「海より広い」 投稿者:カレルレン



 いつまでそうしているつもりだ。
 もう一時間も経ったぞ。粗末な食事を取り、ベットに仰向けになったままだ。
 ずっと天井を眺めて、何を見ている、何を考えている。
 天井のシミでも数えているのか、
 1、2,3,4,5。
 5つだな。小さなシミが5つあるぞ。こんな小さなシミ、おまえの中に拡がった
 黒い穴と比べれば、たいしたことないだろう。
 その穴はいつからあったんだ。おまえの母親が死んでからか、父親と別れてからか。
 どちらにしろ最初は小さなシミみたいなものだったろう。おまえがわざと見ないふ
 りをしていたやつだ。それはおまえの体中を虫歯のように食いつぶしているぞ。痛
 いだろう、治したいだろう。自分の責任だ。
 いままでおまえは、絵の具や消しゴムで、塗りつぶしたり、消したり、押さえ込ん
 だりしていたんだろう。
 もう限界だな。それも隠すのか。
 おまえ一人ではどうしようもないところまできているんだぞ、それすらも忘れよう
 とするのか。あきれたやつだ。
 
 この部屋の蛍光灯は明るいな。おかげでおまえの体の黒い部分がよく見える。
 頭、顔、胸、腹、足。全部真っ黒だ。
 
 こら、明かりを消すな。
 なんだ、出かけるのか、アルバイトだな。
 鍵ならテーブルの下に落ちてるぞ。そうだ、そこだ。
 こらこら、出かけるときは「いってきます」だろ。口にまで穴が拡がったのか。
 まったく、世話のやけるヤツだ。フフ。

 おやおや、電話が鳴ってるな。あいつならアルバイトに行ったよ。
 おっと、留守電機能付きか、女性の声が流れている。
 
 おまえの父親が死んだことを伝えているぞ、淡々とした口調が薄暗いおまえの部屋
 を斬りつけている。おまえの心には届くか、彼女の声が。
 彼女はおまえより大きく暗い穴に犯されているぞ。彼女を包み込むことができるの
 は、おまえだけだとわたしは思うがな。おまえの体も穴だらけだろうが、まだ手は
 残っているだろう。その手で彼女を抱きしめてやれ、それくらいの力はまだあるだ
 ろう。
 
 さあ、おまえが彼女の伝言を聞いたときの反応が、楽しみだ。
 おまえの黒い穴に犯された瞳は、留守電のランプをどう映す。何も映さないか。
 
 そうだな、最後にわたしからおまえにプレゼントをあげよう。
 留守電のランプをいつもより強く点滅させよう。
 おまえのくすんだ瞳にも、染み込むような光を、わたしが灯してやろう。
 久しぶりのプレゼントだ、受け取ってくれよ。
 
 さあ、はやく帰って来い、柏木耕一。我が息子。 
                          (終)