『藤田浩之恋愛論』 投稿者: 竹洞カレル
「浩之ちゃん、酷いよ」

 悲しそうな顔をしたあかりにそう言われたとき、オレは内臓のうちのひとつが爆発した
ような感じがしてその場に崩れ落ちそうになってしまった。
 ある日の放課後、一緒に帰る約束をしていたあかりをほったらかして、オレは他の女の
子と遊びに行ってしまった。約束を、すっかり忘れていたのだ。

「ずっと待ってたのに」

 続けざまにそう言われて、またひとつ内臓が爆発した。

「わりぃ」

「どうして来てくれなかったの?」

「え?」

「何か他の用事があったの?」

 校門でばったり綾香と会って西音寺女学院の女子生徒数人とカラオケで楽しんでました、
とはとてもじゃないけど言えない。

「いや、特に用事はなかった」

「じゃあ、どうして?」

 こういう場合、正直に話すべきなのだろうか。それともウソをつきとおすべきなのだろ
うか。文部省認定の日本史の教科書にも、世界史にも物理にもリーダーにも基礎解析にも、
答えは載ってない。マルクスもレーニンも毛沢東も、役には立たなかった。
 オレは、世の中の全ての男がそうであるように、限りなく事実で、出来るだけ穏便な言
葉を選んだ。

「忘れてたんだ」

 それを聞いたあかりは最初目を見開き、次に俯き、そして小刻みに震えだした。しまっ
た、と思ったときにはもう遅かった。

「浩之ちゃんのバカ」

 あかりは噛みしめるようにそう言い放つと、駆け出し去っていってしまった。情けない
ことに、オレは追いかけることが出来なかった。追いかけ捕まえたところで、言うべき言
葉が思い浮かばなかったのだ。

 それからあかりは口をきいてくれなくなった。


○第一話『友情と恋愛論』

 あかりと恋人同士の関係になって、三ヶ月が経っていた。我ながらあっぱれなほどい
ちゃついていたと思う。毎日一緒に登下校し、月に四回はデートして、週に二回はHをし
ていた。浮かれていたとも思う。オレ達二人には永遠の幸せが続く、何も怖くない、と思
っていた。だけど、世の中の全ての恋人に訪れるものが、とうとうオレ達のところにもや
ってきてしまった。最初の危機だった。

「ねえ、あかりちゃんと何かあったの?」

 あかりが口をきかなくなってから二日目の放課後、オレは雅史と一緒に下校路を歩いて
いた。雅史は、身近にいる分、オレ達の異変に気がつくのも早い。

「いや、ちょっとね」

「喧嘩したの?」

 あれを喧嘩というのだろうか。一方的に無視されているだけのような気がする。

「早く仲直りしなよ」

「オレは今すぐにでも仲直りしたいんだ、でもあかりのヤツが許してくれないんだよ」

「ふーん、あのあかりちゃんがねぇ、珍しいこともあるんだね」

 雅史は首を傾げた。それまで怒りの感情が欠如しているとばっかり思っていたあかりが、
怒っていると聞いて少し驚いているようだった。オレだってびっくりだ。

「オレはどうしたらいいのかもう分かんねえよ」

「謝ればいいんじゃない?」

 どうして雅史はこんなに冷たいヤツなのだろう。謝ってもダメだから困っているんじゃ
ないか。小さい頃からハムスターを飼っていて、女の子の身体よりもハムスターの飼育方
法に興味を示すようなヤツに、恋の悩みを聞いてもらうのは間違っていたかもしれない。
ハムスターは、ロマンの欠片もなく人間の愛玩動物の象徴だった。ハムスターとのつき合
いに、恋愛論は不必要だ。

「謝ってもなぁ、許してくれないんだよ」

「あのあかりちゃんがそこまで怒るなんて、よっぽどのことがあったんだね、浩之、なん
かしたの?」

 いや実はその日校門でばったり出会った綾香にカラオケに付き合わないかと誘われてホ
ントは行く気なんてなかったんだけど綾香と一緒にいた寺女の女の子達がオレの好みだっ
たからついつい付き合っちゃってその子達と「愛が生まれた日」とか「バービーボーイズ」
をデュエットして充実した時間を楽しんでいるうちにあかりと一緒に帰る約束をすっかり
忘れてしまったんだ、という事実を、思いっきりはしょって、あかりとの約束を忘れて綾
香とカラオケに行った、と、雅史に言った。

「それはマズイね」

 思いっきり簡潔にした事実にも関わらず、雅史は深刻な顔になった。オレは焦った。

「え? そんなにマズイことか?」

「マズイよ、約束すっぽかして他の女の子とカラオケに行ったなんて」

「でもよ、別によこしまな気持ちはこれっぽちもなかったんだぜ、オレは、純粋に、カラ
オケを楽しんだんだ」

 女の子達全員から携帯の番号を聞きだした、ということは伏せておいた。

「それでもね、よくないことだと思うよ」

「確かにそうだけどよ、綾香のヤツに無理矢理誘われたんだ、オレは、全然、乗り気じゃ
なかったんだ」

 今度また一緒に遊ぼうね、という約束を取り付けたことも、伏せておいた。

「逆の立場になったときのことを考えてみてよ、あかりちゃんが浩之との約束をすっぽか
して他の男とカラオケに行ったら、浩之はどう思う?」

 あかりが他の男とカラオケに行ったら、とオレは想像した。あかりが他の男とカラオケ
に行ったら、あいつのことだ、きっと断れずにほいほいついていくだろうな、そしてそこ
が二人用の個室であることなどこれっぽっちも考えず出されたハルシオン入りのジュース
を警戒もなく飲んでしまって気がついたら派手なネオンの建物の中でっかくて丸いベッド
の上に素っ裸で寝ていて隣でタバコを吸っている男がよかったよなどと囁いてゴミ箱の中
には使用済みのコンドームが三つ入っていてあかりの白くて綺麗な肌はベトベトした液体
で濡れているのかもしれない。そんな想像をして、ぞっとした。イヤだ、と強く思った。

「あかりちゃんは傷ついてると思うよ」

 傷ついてる、と聞いてオレはますます落ち込んだ。ハムスター好きの現実的な忠告は、
オレの心を暗くさせたのだった。オレはいつの間にか、好きな女の子を傷つけるような
男になってしまっていたのだ。傷つき悲しむあかりを想像して胸が苦しくなった。

「謝りたい」

 ぽつっとそう呟くと、雅史はにっこりと笑い、

「協力してあげようか?」

 と言った。

「協力?」

「僕があかりちゃんに電話して浩之が約束破ったのをすごく反省していて後悔もしてるっ
て伝えてあげるよ。その後すぐに浩之があかりちゃんに電話すれば少しは仲直りもしやす
いんじゃないかな?どう?」

 雅史は、出来るだけ早いほうがいいから今夜にでも電話してあげるよ、と付け加えた。

「ああ、我が友よ、持つべき物は親友だ、ハムスター万歳」

 オレは両手を合わせて雅史を拝んだ。真剣に謝れば、きっとあかりちゃんも許してくれ
るよ、と、雅史はにこやかに言った。

 言われたとおり、その日の夜、あかりに電話した。プッシュを押す指が震えた。

「はい、神岸です」

 二日ぶりに聞いたあかりの声だった。それだけで頭がぽわーっとなった。好きな子の声
はとても気持ちがいいものだと、改めて思った。

「あのぅ、もしもし、オレですけど」

 出来るだけ誠意のあるしゃべり方をしようとしたけど、緊張して変な言葉になった。

「………」

「あのぅ、あかりさん? 雅史から話を聞いたと思うんですけど」

「うん」

「本当にごめんなさい、もうしません、約束は守ります、ですから機嫌を直してください」

「………」

 恐ろしいほど窮屈な沈黙がオレを襲った。なにか、イヤな予感がした。そして、この手
の予感は大抵当たってしまう。

「綾香さんとカラオケに行ったの?」

「へ?」

「雅史ちゃんが、そう言ってた」

 あのバカ、余計なことを言いやがって。

「い、いや、そうじゃなくて」

「私との約束をすっぽかして、綾香さんとふたりっきりでカラオケに行ったの?」

「ちちちちち違う違う違う、ふたりっきりじゃない、他にも寺女の生徒のミキとキョウコ
とサヤもいたんだ」

 そこまで言って、しまった、と思ったが、もう遅かった。

「浩之ちゃん、酷いよ」

 あかりの涙声を最後に、電話は切れた。
 目の前が真っ暗になって暫く動けなかった。電話の不通和音が鼓膜を叩いた。我に返っ
た後、怒りに燃えて雅史に電話した。

「えー!? カラオケのことは内緒だったの?」

 オレは今後一切、恋の悩みをハムスターを飼っているヤツにうち明けるのは止そう、と
心に決めた。

(続く)

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 こんにちは、竹洞カレルといいます。
 こちらに書き込むのはおよそ一年ぶりになります。きっかけはPS版To Heart
です。勢いに任せて書いたものですが、がんばって楽しく笑えるSSにしたいと思います。
 続き物なので、また来ます。では。

http://home4.highway.ne.jp/ksugi/renai.html