『A musical box(未完成版)』 投稿者:久々野 彰
『A musical box』


  …分かんないよ、結局・・・。

  彼は僕にそう言った。何時、何処で、誰が言ったのかは覚えていない。ただ、その
言葉だけが強く僕の耳に残っていた。何て事無い言葉なのに、ひどく鮮明に覚えてい
た。詰らない言葉なのに・・・。


  ハァッ、ハァッ、ハァッ、ハァッ

  昼間の筈なのに生地の厚いカーテンが閉じられた真っ暗な部屋に、微かながら呻き
声が聞こえて来る。それと同時にスプリングの軋む音が響く。そして荒い呼吸音が室
内の温度を上げていた。
「んっ!!・・・。」
  その荒々しい声の主が、上げる短い呻き声。


「・・・・・」
  無言で天井を見上げている目。作られた目。俺はその視線から背を向けるようにベ
ッドの淵に腰掛けながら煙草を一服する。いつものことだ。

  メイドロボット・・・それが一般的に呼び親しまれるようになったのかは俺には分
からない。俺が物心ついた頃には、それは金持ちのステータスシンボルの一つであり
、俺が一人暮らしを始める頃には、誰でも買える代物になっていた。
「・・・・・」
  命令が無ければ自分で動く事をしない。本当にタダのロボットだ。試作品段階では
かなりの自主的に動けるものや、感情までを持てるものまであったと言うが、上にい
る奴等の物はどうだか分からないが、所詮は俺の一人暮らしを心配するお袋が持たせ
た程度の物では、この程度が精一杯だ。だが、本当に一人暮らしには助かっているの
で、問題は無かったが。雑用ロボットの身分とすれば。

「オイ、そろそろ・・・シャワーに入るぞ」
  煙草を灰皿でもみ消し立ち上がると、短い返事と共に『ミグ』が立ち上がり、俺の
後をついて来る。命じれば何でもやろうとする。だが、命じなければ何もしない。高
級品との違いに今更ながら、苛立ちを見せる。
  初めてメイドロボットを開発した会社が販売に踏み切ってから、次々と色々な会社
が似たようなタイプのロボットを開発、販売してかなりの年月が経つ。この『ミグ』
もその中の一つだ。昔のソ○ーやパナ○ニックに対しての○イワの様な立場の会社で
一番のメリットはその安さにあった。だから、あまり他の製品に比べると見劣りする
所が多い。それが苛立たせる原因にもなるのだが・・・。
  初めはこれらのロボットをメイドロボと名付ける事を、初めに作った会社が嫌い、
裁判沙汰にまで進展していたらしいが、和解したのか敗訴したのか、これら全てのロ
ボットの事をメイドロボと呼び、それ以外の呼び方を少なくとも俺は知らなかった。


  シャアアアアアァァァァ

  服を脱ぎ、風呂場に入るとシャワーを浴びる。これがいつもの習慣だ。俺はいつも
より少し熱めのシャワーを浴びながら、石鹸とスポンジで俺の身体を洗うミグをぼん
やりと見ていた。何の事はない、これもいつもの習慣。だから、ミグも言われなくて
も自発的に行う。嫌な時にだけ、そう言えば良い。

  改めてミグの身体を観察する。多少の例外を除き、大体のこのテのロボットは女の
子の姿をしている。この事については色々な意見があり、様々な騒動が起きたようだ
が、理由は明白である。女の子の姿をしたモノ・・・本当の女の子の代用品。つまり
これは誰が何と言い繕うとも、タダのダッチワイフである。若い独身男性がこれを買
う時に家族の一員として買うのか。介護用に買うのか。否である。メーカーも心得た
もので、それに対応してあるのが一般的で、この『ミグ』もそうだ。この事について
は一番問題になった筈だが、俺の記憶に無い。人間の欲望こそが何よりも優先される
のは当然の事だ。少なくとも俺はそう思うし、実際売り上げの一番がそれら、若者で
ある事実がそれを証明している事を認識しなくてはならない。
「・・・・・」
  熱心にそして丁寧に俺の身体を洗うミグの姿を見つめる。甲斐甲斐しい、いじらし
い姿だ。そしてその決して成長する事の無い体つきを眺めていると、思わず先程の事
を思い出して勃起してしまう。ハタから見ると誠に醜く、とても浅ましい姿だが、別
に気にする程の事はない。己の欲望のままに再びミグを抱き寄せる。
「・・・あの?」
  俺の身体を洗うといういつもの行為を中断されたミグは、数少ないボキャブラリー
を駆使しようとして俺の顔を見る。俺は構わずミグの唇を唇で塞ぐ。これが、合図で
ある。ミグも理解したらしく、ゆっくりと身体の力を抜くのが分かる。
  …ん・・・。
  身体は行為に没頭しながらも、頭の片隅にはミグの事を考える。今迄はこのミグに
対して手をつける事はしなかった。一人暮らしを長く続けていたが、友人の多くが自
分の持ち物を自分勝手に扱っているのを見ても、そんな気が起きなかった。
  別にメイドロボットに敬意を払ったり、感情的になった訳ではない。ただ、家電に
欲情する、人間でないモノに性的感情を持つ事の方が、ひどくあさましい事に感じた
からである。それに、別に機械に手を出さなければどうしようもない程、モテない訳
でもなかった。

  だが・・・。

  その日は、酷い、本当に酷い一日だった。その日は晴れていたのか、小雨が降って
いたのか、それすら覚えていない程だった。彼女に男がいたのは知っていた。別れる
と言われたって別に気にもしなかった。だが、彼女は最後まで、本当に最後の最後ま
で、俺に本当の事は言わなかった。あの様子だと、本当の事を指摘すれば、逆上して
人の事を偏執狂かストーカーの様にボロクソに言う。そんな醜さを感じ、黙って何も
言わなかった。最後に、本当に最後に別れる時、彼女の口元に見せた微笑みが忘れら
れない。嘲った笑み。何だか、裏切られたような気分になる。彼女にではなく、彼女
と付き合っていた自分に。その日は酷く人間を、自分を嫌った日になった。

「お帰りなさいませ・・・」
  いつもより不機嫌な俺を、いつもと変わりなく迎えるミグ。初めて俺によって起動
された時から、変わりないミグ。決して裏の無いミグ。従順な、裏切らないタダのロ
ボット。意志の無い人形・・・。

  ・・・不思議に自然に抱けた。重い筈の身体がひどく軽く感じた。


  今迄、自分のメイドロボットに手を付けて、それを自慢しているような人間が嫌い
だった。それ以上に自分のメイドロボットを大切に、恋人や肉親のように扱う人間が
嫌いだった。だが、今の自分はどうだろうか。

  ミグを相変わらずモノとして扱う自分がいる。
  ミグを性欲の発散対象として抱く自分がいる。

  自暴自棄になったのがきっかけだったかも知れない。他にも色々言い訳はある。し
かしそんなものは詭弁でしかない。例え誰が何と言おうとも、自分がよく分かってい
る。堕ちたとは思っていないが、健全でないのは間違い無い。元々人と付き合うのが
苦手であったが、更にひどくなった。だから、今の自分はまさしくそんな輩と同じ、
嫌悪すべき人間の筈だった。

「だが、悪くない・・・」
  事が終った後、何だか幸せそうにしているミグを見て、俺は思わずそう思ってしま
った。以前の自分では絶対にありえない感情。
「・・・魔性か」
  誰かが、そう言っていた。そんな言葉を思い出していた。

  それからの日々。積み重ねの毎日。だが一度として同じ事の無い一日一日・・・。

  某月某日――――泡沫だったあの日。

「これは・・・使えるな」
  それから暫くして俺はいつしか電子街秋葉原に通うようになり、色々な店を巡って
は『ミグ』に使えそうな部品、改良出来そうな機械を買いあさるようになっていた。

「どうだ?。調子は?」
「良好です。御主人様・・・」
  日に日に賢くなる『ミグ』。以前よりも色々な事を覚え、考える事が出来、表情も
豊かになり、色々な感情も芽生える程になるまでにはそんなには時間はかからなかっ
た。その為の勉強も怠らなかった。だからミグの事は誰よりも詳しいし、メーカーが
新型ヴァージョンを次々と発売していこうとも、目もくれずにミグの改良を続けてい
った。俺は別に有能なメイドロボットが欲しかった訳でも、買い替える事を面倒くさ
がった訳ではない。『ミグ』でなければ、駄目だったから。そしてその成長を見る事
が楽しかったから。だから、進歩していく"彼女"を見ると、更にもっと良くしてやろ
うと、思ってしまう。
「ありがとうございます。御主人様」
  何だか、俺は柄にもなく嬉しかった。

  某月某日――――きっかけのあの日。

「ん・・・」
  手に持つ包装された箱の中身は散々吟味して購入したオルゴール。ミグが何かで聞
いたらしく気に入った曲のオルゴールだった。仄々と、心地好い感じの曲だった。ど
うしてこんな物を買ってしまったのか、本当に変わってしまった自分に気付き、渡し
た時の事を考えながら、苦笑していた。そして冷やかしに寄ったいつもの店から出た
俺は妙なものを見つけた。『ミグ』がいた。見知らぬ男に連れられて、歩いていた。
勿論、俺のミグではないだろう。同じ型のロボットに過ぎない。だが、何だか気分が
良くなかった。

「どうなされなした?。御主人様」
  帰宅した俺の顔色を気にして、そう尋ねて来るミグ。彼女はいつしかここまで成長
していた。きっかけは俺の改造だが、ミグ自身の努力の結果である。確かにもう既に
一般的にはもっと優れた機能を持つメイドロボットが街にもうようよと存在する。だ
が、このメグの様に精根込めて育てられた、改良されたロボットは他にはいない。そ
う思うことが俺の慰めだった。何となく、オルゴールは渡しそびれた。

  某月某日――――壊れ始めたあの日。

  どうも人間関係が上手くいっていない。そんな事を思ったのは別に初めてではない
。何度となく大学院で感じさせられる事である。最近ではもっとひどくなっているの
も分かる。だが、以前では気にしないでいられたのに、とても身に詰まされる。それ
はどうも、『ミグ』と関係があるようだった。あの日、街で『ミグ』と出会い、家で
『ミグ』を眺める毎日。何だか、詰らなく感じる。日に日に味気ない、色あせた気分
になっていった。だから他の部分に気がいくのかも知れない。
  だから、俺は大学を抜け出して街に出た。もう一度、『ミグ』に会いに行きたかっ
たのかは分からない。ただ、期待はしていた。


「ど、どうしました!?。御主人・・・さ・・・ま」
  驚愕した表情で俺を見る『ミグ』。そんなにひどい顔をしているのだろうか、そう
思うと鬱積した気分が増す。だから無言でやり過ごす。居心地が悪そうにしているミ
グを完全に無視する。これでも、俺は譲歩したつもりだった。

  街で会ったのは、『ミグ』では無かった。

  彼女は、俺の顔も見ずに言った。久し振りに出会っただけだ。別に何をしようと思
った訳でもない。街で偶然に出会っただけだ。だが、彼女は何を思い違いしていたの
か、非常に汚らわしそうに、吐き捨てた言葉。
「貴方じゃ・・・もう嫌なの」
  人間。俺を裏切る存在。俺は・・・そんな人間の一員なのだ。

  某月某日――――脅えたあの日。

  あれから俺は何に対しても無関心になり、それでいて苛立ちを覚えるようになって
いた。大学でも、街でも、家でも、何にでも・・・。
  大学では完全に誰とも話す事は無くなっていた。街では行き付けの店も通わなくな
っていた。そして家では・・・。

「お帰りなさいませ。御主人様」
「・・・ああ」
  煩わしいながらも、『ミグ』に返事をする。あれから、もう弄る事も、抱く事もな
くなっていた。会話すら、必要最低限の事しか喋らない。空気が悪いのを感じて、努
めて明るく振る舞おうとするミグ。俺はそれに気付いてはいるが、どうする気も起き
なかった。いや、出来なかった。
「すぐに、夕飯の支度が出来ますから・・・」
  そう俺に笑顔で言うミグ。その顔を見て、二つの感情が俺の心の中を埋める。

  後ろめたさと・・・恐怖。

  俺はミグを恐れていた。そう、その時に初めて気付かされた。


  某月某日――――崩れたあの日。

「あ、お帰りなさいませ。御主人さ・・・」
  分かっている。ミグは今、俺に声をかける事が良くないと。俺を・・・気遣ってい
る。俺を・・・
「ロ、ロ・・・」
  この時、自分の感情がどうしようもなく爆発しようとしているのが分かる。
「ロボットの分際で!!」
  そう言う自分がそこにいた。

「お前もっ!  お前もっ!  お前もっ!」
  そして、俺は夢中で拳を振り上げ、馬乗りになってミグを殴っていた。何度も何度
も、罵りながら、叫びながら、喚きながら、ただただ、殴りつけていた。


  今日、街で『ミグ』を見掛けた。この間とは別の男に従って。勿論、同じ『ミグ』
では無い筈である。だが、俺の目には・・・俺の目には・・・裏切りに見えた。理不
尽な言い掛かりである事は、その時も分かっていた。だが、感情の膨らみを堪える事
が出来ないでいた。だから、まっすぐ家へと向かう足を止める事は出来なかった。


「くそっ!  くそっ!  くそっ!」
  反撃してこない。勿論、ロボットが人間に危害を加える事は出来ない。制作段階か
らこの事は重視されているので、いくら改良しようとも、この部分だけは弄れないよ
うにされている筈である。だが、何かして欲しかった。罵ってくれても、泣いて見せ
ても良かった。殴り殺されたって良かったのに・・・『ミグ』は微笑んでいた。慈愛
の籠った眼差しで、俺を蔑む訳でも、哀れむ訳でもなく、優しい微笑みを浮かべてい
た。ただ、殴られるまま、俺を見つめていた。俺は泣いていた。泣きながら、殴る手
から血が出ようとも休まずに、殴り続けるしかなかった。駄々っ子の様に殴り続ける
俺の視界に何かが見えた。奥に引っ込めていた筈のオルゴールの入った箱。包装紙に
リボン、全てそのままの状態なのに、俺の見える所にそれはあった。その箱を掴んだ
事を覚えている。そして、それを振り降ろした事も・・・。


  気が付くと、俺はゴミ捨て場に立っていた。増え続けてちっとも減ろうとはしない
ゴミの山の上に、新たなゴミが積み重ねられていた。
  今、俺が出したばかりの・・・新しいゴミ。

  新しく、メイドロボットを買わなくてはいけない。十分に買えるだけの金は持って
いた。最新型の、高性能の代物でも買えるだけの金が。
  だけど、今度も旧式のを買おうと思う。決して、決して・・・手を加えたりしない
で、淡々と命令だけをこなすだけの、ただの"雑用ロボット”を。



  今、俺の家にはオルゴールが転がっている。壊れて音の出ないオルゴール・・・だ
が、たまに動き出す事がある。正常に音は出ず、所々詰まりながら、曲が流れる。

  たどたどしいが、ひどく仄々と、それでいて心地良い曲が、一人しかいない俺の部
屋を流れていた。

                                                          <完>