『藤田浩之恋愛論』最終回「オレとあかりと恋愛論」 投稿者: 竹洞カレル
 綾香に言われたからではないが、オレは、格闘技の練習に熱中するようになった。もち
ろん、強くなろうと考えたわけじゃない。何も考えずに体を動かすと気持ちがいいのだと
気がついたのだ。

「先輩、どうなさったんですか?」

 オレの一心不乱の練習ぶりに、葵ちゃんは心配そうに聞く。オレは、何でもないよ、と
答える。そう、どうもしてないんだ、何をしたらいいのか解らないし、何もしてないと不
安だった。

「浩之はね、健全になろうとしてるのよ」

 心配そうな葵ちゃんに、綾香はそう説明した。葵ちゃんはきょとんとしていた。

「健全? 先輩は不健全なんですか?」

 それはオレにも解らない。だから不安なんだ。体はこんなに健康なのに、心は不健康な
のかもしれない。

 放課後、オレは葵ちゃんや綾香を誘って、練習の後に、ラーメンを食べに行った。そこ
で、綾香に尋ねてみた。

「なあ、オレの心は不健康なのか?」

 綾香は情けない表情を浮かべて丼から顔を上げた。

「さあ、解んないわ」

 がっかりした。あれだけ堂々と論じておきながら、解らない、はないんじゃないか?

「なんだよ、綾香にも解んねえのかよ」

「私はあなたの彼女じゃないもの」

 だが、あかりはオレと口をきいてくれない。答えが、見つからない。

「どうして先輩は、そんなこと考えるようになったんですか?」

 葵ちゃんがチャーシューを箸でつまみながら、訊いた。オレはあかりとの喧嘩の顛末を
話した。なにもかも洗いざらい話した。

「謝っても許してくれなくてさ。もうオレにはどうしていいのか分かんないんだよ」

「そんなことがあったんですか〜」

「神岸さんにふられて、落ち込んでるだけじゃない」

「ふられてねーよ」

「きっと神岸先輩は、藤田先輩を待ってるんですね」

 葵ちゃんのその言葉に、オレの頭は鋭く反応した。

「ど、どういうこと?」

「え、えっとですね、私が神岸先輩のような立場だったら、きっと待つと思うんです。あ、
もちろん私は神岸先輩じゃないですし、全然見当違いな想像かもしれませんけど。腰が低
くて謝ってばかりの先輩って、なんだか先輩らしくないです。
 藤田先輩が、以前の先輩になってくれるまで、一番いい時の、一番かっこいいときの先
輩に戻ってくれるまで、神岸先輩は待ってると思うんです」

「あら、葵も立派な恋愛論を持つようになったわね、もしかして好きな人がいるのかしら?」

「そ、そそそんなことありませんよ〜。もうっ、綾香さんってば」

 葵ちゃんは恥ずかしそうに丼で顔を隠した。
 葵ちゃんまでも、今のオレは格好悪いと言う。愛に真剣なことが格好悪いと言うのだろ
うか。だけど、真剣な愛は疲れる。今のオレは疲れている。休息しているつもりだが、今
もしっかりと心にのしかかる重みを感じる。これは一体なんだ。そのことを口に出したら、
綾香はあっさりとこう言った。

「考えすぎなのよ、恋愛だってなければないですませられる人も多いのよ。あんたにみた
いにどうしようどうしようってみんなに聞いて回ることを、世間ではのろけって言うの。
ほら、ラーメンのびちゃうわよ」

 色気より食い気か、とオレはがっかりした。
 やはりこれは自分で解決するしかないようだ。


 翌日からも、オレのがむしゃらな練習は続いた。クラスメイトはオレの一心不乱の練習
ぶりに呆れていた。きっと頭を打ったんだ、と気味悪がるヤツもいた。オレはそんなヤツ
らに向かって心の中で反論した。

「ほれほれ、お前らも青春を謳歌しないか。何も考えずに体を動かすのは高校生の特権な
んだぞ。これも健全な青春のひとつだ」

 自分でも、おかしな行動をとってることが解ってる。でもよ、もうどうだっていいんだ、
こうなったらどこまでも健全になってやる。オレはグラウンドを走り、サンドバックを蹴
り、そして殴った。オレは、息を切らして、汗をかき、筋肉をつけた。そして夕方、今日
も健全に一日が終わったぞ、と叫ぶのだった。
 ところが、練習が終わると、オレは疲れ果て、すっかり食欲を失っていた。下校途中に
食べるラーメン一杯も食べられなくなっていた。当然、綾香と葵ちゃんは心配した。

「先輩、どうしたんですか、病気ですか?」

「やだっ、もしかして拒食症? 男のくせにだらしないのね」

 ふたりは口々にボクの様子がいかにおかしくなったかを話した。オレは慣れないハード
な練習に疲れているんだ、ただそれだけだ、と言いたかった。無駄にぼんやりする時間を
作らないよう、あかりのことを考えないよう、熱心に練習に打ち込んでいるだけだ。慣れ
ない練習と、現実逃避に疲れているだけだ。ただ、それだけなんだよ、本当に。

 オレはたしかに人よりも多く体を動かしていた。しかし、何故だ。何も考えまいとすれ
ばするほど、いろいろなことに目が止まる。自分の吐く息が、まるで漫画のふきだしのよ
うに、くっきりと見えたり、毛穴に汗の湧くその一瞬を確認してしまったりするのだ。も
ちろん時間の流れも良く解る。昨日よりも今日の方が夏に近づいているというのが、解る。
今日が何を昨日に残してきたのかを、今日のオレが何を昨日に捨ててきたのかを、感じ取
ることが出来る。

「なんだか、頬が少しこけたんじゃない?」

 学校の廊下で、オレの顔をしげしげと見つめて、雅史が言った。

「でも体には異常ないぜ、ちょっと食欲がないけどな」

「あんまり無理しない方がいいよ、部活は楽しくないとね」

「そうか? 楽しくないと意味ねえかな」

「苦しいのをガマンすれば成長するって根性論は、浩之には似合わないよ」

「オレには似合わないが、寺女のお嬢様達はお前とお似合いだぜ」

「あっ、あの後大変だったんだよ、浩之、酷いよ」

 雅史は、お嬢様三人に引き吊り回されたことを長々と喋った。丸井デパートへの買い物
に付き合わされたこと、名前も知らない見たこともない貝の料理を食べさせられたこと、
有名らしい演奏家のコンサートに連れて行かれてものすごく眠たかったことなどたくさん
喋っていたが、オレはほとんど聞いていなかった。上の空だった。

「デートって疲れるね」

 と、雅史が言った。そうなのだ、デートは楽しいが故に、疲れる。だけど苦しくはない。

 オレは苦しいなどと思ってない。むしろ、苦しさから逃げ出すために体を鍛えているん
だ。あかりのことを思い出さないように試みた。すると、あかりの髪や吐息が揺れてこぼ
す匂いなどが独立したものとして、オレの脳裏に焼き付くのだった。肌の感触や切なげな
ため息をとてつもなく身近に感じるのだ。これは、未練たらしい男の証明なのだろうか。
もしそうだとしたら、情けない。


 矢島がフられた、という情報を得たのは昼休みが終わる直前だった。

「だって、好きでもない人と付き合うのは、失礼でしょ?」

 と志保は言った。思わせぶりな態度を取っていたくせによく言うぜ、とオレは思った。
女がこう言うのは、決して相手に失礼だからではない。自分に失礼なのだと感じているん
だ。自分に嘘をつくのが許せないだけだ。恋愛に慣れてない高校生にありがちな、なんと
なくのお付き合いは、ろくな結果を生まない。志保はそれを知っているのだ。それは、正
しい。

「それよりあんたちょっと痩せたんじゃい?」

「さあな、そうでもないんじゃないか?」

「ふうん、なんだか目つきが鋭くなったわね。よっぽどあかりが恋しいのね〜」

「なんだよ、それ」

「顔に書いてあるわよ。あかりに会いたーい、デートしたーい、抱きしめたーいって。で
も、成功してるんじゃない? 普通さ、そんなこと考えてる男の顔ってデレーっとしてる
けど、あんたはちょっと違うもん」

「どこが?」

「決意に満ちてる。女を奪うぞって。飢えた野獣みたいね。あ、そうだ、あたしが奪われ
てあげようか?」

「やなこった」

 即答してやった。志保は、きゅっと眉をつり上げ、オレの足を蹴飛ばしてから、無言で
去っていった。
 教室の隅で、矢島が小さくうずくまっていた。世界中の不幸が矢島の背中にのしかって
いるようで、空気が重苦しかった。かける言葉が見つからずオレは心の中で元気出せよと
励ました、というのは嘘で、ざまあみろ、と、ほくそ笑んだ。気持ちが良かった。


 オレの格闘技の練習熱心さには拍車がかかっていた。葵ちゃんへのマッサージを兼ねた
スキンシップが目当てだった春の頃とは圧倒的に違い、葵ちゃんや綾香がいなくても、一
人でサンドバックを蹴った。
 オレはそれまで苦手だった上段蹴りも綺麗に決まるようになり、すっかり気分を良くし
ていた。そのせいか、調子に乗っていたのだろう、オレはコンビネーションのタイミング
を崩し、派手に転倒してしまった。地面に頭が着いたということだけは解った。土の匂い
を嗅いだ瞬間、オレは気を失った。
 気がつくと、空はオレンジ色だった。ずいぶん長い間眠っていた気がしたが、腕時計に
目をやると、倒れてから15分くらいしか経っていなかった。
 オレは再び目をつむり、ぼんやりと色々なことを思い出した。志保と雅史のこと、クー
ルな保科のこと、綾香と葵ちゃんのこと、何故か、矢島や寺女の妖精達のことまで思い出
した。思い出のアルバムをめくるように記憶が姿を現すのが不思議だった。そして、最後
のページにはあかりがいた。完璧な姿のあかりだった。やっぱあかりは可愛いな、と確認
したから、オレは飛び起きた。

 二秒で着替え、三分で片づけをした。そして、走った。体は軽かった。当たり前だ、毎
日、欠かさず練習を続けたんだ。オレは、これまでで一番速く走っていたと思う。遅れた
らダメだという気がしていた。ちくしょー、お前のためにこんなに速く走っているんだぞ。
オレは意味不明の言葉を口にしながら、走り続けた。

 風を切って走る。頬に当たる空気がひいやりと冷たく、気持ちがよかった。空が何処ま
でもオレンジ色に染まっていた。こんなに真剣に走るのはいつ以来だろう、とオレは思っ
た。体育の持久走でもない、遅刻しそうになったときでもない。あれは走らされていただ
けだ。そうだ、子供の頃、好きなアニメの時間に間に合わせようと、走って家に帰ったと
き以来だ。その前は、公園に置き去りにしたあかりのために走ったんだ。
 走りながらオレは思う。
 恋愛は単純だ、だけど難しい。頭で考えず心で感じる愛は、とても難しい。
 校門を飛び出しながらオレは思う。
 恋愛は心をさらけ出すことだ。それはすごく怖い。
 坂道を駆け降りながらオレは思う。
 たとえば、抱きたい、と恋人に伝える。それは心からそう願ったことだ。だからそれを
拒否されると傷つく。たとえその日が危険日だったとか、ただ単にそういう気分じゃなか
ったとしても、拒否された側はすごく傷つく。さらけ出した心は無防備だ。
 商店街を駆け抜けながらオレは思う。
 傷つくのが怖くて、男はよくニヒリズムで防御する。拒否されても、なんてことはない
って顔で突き通す。それは上手なやり方だ。
 土手を飛び越えオレは思う。
 それは正しいのか。オレがそうだったんじゃないのか。オレはいくつもの行程を経て、
賢しい男になっていたんじゃないのか。そんなイヤな男にいつの間にかなってしまってい
たんだ。
 公園を駆け抜けながらオレは思う。
 以前のオレはどこに行ってしまったんだろう。あかりへの愛に全力で走り抜けている間
に、ポケットの中から落としてしまったのだろうか。それとも、余計な物を拾ってしまっ
たのだろうか。
 住宅街で、あかりの後ろ姿を見つけた。オレは思う。
 落とし物を捜すように、拾った物を元に戻しに行くように、少し遠回りになったけど、
オレはあかりに会う。
 あかりが振り向いた。オレは、最後に思う。
 あかりを、抱きたい。


「あかり」

 そう呼びかけてから、息を整えるように、深呼吸した。新しい力がわき上がるのを、確
実に感じた。

「浩之ちゃん、そんなに急いで、どうしたの?」

 お前に会いたいから走ってきたんだ、と言うつもりだったけど、恥ずかしくて言えなか
った。さらけ出した感情は、とても恥ずかしい。

「私に、会うため?」

 そんな分かり切ったことを聞くな、ばかやろ、とは言えなかった。黙ってコクンと頷く
のが精一杯だった。それだけで全身の血が沸騰した。女の子は時々、分かり切ったことを
男に聞く。愛の確認作業なんだろう。でも、それは男にとって気持ちのいいものだ。

「今のオレ、なんか格好悪いな」

「そんなこと───」

 あかりはそこで言葉を区切って、オレの顔を見つめてから微笑み、

「ないよ」

 と、言った。天使の微笑みだった。痺れた。

「あー、なんか情けねえよ、あー、ちくしょー、こんなはずじゃなかったのに、すごく情
けないぞ」

「うふふ、なんだか今の浩之ちゃん、可愛い」

 可愛い、と言われて、沸騰した血が一瞬で昇華した。

「ばか、そんなこと言うな、恥ずかしいだろ」

「うふふ、じゃあ、もっと言ってあげる、浩之ちゃん、すごく可愛い」

 あかりは悪戯っぽく微笑んだ。オレは、そんなあかりに仕返しするために、そして言う
べきことを伝えるために、これから言うことを頭の中で確認した。

「あかり」

「なぁに?」

「お前を、抱きたい」

 オレンジ色の空気が、オレ達の間を通り抜けた。
 ドキドキした。
 あかりは真っ赤になって俯いて、

「………うん」

 と、小さく頷いた。そしてさらに真っ赤な顔になって、こう続けた。

「私ね、飢えてるんだよ………」

 その言葉を聞いた瞬間、オレの心の内側は熱くとろけてしまいそうだった。


(終わり)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 こんにちは、竹洞です。
 なんとか終わらせました。でも、なんだかパクリばっかになってしまいました(反省)

http://home4.highway.ne.jp/ksugi/renai.html