高校2年の春、オレは初めてマルチに会った。 それは、甘く、切ない思い出だ。 マルチは、新型のメイドロボットのテスト機だった。 オレ達の学校で、試験運用していたのだ。 誰よりも優しく、泣き虫で、頑張り屋な、心を持ったロボット。 たった八日間だった。 その間に、オレ達は出会い、恋に落ち、そして… 別れた。 「わたしは、これから研究所に帰って、眠りにつきます。 でも、浩之さんにもらったわたしの心は、きっと妹たちに受け継がれます」 「…オレ、きっと、おまえの妹を買うから」 最後の逢瀬の時、オレがマルチと交わした約束だ。 そして、大学2年の夏。 オレの買ったHM−12には、心がなかった。 「何なりと、お申し付けください」 オレの目の前には、梱包を解いたばかりの真新しいHM−12がいた。 「ハハ… 分かっていたハズじゃねぇか… …未練がましい…」 「何なりと、お申し…」 ブツン 電源を、落とす。 そうだ、分かっていたはずだった。 今、巷にはHM−12とHM−13がたくさんいる。 しかしそのどれ一人として、表情を持つものはいなかった。 マルチと同じ顔をしているのに、ぴくりとも表情を変えない。 あの愛らしい笑顔も、困った顔も、もう見られない… すべては、オレの心の中。 人形のような妹たちを見ているのは、つらかった。 べつに、オレを覚えていてくれることを期待していたわけじゃない。 ただ、行き違うメイドロボが笑いながら挨拶をしてくれる… そういうのを、期待していたんだと思う。 もし世間でそういうメイドロボが溢れれば、それを見る人間もきっと優しい気持ちになると思う。 でも、今のメイドロボ達は笑わない。 それは、マルチと比べてあまりにも冷たく感じる。 それ以上に、マルチにそっくりな無表情な顔を見ていると、マルチの笑顔を忘れてしまいそうで怖かった。 でも…マルチとの約束を無下に破ることはできなかった。 確かにオレは、マルチを「1人の女の子」として見ていた。 しかし、マルチとの約束は、決してその体が目的だったわけではないと思う。 少なからず、マルチの面影を求めるという感傷的な部分はあったが… 1週間ほどして落ち着いたオレは、改めてユーザー登録を行った。 冷静になってみれば、量産マルチに表情がないことは、よかったかもしれない。 あのマルチとすべてが同じ。でも、オレとの記憶がない。 そんな状況に、オレは耐えられなかったかもしれないから。 いくら顔が似ていても、ここにいるこいつは他人。 オレと逢瀬を重ねた、あのマルチとは違う。 そう割り切ってしまえば、量産型との生活も悪くはなかった。 それに、オレの中でのマルチのことを考え直すいい機会だった。 オレはどうしてマルチと「妹を買う」と約束したのか。 マルチ自身は、「妹に残されたわたしのカケラでもいいから」オレのそばにいたかった、ってところだろう。 オレにとっては… 「マルチとの思い出を手元に置きたい」だった。 しかし、この量産マルチはマルチではないのだから… たとえマルチの面影がかぶっても、一個の存在として扱うべきだろう。 「ご主人様」 オレのことをそう呼ぶ、このマルチはなかなかに気の付くやつだった。 一度見たオレの癖は、忘れない。日に日にオレの生活は快適になっていく。 「痒いところに手が届く」…そんな感じだった。 いつの間にか、量産マルチがいるのが当たり前になっていた。 こうなってくると、だんだんと可愛く思えてきて、愛着もわいてくる。 ある日気まぐれにしてやった「なでなで」が、こいつはひどく気に入ったようだった。 それ以来、時々量産マルチはオレの前でうつむいてもじもじすることがある。 メイドロボは人間に何かを求めたりはしない。 そのかわり、何か…放っておけないこつを、心得ているようだった。 夕食後は、ご褒美のなでなでをするのが日課になった。 人間てものは、不思議…いや、現金なものだ。 こうやって、つきあいってのに順応していくんだろうか? マルチとの思い出に浸る… そんなことが、ほとんどなくなった。 量産マルチとの生活も、それなりに新鮮だった。 いや、むしろ、「新しく思い出を作っていく」ってことが、大事なんだ。きっと。 蝉のうるさい声もなくなり、涼しい風が吹き出した頃。 小包が一つ届いた。 差出人は、来栖川のHM第7研究所だった。 なかみは、DVD−ROM。一通の封書が付いていた。 ワープロで書かれた文字の横に一言だけ、肉筆の文字があった。 『私たちの娘を、よろしくお願いします』 そのDVDの正体は…マルチの記憶、だった。 はやる心を抑えて、量産型を呼ぶ。 そしてメンテナンスユニットに接続して、パソコンを起動させた。 あとはDVDを放り込めば、インストールウィザードが立ち上がる。 そこまで作業を進めて… ふと、手が止まった。 確かに、あのマルチが帰ってくるのは嬉しい。しかし… 今オレの目の前にいる量産型は、どうなるんだ? 量産マルチは、無表情な目でじっとオレを見つめていた。 オレはマルチのメンテパソコンを前にして、動けなかった。 「ご主人様… お食事の用意をしても、よろしいですか?」 ふいに、そう声をかけられた。 「何か、気がかりなことがおありですか?」 「ああ… ちょっと、な」 「私でよければ…話していただけませんか?」 「…おまえのことだしな。 あとでゆっくり、話そうか… そうだな、とりあえず晩飯の用意でもしてくれ」 晩飯までの間、結局結論はでなかった。 一度はあきらめた、オレの愛したマルチが、帰ってくる。 しかしそのために量産マルチを犠牲にすることは、少なからぬ罪悪感があった。 マルチを再び手に入れることに、そこまで価値があるのか。 オレはそのあたりをハッキリとさせなければならなかった。 晩飯のあと、オレは全てを量産マルチに話した。 そして結局、オレはマルチをインストールすることにした。 それは、量産マルチの願いでもあった。 ただ、彼女を消し去ってしまうのは忍びなかったから… バックアップデータだけ、残すことにした。 2週間後。 マルチの定期点検が行われた。 第7研から直接来たから、おそらく再起動点検なのだろう。 ちょっとしたお出かけに、オレも付いていくことにした。 「マルチのおとうさん達」にも会ってみたかったしな。 研究所では、1人の男が待ちかまえていた。 「あ、ながせしゅに〜ん」 とてててて 「おお、マルチ。元気だったかい?」 「はい〜。もう、あえないかと思ってました〜」 その男を見るなり、マルチは走り寄っていた。 …どこかで会ったことのある男だった。 「あんた、もしかしてあのときの…?」 「久しぶりだね、藤田浩之君(にやり)」 『所詮ロボットは、道具の一つなんだよ… それでも君は、ロボットに心は必要ないと思うかい?』 『あった方がいいに、決まってんじゃねーか』 そういう会話を、交わしたことがあった。 それは、マルチと別れた日。 『ロボットに心があった方がいい』 今でも、そう思っている。 しかし、量産マルチ達が表情を持っていない理由も何となく分かっている。 マルチが点検に行ってから、しばらく長瀬主任と話をした。 「長瀬主任… これ、量産マルチだったときのデータなんですけど… どうにかなりませんか?」 「どうにか、とは?」 「いや、今のマルチにこのデータも入れてもらえないかと思って」 「それは…やめた方がいいね。妙な競合を起こす可能性がある」 「やっぱり…そういうもんですか…」 「HM−12とHMX−12のボディは構造が違うことは知っているね? まぁ、HM−12の方が簡略化されているんだよ。 OSも、それに合わせて作ってあるんだ。 だから、HMX−12にHM−12のOSをのせると…どうなるか分かるね? あり得ないポートから誤信号を受け続けることになり、OSとかむようになるんだ。 マルチも、量産型OSのままならば、故障を起こしていただろうね」 「それは…どちらにしろ、マルチをインストールしなければならなかった、ってことですか」 「どちらにしろ? まぁ…そういことだね。 同じようなことは、逆の場合でも言えるわけでね。 HMX−12にHM−12のデータをのせると…あるはずの入力が足りない、というわけだ。 それ以上に、マルチにそのデータを入れると、記憶の混乱を来してしまう可能性がある。 他人の記憶を取り込むことになるから…マルチの性格が、変わってしまうかもしれないね。 あくまで可能性の問題だけど、ね。考え直した方がいいと思うよ」 長瀬主任のその言葉で、気になっていたことが一つ解けた。 あの夜の話し合いで、量産マルチとこんな会話を交わした。 「私たちメイドロボは、人間のみなさんを幸せにするために、お仕えしています。 ご主人様の笑顔をみることが、何よりの喜び…私たちの存在意義だと感じるのです。 ですから、私のことでご主人様が悩んでいらっしゃるのは、辛いことなのです。 ご主人様を苦しめることは、自身の存在意義の否定ですから。 それに、わたしのこの体は、どうやらHM−12のものではありません。 推測するに、HMX−12…マルチお姉さまのものなのでしょう。 ですから……この体、お姉さまにお返しします」 「でもよ、本当にいいのか? おまえ自身は、いなくなるんだぞ? 今オレがマルチを取り戻すってことは…おまえは最初からいらなかったってことなんだぞ?」 「そのことでしたら、心配いりません。 マルチお姉さまが戻ってくることでご主人様が幸せならば、それが私の役目だったということです。 私は、元々マルチお姉さまのデータから作られていますし。 それに…マルチお姉さまも、ご主人様に会うことを願っていると、思います」 そう言って、あいつは確かに微笑んだんだ。 もしかしたら、何もかも知っていたのかもしれない。http://www10.u-page.so-net.ne.jp/tf6/niisi/