いつか人間らしく 投稿者:犬丸 投稿日:4月17日(月)01時05分

「さて、二人に来てらったのは他でもない、マルチとセリオの事です」

 長瀬は、軽く咳払いをするとそう切り出した。

 ここは来栖川HM研究所のある一室。「訊きたい事があるから」という、長瀬の言葉によって、浩之と綾香の二人が呼び出されていた。

 二人の前には、カップに淹れられたコーヒーから湯気が立ち上っている。

 長瀬の前にも、可愛らしいくまさんマークのマグカップが置いてあるが、あえて二人は何も言わなかった。

「何か二人に問題でもある訳?…私は感じないけど」

 いぶかしげに綾香は長瀬に問を放つ。

 浩之は、カップのコーヒーをごくごくと飲み干して、ついでに氷も頬張り、奥歯でがりがりと噛み潰して、すっかり飲んでしまってから

「特に、問題なんてないぜ」

 と同意するように頷きながら言った。

 ――がりがりと?

「ちょっと待って」

 綾香が、ストップをかけた。

 不思議そうな顔をして、長瀬と浩之が綾香を見る。

「――浩之、あんたのコーヒーってアイス?」

「いんや、ホットだったけど」

「じゃあ、なんで氷を噛み潰せるわけ?」

「氷なんて噛み潰してないぜ。大体ホットに氷が入っるわけねえじゃんか」

 浩之はそう言う。

「じゃあ、何で前の地の文に『ついでに氷も頬張り、奥歯でがりがりと噛み潰して』なんて文が出てくるわけ」

 ある意味もっともな質問。

「うわあ、メタな突っ込みだな」

 と浩之は言い、カップのコーヒーをごくごくと飲み干して、ついでに氷も頬張り、奥歯でがりがりと噛み潰して、すっかり飲んでしまってから

「気のせいだろ」

 と結んだ。

「って、今思いっきり、噛んでたじゃない。それにいつの間にコーヒー淹れられたわけ?コーヒーがテレポーテーションでもしてきたの?それとも時間が回帰するっていうメタな表現なの?――ってあたしのかぁぁぁぁ!!!!」

 おおうっ。

 二人の口から感嘆の声が上がる。

 ナイスノリ突っ込み!

「ナイスじゃないわよ!」

 だから地の文に突っ込むな。

「特に、問題なんてないぜ」

 と同意するように、うんうんと浩之が頷いた。

「話、戻すなぁ!」

 綾香が絶叫する。カルシウムが不足しているのかもしれない。

「まあ、兎に角話を進めましょう」

 それもそうだ。



「特に、問題なんてないぜ」

 と同意するように、うんうんと浩之が頷いた。 

「そりゃあ、勿論私達の創った可愛い娘ですからね、動作的な問題は無いと思います…ですが今日お呼びしたのは、そのようなことではありません」

 そう云う長瀬の言葉に「もったいぶらないでよ」という綾香の一瞥が飛ぶ。

「実は、今日お二人にお聞きしたいのは、HMシリーズの最初のユーザーとしての識見、というか意見を聞きたいのです…そう、あの二人は現代の技術では可能な限り「ヒト」に近しいモノとして創られました…ですが、より「ヒト」に近づくためには何が必要か…その欠けている部分を聞いてみたいのです」

「つまりは、何時も近くに居る俺たちから、あの二人の「人間らしくない部分」を訊きたいって事か?」

 浩之は訊く。

「そういうことですかね」

「――でも、セリオはああゆう娘だから、ちょっと感情表現苦手だけど、浩之のところのマルチなんて、感情だけとってみれば、十分人間なんじゃない?」

 綾香が少し考えてから云った。

「確かにな。逆にアイツをこれ以上人間らしくしようったって、何にも思い付かねぇよ」

 両手を頭の後ろに組み、ぎいと音を鳴らして浩之は背もたれに体重を預けた。

「そりゃ、ごもっともなご意見ですねぇ…確かにマルチに積んだAIシステムは、現時点で世界最高峰と呼べるでしょう。それは人間の脳の動作をある程度をシミュレート出来るぐらいにね。そしてセリオの演算処理能力、さらにサテライトサービスを利用した能力は人間以上です。「情報」という名の知識でセリオに勝てる人間は居ないでしょう――ですが…ハッキリと言いますと、あの二人はアンドロイドです。機械です。いくら「人間っぽく」出来ているいるからといっても、根本的に我々とは違います。我々は食物を摂取し、それを熱変換してエネルギーにします。ですが彼女達は電気だ。この一点を取ってみても人間とは違う」

 そういい放つ長瀬に、綾香は少し嫌悪感の含んだ視線を送った。

「へえ、自分の娘のくせに随分と突き放した言い方じゃない。「出来る限り人間らしく」をコンセプトに創って、今更、「やっぱり人間とは違う」って云いたいの?」

 少し怒っているせいか、言葉にも刺がこもる。

 浩之は何も言わず、じっと長瀬を見ている。

「いやいや、手厳しい――ですがね、これはこの研究所の人間全てが持ってるジレンマなんですよ…拭い切れないね」

 そう云う長瀬は少し寂しげだった。自分の行為に常に疑問を発しつづける。研究者としては正しい姿勢なのだろうが、時には払いきれないジレンマを生む。長瀬も飄々としながら、常に心の中では一人苦悩しているのかもしれない。いや、このような人間だからこそHMシリーズを生み出せたのかもしれない。

 ――ただ単に趣味だろう。という声も存在する。

「人間を創ろうとしたら、やっぱり人間じゃなかったってか?」

「そうですね、初め我々は人間たる条件は「ココロ」だと思った。心をシミュレート出来れば、ロボットも人間になるのではないのだろうか?と。そしてその為のシステムを創り上げた。長い年月をかけてね。様々な娘達が産まれ、次代の為の礎となってくれた。そして最終的に二人の娘が生まれた。マルチとセリオです。マルチは心を持つロボットのプロトタイプとして。セリオは人間以上の処理能力を持つロボットのプロトタイプとして。そして二人は期待通りだった、いや期待以上でした。あの全く違うタイプの二人を愛してくれる人間が、ここに二人も居る。それだけで我々の期待に十分報いてくれました」

 そう云う長瀬の言葉に、二人は少し俯いた。

 照れているのかもしれない。

「あなた方は、二人を人間として見ていてくれています。…どうですか?」

 その問に、二人は僅かの間沈黙した。

「そうだなぁ…大体マルチなんて、「コイツ本当に機械か?」なんて思うことよくあるしな」

 そう云う浩之は少し微笑んでいた。

 ままでのマルチの行動(ドジ)を思い返していたのかもしれない。

 いや、微妙に頬が緩んできている。

 あっ、目も虚ろになってきた。

「ふふぅ…そうだよな、マルチ…なでなで…ふきふきだよなぁ…なでなで、ふきふき……なでふきほふほー」

 そんな言葉が口から漏れる。

 もはや彼の精神は、ココではないどこかに行っているようだ。

 だがその顔は幸せそうだ。

 ハッピー・ナチュラル・トリップ。

 マルチな次元とチャネリングかもしれない。

「セリオもねぇ、偶にフッと見せる仕草が、妙に人間ぽかったりするのよね」

 そう云う綾香の目も、どこか遠くを見つめているようだった。

 あのトンチンカンな掛け合いを思い出しているようだ。

 ここでトリップしないのが、お嬢様の嗜みなのだろう。

「そこですよ」

 長瀬が云った。

「どこだ?」

 浩之が、トリップから即座に回復し、辺りを見回しながらお約束のボケを放った。

 ぐわし。

 何かが粉々になる音を伴奏に、鋼鉄の裏拳がその顔に張り付く。

「どういうこと?」

 裏拳を放った姿勢を保ったまま、綾香は聞き返した。何時に無く真剣な表情だ。

 ――浩之は、後ろの壁に張り付いている。

「そう、確かにあなた方は、あの二人を人間として見てくれている。ですがやはり精神の根底にはあの二人は「機械」または、自分とは「違う存在」という概念が張り付いている。先ほどの貴方達の言葉。「コイツ本当に機械か?」なんていう疑問は、人間には発しないし、綾香お嬢様の「人間っぽい」なんていう表現は人間には使いませんよね?その言葉はあくまで人間じゃない存在として認識しているからそう出てくるんです」

 綾香の真剣さに応えるように、長瀬も真剣に答える。

 あるいは、質問の回答という体裁をとりながら、自分の心情を吐露しているのかもしれない。

「それはナニか、オッサン?俺たちが結局マルチやセリオを「モノ」としか見てねー、って言いたいのか」

 いつのまにか浩之は、今までずうっとそうしていたかの様に椅子に鎮座していた。

 ――コイツ、いつのまに。

 綾香の視線が、浩之の顔に向けられる。

 しかし、その顔には先ほど裏券を叩き込まれた痕跡など微塵も存在しない。

 ――何て奴。

 そういえば、最近は葵に格闘技の手ほどきを受けているらしい。

 その回復力に驚嘆しつつも、コイツとはいつか闘り合う日がくるかもしれない。そんな予感がふと胸をよぎる。

 心のうちから、静かな闘志が湧き上がってくる。

 綾香はその闘志を、さらに心の内に在る「殺すリスト」という、いささか物騒な名前の棚に「鬼畜王」というラベルを貼って

 ――そっと、仕舞った。

「そうは言ってませんよ、ただ、人間とは違う存在として認識してる。と言いたいんです」

「似たようなもんだと思うけど」

 綾香は先ほどの闘志の欠片すら見せずに云う。

「そもそも「人間」の定義ってのはなんなんでしょうね?」

 長瀬が唐突に、違う角度からの質問を撃ってきた。

 突然の質問に、綾香は躊躇した。

 浩之は理解できないでいる。

「人間の定義…生命と機械の違いは、有機質であるか無機質であるかでしょ?」

 とりあえず綾香はそう答える。

 まだ、考えがまとまっていない。

「分子工学のレベルでいうと、有機質、無機質という考え方はないのですよ。人間も機械もあくまで分子で構成された物質です。人間も機械も、分子機械というレベルで見れば、同一の存在です」

 冷静に長瀬が返す。

「それじゃあ、人間と犬や猫との違いは、思考…考えること、それに意思。感情は、他の動物にもあるしね」

 考えながらも綾香は答える。

 なんだか長瀬の誘導尋問に乗っているみたいだったが、長瀬が何を言いたいのか見極めるまでは、乗ってやるつもりだった。

 浩之は、会話に付いていけず、ぼうっと二人を眺めている。

 なんとなくアホ面。

「…まあ、結局はそうなるんでしょうなぁ。動物にも感情はありますし、意思もあります。動物と定義されてはいるが、イルカやオランウータンのような高度な思考をする哺乳類も存在します。ですが人間のような思考を思想としてまとめたり、文字を使ったりというさらに高度な行為は行えません。それが結局人間と動物を分かつ違いになるのでしょう。それにホモ・サピエンスという言葉は「考える動物」という意味らしいですね」

 長瀬はそう云うと、多少ぬるくなったコーヒーを啜った。

「それと、マルチとセリオの話、どう繋がるんだ?」

 浩之が、何とか会話に食いこもうと質問をする。

「まあ、それは置いといて」

 長瀬は「おいといてアクション」をすると、綾香に向き直った。

「さて…」

 長瀬は綾香に話し掛ける。

「ちょっと、待てよオッサン!置くなよ、話。戻せよ!…オイ、聞けっつうの!!」

 どぼん。

「ほふほー」

 何か巨大な質量が、サンドバッグに高速でぶつかったような鈍い音がした。

 奇妙な呻き声を洩らして、腹を押さえて崩れ落ちる浩之。

 いと哀れ。

「ちょっと黙ってなさいよ。…で、その「人間の定義」がどうなるの?」

「そうですねぇ…何と例えるかな。……綾香お嬢様は、片足が義足の人間を人間と思いますか?」

 ある意味、非人道的な質問を発する。

「そりゃあ、当たり前でしょ。片足がなくったって、人間には代わりないじゃない。そんな質問自体がナンセンスよ」

 ハッキリと答える。

 それはそうだ。片足が無かろうが有ろうが、人間は人間だ。

 身体的な欠損で「人間じゃない」なんて思うことが綾香は厭だった。

 綾香にはそんな考えを持つ事自体、汚らわしかった。

「それもそうですな。いや、失礼な事を言いました。…では、そうですね。最近の義肢産業、いわゆる義手、義足の事なんですが、著しい発展を遂げています。これは我がHM研の貢献もあるのですがね。とにかく、医療技術と、ロボット工学は非常に密接な関係にあります。手の動きを限りなく再現できるマニピュレーターが開発されれば、それは義肢の技術にも応用できますからな。来栖川の医療部門も我々の研究の成果でだいぶ潤っているようです」

 長瀬はそう云うと一息ついて綾香の顔を見た。

 綾香は何も云わない。長瀬の言葉を待っているようだった。

「これが、さらに発展を遂げれば、身体の大部分。それは、首から下全てを義体にしても、一個人として生活できるようになるでしょう。あるいは漫画のように、脊髄の一部と、脳だけをケースに収めて、次々と身体を乗り換えられるようになるかもしれない。綾香お嬢様は、そのような人、脳だけケースに収められ、機械の身体を纏った人を人間だと思いますか?」

 肯定を促している質問だった。

 それにYESとしか返答のしようのない質問は卑怯だ、と綾香は思った。

「そう思うわ。彼らには人間としての意思があり、思考があるもの。身体が機械だって、脳が人間だったら人間じゃない」

 長瀬の思惑に乗る回答は少し癪だったが、今では少し好奇心も沸いてきた。

「それじゃあ、もし、その人物の脳が思考停止状態、植物人間だったら?」

 さらに長瀬が突っ込んでくる。

 段々と答えにくい質問へと。

「…それでも、人間よ。脳は生きているし、それに命があるわ」

 綾香は慎重に言葉を選びながら答える。

「しかし、先ほどの人間の定義。「思考」という要因に反しますね。身体は機械。思考は無い。それでも人間と言える根拠は何なんですか?」

 綾香は言葉に詰まる。

 確かに、それはもはや人間と呼ばれるものではないのかもしれない。

 しかし、思考が理解しても、感情が拒否していた。

 社会的倫理観。道徳。

 呼び方は色々あるだろう。

 だが、それを「人間ではない」と認めてしまうと、綾香の中で何かが壊れてしまいそうだった。

 認めたくはなかった。

「…脳…それでも彼には人間の脳がある。そしてそれは生きている。思考が無くても、生きている。それが人間の証よ」

 苦しい言い訳かもしれない。

 しかし、これが綾香の最後の砦だった。

「それは「唯脳論」ですかね。ちょっと違いますかな?とにかく、綾香お嬢様は、人間としての部位が生きている事で人間の証としている。例え身体が機械であっても、人間としての一部分が残っている事で、人間としています。ですが、逆説的にこう考えるとどうでしょう?身体は人間です。しかし本来脳がある部分には、完全に脳の機能を再現できるコンピューターが入っています。そして機械の脳を持つ彼は、人間と同じように、泣き、笑い、喜び、怒ります。そして芸術的な活動、音楽や絵画、小説などを創るかもしれない。脳が機械というだけで、彼はあらゆる意味で人間と同じです。……綾香お嬢様は彼を人間と呼びますか?」

「それは…」

 今度こそ、本当に言葉が詰まった。

(それは、人間よ)

 そう肯定する心がどこかにあった。

「もし彼を人間ではないと否定するのなら、それはただ単に脳がタンパク質で出来ているか、シリコンで出来ているかの違いで判断しているに過ぎません。そして、そう判断しているのは……我々人間です。我々はただ、自分達の決めた狭い檻の中で、人間的なものか、非人間的なものかを決めているだけなのです」

 長瀬はそう云うと、少し綾香を見つめた。

 そして浩之も見た。

 いつのまに復活したのか、何事も無かったような顔で、テーブルに着いている。

 結構真剣な顔つきで。

 ――ちょっと浩之君の身体を調べてみたいな。

 話の途中だが、科学者としての好奇心が沸いてきた。

「そう考えると人間の定義などというものは、非常に曖昧になってしまいます。……それに少なくとも、我々は未だに「生命」の定義もできていないのですよ」

 長瀬は薄く笑った。

 それは冷笑などではなく、どことなく温かみのある微笑だった。

「…つまり「人間」と「ロボット」を分かつ境界は無い…ううん、考え方を変えるだけで、無くなってしまうのね」

 綾香は長瀬の言いたいことが分かってきた。

 「人間」という概念は人間自体の作っている幻想なのだ。他の動物から見れば「人間」「動物」などと言う区切りはなく、全ては「生き物」という範疇に収まっているだろうと言う事を。勿論、敵や味方。親と子供という考えはあるだろう。それに限りなく人間に近いロボットが生まれたなら(マルチやセリオ以上の)、それは動物から見たら「人間と同じ」としか見えないはずだ。

「そういう事になりますかね。…自分で言っといて何ですが、そんな大層な考えでなくてもいいんですよ。ですが、我々はもうちょっと大らかに物事を考えてもいいと思う訳でしてね。機械の身体を非人間的なモノの象徴として捉えるか、それとも彼女達の「特徴」として捉えるか、それだけでも考え方はだいぶ変わると思いますよ。そして願わくば、私達の娘の妹の妹、さらにずうっと先の妹達でも、人間と同等の存在として認められたらいいと思うんですよ。確かに、法律や規則、さらには倫理などがありますし、それは容易には変わらないでしょう。しかし、いつか人間らしく、と思うわけですな」

 そう云う長瀬の目は優しかった。本当に彼の娘達を愛しているのだろう。

 そして照れ隠しか「ちょっと言いすぎましたな」と言って笑った。

「ふぅん、なんか本当にあの娘達のお父さんみたい」

 多少、茶化した口調で綾香は云った。

「心配性ですけどね」

「まあ、なんだ。つまりマルチはマルチって事だろ。小難しいこと抜きにして」

 浩之がそうあっけらかんと云う。

「あんたねえ…」

 今の話聞いてなかったの、と云おうとした時。

「まっ、そうですな。マルチはマルチ。セリオはセリオ。他の何者でのありませんね」

 そう云って、大きく笑った。

 ――多分、この少年はそんな事を考えなくても、彼女達の存在を認めているのだろう。

 そう思う。だからマルチも惹かれたのだろう。

「ところで、なんでわざわざ私達にそんな話をしたの?」

 綾香は先ほどから思っていた疑問を口にした。

「なに、あなた達がHMシリーズの最初のユーザーですからね。それにあなた達が、あの娘達にどう関わるかで、あの娘達、ひいてはその妹達がどう社会に存在できるか?それが決まるような気がしたんですよ」

「ずいぶん大げさね」

「確かに言い過ぎですなぁ…いやはや」





 研究所を出ると、山陵に隠れようとする夕日が見えようとした。

「あー、なんか難しい話で疲れちまったな」

 浩之はそう云うと、背伸びをした。背骨がコキコキする音が少し聞こえる。

 綾香は最後に、娘達をお願いしますよ、と言ってぺこりと頭を下げた長瀬の事を思い出した。

 娘を嫁に出す父親みたいで、少し可笑しかったけど。

「あれっ、今日はお迎え無しか?なぁ、どうする。どっか寄っていくか?」

 浩之が聞いてきた。

 二人とも今日は、マルチもセリオも連れてきてはいない。

 セバスは姉さんの買い物に付き合っているはずだ。

「う〜ん、今日は止しとくわ」

 セリオの顔が見たいから。という台詞は喉の所で止めておいた。

 そんな事を云ったら、何てからかわれるか分かったものではない。

「そうだなぁ、俺も今日は早くマルチの顔が見てえと思ってたからな」

 そう云うと、綾香の顔を見た。

「お前も、早くセリオに会いたいんだろ?」

 づどむ。

「ふぷぬっ」

 巨木でも倒しそうな威力の、綾香のミドルキックが浩之の腹部にめり込む。

 浩之、身体がくの字に折れ曲がる。口から洩れる意味の無い声。

 夕日を浴びたその身体は、鮮血に染まっているようだった。

 ――その通り だから余計に 腹が立ち

 そんな川柳もある。

 人間真実を突かれると、余計に怒るものだ。

「…なっ、ナイスミドル…」

 綾香の会心のキックを受けながらも、崩れ落ちる間際に、親指を立てながらそう言う浩之の根性もなかなかのものである。

 いや、強靭さか。

「さぁて、帰ろうかな」

 綾香は空を見る。もう夜の帳が、半分以上空を占領していた。





――夜、来栖川邸



 屋敷に着き(セバスに、お嬢様が徒歩で帰ってくるとは、等の嘆きとも叱りとも判別できない言葉を延々と聞かされ)、部屋にやっと辿り着き扉を開ける。

「――お帰りなさいませ」

 相変わらず無表情なセリオが迎えてくれる。

 でも今日はなんとなく、その顔に懐かしみを感じる。

「ねえ、セリオ」

 綾香はじっとセリオを見る。

「――なんでしょう」

 セリオも見つめ返す――多分気のせいだが。

「あなたは何?」

 とりあえず訊いてみる。

「――私は、来栖川エレクトロニクス製、プロトタイプ汎用アンドロイド、HMX−13、通称「セリオ」です」

 正確な発音でそう答える。

 予想した答えではあるし、それ以外セリオが答えない事も十分分かってはいた。だけど少しだけ落胆する自分もいる。

「それじゃあ、あなたという存在は、この世界にとって、私達にとってなんなの?」

 少し方向を変えてみて、質問する。

「――私と言う存在。つまり、私がこの社会に存在する意義、レーゾンデートルは人間社会における様々な活動をサポートし、円滑に行えるようにするのがその役目です」

 そう生真面目に答えるセリオ。

 そういう性格なんだからしょうがないか。少しだけ微笑む。

 先ほどの、落胆もどこかに、なんとなく満足している自分がいる。

 ――ふに。

 セリオの頬をつまむ。

 引っ張る。伸ばす。

 セリオの端正な顔が歪み、少し間抜けな顔になる。

「顔に何か付いていますか?」

 ふにふに。

 それでも、頬の感触を確かめるように、何度か引っ張る。

「…セリオはセリオよね」

 そう優しく微笑むと、今度は頭に手を乗せ、なでなでする。

「―――」

 セリオは無言で、されるがままになっている。

 自分の気持ちのせいか、それでも気持ちよさそうだった。

「私の事好き?」

「綾香様は、私のマスターです」

「好きか嫌いか訊いてるの。二者択一。それ以外の回答はなし」

 そういって、じっとセリオの顔を覗き込む。

「――好きです」

 その答えを訊くと、綾香はにっこりと微笑んだ。

 綾香ファンの人間がそこにいたら、卒倒しそうなほどの笑顔だった。

「そう、それじゃあ、お風呂はいるから用意しといて。すぐよ」

 綾香はそう言うと、制服を脱ぎ始めた。

「――綾香さまだけです」

 ぽつりと呟くセリオの声は――残念ながら聞こえなかったようだ。





――夜、藤井家



「たーだいまっと…ってぇ!?」

 浩之が玄関に辿り着き、扉を開けたとき、もうもうたる煙が押し寄せてきた。

 ――火事か?

 そう咄嗟に思い、靴を脱ぎ捨てて、家へ駆け込んだ。

「おいっ、マルチ、マルチいるか?返事しろ!」

 そう言いながら、リビングへとダッシュする。

「…ふぇぇ…浩之さぁぁぁぁん…」

 煙の奥からマルチの声がする。それにぼんやりとだが、ちっちゃい影も見える。

「おいっ、マルチ!一体どうしたんだ、大丈夫か?」

 その影に走りよりながら、そう声をかける。

 マルチは煙からすぐに姿をあらわし、浩之の胸に飛び込んでくる。

 ぼぐん。

「はふはー」

 気持ちのいい打撃音と、奇妙な声が調和する。

 浩之が駆け寄っているところに、マルチが飛び込んできたのだ。

 しかも煙で距離感がズレたところを、全力で。

 図らずもマルチの頭がカウンター気味で、浩之のみぞおちに叩きこまれた。

 これは痛い。

 それに、耐久性を重んじられているマルチである。

 石頭どころか、鉄頭。

 ダメージ二倍。

「…なっ…マルチ、これは一体?」

 それでも、まだダウンしない浩之。普段から綾香やその他大勢にどつかれている人間は丈夫なようだ。

 痛覚がないのかもしれない。

「あううううう…お料理をしていたら、お鍋が爆発してしまったんですぅ…うううう」

 泣きじゃくりながら、マルチは浩之の胸にぐりぐりと顔をこすりつける。

 涙、鼻水だしまくり。

 制服、クリーニングの必要を感じる。

「お鍋が爆発って…どうやったら」

 浩之は少し呆れた口調でそういった。

「すびばぜ〜〜〜〜ん、きちんとお片付けしますから、浩之さんは、お外で食べてきてくださ〜〜〜い」

 涙を溜めた瞳で、浩之を見上げるマルチ。

 ――コイツの何処が人間じゃないんだよ。

 苦笑交じりでそう思う。

「あー、別にいいや飯。それより、とっとと片付けようぜ、こんな煙が出てたんじゃ、消防車が来ちまうからな」

 浩之は、ぽむ、とマルチの頭に手を置くと、安心させるようになでながらそう言った。

「あうううう…で、ですがぁぁぁぁ…」

 なでられて気持ちいいのと、申し訳無い気持ちが、奇妙にブレンドされた表情でマルチは言う。

 こんな表情は、人間でもなかなか出来ない。

「いいっていいって、ほら、グズグスしてると俺一人で片付けちまうぞ」

「あああ、はいい〜〜〜」

 煙の元凶のキッチンへと、勇猛果敢に飛び込む二人。

 だが、その前に――

「なあ、マルチはマルチだよな?」

 浩之はマルチにそう訊いた。

 きょとんとして、マルチは浩之を見上げた。

 そして、にっこりと微笑むと――

「はいっ、マルチはマルチですう!」

 はっきりと、そう答えた。

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 出だしは某偉大な妖怪作家の、肥満フェチな小説の一説をまねっこしました。

 ロボットと人間との違いは何か?
 ということを、あまり考えずに書いてしまい、自分でもちょっとロジックがなってな
いなと冷や汗モンです。

 初投稿なので、お見苦しいと思いますが、以後、何卒宜しくお願いします。

http://w3.mtci.ne.jp/~tears1/