『あなたとわたし』 投稿者:久々野 彰
「綾香SS『あなたを、待っていました』の作中の話の出会い編を含んでます」
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 土曜日の三時過ぎ。

 乾燥した空気が、僅かに露出した肌をかさつかせ、唇を荒れさせる。





 別に、こんな寒い外にずっといる必要はないような気がする。





 ――人を待っている。





 大義名分としては申し分ないこの行為も、確証どころか、裏付けすらもとれていな

い酷く不確かなものである以上、数時間も遅れていては拘り続ける必要性はないよう

に感じる。





 ここに座り続ける、固執し続ける理由。

 わからない訳ではない。

 誤魔化す気もない。





 けじめ。

 踏ん切り。





 そして、あやふやなまま残された感情の収拾。







 我慢大会にも似た、その行為をするだけの心があれば、それ以前に気を払えた筈で

ある。

「行かない」と言われた待ち合わせに、待ち続けるよりも先に、そこまでに至るまで

の過程に、その精神を費やさなければいけなかったのではないか。





 ひどく、馬鹿馬鹿しく、そして、ちっぽけな行為。

 信じているとか、想い続けるとか、そんな感傷的で、希望を込めたものでは、最初

からない。

 ただただ、無意味だろうと、無価値だろうと理解しながら、そうしないといけない

気持ちになって、ここにいる。







 …来て、くれるよね。

 …場所、わからないから、駅前で待ち合わせな。







 そんな他愛もない、簡単な約束を交わしたのが、以前の事だとしたら、







 …もう、いいよ・・・。

 …そんなの、ないでしょ。







 全てが破綻し、砕け散った出来事が、つい最近の事だと言える。







 容易く、覆せるようなものではないと知っている。

 もう、何も起きないことを感じてまでいる。







 でも、今日、この場所に行くことを選んだ自分には、取りやめようと思うまでの理

由にはならなかった。





 だから、今、こうして自分は待ち続けている・・・。







『あなたとわたし』







 今日は、自分の通っている高校の文化祭当日。

 今頃、校内はそれなりの賑わいを見せている筈だ。

 そして同時に、自分の不在にそれなりの反応を見せているだろう級友達の顔が思い

浮かぶ。





「・・・・・」



 大きな時計台に気付いていないわけではないが、敢えて自分の腕時計を見て時間を

確認する。

 その所為は、幾度となく繰り返していた。





 水の噴き出す音が、都会の駅前広場に相応しい喧騒をかき消してくれている。

 無心にさせてくれる。





 人通りも少なくない駅前だけに、この噴水広場を行き交う人間も多い。

 だが、立ち止まって行く人はそう多くはない。





 自分と同じ様に、多少の待ち合わせをこの場所でしていく人間もいる。



 男が、

 女が、

 相手を待って、現れた相手と共にこの場を立ち去っていく。

 昼下がりがピークで、今は私の他にはいない。





 ただ、少し離れた場所に3時頃からずっと座っている人間がいる。

 それ以降は、私と同じ様にこの場所に留まっている。

 それほど、興味はなかったので、特に観察していない。

 営業のサラリーマンでだけはなさそうだが。

 それだけで、更々興味はない。





 先ほどから一分も経っていない。

 そのくせに、わざわざ腕時計の時間を確認する。

 秒針の進みが、不正確だと疑って暫く、見守り続ける。

 無駄なく、幅無く、変わらなく、動き続ける針の動きに、安堵と失望を覚える。





 数時間も噴水の縁に座り続け、石の冷たさが服を通して重く、緩く、深く、感じて

いる。その底にある強い痺れと共に。

 初めの二時間ほどは、駅前のビルのトイレには数度立ち寄ったが、今では寒さ冷た

さからの尿意はない。

 考えてみれば、朝以降、何も入れていない。

 けど、空腹感は感じなかった。





 こうして痺れを紛らわすように、少しだけ右に、そして左にと両腕で腰を上げるよ

うにして、身体を微かに動かし続ける。

 別に、この駅前の空気に、世界に溶け込む必要はない。





 いつでも、自分の、自分だけしかいない世界へと思考を閉じこめる。

 今までの思い出、出来事、それとともに残っている感情を、今、ここにいる、この

場に縛られ、取り残された自分が検証し、その上で羨望したり、嘲笑したり、純粋に

浸ったり、あやふやな部分を思い出そうとしてみたりと、心の中だけは、目まぐるし

く働いている。

 こうして、座っているだけの自分が。







 …最初から来ないって知っていたくせに。







 改めて、そう実感すると悲しくなる。

 どう表現したらいいのだろう。

 この悲しみは。





 わからない。





 行き交う人の波が、大海原をイメージさせる。





 私の他に誰もいない。

 誰も、いない。





 漂流船。

 難破船。





 波飛沫が強く跳ね上がり、目尻を焦がす。

 海水の塩分が、目に痛みを与え、閉じた瞼に力が加わる。





 見えなくて、更にはっきりする。

 絶え間なく聞こえる水音が、孤独を演出する。





 うち捨てられた、見放された、そんな孤立した気分になる。

 人は、いない。

 ここに、人は、いない。

 私だけ。

 私、一人だけ。





 助けを求めるでもなく、慌てふためく訳でもなく、

 ただ、流れを前に、座り続ける。





 いつまでも、そのつもりで。





「・・・・・・」







 その難破船を呼び掛ける声が聞こえた気がした。





 閉じていた目を開く。





 男が、自分の前に立っているのに気付く。

 いきなり現れたような錯覚を覚えるが、間違いなくさっきまで少し離れた場所で自

分と同じように座り続けていた男だ。



 人の流れるこの駅前で、この噴水広場という場所に縛られ続けたままだった二人と

考えれば、面白い比喩だろうか。





「メシ、食いに来ないか?」





 いきなり、そう言った。

 もしかしたら、その前に、何か言ったのかも知れない。

 自分が聞いていなかっただけで。





 現実に、生活に、呼び戻される。

 水音にかき消されながらも、喧騒の名残が耳に届いてくる。





 駅前の、噴水広場。

 大海原に浮かぶ漂流船ではない。





 認識する。

 改めて。





 男を見る。

 ナンパにしては、冴えない呼び掛けだ。

 だけど、





「・・・デートのお誘いと考えて、いいかしら?」

 微かに残った目尻の滲みを指の腹で払いながら、そう聞き返す。

「・・・食材の買い出しからだから・・・デートと言えなくもないかな」

 そう言いながら、中指で軽く頬を掻いている。





 惚けた答えだ。



 でも、今の自分にはその程度の鷹揚さが丁度良いように感じた。







「だとしたら・・・何を御馳走してくれるのかしら?」

「この季節だし・・・鍋なんか、いーんじゃない?」



 そう言って、目を細めて笑って見せた。

 目が一本の線のように細まる。





「ん――・・・」

「・・・・・・」



 顎に指をあてて考える素振りをしながら、相手の反応を窺う。

 平然自若としていて、こっちの答えをただ、待っているようだった。





「いいわ。行く」

「んじゃ・・・裏口の商店街の方に行こう。だいたい、そこで揃うから」





 私に立つ事を促すように、顎を上げる。

 手はそれぞれの腰にあてていた。





「・・・っと」



 立とうとした瞬間、腰の痺れに自分の身体の感覚をそこだけ鈍くなった感覚と共に

、バランスを崩し掛ける。





「ほら・・・」





 その時に身を乗り出して、後ろに倒れ掛けた私の手首を掴むようにして支える。





 そんな相手の男を見ていると、どこか違和感を感じさせない、昔からそうだったと

思わせる、奇妙な感覚が膨れ上がる。





 まるで、前から私のことを知っていたように。

 まるで、私の待ち合わせの相手だったように。





「ん・・・?」





 こっちの視線に、何の躊躇いもなく応じて見つめ返す瞳。

 さっき、初めて会話を交わしたくせに。

 自然体すら、演じていない。





 そんな素振りを感じさせない。





 これが、長時間待ち続けた末の憔悴からの錯覚だとして片付けても、おかしくはな

い。

 ただ、無性に人任せに・・・怠惰に、委ねたい気分なのかも知れなかった。





 万が一、何かあっても切り抜けられる自信がそれを許したのだとしても。





・

・

・





「豆腐、白菜、長葱、シラタキに榎茸っと・・・あ、鶏は大丈夫な方?」

「え・・・あ、うん。皮の部分が・・・ちょっと・・・」

「ふぅん。あそこが一番旨いのに・・・じゃあ、豚にしておこうか」

「え、ええ」

「じゃあ、豚と・・・鱈辺りが妥当かな」





 長葱の突き出した白いビニール袋を持って八百屋を出て、すぐ近くの精肉店へと歩

く男の背中を追いかける。



 あれから、特に会話をしていないわけではない。

 ただ、何も深く訊ねられもしなかったが。

 かなり長い時間、自分が漂っていただけの時間を知っている筈なのに。

 それとも、向こうも向こうで、その時間、漂っていたのかも知れないが。





・

・

・





「ここが・・・そう?」

「ああ」





 目の前の建物を見上げる。

 それ程大きくもないし、綺麗でもない。

 けれど結構、しっかりした造りで「ボロアパート」と言う感じではない。





「・・・近くに、住んでるんだ」

「そりゃ、君の学校に通ってる訳じゃないし・・・そうでなきゃ、おかしいだろ、逆

に?」

「そーよね」



 クスリと笑う。





「4階建てだけど、エレベータさえあれば、平気でマンションとでも呼んでいただろ

うけどね・・・」



 その私の笑いに釣られたわけではないだろうが、買い物の入ったビニール袋を持っ

た手を、人差し指を唇に押しあてるようにして苦笑する。





 さっきとは違う笑み。





 でも、その本質は変わらないような気がした。

 不愉快な気分には、ならない。





・

・

・





 大きな音と共にあぶくを噴き出させている鍋。

 何かしら手伝おうとしたが、それ程の手間じゃないからと丁寧に断られ、炬燵に入

って出来るのをただ、待っていただけに、ホッとする。

 その暖かい鍋は、今まで身体の奥底まで寒さが染み込んでいたことを実感させるに

は十分だった。





「ふぅ・・・御馳走様。美味しかったわ」

「それはどうも・・・お粗末様」





 そう言ってニッコリと微笑まれる。

 また、微妙に違う笑顔で。





 気がつくと、あれこれと喋り、食べ続けていたことに気付く。

 額から、汗が噴いていた。

 中から暖まった証拠だった。





「・・・ねぇ」

「ん?」





 流しで、二人分の食器を洗っている男に、訊ねる。

 今更だが、完全に男女の役割が逆だと気付く。

 無論、だからどうということはないのだが、どことなく落ち着かない。





「何、してる人なの」

「何って・・・普通の大学生だけど・・・」

「普通・・・ねぇ」





 普通と言うには抵抗のある感性を持っていると思えたが、それが言葉を否定する理

由にはならないと思い、沈黙する。

 仕方がないので、その間を誤魔化すように、コップの中の液体をグイと傾けて一気

に飲み干す。

 それが目的だったように。





「後で面倒だから・・・あんまり、飲み過ぎるなよ」

「あなたは・・・お酒・・・飲まないの?」

「車、使うからね・・・」

「え・・・」

「送らないと、帰れないだろ?」

「そ・・・」





 そんなことはないと言おうとしたが、止める。

 気怠さの残り、どこか重く感じる身体が、それを認めていた。

 満腹感もさりながら、一人で帰るには心が重すぎると感じた。





 蛇口から流れる音が止まり、布巾で両手を吹きながら台所から顔を出す。





「お茶、飲む?」





 急須から緑茶が、茶碗に注がれる。

 慣れた手つきらしく、無駄がない。

 それを見てから、部屋にあった時計を見る。





「げ・・・もぅ、こんな時間・・・」





 今頃、思い出すが、文化祭に参加していれば打ち上げでもしている時間だ。

 夕飯は遠慮するような事は言ってあった筈だから、こうして御馳走になるのも結果

的には助かったのかも知れない。

 今頃、思ったのもなんだが。





「ふぅ・・・」





 男は両手を茶碗に添えて持ち上げ、一口飲み干して、息を吐く。

 年寄り臭いと思ったが、口には出さない。





「ん――・・・塩昆布でも出そうかな・・・」

「年寄り臭いわね・・・」





 やっぱり、口に出す。

 言わずには、いられない。





「そーかな?」

「そーよ」

「ちぇ・・・」





 僅かに、困ったように眉を顰めて残りを飲み干し、そのまま横になる。





「ふぅ・・・」

「くつろいでるわねぇ・・・」

「そりゃ、自分の家でくつろげないのも、寂しい限りでしょう」

「ま、そーだけどさぁ・・・」

「ふぁあ・・・」







 この位置からは顔が見えないが、欠伸をしたらしい。







「ちょっと・・・このまま、寝ないでよ」

「自信・・・ないな・・・ぁ・・・」







 ・・・おいおい。







 声が完全に眠そう声になっている。

 折角、現役女子高生を家に招き入れて置いて、その態度はないような気がする。

 食事をして、食べながら少しだけ他愛もない雑談をして、それだけだ。







 どうして?

 なぜ?





 ・・・そんな話はしていない。





 自分の方に振られて聞かれたくないのか、意識して避けてくれているのか、それと

も単純に忘れているのか・・・最後が、一番近い気もするが、何とも言えない。

 聞かれたら、どうはぐらかそうかと思っていたが、逆にここまで触れられないと、

自分から言い出しそうになる。現金なものだ。







「さてと・・・」





 ごろりと横になっていたが、急に起き出したのでビクリとする。





「な、何?」



 ちょっと慌てる。





「?・・・そろそろ、送るよ」

 こっちの動揺に不思議そうな顔をしながらも、そう言う。

「え・・・あ、う、うん」

「ん、まだ帰りたくないとか?」

「そ、そうじゃないけど・・・」

「駐車場、それ程近くないから・・・」

「う、うん」





 意外に、機敏に起きあがる。

 年寄り臭いと言われたことを気にしているのだろうか。





「眠・・・」





 口に手を当てて欠伸をかみ殺す。

 どうやら、眠りそうになったのが原因らしい。





・

・

・





 日が暮れるのが早い時期になってきたとはいえ、暗くなっておかしくない時間。

 小石を蹴りながら、歩いていく。





「あのさぁ・・・」

「ん?」

「どうして、今日、誘ってくれたの?」

「う〜ん・・・」





 その質問に、顎に手を当てて暫く考えてから、





「まぁ、メシは一人より、二人で食べた方が旨いし・・・」





 と、はぐらかしているのか、惚けているのか、平然と答えてくる。





「答えになってないわよ」

「何となく・・・一人で、帰りたくなかったから・・・かな」

「え?」





 ドキリとする。

 その言葉こそ、自分がずっとあそこに居続けた理由のような気がしたのだ。







「何となくだけど・・・、そんな気分になってね・・・」

「・・・・・・そ、そう・・・」

「うん。いけなかったかな?」

「だったら・・・・・・・・ないわ」

「?」

「ついて、行かないわよって」

「あ、でもホラ・・・食べ物に釣られたとか・・・」

「んなワケないでしょーがっ!」

「それも、そーか」



 もしかしたら本気だったのか、納得したような顔をする。





「もぅ・・・」





 私は思いっきり膨れてみせて抗議するが、ふと、気付く。







 左程、振り回されているわけでもないのに、しっかりペースを握られている。





・

・

・





 夜の高速道は、純粋に「道」という感じがする。

 ただただ、移動する為のもので、移動するべく車がそこを通る。





 昼間より、それを強くはっきりと意識する。







 ・・・余計なものが見えないから。







 ずっと横を向くようにして、景色でない、ただ車の動きに合わせて流れて行くだけ

のものを見つめ続ける。

 濃紺な背景を、対向車の色だけが、一瞬の全体を薄暗さを纏わせつつ通り過ぎる。





 遠くの建物から出ている光がうざったく感じる。

 真っ暗な方がいい。

 気持ちに、通じていられるから。

 今、思いだしている気持ちと同化、出来るから。







「・・・・・・」





 車に乗り込んで、行き先を簡単に説明してから、特に会話を交わしていない。

 駐車場まで、あれだけ話していたくせに、一度黙ってしまうと、その沈黙は重さを

感じる。

 今まで、こちらから、口を開いていないと今頃気がつく。

 向こうが黙っていると、話せない気分になる。

 そして、出会うまでの自分を思い出す。





 こうして、黙ったまま。

 こうして、座ったまま。





 あの時と、全然変わらない。

 嫌気が、襲った。





「あ、あのさ・・・」

「・・・?」





 前を見ながらも、一度、横目でチラリと助手席のこちらを見る。







「あ、あのさ・・・」





 特に考えなく、口を開いたので何を話して良いのか思い付かない。

 襲ってきた嫌気が嫌だったから、思い出したままでいるのが怖かったから、さっき

までの空気が懐かしくなったから、その思いだけで口を開いたので、言葉に詰まる。

 ただ、身体に残る不快感は、帰ってから身体を動かすことで解消出来ても、この心

の引っかかりは今しか、拭えない気がした。





「・・・・・」





 困ったように、相手の顔を見る。

 すると、







 何も言わないでいるが、どこか安心できるような顔をしているような気がする。

 急かすでもなく、後押しするでもなく。

 表情は穏やかの中に、惚けたものが混じっている。

 さっきまで、つかの間でも、忘れさせてくれた、ホッとさせてくれた、そんな安心

できる、気持ちを委ねられるような顔だと、思った。







 だから・・・少しだけ・・・







「正直・・・恋するってどういう事なのかしらね?」

「・・・藪から棒だね」







 頼りたく、なった。







「ふふ・・・どうやら私、本当の恋、したこと・・・ないみたいだから」

「・・・・・」





 ハンドルを握り、前を見ながらも気配だけ、綾香の方に向けたように感じる。





「今回はそうかなって・・・思ったり・・・したんだけどもね・・・違ったみたい」

「恋ねぇ・・・」

「そう・・・恋・・・」

「・・・・・・」





 それ程長いドライブにはならない。

 料金所を出てから、つい下を向いて顔を上げて、改めて隣を見る。





「貴方は、どう?」

「俺?・・・ん――・・・そうだなぁ・・・どれが恋かどうか何て、俺もわからない

けど・・・逆にどれが恋でないとも決めるまでも、いかないけれどね・・・」

「・・・・」

「・・・・」



 そんな言い方に、じっと顔を見つめるが、相変わらずのまま。

 意見なのか、皮肉なのか判別がつかない顔をしている。





「・・・・・」

「・・・・・」

「いつか・・・わかると・・・いいね・・・」

「うん・・・」





 男の言葉に、静かに頷いた。

 見馴れた、見飽きた景色が見えてくる。

 家まで、近い。





「何か・・・あ〜すっきりした。今日はどうも、ありがとね」

「・・・あ?、ああ。こっちも・・・楽しかったよ」





 最初、こちらの変化について来られなかったようだったが、すぐに穏やかに笑う。

 見せる笑顔ではなく、言葉の結果の笑顔。







 遂、つられて・・・から、自然と、応えるように・・・。







 笑顔の区別が付き始めていたのを満足しながら、家までの距離がはっきりとわかる

場所に来ているのに気付く。





「この辺でいいわ。止めてくれる」

「OK」





 あっさりと、言って車を止める。

 呆気ない程。





「・・・いいの?」

「?」

「家、知りたかったり、しない?」

「ん?・・・別に・・・何で?」





 予想通りの答えだが、何か、悔しい気もする。





「う・・ううん・・・それならいいけど」

「?」





 惚けているような、顔のまま首を傾げる。





「暗いけど、大丈夫?」

「ええ。でも・・・帰ったら叱られるだろーけど」

「一緒に謝ろうか?」

「余計面倒なことになるって考えない?」

「ん・・・確かに」







 ちょっと考えてみたらしく、苦笑するのが判る。

 助手席のドアを開け、外へ出る。

 夜風の冷たさが、どこか言いようのない弛みに包まれていた身体を引き締める。

 晒されていた心を取り戻すが、それ程は強迫観念にとらわれない。

 今度は同時に、車の中のやりとりが、家の中でのやりとりが思い出せたから。







「ん・・・?」

 気付かない内にじっと顔を見続けていたのだろう、こちらの視線に不思議そうな顔

をする。





 色を意識する。

 とっても奥深い・・・深淵の、それでいて暗くない・・・白に近くて、純白じゃな

い・・・ちょっとだけ暖色掛かったような、色。





 かすれた、感じで、

 掴み所のない、はっきりしない色。





 そう、深くて、暗くない。

 暖かそうで、明るくない。





 はっきりしない、ぼやけているのではなくて、元々、乏しい色。





 そんな色を感じた。

 人の、色。

 心の、色。







 ふと、こんな感覚がどういうものに近いか、思い当たる。





「どうして・・・か、わかった気がする」

「何が?」



 こんな私の感覚を知らないから、気付くわけがないから、唇から漏れた呟きに、不

思議そうに聞き返す。





「・・・あなたに、ついていったのか」

「え?・・・・・・あ〜、・・・・・・何で?」





 不意をつかれた顔、漫然と考えてみる顔、簡単に放棄して聞いてくる顔。

 その動きを予想して、微笑みながらじっと見つめる私の顔。





 開け放たれたままの、ドアを挟んで、向かい合う。







「・・・・・何かね、すごく、お爺ちゃん相手に話しているような気分になったの」

「?」

「ほら、何か好々爺然としてる感じじゃない」

「そ、そーか・・・」





 何か、嫌そうな顔。

 初めて見たけど、けっこう、可笑しい。

 年寄り扱いな事は意外と、言われているのかも知れない。







「・・・君のお祖父さんが、そんなタイプなの?」

「ううん。全っ然、違うわ。正反対。・・・かなり、苦手にしてる」

「あ、そう・・・せめて、「お兄さんみたい」ぐらいに、割り引かない?」

「嫌」

「・・・・・そ、そうか・・・」







 かなり、困った顔。

 笑うのに、必死になる。







「ショック?」

「ん・・・少し」





 身を乗り出して聞くと、あっさりと苦笑して答えてくる。正直に。





「ふふっ・・・はははっ!!」





 そこで、堪らずに押さえつけていたものが、腹から出ていくようにして笑ってしま

う。

 静寂な夜道に、自分の笑い声が響く。

 それを困ったような顔をして、それでも苦笑を崩さないで見守っている。

 仕方ないと言うように。

 そこがまた、大人の風格というより、達観した老人らしくて、笑えてしまう。





「ねぇ」

「ん?」





 一頻り、笑った後、ドアに手を掛けて聞く。





「・・・また、話聞いてくれる?」

「別に、いいけど・・・」







 ちょっと不安になったけど、それ程嫌な顔はしていない。

 ただ、戸惑いが感じられた。

 口に出しそうな事が何となく、わかった。





 場所ぐらい、覚えている。







「じゃあ、暇、見つけたら遊びに行くから」

「え・・・あ・・・ああ」





 ドアをこちらから閉め、そのまま何も言わせない態度を取る。

 案の定、これ以上、聞いてこない。

 野暮なことを、言わせない。







「じゃ〜ね〜」

「・・・おやすみ」







 元気良く手を振ってみせる。

 窓が開いていたので、微かに、声が聞こえた。









 …あ、電話番号、聞くの忘れた・・・。







 それに気付いたのは、家で叱られて、自分の部屋に戻った時の事だった。

 そして、それどころかお互い、名乗ってもいないことに気付いたのは、それから数

分後のことだった。







 …不思議そうな顔、する訳よね・・・。







 迂闊な勘違いだったので、その後暫く、笑いが止まらなかった。







・

・

・





 初めて会ってから何となく過ぎた半年、学年も二年になり、一番落ち着ける春、そ

してそのまま突入した夏休みも半ば過ぎになった。

 アパートを強襲しようとしたら、部屋から大人びた女性が出てきたりして、慌てて

身を隠した事もあったが、概ね、関係としては問題はなかった。







 私が喋り、それを静かに聞いてくれる。







 それだけを、続けていく関係に、申し分はなかった。

 両親もそれなりに理解はあるし、無口で大人しい姉もいるが、どうしても適当に言

い散らすだけの、思ったことをただ口にすることの出来る環境は、心を落ち着かせる

にはもってこいだった。

 縁側で子供が駄々をこねるのを、静かに聞いてくれるお爺ちゃんお婆ちゃんがいて

くれるのは、ホッとする。





「ねぇ・・・」

「ん・・・?」

「実はさ・・・最近、結構、気になる人、出来たみたいなんだ」

「へぇ?」







 そう言いながらも、興味は目だけで示してくる。

 しつこくは、聞いてこない。

 踏み込んで、来ない。







「気になる?」

「・・・聞かせたいって顔してるけどね」

「あ・・・そう?。ははは・・・」





 釣り竿を固定したまま川を眺めていたので、顔はこちらに向いていなかった。

 けど、口元は多少歪んでいる。笑っているのだ。

 こっちも、照れるのを誤魔化して笑う。





 強引に連れ出さない限り外出を好まない相手を、今日も川釣りへと引っぱり出して

相手をさせている。

 ものぐさな質のようだが、それを押し通すことはそれほどしない。

 気がいいのか、単純に執着がないのか。







「・・・でも、大きな壁があるのよね〜」

「・・・・」

「姉さんが・・・そいつのこと、本気で好きみたいなの」

「・・・・」

「ほら、前、言ったことあるでしょ?、すごーく積極的で、姉さんにちょっかいかけ

てる、「お友達」。何か目つきだけがいただけないんだけども、かなり根性ありそう

な奴・・・」

「・・・ああ、覚えてるよ」

「そいつとねぇ・・・あれから結構、会う機会あってさぁ・・・」





 どうも、一人で喋っている。

 けど、それが何だか自然だし、自分もつるつると気持ちよく喋っている。

 聞いていないのかと思う時もあるが、何か聞くと必ずそれなりの返事してくる。

 喩え、惚けていても聞いていない訳じゃない。

 それが嬉しくて、また色々喋る。

 まさに、縁側のお婆ちゃん状態だ。





「あーあ、姉さんとは性格は違うのに・・・意外と、趣味とか似てたりするのよねぇ

・・・」

「ふぅん・・・」

「あ、何か面白がってない?」

「いや、別に・・・」





 肉親の愛情に恵まれなかった訳ではないけれど、こんな時間はどうしても今まで持

った事はなかった。

 だから、とても心地いい。





「それじゃあ、もう一つ、そいつの話なんだけどね・・・ほら、私がやってる格闘技

の・・・それで将来有望な娘がいるって話もしたわよね・・・その娘もどーもねぇ・

・・」

「・・・へぇ、モテるんだな」

「それが、わかるのよねぇ・・・悔しいけど・・・」





 腕を組んで尤もらしくうんうんと頷いて見せる私に、閉じていた文庫本を開いて、







「他人の、その人への感情を、気になりだしたら・・・って言うけどね」







 とまぁ、言ってのける。

 そして、





「すごく自然体に接してくれるし、話してて楽しいし、何か・・・凄く嬉しくなるの

よね・・・これって・・・恋かなぁ・・・」

 そう誤魔化し混じりに戯けたように聞くと、

「さぁ?・・・・・・ただ」

「ただ?」

「自分の良さを他人に気付いて貰える人って・・・必ず誰かが捕まえていること、多

いみたいだけどね」





 経験談か、体験談か、先達者らしい言葉が続く。

 こういう所も、年寄り臭い。





「・・・言うわね」

「たまには、ね?」

「たまに・・・かしら?」

「さぁ?。でもまあ、人を好きになるってのも、いいことだと、思うしね」

「応援してくれる?」

「応援?」

「そう。私の・・・今の・・・この・・・」





 流石にちょっと言葉に詰まる。

 はっきりとは言えないが、そんな状態になること自体が自分の気持ちを肯定してい

る気もすると感じる。

 こんな気持ちは、以前の時にはなったことがない。

 それだけ、気になる人、だと言うことかも知れない。

 ただ、それと同時に破れた時の事を考えると、あの時以上の寂しさを覚える気がし

て怖かった。

 それだけに、今度は、初めから、側にいて欲しくなった。





 押しやる勇気が、ないだけに。







 でも・・・







「負け戦に加勢するのはちょっとなぁ・・・」

「負け戦・・・負け戦ってなによー」

「でも、どこか諦めてるだろ・・・」

「え・・・」







 言葉に、詰まる。

 さっきとは違った意味で。







「・・・・・・」

「ま、何がどう転ぶかなんて誰にも、わからないしね・・・」

「・・・・そう、かな?」

「ん――・・・」





 答えない。

 そして、さっぱり釣れない釣り竿を見ることを放棄して、横になる。

 洞察力に長けている事に結構、気付かされたのは遂最近のことだ。





・

・

・





 それとなく隠していた私の家の事が、急用で迎えに来た執事の乱入でバレた時、こ

の気安い関係が崩れたと思った時だった。

 釣り堀に不釣り合いな黒服の執事の乱入とその口上に、内心で取り乱したすのを押

さえながら、相変わらず口五月蠅い老人を適当に言い散らして追い返した後、取り敢

えず、口に出たのは、ありきたりな謝辞の言葉だった。





「・・・その、御免」

「?」





 台風が過ぎ去った後も、こんな顔をしているのだろうと言う顔をしていた。





「だって・・・その、話してなかったし」

「何が?」

「その・・・私のこと・・・」

「来栖川ってこと?」





  コクン





 首を縦に振る。首が揺れたぐらいの動作だったが。







「・・・ん――・・・」

 困ったような顔をする。

「それとも・・・知ってた?・・・驚いてないし」

 ひょっとしたら、って気がして聞く。

「・・・何て言ったらいーか知らないけど・・・そもそも、最初から言わなかった時

点で、多少は何かあると考えるのが普通じゃないかな?。まぁ、だからどうって聞く

のも何だしね」





・

・

・





 結局、知っていたとも、知らないとも言わなかった。

 ただ、それが彼の気の回し方だと思うと、納得できた。





 だから、今も、そうなのかと思う。

 はぐらかしただけかも知れないが。







「・・・・・・」







 何か、言いたかった。







 …別荘での信じがたい体験談でも、話そうか。







 荒唐無稽な出来事で、何か急に頭の中では思い出滲みた話になっていたが、話せば

信じそうな気がする。

 固く、口止めされていなければ話したくなる。







 取り敢えず、反論しておこう。

 弱々しくても。

 そう思い、口を開く。







「・・・ねぇ・・・」

「ん――・・・」







 ふと、言おうとしたことが変わる。







「・・・引いてるわよ」

「へ?」







 忘れていた釣り竿が、動き出していた。





・

・

・





「やっぱり、行き当たりばったりは駄目ねぇ・・・」

「ま、こーゆー日もあるわね・・・って?」

「こら、先回りしない」

「ははっ・・・」





 空っぽのクーラーボックスと釣り竿を後部座席に押し込む。

 結局、軽く騒いだだけで、有耶無耶に沙汰止みになった。





 自分でも気付いていたことを気付いていて、

 更に、気付かないで置こうと思った事まで、気付いていたようだったから。







 憧れてるだけで、見つめているだけで、

 争う勇気が、ないのだ。

 踏みにじる気力が、沸かないのだ。







 だが・・・

 最後まで言わないで、気付かせたとも言えない程のところで手を離す。



 その手口が、老獪な計算なのか、単なる地が出ただけなのか判らせない所が狡いと

思う。

 ある意味、卑怯だとも思う。

 それが、優しさからだとしても。







「ねぇ・・・」

「ん?」

 車に乗り込もうとするのを制するように、切り出す。

「聞いて、いい?」

「何を?」





 だからこの顔をどうへこますかが、差し当たっての反撃目標だ。

 何か、悔しいから。





 うん。

 はっきり言われるよりも、悔しかったから。







「前・・・訊ねようとした時に見たんだけど、部屋から出てきた女性って・・・貴方

の彼女?」

 今まで、とっておいた攻撃材料を使うことにする。

「春・・・?。・・・集金のおばちゃんとかじゃなくて?」

「惚けたって無駄よ。たしか黒いシャツ着てて、何か気怠そーな顔してて・・・」

「ああ」

 そこで、ようやく思いだしたという顔になる。そう、演技しているのかも知れなか

ったが、判別はつかない程、自然だった。





「彼女・・・ね・・・」





 苦笑いを、浮かべる。







「そーそー、何?、別れた彼女か何かかしら?」

 肘で脇腹の辺りを突っつく。姉とか言うオチだと悔しかったので、違う雰囲気にホ

ッとして、ことさらにせっつく。







「兄の・・・ね」

「兄?」

「そ」

「踏み込んで、聞いていい?」

「どーぞ」

 そうくるだろうと予想しきった顔をして、言う。

「何で貴方の兄の恋人が貴方の家に行くわけ?」

「失踪したから」

「逃げたの?」

「さぁ?。そこまでは・・・」





 判らないとばかりに、両手を広げるゼスチャーをする。







「で、今は?」

「消息不明。大学院からも、実家からも、住んでいたアパートからも。連絡も無し」

「何か、トラブル?」

「・・・・・・かもね」

 ちょっとだけ、逡巡したように見えた。





 これ以上、聞くのは、いけないかも知れない。

 色々、あるもんだ。

 人には。





 改めて、思う。

 こんな暢気な生活の裏にも、それなりの事はあるのだろう。

 今更ながら、知らしめられる。







「ちぇ〜、何だ、折角からかってやろうって思ってたのに・・・」

「なら、代わりに・・・良いこと、教えて上げようか?」

「何?」

「ちょっと前、お前の家の人間がうちに来た」

「え!?」

 思わず、聞き返す。

「そりゃ、自分トコの娘が変な男と遊びに行っていることを知ったら、それなりに反

応してくるだろう?」

「で、何か・・・」

「問題があったら、それなりに何かあった筈だろ?」





 何も、今まで言われていない。

 今日だって、普通に家を出た。





「何も言ってきてないみたいだから、そのまま知らない振りをしていた方がいい。向

こうがそうしてくれているんだから」

「・・・・・・何か、狡いわよね」

「ま・・・そーゆーこと。人間はさ・・・狡い生き物だから・・・鈍い振りをする事

で、気付かない振りをする事で、かわすことがあるんだ」

「かわす?」

「例えば・・・正面から振るよりも、気が楽だろう?」

「・・・?」

「『人が良い』の半分は、それなりの狡さを持ってるんじゃないか?。天然だとして

も」

「え?」

「・・・・・・だから、それを判った上で、踏み込めるのなら・・・応援したんだけ

ど・・・ね」

 そこで、誰の事を言っていたのかようやく気付く。

「・・・言っている本人が一番、惚けている気がするけど」

「・・・違いない」

 笑う。

 あっさりと肯定して。





 遂、この間のことを思い出す。

 無茶苦茶で、最高に危険で、これ以上ないほど楽しかった別荘地先での出来事。

 改めて、あいつの良さを実感できた短いながら充実した日々を。

 その人の良さは誰にでも平等で、誰もが惹かれているように感じた。そして、互い

に怯んでいた。互いの存在に。その存在に向けるあいつの優しさに。



 でも、それに唯一の、例外があった。





 そのあいつにとっての例外だったのが・・・。







 …どうして、気付かなかったんだろ。







「ううん・・・そっか」

「?」







 …常に動くものに気を取られてて・・・ずっと一緒に、動かないで留まってくれた

から・・・







「だから・・・気付かなかったのか・・・」

「え?」





 あいつも。

 わたしも。







 私は、私だけで納得する。

 勿論、隣は判らないし、気付かない。

 あいつにとっての彼女は、私にとっての・・・。







 ・・・飛躍し過ぎだ。







 苦笑して、隣を見るのを止める。





「・・・・・・今日は、何か疲れたな・・・」

「そうね」





 いつもより、喋り過ぎた気がする。

 向こうも、いつになく喋った。







 夕焼けが、眩しいと思った。

 染め上げるように、染み込ませるように、二人を照らしていた。









 …その日から、少しだけ、私は多く年を取ったように思えた。









                          <完>



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 何となくシリーズでしたが、各話読み切りで、繋がらなくても読めるものを作って

きたつもりでしたが、前作はあれだけでは「わからない」とのこと。自分でも相手キ

ャラがはっきりと「キャラがたって」しまったので、この際、ちょっと整理しておき

ます。THの直後の夏休みにLF97があったと言うのが前提です。



『いっしょに、過ごそう』TH&LFの 二年後以降(両者、大学生設定)

『願いはひとつ 〜七夕の終わりに〜』TH&LFの 一年後の七夕

『好きになったのはわたしから』TH&LFの ?。『あなたを、』と『願いは』の間

『あなたを、待っていました』TH&LFの 当年の文化祭時期(11月?)

『あなたとわたし』TH&LFの 直後の残りの夏休み(&一年前の文化祭時期)


http://www1.kcn.ne.jp/~typezero/kukuno.htm