寒い寒い冬が明けると桜が咲く。 まだ少し残る寒さに首をすくめながら見上げれば満開の桜。そして少し温みゆく風。 ほっと息を付いてながむればやがてそこには葉桜があり照りつける日差し。 冬を感じて桜を眺め、桜を感じて夏を知る。 思えば春などどこにあろう。 いつの間にか来てすぐにまた消えてしまう春のうららは、だがしかし儚くして美しい。 なぜなら春はまほろばの季節。 幻界にたゆとううたかたの夢が迷いてここに現れる季節であるが故に。 桜が散れば、照りつける初夏の日差し。 首を過ぐ風は爽やかにして匂いよし。 その日楓は一人庭に遊んでいた。 陽が照らせば照らすほど、影は一層過ごしやすい。 楓は麦藁帽子を被って庭の大木に腰掛ける。 後少しすれば杉の季節、この辺りも花粉で一杯になってしまうが、今はまだかろうじて 春の穏健さが残る。 サマードレスが風になびく。 うららかな冬の後の風ではなく、それは初夏の前触れ。 そして消え去った過去の静かな残照。 失われた世界達が陽に照らされて目を覚ます。 楓は呼ばれたような気がして目を上げた。 突風が吹き、わずかに残っていた桜の花を上空に一度に吹き散らす。 どこにそんなに残っていたのかと思うほど、空は花に満ちる。 薄い紅に染まった世界の内で楓はまどろみを感じた。 かつて桜は風雅の花ではなかった。 その儚さがもてはやされるようになったのは後世に入ってからだ。 確かにそれは自分たちの死生観に良くあったものだと思う。 それでも楓は一瞬に咲く華よりも悠久に吹き続く風の方がいい。 目の前の幻を見て、そう思った。 気が付けば夏、桜は空の彼方に散り、楓は一人庭に佇む。 楓の傍らで芳醇な春の最後の息吹を吸い込んだ青年が目を覚ました。 「今、夢を見たんだ」 「私も見ました。幸せな夢でした…」 楓は心の中に付け足す。 しかし今のひとときに勝ることはないのだと。 楓が見たまほろばの夢。 過去から吹いてきた風。 それはきっと、暑い暑い春の一日の、遠い幻。 完 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― ひなた:まあ、こっちではもう桜が散っちゃったという事でそんなちっぽけな記念です。 みかか:楓を出したのは西山師匠への贈り物ですか? ひ:サマードレスの楓が書きたかったから。 み:個人の趣味か… ひ:まあ取り合えず師匠にこのssを捧げときましょう。 弟子の初めての楓ssって事で。