春の陽光が、容赦なくあたりをぽかぽかと暖めてゆく。 眠い、眠いぜ。 「春眠暁を覚えず」って、この時期になると誰もが言う言葉だけど、それだけ真実って 事なんだろーな。 これを考えた奴は、そうとうグータラだったに違いない。 俺の次くらいにな。 そんな事を考えながら歩く、いつもの登校だった。 ――が、校門を通り過ぎる時、ふと違和感を感じた。 いつもだったら、マルチがレレレのおじさんよろしく、挨拶しながら掃除をしてるはず なんだけどな。 んっ? ちょっと離れた所で、掃除をしている女の子は……マルチ? いや、マルチと同じ髪の色だけど、体のサイズが二回りは大きい。 でも、あの髪の毛から飛び出している、モテたくてやまない謎の宇宙人とはちょっと違っ た突起物はどう見ても……。 俺がそう逡巡していると、その女の子はこちらを振り向き、顔を輝かせた。 「ひろゆきさぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜ん!!」 髪の毛をゆらし、背中に花を背負いながらとてて、と走ってくる。 アニメならスローモーションになるシーンだ。 「マルチ!? マルチなのかお前!!」 ぽて。 「あうっ!」 ――こけた。 確かにマルチだ。 「ううう、痛いですうーーーー」 そう涙ぐむマルチ。 俺はマルチに駆け寄ると、助け起こしながら、まじまじとその身体を眺めた。 確かにマルチ――だ。 いや、成長したマルチってところかな。 肩下まで伸びた草色の髪が、頭の三方を多い、手足もスラリと長くなっている。 今まで、俺の胸元くらいしかなかった身長も、肩口あたりまで伸びている。 それに――華奢な印象は相変わらずだけど、胸のあたりも、なんというか発育が見られ たりなんかして。 頬のラインもスッキリして、どことなく大人びたみたいだ。 「そっ、そんなに見つめないでくださよ」 マルチは照れながら顔を伏せるが、その仕草も、なんとなく子供っぽさが抜けている。 「いや――でもよ、マルチどうしたんだソレ?」 俺はそう言ってボディを指差した。 マルチはロボットだから肉体的な成長はするはずがない。――とすれば、ボディを交換 したのか? 「はあ、主任さんが言う事には、なんでもユーザーさんの要望が多くて、ええと、消費者 ニーズに合わせた供給が市場原理に……あうう、上手く説明出来ません」 困ったような表情を浮かべるマルチ。 身体は変っても、オツムは変らねーみたいだな。 「いやぁ、HMシリーズのユーザーから、もっと色々なタイプ、主に年齢別のタイプが欲 しいというニーズが多くてね、今後の商品展開の為に、ちょっと作ってみたんですよ、は はは」 いきなり後ろから声を掛けられた。 振り返ると―― 「どわぁ! イースター島の謎の巨石像が何故此処にぃ!?」 「酷い言いようですねえ」 そのモアイ――長瀬主任は、やはり長い顎を擦りながら、心外そうに言った。 いや、唐突にあんたの顔が現れたら誰でも驚くって。 「まあ、メイドロボも商品とは言え、姿形は人間ですからね。人によって様々な好みが出 てくるわけです。年上が好きな人もいれば、年下が好みの人がいるようにね。そこでユー ザーの需要を反映して、HM−12シリーズでも、年齢別に何タイプか作ることになりま してね。いま、マルチにテストをしてもらっているわけですよ」 「ふーん、それで、マルチがでっかくなっちまったって訳か」 俺は、マルチの頭に手を乗せると 「どうだ、体が大きくなった気分は?」 と訊いた。 「はあ……なんだか、大人の階段のぼるわたしはまだシンデレラなので、夜の12時まで までのアバンチュールがどすこいって気持ちです」 えへへと笑いながら言う。 「何が言いたいのかさっぱり分からねーが、まあ嬉しいって事だな」 ――やっぱ、中身はあんま変ってねー気がするぞ。 「どうですか、浩之くん? このマルチは?」 オッサンが訊いてきた。 「んー、いいんじゃねえか、可愛いしよ」 俺は、マルチの頭をなでながらそう言う。 「えへへぇ」 「ほう」 「でもよ、俺はやっぱり、前のちっちゃいマルチの方が好きだな。なんつーのか、手の ひらサイズってのか、スッポリと収まるっつうか、むしろないところがなんともな」 「ふうん、ない方がいいんだ」 「まあな」 俺はそう言って、ちょっと笑った。 ――えっ? 俺はその声の方を見た。 「あっ、あかり……さん」 何故か「さん」付けで敬っちゃったりする俺。 「浩之ちゃん。マルチちゃんの何処が小さくて、手のひらサイズで、ない方がいいのか、 ちょっと教えてほしいんだけど」 そう静かに微笑んであかりは言った。 ――が、眼にはヒグマの本能の炎が踊っていた。 こいつはやべぇ。 三十六計逃げるに如かず――だ。 「ああっ! 大変だ、授業が始まってしまふ!!」 わざとらしくそう叫び、俺は駆け出した。 むんず。 しまったぁ! 捕獲された!! 「とりあえず、屋上でじっくり話し合おうか?」 それって、話し合いじゃなくて、一方的な暴力っていうんじゃ……。 「今日は、二人でランデブーだね☆」 その日はお空をランデブーしました。 一人で。 次の日。 今日も眠気をかみ殺しながら校門をくぐる。 ――それにしても体中が痛え。 昨日はさんざんこっぴどくやられたからな。 さすがに 「ほら、浩之ちゃん。タケコプターだよ。お空も飛べるんだよ」 って、竹とんぼを頭に挿されて、屋上からブン投げられた時は死ぬかと思ったけどな。 あんとき、琴音ちゃんが通りかからなかったら、どうなってたことやら。 まあ、生きてるだけありがてえと思わなくちゃな。 んっ? 今日もマルチがいないみたいだが? 「ひろゆきさ〜〜〜〜〜〜〜ん!!」 校門の外から、声がする。 身を翻して、声がした方向を見てみると、ぽてぽてと坂を走ってくるマルチがいた。 ――が、今日のは凄かった。 黄色い帽子に、水色の制服。 くまのマークの入ったバッグにお弁当袋。 チューリップの形をした名札には、でっかく「まるち」と書かれていた。 体のサイズもそうなんだが、それに合わせた園児服のダイナマイツなインパクト。 朝の眠気を吹き飛ばすには十分だった。 ぽて。 「はうっ!」 マルチがまたこけた。 あっ、立ち上がった。 偉い、一人で立てるなんて偉いぞマルチ! あっ、涙が滲んできた。 駄目だ、泣くなマルチ。強い子は泣かねーんだぞ!! 「ふっ……うっ……ふえええええええええええ!!」 泣き出した。 「あああ、マルチ、泣くなあああ!」 慌てて駆け寄り、子供好き熱血漢な本領発揮。 ハンカチを取り出し、涙を拭ってやる。 「ほら、泣くんじゃねーよ。お日様に笑われちまうぞー」 そう言って、なでなでしようと頭に手を載せたときだった―― 「くくくくく……どうですか、園児バージョンのマルチは? もっとも、このタイプが一番 要望の多かったタイプなんですがね……くくくくく」 眼鏡に朝日をギラリと反射させ、妖しい笑いを発しながらオッサンが登場した。 どこがユーザーの要望だよ、オイ。 100%オッサンの趣味じゃねーか。 俺は唖然としたまま、オッサンを見つめた。 「どうしました? そのような間抜け面をなさって。お気に召しませんでしたか」 俺の足元では、まだマルチがえぐえぐ言っている。 だんだんと、言いようの無い感情が押し寄せてくる。 マルチを、マルチをこんな風にしやがってぇぇぇぇ!! 「おっけぇ!!」 俺は、この朝日に負けないくらいに煌いた笑顔を浮かべると、そう言い放った。 「浩之ちゃん。今日もタケコプターしようか?」 あっ、あかりさん!! 何故ここにぃ!? ------------------------------------------------------------------------- おまけ 「綾香お嬢様、ただいま帰りました」 いつもの正確な発音で入室してくるセリオ。 「おっかえり〜。長瀬に何やられてきた……」 つるづごむ。 テーブルに頬杖をつきがら、テレビを見ていた綾香の手が見事なまでに滑り、テーブル への頭突きの音とハーモニーする。 半ズボンのオーバーオールに長袖のTシャツ。 背中の赤いランドセルからは、ソプラノリコーダーがはみ出し、キーホルダーにはクマ チュウのマスコットと、ピンクの給食袋がぶらぶらと揺れている。 ファニー&ナチュラルランドセル世代――セリオ・ジュニアスクールバージョン・イエイ! (注:正式テスト名) 「なっ………な〜が〜せ〜〜〜〜〜」 テーブルに突っ伏したまま声を震わす綾香。その肩も何故だか震えている。 「如何なさいました?」 そう言ってセリオが駆け寄ろうとした時―― 「でかしたぁぁぁぁ!」 綾香は、生まれて初めての魂からの慟哭を放った。 ――ここにも同好の士がまた一人いたりして。 ------------------------------------------------------------------------- AIAUSさんと「春眠暁を覚えず」がカブって……。 いや、この季節は、どうにも眠たいですね。 ちなみに、この話は、まあ商品になるんだったら、こういうのもあるんじゃ ないかと思いまして。