「藤田浩之 27歳 秋」 投稿者:カレルレン


                第一章

 家に入ると部屋は当たり前のように真っ暗だった。履きつぶした革靴を脱ぎ、今日
一日の疲れをフローリングの床にこすりつけるように歩き始める。
リビングに入ると点滅する小さな光が目に飛び込んできた。留守番電話のランプだっ
た。それはまるで難破した船の救難信号のようにせわしなく、力強く光っていた。
俺は部屋の明かりをつけ、冷蔵庫から缶ビールを取り出して一気に胃に流し込んでか
ら、うるさく点滅する再生機能のボタンを押した。三件です。と機械音が告げた後、
一件目の伝言が流れ出した。

「あの、雅史だけど。あかりちゃんとのこと聞いたよ、別々に暮らしてるんだって?
何があったか知らないけど、浩之には必要な女性だと思うよ、その逆もそうだと思う
けど。早くよりをもどしなよ。なんか説教くさくなったね。今度久しぶりに三人で遊
ぼう。それじゃ。」

雅史らしい、人をなだめるような伝言だった。あいつの助言には昔からお世話になっ
ていて、そのたびに言葉のない感謝をしていたが、今回ばかりはお節介だと感じてし
まった。そんなことわかってるよと呟き、残りのビールを飲み込んだ。弾ける炭酸が
食道を刺激する。
二件目の伝言は無言で切れた。誰だろうと考える間もなく三件目の伝言が流れ出した。

「あかりです。帰ってきたら電話ください。」

短いがはっきりとした口調。いつもと変わらない内容の伝言だった。
別々に暮らしだしてからも、あかりは週に2,3回のペースで電話をしてきた。いつ
も決まって夜の7時に、俺がまだ帰宅しない時間だ。あかりはそれを知りながらあえ
て伝言を入れる。まだ私は待ってます、と伝えるために、そして俺を試すために。
いつもなら無視して寝てしまうところだが、今日は直前の雅史の伝言が俺の手を動か
し、あかりの家の番号をプッシュさせた。4,5回のコール音の後、受話器の上がる
音がした。

「はい、神岸です。」

眠たげなあかりの声が鼓膜を揺すった。

「あ、俺だけど。」

そう言いながら俺は2本目の缶ビールを開ける。

「わざわざ電話させちゃってごめんね。」

「全然。」

酔いがまわり始めたのか、舌が痺れて飲み込むビールの味がわからなくなっていた。

「今日はどうだったの?」

俺が電話をかけるとあかりはいつも聞いてきた。俺のその日の機嫌を探っているのだ
ろう。

「別に。普通に始まって、普通に終わった。」

俺は自分の機嫌を言葉に乗せ、あかりの耳に送った。

「そう。」

俺の機嫌を感じ取ったのだろう、あかりはそれきり黙り込んでしまった。
いつもこんな感じだった。これが嫌でいつも電話をしなかった。この沈黙は俺に現実
を直視させる。

「あのね。」

珍しく、沈黙を破ったのはあかりの方だった。

「私たち、これからどうなるのかな?」

突然の確信を突いたその質問に、俺は答えることができなかった。

「色々悩んでいるのはわかるけど、こんな中途半端な状態は疲れちゃうの。」

言葉の端々に、強い決意のようなものを感じた。あかりをここまで追い込んだのは俺
のわがままだろう。

「わるい。もう少しだけ待ってくれ。」

あかりの深いため息が聞こえた。悲しみと切なさのこもったため息。それから再び、
沈黙が二人の間に居座った。
俺たちはどうなるのか、どうしてこうなったのか。ひとつの疑問と、もうひとつの愚
問が頭骨の裏側にへばりついた。

あかりと同棲していた4年間、それなりにうまくやっていた。小さないざこざはあっ
たが、楽しかったと思う。3ヶ月前に別々に暮らすようになってからの接触は電話の
み、直接会うことはなかった。
結婚。俺たち2人のバランスが微妙に狂いだしたのは、その2文字を意識しだしてか
らだ。いや、狂っているのは俺だけかもしれない。

「明日、会えないかな?」

再び沈黙を破るあかり。今夜のあかりは少し違うようだ。

「明日か・・・」

俺の脳裏に、明日やるべき仕事の量が浮かんだ。
いつからだろう、あかりのことより仕事のことを先に考えるようになったのは。

「明日は難しいな。行けたとしてもずいぶん遅くなるぞ。」

「それでも、いいの。お願い。」

「わかったよ。仕事が終わったら、行くよ。」

いつもと違うあかりに、俺は少し気圧されていた。

「ごめんね。じゃあ、明日、待ってるね。」

ああ、と返事をする前に電話は切れてしまった。あっさりと切れた電話にあかりの焦
りのようなものを感じた。
俺には「明日、待ってるね」が「明日までは待ってる」と聞こえた。明日までに答え
を出せ、ということか。

受話器を置き、ソファに寝転がる。明日、あかりに出すべき答えを模索しようとした
が、疲れと酔いが俺を眠りに落とした。

今夜、俺は夢を見るだろう。あかりが出てくる夢だ。
夢の中の俺はあかりを困らせる。あかりの困ったような表情が俺は大好きだった。
しかし、目が覚めた俺はあかりを悲しませるだろう。あかりの悲しむ顔なんて見たく
ないのに。

                第二章

 駅を降りて、あかりの住むマンションへつづく道を歩く。
仕事が終わったのが8時。すでにあたりは真っ暗だった。
空は曇って、星の輝きを俺から隠す。風が吹き身体を芯から冷やすたびに、乾いた落
ち葉の擦れる音がする。

 一年前、友人の雅史が結婚した。その事実は俺の心の中にちょっとした革命を起こ
した。それまでのあかりとの同棲生活が、まるでおままごとのように感じるようにな
った。あかりも意識しだしたのだろう、雅史の結婚以後、それらしい会話をちらちら
とこぼしていた。しかし、結婚して、と直接言うことはなかった。きっと俺のほうか
ら言うのを待っていたのだろう。

 時折通る車のヘッドライトが、足下に暗く長い影を創る。俺はひどくゆっくり歩い
ていた。

 あかりが嫌いなわけではなかった。俺の、あるかどうかも分からない気持ちの整理
とあかりの幸せ、その二つが俺のまわりに、厚く柔らかいゴムのような膜を形成して
いた。ただ不安なだけだったかもしれない。一日一日が進むたびに、呼吸するたびに
心臓がへこみ、膨らみ、不安を身体中の血管にふりまいた。

 目の前に長く緩やかな坂道が現れた。この坂を登り切ったところに、あかりのマン
ションがある。風は徐々に強くなっていたが、まだ夜空に星は見えなかった。風が夜
の匂いと国道を走る車のエンジン音を運び、俺の鼻と耳に何かを訴える。

 あかりとの同棲生活四年目、今年の八月、三ヶ月前。壊れたクーラーに苛立つ俺の
皮膚に、無数の汗が付着していた。

「別々に暮らそう。」

狭いキッチンで、油で汚れた丸い皿を洗うあかりの背中を瞳に映しながら、俺はなる
べく普通に言ったつもりだった。しかし実際は、痰が喉のあたりで悪戯をして、掠れ
た声になっていた。

「うん、そうしよう。そうしたほうがいいね。」

あかりはあっさりと了承した。意外さにすこし戸惑い、俺の全身の汗は蒸発した。
あかりはすべて理解してくれている、強い女だ。そう思っていた。だが今の俺の頭に
浮かぶのは、小刻みに震える丸い皿、かたく握られたスポンジ、やさしく滴る洗剤の
泡。俺の言葉は、あかりのひとつしかない心を砕き、大粒の涙をプレゼントした。

 坂を半分登ったところで俺は足を止めた。目を斜め上に向けるとあかりのマンショ
ンがちらりと見える。もうすこしだ。右足を前に出し、ゆっくりと確実に歩きだした。
風もさらに強くなった。

 誰もいない部屋に帰るようになって三ヶ月。その間、何か変わる、何かが見つかる
だろうと期待していた。確かに、二人の間に横たわっていたモノは無くなった。しか
し、本当に全部無くなってしまった。それまで二人を繋いでいたモノも全部。真っ白
に。
電話線が臨時に二人を繋いでいたが、それは鋏で簡単に切れそうな代物だった。

 星はまだ見えない。風がまだ弱いんだ。俺は強い風を求めて走り出した。

 俺は何をしていたのか?何も見えていなかった。目の前に広がる深い海も、背後に
ふわりと佇むあかりの姿も、なにもかも。今、目をしっかりと見開き、後ろを振り向
いたら何が見えるだろう。あかりはまだいるだろうか。何もなかったらどうしよう。
俺は心にぽっかりと開いた穴を見つけた。

 坂を登り切り、マンションの階段を登ってあかりの部屋の前まで来たとき、俺はし
っかりと汗をかいていた。ハンカチで汗を拭い、呼吸を整え、全身の神経に動けと命
令してから、ドアをノックした。

 夜空に、ひとつだけだが星を見つけた。ほろりと輝く気持ちのいい光だった。


                第三章

 暫くして、チェーンと鍵を外す音といっしょにドアが開いた。パジャマの上に厚手
のカーディガンを羽織ったあかりがそこにいた。

「思ったより早かったね。さあ、入って。」

三ヶ月ぶりに見るあかりはすこしだけ髪がのびていて、俺の瞼を数回瞬かせた。
あかりは俺の顔を見ずに短い廊下を歩きだす。俺はのびた髪から視線を外せずにいた。
三ヶ月分の髪は俺の知らないあかりを知っている、そう思うとあかりの肩胛骨のあた
りで揺れている髪が、重い足かせのように見えた。

初めて入ったその部屋には家具らしきものは無かった。十畳ほどの部屋の真ん中の、
不釣り合いな大きさのブルーのソファと丸い乳白色のテーブルが、一番最初に目に留
まった。部屋の隅にはパイプベットと小さなタンス。壁に銀行から貰ったと思われる
カレンダーが九月のページで止まっていた。
がらんとした室内は空気が圧縮して息苦しいような気がした。

「何か飲む?何がいい?」

あかりの声が少し上擦っているのが分かった。俺はあかりの顔を視界の隅に映しなが
ら、コーヒーがいいなと言った。

「うん、分かった。座って待っててね。」

あかりはスリッパをぱたぱた鳴らして、右手にあるキッチンに入っていった。

「砂糖はいらないからな。」

俺はキッチンにいるあかりに聞こえるように言ってから、ソファに倒れこむようにし
て座った。全身の力を抜くとソファからあかりの匂いがした。懐かしいような甘った
るい匂い。

 同棲していた頃の俺はあかりの優しさに甘えっぱなしだった。表面上は兄貴ぶって
いたが本当は逆だったんだと思う。あの大きなたれ気味の瞳に覗き込まれると、俺は
思春期の少年に戻ってしまう。少年は優しいお姉さんの困った顔が見たくて、いろい
ろ悪戯や意地悪を繰り返すのだった。そんな関係が俺には心地よかった。困り顔のあ
かりにじゃれて、そのままベットで抱き合うことが多かった。そしてあかりの顔が赤
く染まり、指先が俺の素肌の上を滑るとき、俺の心はそのくすぐったさに喘ぐのだっ
た。

 あかりの匂いを求めて鼻を背もたれに近づけると、ソファの脇に隠すように置かれ
たゴミ箱の中に、ちらちらと乱反射する光を見つけた。割れたコップと皿がゴミ箱に
入っていた。それを見たとき俺は、なんだか見てはいけない、この三ヶ月間のあかり
の心を覗いてしまったような不安な気持ちになった。

「はい、おまたせ。」

あかりは湯気を放つ二つのマグカップをテーブルに置くと俺の隣に座った。あかりの
カップからはコーヒーとは違う香りがする。

「コーヒーじゃないのか?」

「うん、私、最近お腹の調子が悪くてコーヒー飲めないの。だから紅茶にしたの。」

あかりは膝の上でかさかさと動かす自分の両手を見つめながらそう答えた。その言葉
にすら俺はひどく胸をつかれた。
コーヒーを一口飲むと、カップの中に映る俺の顔が無数の波紋に乗って揺れた。

「ねえ、今日は仕事とか、どうだったの?」

あかりは落ち着かない感情を噛み殺しながら顔をあげた。

「疲れたよ。もう嫌になるくらいな。」

俺も少しだけたかぶる感情を抑えながら、視線は正面のままで答えた。

「毎日毎日、一日中働いて。なんのために生きてるのかわかんねえよ。」

あかりにこぼす久しぶりの愚痴だった。

「うん・・・」

いっしょに暮らしていたときは、俺の愚痴に何らかの励ましの言葉を返すあかりだっ
たが、再びうつむき黙り込んでしまった。
しんとした室内に、いつの間につけたのか、弱い暖房の音だけが響いている。指だけ
を動かすあかりを見ていてもしかたなく、俺はくるりと部屋を見回した。
出窓に飾られたドライフラワー、白いカーテン、ベットの上に置かれたハードカバー
の本。ふとベットの下に目をやると、半畳ほどもあるダンボール紙のようなものがあ
った。

「あれ、何?」

俺はベットのほうに這うようにして行きながら尋ねた。そして床に座り込んでダンボ
ール紙を引き出した。

「ああ、それ、ジグソーパズル。」

見るとそれはジグソーパズルの土台のようで、奥にはパズルのピースが山のようにし
て積み上げられていた。

「昨日、近くの雑貨屋さんで買ってきたの。」

あかりも俺の側に来て座った。

「今日までに組み立てて、あなたに見せようと思ってたんだけど、なかなか進まなく
て。」

パズルはまだ五、六個のピースが一角にはめられているだけだった。

「専用の額まで買ったのに。」

俺は積み上げられたピースからひとつを手に取った。深い青色の塗料がベタ塗りされ
ていた。

「これ、どんな絵になるんだ?」

「どんな絵になるのかな?私も知らないの。お店で見た見本とは違う種類だし、パズ
ルが入ってた箱は真っ白だったし。でも知らないほうが楽しいと思う。」

「それでも完成させなりゃ意味ねえだろ。」

「う、うん。それはそうだけど・・・」

あかりは右手を口元に持ってきて、でもでもと呟いている。そんなあかりの姿を見て
俺はすこし優しい気持ちになれた。
手に持った青いピースを眺めながら、不思議と完成した絵が見たくなっていた。

「これ、組み立てよう。完成させよう。」

俺の予想外の言葉に、あかりの表情は一瞬明るくなった。俺はピースの山を崩して床
の上にひろげた。

「まずは四隅にあたるピースを探すんだ。」

「うん。」

ふたりでピースをかき分ける。座り込んだフローリングの床から、ふたりの下半身に
冷たさが突き抜ける。

「あったぞ。これだ。」

すぐに四隅のピースは見つかった。それらをパチッパチッとはめていく。

「すごい。」

あかりはこれだけで喜んでいた。長めの髪がさらさらと靡く。

「まだまだ。次は直線の辺を持ったピースを探すんだ。まわりからかためて、そこか
らじわじわ真ん中のピースをはめていくんだ。」

「ふふふ。」

ムキになってピースを探す俺がおかしいのだろう、あかりは笑いながらピースを探し
ていた。
なぜ、こんなことにムキになっているのか、なんとなく俺には解っていた。バラバラ
に積まれたピースと真っ白な土台が、いつまでも整理できないでいる自分の気持ちと
重なって見えたのだ。

あかりは右側から、俺は左側からピースをはめていった。何度かふたりが同時にはめ
たピースが隣り合い、そのたびにあかりは「あ、偶然」と微笑んだ。部屋にはピース
をはめる音と、あかりの楽しそうな息づかいが緩やかに漂っていた。徐々に埋まって
いくパズルに俺は微かな満足感をおぼえた。

「昨日はね・・・」

パズルに夢中になっている俺に、あかりはなにかを告白するかのようにポツリと喋り
だした。

「ひとりでこのパズルを組み立てても全然進まなかった。」

あかりの口調に圧迫感を感じ、俺は視線はパズルに向けたままで手を止めた。

「それに全然面白くなかったの。それで嫌になって寝ちゃったんだけど、夢にこのパ
ズルがでてきてすごく怖かった。夢の中で私は高い崖に立ってて、パズルをはやく完
成させないと崖から落ちちゃうみたいなの。」

あかりは手に持っていたピースをパチッとはめた。

「一生懸命になってパズルをつくるんだけど、身体が上手く動かないの。そのうち、
強い風が吹き初めて私の邪魔をするの。」

ジグソーパズルはもう三分の二は完成していた。あと少しだった。

「それでも泣きながらがんばって、あとひとつのピースをはめれば完成するところま
できたんだけど、崖が崩れて暗い谷に落ちちゃった。そこで目が覚めたの。でも本当
に怖かったから、このパズル捨てちゃおうって考えてたの。明日、ゴミといっしょに
捨てるつもりだったの。」

「ゴミ箱の、割れたコップと皿といっしょに、か?」

「え?う、うん。そうだよ。ゴミといっしょに嫌なことも捨てちゃえ、全部燃えちゃ
えって考えてた。」

パズルの絵はほとんど姿を現していた。パステルカラーの夜空のようだった。

「でも、捨てなくて良かった。だってこんなに楽しいもの。ふたりで組み立てると、
こんなに速いんだね、ふたりだとこんなに楽しいんだね。」

俺が顔を上げるとあかりと目が合った。この部屋に来てから、初めてあかりの瞳を見
た。その瞳はしっかりと俺の姿を映し、微かに震えていた。
いつから震えていたのだろうか、俺がこの部屋に来てからずっと震えていたのかもし
れない。

「ふたりだと楽しいよね。」

あかりが繰り返しそう言ったとき、瞳が強く震えた。いつの間にかあかりの手は俺の
膝の上に置かれていて、そこからあかりの温もりが伝わってくる。
このパズルは今夜中には完成するだろう。ふたりでやればあっという間だ。このパズ
ルと同じように、俺の気持ちの整理もひとりでやろうとしても無駄だったんだ。あか
りといっしょにやれば、あっというまに解決できるだろうことに、今の今まで気がつ
かなかった、忘れていた。あかりの、悲しみの感情が割ったコップと皿はもう直らな
いけど、パズルならふたりでまた組み立てればいいんだ。

「ああ、そうだ。ふたりのほうが楽しいに決まってる。当たり前じゃないか。」

俺は震えるあかりの瞳に向かって強く言い切った。

 パズルは夜中の二時頃に完成した。満天の星空を背景にして、二匹の小熊が寄り添
うように眠っている絵だった。


 朝。
目が覚めると、俺の隣であかりが眠っていた。
あかりの足は俺の右足に絡まり、手は俺の腕にしっかりと回されている。仕事のこと
が頭を過ぎり、身体を起こそうとしたがあかりの腕にしっかりと捕まれて動けなかっ
た。あかりの顔を覗くと、昨日の夢の続きでも見ているのだろうか、眉間に皺を寄せ
て苦しそうな表情を浮かべていた。何かいたたまれない気持ちになり、暫くこのまま
でいることにした。

 朝日がカーテンの隙間を抜けて部屋に差し込む。光が天井と壁紙に描く模様を目で
追いながら、素肌から直に伝わる懐かしい温もりに身をゆだねていた。鳥の鳴き声や
人の話し声が聞こえてくる。目を瞑ると、ここが屋外のような気がした。俺の意識は
秋の朝空に漂いだした。

「起きてたんだ。」

あかりの掠れた声が聞こえた。

「半分寝ているようなものだったけど。」

俺はそう答えてから、腕を引き抜こうとしたが、あかりは離してはくれなかった。俺
は軽くため息をついたが、無理に引き抜こうとはしなかった。そしてふたりで気持ち
のいい、朝の余韻に浸ることにした。

「仕事あるの?」

暫くしてから、あかりが俺の胸に顔を埋めながら聞いてきた。

「ああ、頭が痛くなる程の仕事が、俺を待ってる。」

あかりの腕の力が緩む。俺はあかりから離れてベットを降りた。ふたりの間に冷たい
朝の空気が吹き抜けた。窓の側に立つと眩しい光が俺の目に飛び込んできた。カーテ
ンを開けると、さらに強い光が俺の目を攻撃する。鮮やかに彩られた街。昨日までと
は違う景色。

「ごめんね、引き留めちゃったかな?」

凛としたその声に振り返ると、白いシーツの上に上半身を起こし、素肌を晒したあか
りが俺をまっすぐに見つめていた。露わになったあかりの乳房が、飛び込んでくる朝
日に晒されてきらきらと輝いていた。その輝きに俺の身体は大きく突き動かされ、ベ
ットで待つあかりのもとに引き寄せられた。あかりの横まで行き、輝く胸に耳をあて
る。ドクッドクッと響く生命の息吹。まったりとした流れ。
 あかりの腕が俺の頭に回された。そして強く抱きしめられた。あかりの、のびた髪
が俺の首筋を撫で、俺はゆっくりと目を瞑った。  (終)