「競作シリーズその壱 犬丸 VS AIAUS」「お題:コスチューム」 投稿者:犬丸 投稿日:5月13日(土)20時42分 削除

「駄目だ、駄目だ、駄目だあぁぁ〜〜〜!!」

 英二はそう叫ぶと、机の上に置いてある紙を払いのけた。
 しかし、その紙が落ちた先にも、また紙がある。見渡せば数十枚の紙がカーペットを埋め尽
くす様に散乱していた。

「くっ……こんなモノではファンは満足しない。ファンとは精神的に餓えた動物そのものだ。
常にアーティストに『もっと、もっと、より素晴らしいものを!!』とねだって来る。そして
その期待に応えられないアーティストは見限られ、見捨てられる。それまでどんなにチヤホヤ
されていようとも……」

 頭を抱え、そう呟く。顔は憔悴しきり、目は充血している。
 天才――と呼ばれる緒方英二の、知られざる一面だった。

「故に俺は、そのファンの想像以上のものを提供しなくてはならない……例え、俺の身を削る
事になっても……」

 そう言うと、紙を机の上に取り出しまた鉛筆を走らせ始める。
 鬼気迫る――そんな表現が似つかわしい形相だった。

「兄さん……」

 扉の隙間から、いつもとはうって変わった兄の、変わり果てたその姿を理奈は見つめていた。
 他の誰も知らない、自分だけが知っている――理奈だけの兄の姿。
 しかし理奈には、その兄の力になれることは出来なかった。

 そっと、扉を閉める。

「……がんばって」

 扉にもたれかかり、そう寂しそうに呟いた。



「という訳で、今回のライブのコンセプトはコレだっ!!」

 英二さんは、ホワイトボードを叩くとそう叫んだ。

 どっぱ〜〜〜ん!!

 と、英二さんの背景に、岩に打ちつけられる激しい波飛沫が上がったような錯覚をした。
 いつものぬぼ〜とした雰囲気からはちょっと想像できないけど、英二さんは今熱かった。
 情熱が迸りまくっていた。
 そして、そのホワイトボードには――

 「既存との融合」

 という字が、描画可能範囲の限界ギリギリの大きさで書かれていた。
 で、こうなった経緯をちょっと説明したい。



 ――ここは都心の一等地。
 最も華やかで、ファッショナブルな業界人が集う街。

 そこのメインストリートに面したビルの最上階に「緒方プロダクション」はあった。「緒方
プロダクション」とは勿論、芸能界のカリスマと呼ばれて久しい天才プロデューサーの英二さ
んが創ったプロダクションだ。

 そして、俺は何故かここの会議室にいたりする。
 さらには、この会議室で行われているのが、里奈ちゃんと由綺の、次のアルバムとそれに絡
んだ全国ツアーの広告戦略、舞台演出の為の会議っていうのだから、驚きだ。

 何故俺が此処にいるのかと言うと、昨日の夜、英二さんから突然電話があり、今日このプロ
ダクションまで来てくれないかと言う事で、わけもわからず来たのだけど、受付の綺麗なお姉
さんに通されてのが、この会議室だったと言うわけだ。

 それほど広くはないけど、いかにも英二さんらしい会議室。
 ひょうたんのような形のテーブルには、その頭の部分に英二さんが座り、英二さんの右手に
は、弥生さんと由綺。そして左手には俺と理奈ちゃんが座っていた。

「さて、はじめようか」

 英二さんが間延びした声で、ゆるやかにそう言った。

「ちょっと待って下さい」

 が、俺はストップをかけた。

「なんだい、青年?」

 いきなりストップを掛けられたのが不服なのか、少し不機嫌そうな声で訊いてくる。
 
「何で俺がここに呼ばれたんですか?」

 俺は気になっている事を訊いてみた。俺のような素人が居ていい場所じゃない。大体、話を
聞く限り、英二さんはこんな企画会議自体やった事がないのだそうだ。彼のセンスは、全てに
於いて卓越している。作曲も、舞台演出も、広告戦略も、全てに於いて。

 故に他人と会議をするのが馬鹿らしいのか、この緒方プロダクションに所属するアーティス
トのプロデュースは英二さんの独断で全て行われているらしい。由綺だってその例外ではない。
唯一理奈ちゃんだけが特別で、理奈ちゃんのプロジェクトだけは、かなり理奈ちゃんの意見を
取り入れて――というか、二人で二人三脚のようにやっているそうだ。

 だから、こんな会議自体がこのプロダクションにとっては稀有だといえる。
 しかもそこに素人の俺が呼ばれる事自体、何かの間違いだと思うわけだ。

「う〜ん、そうだね……」

 顎を擦りながら英二さんは考え込んだ。そして

「面白そうだから」

 と、何の臆面もなく言いのけた。
 しかし、それは理由にならないと思うぞ。

「ん〜、でもそんな気にしなくていいと思うよ。兄さんがこんな会議をする事自体が珍しい事
だし、きっとまた下らないにしても、何か理由があって呼んだんだと思うから」

 そうからりとした綺麗な笑顔を浮かべて、理奈ちゃんが俺に言ってきた。

「そうだよ。きっと英二さんは、冬弥くんの隠れた才能を見抜いてここに呼んだんだよ。きっ
とそうだよ」

 きらきらとした、仔犬の様な純真無垢な瞳で、由綺が俺を見つめてくる。
 そういう目で見られても困るんだけどな。
 あと、俺を過大評価する癖はいい加減直せ。

「――」

 弥生さんは沈黙している。
 英二さんも特にそれ以外なにも言わなかった。で、うやむやのうちに会議とやらが始まって
しまい、英二さんがいきなりホワイトボードに書き始めたのがアレだったって事だ。

 ――まあ、そんな訳。

 そして、英二さんは、沈黙している俺たちを見回した。

「また、今回のライブのステージ衣装も、既存のモノを吸収し、昇華させるという事に着眼し
て考えてみた」

 そう説明しながら、英二さんは手元のノートパソコンにケーブルを繋げ、プロジェクターの
AV入力端子に繋げる。

「まあ、とにかくコレを見てもらおうか」

 そう言うと何かのリモコンを操作した。途端に部屋が暗くなり、壁に映ったプロジェクター
の光が際立ちはじめる。

「まず、由綺の衣装だが、これはとあるゲーム専門店に協力をあおいでみようと思っている。
尤も、断るはずなどないと思うのだがね」

 そう言って、ノートパソコンに繋げたマウスを操作し、何回かクリックすると、画像処理ソ
フトが立ち上がり、それに衣装が映し出された。CGでの合成みたいだが、そこには由綺が映っ
ていた。

 けったいな衣装を着て。

 ふたつ結びにした髪を結わえているのは、巨大な鈴を模した飾りつきの紐に、お揃いの巨大
な鈴のチョーカー。猫の顔を模した帽子と靴。手袋はこれまた猫の手っぽい巨大なやつ。極め
つけはメイド服。

 あー、なんか見たことがあるな。
 確か深夜によくCMしてる、ゲームグッズ専門店のマスコットキャラクターだ。
 まあ、可愛いと言えば可愛い。

 ――しかし何故これ?

 隣を見ると、理奈ちゃんはぽかんと口を開いてその映像を見ている。呆れているみたいだ。
 弥生さんは相変わらず無表情だ。

「きゃ〜、かわいい〜〜〜!!」

 由綺一人だけ手をぱちぱちと叩きながら喜んでいる。
 由綺、それお前が着るんだぞ。本当に分かってるのか?

「そうかね? やはりイイかね? ちなみに勿論語尾は『だにょ』だがね。――さあ由綺、やっ
てみなさいっ!!」

 プロジェクターの光芒を、ギラリと眼鏡に反射させて、英二さんはずびしと由綺を指差した。

「はいっ! わかりましたにょ!!」

 嬉しそうに由綺は言う。

「うんうん、やはり由綺は素直なよい子だ」

 英二さんが感慨深げに頷き、えへへと由綺が照れたように笑う。

 ……ごめん、由綺。俺、お前が少し遠くに行ってしまったような気がするよ。

「さあ……そしてお次は理奈だっ!」

 そういうと、次の衣装が写しだされた。

「「うわぁ……」」

 思わず俺と理奈ちゃんの口からそんな言葉が洩れる。
 驚嘆ではなく、呆れた声だけど。

 オレンジ色の光沢のある、体に密着した全身ボディスーツ。腰には革ベルトを巻き、そのベ
ルトが肩からの紐と繋がっている。頭には、ミッキーマウスのような耳が付き、頭頂部は青く
なっている。さらには、一昔前の宇宙人のような先端の丸まった触覚がひとつ、ぴょこりと生
えていた。

 まあ、ひとつのアレ。警視庁のマスコットキャラクターのピーポ君のリアルバージョンだ。

 確かに、こういったふうになると、レトロフューチャーというか、なんとなく格好よく見え
るような気がしないでもない。しかしアイドルに着せるか、コレ?

「きゃ〜! カッコイイにょ〜〜〜!!」

 やはり由綺だけ嬉しそうに、目を輝かせてそれを見ている。
 由綺……お前ってば……。

「アートとは何時の世でも、精神的レジスタンスであるべきだからね。そして既存の流行、権
力体制をも吸収し、それを使用してまでも満ち足りない程、アーティストとは我がままな人種
だ。今回はそれを全面的に押し出し……」

「もう此処にいる必要はありません。参りましょう」

 弥生さんが静かにそう言うと、由綺の腕を掴んで立ち上がろうとした。

「えっ? えっ?」

 由綺は不思議そうに弥生さんを見つめた。

「冬弥くん、私達も帰りましょう」

 理奈ちゃんも俺の腕を掴んで立ち上がろうとする。
 俺もこくりと頷くと、その手に促されるよう立ち上がった。
 この場所に、俺のいる資格はない。
 そんな想いが胸を占めていた。

「この素晴らしいデザインの、何が不満だああぁぁ!!」

 不服そうに、俺達を見渡して英二さんが叫んだ。

 すぱこ〜む!

 ナイスな快音が部屋に響き渡る。
 そして、厚底ブーツを手にもった理奈ちゃん。
 コレは痛そうだ。

「なっ……兄に手を上げるとは何事だ! 兄さんは哀しいぞぅ!!」

「哀しいのはこっちよ! 何よ、この間ず〜っと悩んでたのはコレなわけ! 心配して損した
じゃない!!」

 理奈ちゃんがそうまくし立てる。
 本気で怒っているみたいだ。
 確かに、あんなのが自分のステージ衣装だったら、怒るのも分かる。

「『コレ』とはなんだい『コレ』とは。いくら妹でも、言っていい事と悪い事があるぜ、理奈。
まったく……真の天才とは何時の世でも凡人には理解されないものなのかな」

 理解できない事は確かだ、英二さん。

「社長はお疲れのようです。この会議は後日また――という事に致しましょう」

 弥生さんは冷静にそう言うと、理奈ちゃんも

「そうね、それがいいかもね」

 と同意を表した。

「え〜、あの衣装、可愛いにょ。冬弥くんもそう思うにょ?」

 由綺がにこにこと微笑みながら俺に言ってきた。
 由綺――俺には何も言えないよ。
 ごめん。

 あといい加減、その口調やめれ。
 お願いだから。

「そうか、由綺は分かってくれるか。やはりこの緒方英二が本当にプロデュースする価値があ
るのは由綺だけだぁ! それに比べると理奈なん……ほぶぉ!」

 英二さんは、呻き声とも思える奇声を上げた。
 そのみぞおちには、理奈ちゃんのナックルが綺麗にめり込んでいる。
 ゆっくりと、崩れ落ちる英二さん。
 しかし途中で、理奈ちゃんに抱きとめられた。

「ごめん……ごめんね兄さん。兄さんがここまで追い詰められてたなんて。それに気付かない
なんて、妹失格……だね、私」

 理奈ちゃんは英二さんの頭を抱きしめて、そう呟いた。

「由綺さん……私もいつも傍にありながら、由綺さんの事は何もわかっておりませんでした。
申し訳ございません……」

 弥生さんもそう言って、由綺をそっと抱き寄せた。
 その顔には母親のような、温かい慈愛の表情が浮かんでいた。
 それはちょっと胸に訴えかけてくる、綺麗な光景だった。
 思いやりって素晴らしい。

「弥生さん、変だにょ? どうしたんだにょ?」

 由綺は、不思議そうな顔をして弥生さんを見上げた。
 弥生さんは、一層由綺を強く抱きしめた。
 蔭になった顔に、きらりとしたものが光る。
 涙?
 それは多分涙だった。

 由綺、お前は幸せだよ。
 こんなに想ってくれる人がいて……。

 そして結局、緒方プロダクションは一ヶ月ぐらい休業すると理奈ちゃんが決めた。
 四人でどこかの温泉にでも逗留して、ゆっくりと疲れを癒すと言う事だ。
 由綺を乗せた弥生さんの車を見送ったあと、理奈ちゃんと俺は、応接室でちょっと休んだ。
 ふう――と二人同時にため息を吐く。

「ねえ」

 理奈ちゃんが、声を掛けてくる。

「なに?」

「これで……よかったんだよね?」

 ちょっと心配そうに、俺の顔を覗き込んで訊いてきた。

「うん、英二さんも由綺も、色々と疲れが溜まっていたみたいだからね。この際、一気に元気
を取り戻した方がいいと思うよ」

 理奈ちゃんの心が、なるべく軽くなってくれる事を願って、明るく俺は言った。

「ありがと。優しいんだね、冬弥くん」

 周りの空気に滲み出してくるような、柔らかい微笑を浮かべる理奈ちゃん。
 少しだけ、胸がドキドキした。

「そういえば、冬弥くんにちょっと見て欲しいものがあるんだ」

 急に明るい口調になって、理奈ちゃんはそう言った。

「へえ、なに?」

「うん、今度のステージ衣装、兄さんの助けになるかなって、私もちょっと考えてみたんだけ
ど、冬弥くんの意見を聞いてみたくてね。いいかしら?」

「俺なんかの意見でよかったら。それにしても理奈ちゃんのデザインか。期待しちゃうな」

「大したものじゃないわよ」

 少し照れたように呟き、傍らのトートバッグから、スケッチブックを取り出した。

「これなんだけど……どうかしら?」

 真ん中あたりを開き、俺に渡してくる。
 
「へえ……って!!」

 俺の言葉がそこで固まった。
 俺の視線の先にあるスケッチブックの一ページ。
 ざっとラフに描かれながらも、その確かな画力を伺わせるデザイン画。
 そこには――国防省のマスコットキャラのピクルス王子の衣装を着た理奈ちゃんと、パセリ
ちゃんの衣装を着た由綺が描かれていた。

 なんつーマニアックな。
 軍事マニアの人でも、国防省にこんなマスコットキャラがいるなんて、そうは知らないぞ。
 いや、そういう事じゃなくて、ちょっと待って理奈ちゃん。

「この国を守る、戦士達のハートを鼓舞する為に考えたんだけど、どうかしら?」

 えへへと照れながら理奈ちゃんは俺に訊いてきた。
 子供が誉めて欲しいときなんかにする、あの期待に満ちた目つきで。

 いえ、どうかしらって言われてもですね……。

 俺は、結局何も言わず、緒方プロダクションを後にした。
 多分、ここへ来る事はもうないだろう。
 外に出ると、灼熱の溶鉱炉から掬い取ったような、綺麗な夕日が空を染めていた。
 その朱に響き渡るような、鴉の鳴き声が、妙に耳に――染みた。

 ごめん……理奈ちゃん、由綺、英二さん。

 やっぱり俺、芸能界で働く人の事は良く分からないよ。





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