『藤田浩之恋愛論』第三話「避妊具と恋愛論」 投稿者:竹洞カレル

 藤田と神岸が別れた、そんな噂が校内中に広まるのに三日とかからなかった。
 クラスメイト達のヒソヒソ話が聞こえ、彼らの中にも動きを見せるものが現れ始め、オ
レはまず下校中にそれまで話したこともなかった同級生に付き合ってくださいと告白され、
また別の女の子達から花束やチョコレートや写真同封の履歴書や「あなたの心の傷を癒し
てあげたいです、私の身体で」という内容の手紙や現金や小切手や預金通帳が続々と送ら
れてきた、という嘘で、オレは噂を訂正する気も起きずただ何となくひとりぼっちで過ご
していた。様子を見ると決め、あかりとの距離を置き、数日過ごしていたが、あかりの機
嫌は傾きっぱなしだった。同じクラスなので、毎日イヤでも顔を合わせることになり、オ
レから目をそらすあかりの顔を見るたびに、心がしくしくと痛んだ。
 それでも授業は行われる。これっぽっちも聞く気にはならなかった。恋に悩む高校生に
とって、教科書ほど役に立たない物はない。教科書をパラパラめくってみても、答えは載
ってない。十字軍もフランス革命もベトナム戦争も、恋愛とは無縁だ。愛は生命を育むが、
戦争は生命を奪う。
 放課後、オレが帰ろうとして下駄箱に向かう途中、学年主任のエトウ先生が追いかけて
きた。フジタァァァァァ! とエトウが叫んだ。なんだろう、と不思議に思った。オレ、
なんか悪いことしたかな?

「藤田! お前というヤツは………!」

「は?」

「は? じゃない! こんなものを落として行きやがって」

 エトウは怒りに震える手を、オレに向かって差し出した。コンドームだった。財布に入
れておいたうちのひとつが、どういうはずみか落ちてしまったらしい。

「あ、すみません、わざわざ拾ってくださってありがとうございます、では先生、さよう
なら」

「待て!」

「はい?」

「貴様! こんなものを学校に持ってきていいと思っているのか!!」

 エトウは叫んだ。体育教師なので、迫力があった。

「藤田! 答えろ!」

「別に、学校に持ってこようとしたわけじゃなくて、むしろ学校の後に……」

「黙れ!!」

 答えろと言っておいて黙れとは何事だ、と憤慨したが、柔道三段のエトウの迫力に、オ
レは黙った。

「藤田、いったい、お前は学校に何をしにきているのだ」

 教師という生き物は、常に答えがひとつしかない問いを生徒に浴びせる。そうすること
で、生徒の反応を予測し、そして自分に有利なように物事を運ぶのだ。汚いヤツラだ、と
思った。

「………勉強です」

「こんなものを使って勉強が出来るか!!」

 出来る、とは言わなかった。エトウの怒りを最小限にとどめなくてはならない。
 そう思い、下を向いて反省したふりをしていると、エトウは、ちょっとここに入れ、と
言ってオレを空いている教室に促した。エトウが一番前の椅子に横向きで座ったので、オ
レは続いてその後ろに座った。エトウは拾ったコンドームをオレの机の上に置いた。見慣
れた教室の机に、コンドームが置かれ、妙な雰囲気をかもし出していた。夕日を浴びてコ
ンドームがオレンジ色に染まった。

「どうしてこんなものを持ってきたんだ」

「別に、持ってこようとしたわけじゃなくって、財布に入れておいたのが落ちちゃったん
です」

「と、いうことは、こういうものを使っているというわけだな」

「………」

「どうなんだ!?」

「はい、そうです」

 エトウは鼻息を荒くした。オレは上目づかいでエトウを見つめた。格好悪い顔だな、と
オレは思った。きっと女の子にモテないだろうな、もしかしたら逆恨みかもしれない。

「こんなことにうつつを抜かしていると、勉強に身が入らんだろう」

 バカじゃないのか、こいつ。セックスにうつつを抜かそうが、そうでなかろうが、オレ
の場合、もともと勉強が嫌いなんだ。
 オレの憮然とした表情に、エトウはイライラしてきたようだった。素直に謝ったほうが
良いのだろうか。オレには出来ない。なんと言えばいいんだ。セックスをしてごめんなさ
いと言うのか、それとも、避妊をしてごめんなさいと言うのか。

「お前の最近の授業態度は悪いと、職員室でも有名だぞ、何故だ?」

「解りません」

「不純異性交遊が原因だとは思わんのかね」

 オレは呆気にとられてエトウの顔を見た。不純異性交遊。セックスのどこが不純だとい
うのだ、あんなに楽しくて気持ちが良くて素敵なことなのに。もし、セックスが不純であ
るのなら、この世に生まれてくる赤ちゃんは、みんな不純な行為によって生まれてくるこ
とになる。そんなバカな、聖母マリアだって赤ちゃんを抱いているんだぞ、ローマ法王だ
って赤ちゃんだったんだぞ、キリストだって馬小屋で生まれたんだぞ。
 オレは怒りをこらえて唇を噛みしめた。あかりとオレとの関係が、不純だと言われて腹
が立った。たとえ若くても、男と女のことはちゃんと存在している。不純か純粋かという
ことは、他人には決められることではないはずだ。未成年がセックスをする、だから不純
だと言うのか。何故そんなふうに言い切れるんだ。お前は、オレがどれほどあかりを愛し
ているのか知っているのか。

「先生は、一体何について注意しようとしてるんですか? セックスをしているとこにつ
いてですか? コンドームを落としたことにですか?」

「両方だ」

「セックスをするのは彼女が好きだからです。コンドームを使うのは、オレはまだ若くて、
彼女に子供が出来ても育てることが出来ないからだ。だから使うんだ」

 怒りのせいで、敬語が消えた。

「真剣なんだよ、だから避妊するんだ、真剣だから、あいつの身体を気遣うんだ」

「何が真剣だ、そういう口は一人前になってから言いたまえ」

 バカ野郎。何が、言いたまえ、だ。

「大人にならなきゃ人を愛してちゃいけないのかよ」

「黙れ! 恋愛ゴッコにうつつを抜かしてないで、勉強をしろと言ってるんだ!」

 オレはその瞬間、立ち上がって、エトウの襟首を掴んでいた。猛烈な怒りがわき上がっ
ていた。何も知らないくせに見解だけ述べやがる。お前に、オレとあかりのことが解って
たまるか。エトウは目を白黒させていた。オレはそのまま力を込めて、エトウを投げ飛ば
そうとした。そのとき、教室の入り口から、女の子の声がした。

「あ、藤田君、こんなとこにおったんか」

 クラス委員の保科だった。

「藤田君、あんた秋の学園祭の実行委員やろ、今日の放課後打ち合わせをするから集まれ
って聞いてなかったんか」

 保科はそう言うと、オレの腕をぐいと掴んで、ほなエトウセンセさよなら、と言ってオ
レを引き連れ教室を出た。マテェェェ! フジタァァァ! とエトウの声が聞こえたが、
保科はオレを引きずって走って逃げた。

「何で邪魔したんだよ、委員長」

 校門の外まで走って逃げた。エトウは追いかけては来なかった。

「退学になりたいんか?」

「え?」

「あそこであのセンセ殴っとったら、あんた確実に退学やな」

「………」

「感謝しいや」

「でもさ、オレ、学園祭の実行委員になんか、なってたか?」

「アホ、嘘に決まっとるやろ、学園祭の実行委員なんてまだ決まってへん、嘘や」

 あっ、とオレは思った。保科はオレとエトウの話を廊下で立ち聞きして、タイミングの
いいところでやってきてくれたのだと、気がついた。

「ありがとう、ホントに助かったよ」

 オレは感動して涙が出た、というのは嘘だが、両手を合わせて保科を拝んだ。

「感謝しいや」

 保科は相変わらず、クールだった。

「ああ、感謝してるよ、オレ、今、委員長にちょっと惚れたもん」

「アホ、そないなことよういうわ、せやから神岸さんと喧嘩するんや」

 ぎくりとした。

「そうなのか?」

「うん、藤田君は人として、男として、ちょっと間違ったとこがある」

「何かが欠けてるっていうのか?」

 そう聞くと、保科は、うーん、と唸った。

「ちょっと違うな、欠けてるっていうよりも、余分なもんがくっついてるって言ったほう
が合ってるな」

 何だろう、とオレは思った。余分な物。あかりになくてオレにある余分なもの。そう思
ってオレは自分の下半身を見つめた。これは余分なものじゃないよな。
 そんなオレを見て保科は、アホ、と冷たく言った。保科はどこまでもクールだ。
 日は、暮れようとしていた。オレと保科は、しばらく無言で歩いた。空気が冷えて澄ん
でいくのが解った。初夏の夕暮れが、優しく胸にしみこんでいった。

「藤田君、喧嘩はあまり長引かせないほうがええよ」

「さんきゅ。でもよ、今はじたばたしないで休息することにしたんだ」

「休息?」

「そうさ、愛の休息だ。オレの愛は少し突っ走りすぎてたんだ。今は充電期間さ」

 決まった、とオレは思った。愛の休息。最高にイカした台詞だ。

「ふふふ、まあ、がんばり」

「おう」

 ようやく相談らしい相談が出来て、気分が楽になった。保科は、相談相手にぴったりだ
った。何故もっと早く気がつかなかったのだろう。隣を歩く保科の横顔が、美しかった。
あかりが何故あんなにも怒っているのかなんて、男のオレに理解できるはずがないのだ。
オレがあかりを悲しませた。それだけだった。それが重要なのだ。謝ったり、ご機嫌を取
ったりして、あかりの機嫌を変えようとするのは間違っていた。まず、オレが変わらなけ
ればいけない。疲れた愛に十分な休息を与えて、オレは変わろうと思う。
 そのとき、オレは重大なことを思い出して立ち止まった。保科が怪訝な表情を浮かべて
オレを見た。

「どないしたん、藤田君」

「保科、どうしよう」

 オレは、頭を抱えて舌打ちした。コンドームをあの教室の机に置き忘れて来たことに、
気付いたのだった。

 その夜、オレはベッドの上で、あかりを思い出して二回もマスターベーションをした。
三回目に挑戦したが、オレの身体はそれを拒否していた。保科の言う余分なものとは、ど
うやら下半身のことではないようだ。オレは、枕を抱えて、なんだかずいぶん堕落したよ
うに感じた。なにが純粋だ、とオレは思った。こんなに精液を無駄にしちまった。これの
どこが純粋だというのだ、藤田浩之、情けないぞ。オレは、好きな女の子にも、堂々と会
いに行けずに、こんなことをしている寂しい奴なのだ。あー、やだやだ。これは、オレの
求めている状態では決してない。

(続く)

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 こんにちは、竹洞カレルです。
 PS版To Heart、ようやく3人クリアしました。あかり、葵、芹香です。あ、
雅史もクリアしてます(笑)
 では、また。