんな白さに、浩之は、これはホワイトデーと意識が真っ白になる日、をかけた雅史ギ
ャグに違いないと思う事にした。
 そう思い込むことにした。
 そうでないと、まずい気がしたから…。
 白い意識の向こうに、開いてはいけない扉が見えた気がした。
 その白い意識の中、あかりが
「雅史ちゃんって、自分の気持ちに正直なんだね」
 と言ったのが聞こえた。
 …聞きたくないことを聞いてしまった…浩之は、心からそう思った。


 3時間続いたテストが終わった。
 まだ学年末は終わらない、けれども最初のヤマは超えたわけだし、それに今日は土曜
日。
 明日は日曜日でテストがもちろんないから、つかの間の開放感に浸ることが、許され
る、そんな今の瞬間だった。
 それに今日は日が日だけに、教室内には甘い雰囲気が漂っていて。
 そんな雰囲気の中、どうにかその日を乗り切った浩之は、帰り仕度もせずに、ぼけーっ
と惚けながら、考え事をしていたり。
 そこに、鞄をもったあかりがやってきた。
「浩之ちゃん、帰ろ」
 あかるく、声をかけた。
 その声は、どんな時でも浩之ちゃんさえいれば、私は心から幸せ、と言った感じで。
 そんな幸せそうなあかりを見るのは、浩之も嫌いじゃなかったし、自分がその幸せを担
っているのだと思うと、やっぱり男としてそれは幸せだったりするのだった。
「おうっ」
 体に溜まった疲労感と、心を占拠していた怠惰感を振り払うかのように、浩之はすこし
大きな声を出すと、椅子から離れ、伸びをし、鞄を手にとってあかりとともに教室を出た。

 ちょうど校門を出たところで、後ろから声がかかった。
 志保だった。
「おぉぉーーーーーーーいぃ、ヒローーーーーー!!」
 …やかましい、そう浩之が思うや否や、志保はとんでもない速さで浩之とあかりの前に
回り込み、手を差し出した。
「?」
 二人がその差し出された手がどんな意味を持つか理解できず、顔を見合わせる。
 首をかしげて。
 …あかり、わかるか?
 ふるふる。
 あかりが首を振る、わからないよ、浩之ちゃん。
 …何の真似だ、浩之がそう言葉にしようとしたときだった。
「おかえし、ちょーだい」
 志保がそう言った。
 …。
 あ、そうか、そういう事か…、志保らしいな。
 おそらく、待って待って待って、それでももらえる雰囲気がなかったから、自分から出て
来てしまったのだろう。
 …駆け引きに弱い女だな、こいつ、なんて浩之が思ったりして。
 でもまぁ、渡すもん、ないしな…と浩之、頭をぽりぽりかきながら、
「ない」
 そっけなくそう答えた。
「はぁ?」
 眉を吊り上げて志保。
「それって、どーゆーことよ?」
 続けた。
「ないものは、ない」
 …。
 志保が、へ?と言った顔をして…そして、再び表情を戻し
「それってどーゆー事よ!?この志保ちゃんがバレンタインのチョコをあげたって言うの
に、あんたはそれに対するお返しをできないって訳っ!?」
 一気に捲し立てた。
 …あげた、というか、かたくなに受け取り拒否する浩之に業を煮やした志保が、強引的
に浩之の机の上にチョコを置いて去っていった、といった方が正しいのだが。
「…できないもなにも、もらったとき、おかえしなんてしねーぞ、って言ったじゃねーか」
 確かに、そう浩之は言っていた。
 浩之にとってそれは、ただ単に面倒からやらないぞ、って事だったのだが、変なところで
頭が回る志保にとっては、その浩之の態度は、彼流の照れ隠しであると解釈していたわ
けで…きっとホワイトデーにはうふふ、なんて信じて疑わなかったのある。
 志保だって、あかりと浩之の関係をしらない訳でもなかったが、年に一度ぐらいは、好き
になった男にかまってもらいたいと思う女らしさもあって。
 だけど…浩之はこのとおりである。
「あんたねー…たしかにそう言ったけど、そう言いつつもちゃんと用意して、はい、志保、こ
れ、お礼と日ごろの感謝をこめて…とかいいながらさりげなく手渡しちゃったりするもん
よ!それが礼儀ってもんでしょーが!」
 ヒステリックに志保。
 一理ある。
 だけど。
「義理、って嫌いなんだ。思わせぶりな事はしたくない」
 きっぱり、浩之が言い放った。
 ぐっ…志保がひるむ。
 それも浩之なりの優しさだと思うと、志保もこれ以上何も言えない。
 …卑怯だ…、そう思う志保。
 惚れた弱み、そんな言葉が志保の脳裏を駆け巡る。
 年に一度ぐらい、夢を見させてくれても…いいじゃない…。
 そんな志保を見て、浩之。
 志保の右肩に右手をぽん、と置いて、静かに
「じゃ、帰るから。月曜日にな」
 続けて、あかりの手を取り
「帰ろう」
「うん。志保、またね」
 志保に、誰もが魅了される笑顔を。
 そして、あかり、浩之と歩き出す。
 校門を二人が通り過ぎる。
「…ぜーったい、後悔させてやるからねっ!」
 後ろから、志保の声が浩之の肩に降る。
 浩之、右手をあげて左右に振りながら
「ああ、させてくれ、是非な」
 その言葉に志保。
「…なによ…かっこつけちゃってさ…」
 そう、呟いた。


 坂を下る二人。
 あかりが、切り出した。
「志保、ちょっと可哀相だったね」
 困った風でもなく二人を眺めていたあかりだったが、こんな事を考えていたらしい。
「…そうか?」
「うん」
 …沈黙が流れる。
 分からないことばっかりだ、浩之が悩む。
「…俺は、気が利いたことができないからな」
 そんなセリフしか、出て来なかった。
「そうかなぁ?」
 あかり、疑問形。
「もしあれで、志保が傷ついたなら、悪いことしたと思うけど」
「大丈夫だよ。志保はすこし可哀相だったけど、浩之ちゃんらしかったし。志保もきっと分
かってると思うよ」
 …浩之ちゃんらしい…か。
「…なあ?」
 浩之が、ぼそっとあかりに問い掛ける。
「ん?どうしたの?」
 自分の瞳をみつめるあかりの瞳に、少し気おされて浩之。
「…いあ、なんでもない」
 打ち消す、自分の心の中で。
「…どうしたの?気になるな」
 食い下がるあかり。
 そんなあかりに、心を決めた浩之が
「なぁ、あかり、おまえはどうなんだ?」
 そうとだけ、問い掛けた。
 言葉の端に、見える動揺、珍しい。
 …照れてるの?
「どうなんだ?って、どういうこと?」
 それじゃ分からないよ、浩之ちゃん。
「…いや…だからな…おまえは…お返しもらえないの、なんとも思わねーの?ほら、雅史
だっておまえにお返ししただろ?ホワイトデーなんだぜ?女ってさ、いくら付き合ってる分
かり合ってる愛し合ってる、って言っても、形で現してもらいたかったりするもんじゃねー
の?あかりは、どうなん?」
 まくしたてるように浩之が話す。
 照れてる、珍しく。
 くす…笑いが込み上げてくる、浩之ちゃんも、結構そういう事気にするんだね。
 そんな笑いとともに、あかり、
「気にしないよ、私は」
 そう明るく答えた。
「…そうなのか?」
 半信半疑な浩之の声。
 その半信半疑を確信に変えてあげる、そんな呪文をあかりが唱える。
「だって、浩之ちゃんはいつも私のそばにいてくれて、私のことを見てくれてるもん。私にと
っては、365日が毎日、ホワイトデーみたいな物だよ」
 浩之ちゃんの視線、言葉、息遣い。
 すべてが私にとっては大切な贈り物だよ。
 そんな風に、あかりが続けた。
「…ちぇー…くだらねーこと言ってんじゃねーよ…」
 顔を、あかりからそむける。
 きっと、顔が真っ赤になってるに違いない。
 こんな顔、あかりにはみせらんねーよ…。
 いつもこうだ、こうなんだ。
 あかりの純粋さにいつも「あてられて」しまうんだ…。
 なんで、そんなに素直になれる?そんなに正直になれる?
「えへへ、カッコつけすぎたかな?」
 顔を背けた浩之を覗き込みながら、あかり、すこしおどけて。
 そんなあかりの仕草に、浩之の決意。
 あかりの額に、浩之は、ラッピングされた小さな包みを押し付けて
「やる」
 一言、ぶっきらぼうを少し演じながら。
「え?えええぇ?」
 額に、何かがぶつかる感触。
「やる、と言ってるんだ」
「え?え?だ、だって、浩之ちゃんっ!?」
 やる、ってどういう事?なにかくれるの?私に!?
「いらんのか?なら、返せ」
「い、いる、いるよぅ。もらうよぅ!」
 戸惑い、うれしい戸惑い。
 浩之ちゃんが、なにかくれる。
 なんでもうれしい、いつでもうれしい。
 でも、今日は特別な日。
 嬉しさも、戸惑いも、特別…。
「…そうか…ほらよ」
 浩之は額に押し付けていたその包みを、額から離し…あかりの手のひらに置いた。
 あかりの手のひらに、浩之の気持ちが広がる。
 …ありがとう。
 目で問う、ホワイトデーのお返し、しないんじゃなかったの?と。
 目が語る、おまえは特別だ、と。
「…ねぇ、浩之ちゃん。開けていい?」
「…もう、おまえのものなんだから、好きにしろ」
 遠回しの肯定、それも照れ隠し。
 リボンを解き、秘められた何かを開放する。
 それは…指輪だった。
 あかりの顔に広がる笑顔。
 浩之ちゃん…これって…これって!
 浩之の腕を、おもわずつかんで、あかり
「ねぇ…?浩之ちゃん!?」
「…なんだよ…」
「左手の薬指にしていい!?」
 そう、たずねた。
 意味をするところは…そう、ずっと一緒だよね…だ。
「…おっ…おまえ…ばっ!」
 思わぬ問いに、あかりを振り返りながら、どもる浩之。
 否定できない、したくない。
 肯定できない、照れくさい。
 あかり、それって反則じゃねえか?
 自分にできることって、慌てることぐらいじゃねーかよ…。
 えへへ…あかりが笑いながら、浩之の目の前で、そのリングを自分の薬指に通した。
 そして…その銀色に光る指輪がはまった手を、浩之に見せながら
「…どう?」
 微笑みながらたずねた。
「…ば、馬鹿なことやってんじゃねーよ!ほら、帰るぞ!」
 言い放ち、くるりと体を背けると、一人坂を下りはじめる。
 だが、一瞬、浩之の顔に笑みが広がったのを、あかりは見逃さなかった。
 浩之ちゃん…浩之ちゃん…!
 遠ざかる背中の広さに、自分の居場所を想い、重ね。
 駆けるように足を運び、その背中に飛び込む。
 大きな背中を感じながら、手を回し、浩之を抱きしめ、そして…一大決心。
 想い出深きその背中にできうる限りの気持ちを詰め込んで…
「…今日ね…うち…お父さんいないし…お母さん遅いよ…帰り」
 と、言葉を紡いだ。
 浩之を包む手に、広がる浩之の動揺、硬直する体。
 驚いてる…えへへ、ちょっと大胆だったかな?
 あかりは、ぱっと手を浩之から離すと、その背中から離れ…追い越し、くるりと体を半回
転させ、
「行こっ!浩之ちゃん!」
 声をかけた。


「あぁ」
 短くそっけなく、何事も無かったかのように、浩之が答える。
 足を運び、あかりと並ぶ。
「ありがとね、浩之ちゃん!」
 あかりが言う。
 こっちこそ…ありがとうだ…、そんな言葉を飲み込みながら浩之。
 だまってあかりの手を取り、握り締め…歩き出した。


 その重なる掌には、二人の気持ちと…光る指輪。


                                                                       終

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