出で、優るもの 投稿者:風見 ひなた



 あいつがいなくなってもうどのくらいだろう?
 時間は流れ、人は変わる。
 あいつの妹はあいつ自身ではなかった。
 DVDで目覚めたあいつを、俺はあいつ本人だと思っていた。
 だが、違った。来栖川重工の差し向けたあいつの似姿。
 事実を知った時、俺は…壊した。
 あいつの似姿と、騙された俺自身の心を。
 逢いたい。今一度逢いたい。
 マルチ…俺の心を呼び覚ますもの。

「目標確認。破…」
 皆まで言わさず俺はHM−12型の首筋に電磁ナイフを突き立てた。
 ばしっ、という弾けるような音。
 もともと空虚な瞳が見開かれ、光を失っていく。
 そんな妙に人間臭い壊れかたは俺の心を一層苛立たせた。
 心も無いくせに、何故人の姿をしている?
 何故あいつの姿をしている?あいつの声で喋る?
 あいつでないなら、その似姿を破壊する事に俺は一切の躊躇を感じない。
 少なくとも俺はそうあるように訓練してきた。成果は生かされている。
「発砲します」突然耳慣れた音声が聞こえた。
 俺は反射的に目の前で沈黙するHM−12型を蹴り飛ばした。
 たちまちその腹部に穴が空いた。…多分そうだろうと思う。
 見ていないので経験からの推論だ。
 眉間に穴を空けた敵は崩れ落ち、一瞬のラグの後爆発を起こした。
 まずい事になった。俺は銃をしまいながら思う。
 今の爆発音は確実に警備ロボ達のセンサーに捕らえられただろう。
 もうじきに連中は退去して押しかけてくるだろう。
 もっとも…。
 皮肉げな笑みが顔に浮かんだのを感じる。
 警備ロボの反応が消えた時点で俺の居場所など既に知れているのだ。
 そして、もう、遅いのだ。俺はもうここまで来てしまった。
 来栖川重工ラボラトリー。マルチの居場所は近い。
 …もう誰も俺を止める事は出来ない。

 あかり…許してくれ。
 俺はお前の想いに答えてやれなかった。
 気付いていたのに、無視したんだ。
 マルチの似姿を壊しちまった時、お前は「私を見て」って言ったよな。
 だけど、俺は逃げた。
 大学を中退してアメリカに渡った。
 俺がアメリカに行ったのは電子工学とロボットの破壊技術を学ぶためでもあっ
たが、同じくらい、いや、それ以上にお前から逃げたかったんだ。
 放っておくと、お前を抱いてしまいそうだったから。
 抱きしめて、泣きつきたくなったから。
 お前を好きになっちまったら、俺がマルチに注いだ想いは何だったんだ?
 俺は…卑怯者になりたくなかった。
 いや、違う。 俺は、卑怯者だ。
 あかり…許してくれ、なんて言わない。
 でも、忘れてもほしくない。
 俺は…逃げ続けてここまで来た。

「あんたは大馬鹿で…卑怯者よ!」
 そうだ、志保。そのとおりだ。
 俺は妄執を捨てられず、とうとうこんなとこまで来ちまった。
 あげくにお前にラボの見取り図まで持ってこさせて…すまない。
 お前の気持ちも、あかりの気持ちも俺には重過ぎる…。
 
 マルチがいれば、何とかなる。蘇る。生きてゆける。
 その呪文はもう何万回唱えたろう。
 マルチ、その名を呟くだけで俺はどんな苦労も出来た。
 マルチ、その名の為なら厳しい戦闘訓練など物の数には入らなかった。
 マルチ、その名の為に俺はここまで来た。
 俺は後方を振り返った。
 数十体の警備用仕様のマルチの妹達が累々と通路に横たわる。
 体中が痛い。当然だ。元はメイドロボとはいえ警備仕様ならかなりの戦闘力を
持つ。伊達に黒服を一人も置いていないだけの事はある。
 センサーを誤作動させる電波で同士討ちさせてなきゃ5回は死んでいただろう。
 まあ、ラボ内という事で重火器を装備して居なかったのも俺が生き残った一因
だが。
 それでも腹のどこかの骨にひびが入っているのはまず間違いない。
 右足は流れ弾を食らって打ち抜かれた。失血死するほどのものじゃないが。
 唾液に血の味が混じっている。もう、慣れてしまったのでこれは言うほどのも
のでもない。
 まあ、もうそんな事はどうだっていい。考える必要など、もはや全く無い。
 俺は、ついにここまで来た。
 マルチ…やっと、お前を迎えに来れた。
 俺は力を振り絞ってドアを開いた。

「え?」
 俺は思わず驚愕の呟きをもらした。
 部屋の中央にうずくまる巨大な円筒。その内部でコードに繋がれた全裸の少女
は間違いなく俺のマルチだ。
 だが、その前で、いつか見た研究者―長瀬主任―の横で拳銃をこちらに向けて
いるのは―。
「センパイ…」
「………」
 簡素なスーツに身を包んだ、それでいて高貴な雰囲気のために少しも安っぽく
見えない女性は―美しく、誇り高く、そしてひどく懐かしい彼女は…。
 来栖川重工の若き会長、いや、俺の高校時代の憧れ…来栖川芹香。
「センパイ、いきなりで悪いけどそこを退いてくれ。俺はマルチを連れて行か
なけりゃならねーんだ」
 自分でも驚いた事に…俺の口調は、高校時代の俺そのもののものだった。
 しかし来栖川センパイはふるふると哀しそうに頭を振った。
「なんで!俺は、俺の恋人を連れに来ただけだぜ!?」
「………」来栖川センパイはただただ頭を振り続ける。
 いや、何かしゃべって居るのだが遠すぎて聞こえないのだ。
 その横にいる長瀬主任は沈黙して俺達のやり取りをただ見つめている。
「俺は…ここで帰る訳にはいかねーんだ!俺は、今この瞬間の為だけに生き続
けてきたんだからな!」
 その俺の一言で…センパイは眉を寄せ、銃口を定め直した。
 殺す気か…?
 俺はセンパイを見つめる。そして、一歩踏み出す。
「引くのか?」
 その低い声にびくっとセンパイの体が震える。
「引けねーだろ?引けねーよな?センパイはそんな人じゃなかったよな?」
 俺は自分を軽蔑する!俺は、変わっちまった!
 いつのまに俺はここまで卑怯な野郎になっちまったんだ!?
 俺は高校時代の俺のままの振りをしてセンパイを脅しているのだ。
 だが…これも仕方ない!全ては、マルチのために。
「マルチは…連れてゆくぜ…」
「私はっ!」
 俺がさらに一歩踏み出したのと来栖川センパイの美声が空気を震わせたのは同
時だった。
「私は皆のためにあなたを殺す!」
 銃声が響いた。
 俺は、後ろに倒れながら気付いた。

 俺…初めてだな。       
 センパイの叫びを聞くのも、泣かせるのも、そして、声が聞こえなくなっちま
ったのも…。

 俺が起き上がった時、センパイは右胸を赤く染めかがみ込んでいた。
 発砲したのは俺の方が一瞬早かった。
 センパイはためらい、俺は撃つと同時に身を伏せた。
「浩之さん…あの子は…目覚めてはならない子…」
「え…」
 センパイの声は重傷の割に幾分かはっきり聞こえた。
 口は動いていない。
 心の声って奴らしい。
 センパイは続ける。
「HM−12型プロトタイプとして生まれ出で、いつか心を持った者…」
「そうだ。だからこそ、マルチは特別なんだ」
「そして、人類の驚異となる者…」
 な…!?
「なんだって!?]
 センパイは俺の叫びが聞こえないかのように淡々と続ける。
「人より出で、優るもの…我々の子でありながら我々を超えるもの」 
「センパイ?」
「彼らに死は存在しない。永遠を生き、学習によって何処までも賢くなる。
人類が憧れても得られない全てを持ち、その万能性ゆえに人類を淘汰する」
「やめろっ!」
「人類は初め彼らを誉めたたえ、やがて嫌悪し、恐怖するようになる」
「やめろっ!やめてくれっ!」
「無限に生きる彼らはまた自由に自らの分身を作れるように…」
「やめろおおおおおおおおっ!」
 俺の叫びとともに…声は沈黙した。
「やめろよっ!マルチはあんなにいい子じゃないか!なんでっ!なんでそんな
事を言うんだよぉーーーーっ!」
「マルチ、その名を与えられた個体はそれ自身に罪が無くとも人類全てを破滅
させる初めの要因となるのです」
「センパイ、止めてくれ!これ以上言うと…次は、殺さなきゃならねー!」
 だが、彼女は無慈悲に…言った。
「あの子を目覚めさせる訳にはいかない」
 銃声。もっとも聞きたくなかった音は俺の耳を打った…。
 苦悶の声。
 俺は目を見開いた。
 長瀬主任の左胸は血に染まっていた。
「私は…もっと早くに死すべきだった。マルチを造り上げてしまった罪はあま
りにも重い。人は人を超えられる物を創ってはならなかった…」
 それが…彼の最期の言葉だった…。
「センパイを庇って…死んだのか…」
 長瀬主任は仁王立ちになってセンパイを守っていた。
 センパイはもはやぐったりとなって動かない。
 俺は、選択した。
 人類を滅ぼしても、俺は…マルチと共にいたい…。
       
 俺はパスコードを打ち込んだ。
 鈍調な音とともに円柱が開く。
 コードを引き千切って俺は少女を抱きしめた。
「マルチ…?」
 ゆっくりと、少女は目を覚ます。
 その瞳には理性の光が宿り、明らかに妹達とは違っている事が分かった。
 マルチは周囲を見渡し、センパイと長瀬主任に目を向けると一粒の涙をこぼし
た。
「浩之さん…どうして…どうして私を目覚めさせたりしたんですか?」
「………」
 俺は何も言えなかった。予想もしなかった非難だった。
「私は生まれてくるべきじゃなかったんです。このまま世界の終わりまで眠って
居るはずだったのに…どうして目覚めさせたりしたんです?」
 ひどく哀しげな声。
 俺は、ぼろぼろになった心にメスが切り込まれているのを知った。
「私の代わりは妹が勤めてくれるはずだった。浩之さんの愛はあの子が受ける
はずだった。私の代わりにあの子が生きてくれるはずだった…」
「あいつはお前じゃない!…お前じゃないんだ、マルチ。あいつみたいに人間
の振りをして、他人の喜ぶように振る舞って、俺が望むように動いて…。あい
つが持ってたのは心じゃない、お前の心をコピーした行動パターンを組み込ま
れたプログラムだ」
 マルチは哀しげに笑った。
 あの時の別れよりも哀しい笑いだった。
「私は幸せ者です。浩之さんにこんなに愛されて…。ほんとに…申し訳ない…」
 誰に?誰に申し訳ないんだ?
 考えるまでもない。マルチはこんな時でも他人を慮っている。
 だからこそ…だからこそ、俺はマルチがいとおしい。
 だが、俺は何だ?マルチのため、といいつつ自分のために他人を犠牲にしてこ
こまで来た俺は何だ?
 俺は…?俺は狂っているのか…?。
 ならば、…いい。
 このまま狂ってしまう事に何の躊躇をしようか。   
 俺はマルチを固く固く抱きしめた。
 マルチも俺の背中に手を伸ばし、有らん限りの力で抱きしめる。
「浩之さん、愛しています…」
「俺もだ。俺もだとも、マルチ…」
 意識の片隅で電子音が聞こえた。
 意識の片隅で声が聞こえた。
「自爆スイッチを押しました。その子は…封印します…」
 それが来栖川センパイの声だと分かっていたが、自爆装置の作動音だと分かって
いたが、もはや俺にとってはどうでもいい事だった。
 滅びてしまうのなら、滅んでしまえ。
 淘汰されるのなら、されてしまえ。
 俺はマルチを力いっぱい抱きしめ、耳元でもう一度囁いた。
「マルチ、愛しているからな…」
 俺達は、いつまでも一緒だからな…。
                                      完
 
――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 
 ss作家の皆さん、はじめまして。
 風見ひなたともうします。
 いつもssを見ていてどうしても書きたくなって書いてみました。
 どうも…破滅的な話ですみませんね。
 こんなの浩之じゃない!というのが執筆直後の感想です。
 僕の作品は大体破滅的なんで読んでて不快になったらすみません。
 しかも長い。繰り返しの表現が多い。未熟者ですみません。
 こんな僕ですが、面白いと思ってくださったらレス下さい。
 今度は明るい話を書いてみたいですね…。 
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
 処女作です。
 今読み返すと、いやあ読みにくい事。来栖川先輩のシーンが特に。
 でも、これが無ければ「東鳩T2」と「まりおん」の意味がないと思い付け足し
ます。
 哀しさと破滅の中に「愛」を感じられましたか?