泡沫(うたかた) 投稿者:風見 ひなた
 春が過ぎ初夏が来てやがて暑い夏が来ても病室はそこだけ時間が止まったよう
にただ恒久が満ち満ちている。
 時折思い出した様に見舞いに来ていた者も今はなく彼女はずっとベッドに横た
わる。
 風は吹かぬ。
 静寂を破るものはない。
 時は流れない。
 彼女はずっとオブジェのように横たわる。
 ただ窓から照りつける日差しだけがこの世に時間というものがあることを教え
てくれる。
 時の流れからも人の流れからも取り残された彼女はここで眠り続ける。
 ただ、ここで朽ち果てて行く。
 それでいい。
 辛い外の世界よりは安逸なここにいた方がいい。
 夢の王子様など居ないと知ったのだから。

 あるときついと外の風が少しだけ吹き込んだ。
 一人の少女が彼女をじっと見下ろしていた。
「今日ね、学校で席替えがあったんだよ」
「もうすぐ夏休みだもんね」
「私も受験生になっちゃったんだね。一緒に勉強したかったなあ」
 そんなことを話しかけてくる。
 彼女はただ答えず与えられた安息を貪る。
 二人が空回りしていく。
 それでも少女はめげなかった。
「オルゴール、あのときからまだ大事に置いてあるんだ。早く退院して一緒に聴
こうね」
「今日ここに来る途中で真っ白な蝶々を見つけたんだよ。この時期に珍しいね、
蝶々なんて」
「ねえ」
 少女は彼女の腹の上にうずくまると、呟いた。
「答えてよ…起きてよ。私、もう待てないよ?」
 ぽつりとシーツの一点が湿った。
 彼女はやはり答えない。
 しばらくそうした後、少女はゆっくりと立ち上がった。
「ごめん、ちょっと電話掛けてくるから大人しくしててね」
 そう言い残して足早に病室を飛び出して行く。
 目尻を押さえていた少女は、洗面所に飛び込んで涙を洗い流すのだろうか。
 また病室に静寂が帰ってきた。
 しかしそれは今までと違い重苦しいものであった。
 突然ばたんと窓が開いた。
 凄まじい音を立てて外の風が病室に吹き込んでくる。
 枯れかけた花が活けてある花瓶が倒れる。
 しなびた果物が床にばらばらと落ちる。
 要らないものは全て吹き飛んで行く。
 そして最後にそんな烈風にも負けず一匹の蝶が部屋の中に羽ばいてくる。
 それは悠然と風の中を浮かびながら、彼女の鼻先へと舞い降りていった。

 蝉達の声がこだまする。
 木々のざわめきが聞こえてくる。
 やがて少女が帰ってきたときに、どんな顔をして彼女を見るのだろうか。
 そんなことを考えながら彼女は目を見開く。
 ただ相変わらず静かにに照りつける夏の日差し。
 ひとときの夢から目覚める彼女の横には。
 真っ白な蝶が入れ替わりに眠っていた。

                 完