未練 投稿者:丹石 緑葉 投稿日:10月19日(木)23時31分
 高校2年の春、オレは初めてマルチに会った。
 それは、甘く、切ない思い出だ。

 マルチは、新型のメイドロボットのテスト機だった。
 オレ達の学校で、試験運用していたのだ。
 誰よりも優しく、泣き虫で、頑張り屋な、心を持ったロボット。

 たった八日間だった。
 その間に、オレ達は出会い、恋に落ち、そして…
 別れた。

「わたしは、これから研究所に帰って、眠りにつきます。
 でも、浩之さんにもらったわたしの心は、きっと妹たちに受け継がれます」
「…オレ、きっと、おまえの妹を買うから」
 最後の逢瀬の時、オレがマルチと交わした約束だ。


 そして、大学2年の夏。
 オレの買ったHM−12には、心がなかった。


「何なりと、お申し付けください」
 オレの目の前には、梱包を解いたばかりの真新しいHM−12がいた。
「ハハ… 分かっていたハズじゃねぇか…
 …未練がましい…」
「何なりと、お申し…」

  ブツン

 電源を、落とす。
 そうだ、分かっていたはずだった。
 今、巷にはHM−12とHM−13がたくさんいる。
 しかしそのどれ一人として、表情を持つものはいなかった。

 マルチと同じ顔をしているのに、ぴくりとも表情を変えない。
 あの愛らしい笑顔も、困った顔も、もう見られない…
 すべては、オレの心の中。
 人形のような妹たちを見ているのは、つらかった。

 べつに、オレを覚えていてくれることを期待していたわけじゃない。
 ただ、行き違うメイドロボが笑いながら挨拶をしてくれる…
 そういうのを、期待していたんだと思う。
 もし世間でそういうメイドロボが溢れれば、それを見る人間もきっと優しい気持ちになると思う。

 でも、今のメイドロボ達は笑わない。
 それは、マルチと比べてあまりにも冷たく感じる。
 それ以上に、マルチにそっくりな無表情な顔を見ていると、マルチの笑顔を忘れてしまいそうで怖かった。

 でも…マルチとの約束を無下に破ることはできなかった。
 確かにオレは、マルチを「1人の女の子」として見ていた。
 しかし、マルチとの約束は、決してその体が目的だったわけではないと思う。
 少なからず、マルチの面影を求めるという感傷的な部分はあったが…

 1週間ほどして落ち着いたオレは、改めてユーザー登録を行った。
 冷静になってみれば、量産マルチに表情がないことは、よかったかもしれない。
 あのマルチとすべてが同じ。でも、オレとの記憶がない。
 そんな状況に、オレは耐えられなかったかもしれないから。

   いくら顔が似ていても、ここにいるこいつは他人。
   オレと逢瀬を重ねた、あのマルチとは違う。

 そう割り切ってしまえば、量産型との生活も悪くはなかった。
 それに、オレの中でのマルチのことを考え直すいい機会だった。
 オレはどうしてマルチと「妹を買う」と約束したのか。

 マルチ自身は、「妹に残されたわたしのカケラでもいいから」オレのそばにいたかった、ってところだろう。
 オレにとっては… 「マルチとの思い出を手元に置きたい」だった。
 しかし、この量産マルチはマルチではないのだから…
 たとえマルチの面影がかぶっても、一個の存在として扱うべきだろう。

「ご主人様」
 オレのことをそう呼ぶ、このマルチはなかなかに気の付くやつだった。
 一度見たオレの癖は、忘れない。日に日にオレの生活は快適になっていく。
 「痒いところに手が届く」…そんな感じだった。
 いつの間にか、量産マルチがいるのが当たり前になっていた。
 こうなってくると、だんだんと可愛く思えてきて、愛着もわいてくる。

 ある日気まぐれにしてやった「なでなで」が、こいつはひどく気に入ったようだった。
 それ以来、時々量産マルチはオレの前でうつむいてもじもじすることがある。
 メイドロボは人間に何かを求めたりはしない。
 そのかわり、何か…放っておけないこつを、心得ているようだった。
 夕食後は、ご褒美のなでなでをするのが日課になった。

 人間てものは、不思議…いや、現金なものだ。
 こうやって、つきあいってのに順応していくんだろうか?
 マルチとの思い出に浸る… そんなことが、ほとんどなくなった。
 量産マルチとの生活も、それなりに新鮮だった。
 いや、むしろ、「新しく思い出を作っていく」ってことが、大事なんだ。きっと。

 蝉のうるさい声もなくなり、涼しい風が吹き出した頃。
 小包が一つ届いた。
 差出人は、来栖川のHM第7研究所だった。
 なかみは、DVD−ROM。一通の封書が付いていた。
 ワープロで書かれた文字の横に一言だけ、肉筆の文字があった。
『私たちの娘を、よろしくお願いします』
 そのDVDの正体は…マルチの記憶、だった。

 はやる心を抑えて、量産型を呼ぶ。
 そしてメンテナンスユニットに接続して、パソコンを起動させた。
 あとはDVDを放り込めば、インストールウィザードが立ち上がる。
 そこまで作業を進めて… ふと、手が止まった。
 確かに、あのマルチが帰ってくるのは嬉しい。しかし…
 今オレの目の前にいる量産型は、どうなるんだ?
 量産マルチは、無表情な目でじっとオレを見つめていた。
 オレはマルチのメンテパソコンを前にして、動けなかった。

「ご主人様… お食事の用意をしても、よろしいですか?」
 ふいに、そう声をかけられた。
「何か、気がかりなことがおありですか?」
「ああ… ちょっと、な」
「私でよければ…話していただけませんか?」
「…おまえのことだしな。
 あとでゆっくり、話そうか…
 そうだな、とりあえず晩飯の用意でもしてくれ」

 晩飯までの間、結局結論はでなかった。
 一度はあきらめた、オレの愛したマルチが、帰ってくる。
 しかしそのために量産マルチを犠牲にすることは、少なからぬ罪悪感があった。
 マルチを再び手に入れることに、そこまで価値があるのか。
 オレはそのあたりをハッキリとさせなければならなかった。

 晩飯のあと、オレは全てを量産マルチに話した。
 そして結局、オレはマルチをインストールすることにした。
 それは、量産マルチの願いでもあった。
 ただ、彼女を消し去ってしまうのは忍びなかったから…
 バックアップデータだけ、残すことにした。



 2週間後。
 マルチの定期点検が行われた。
 第7研から直接来たから、おそらく再起動点検なのだろう。
 ちょっとしたお出かけに、オレも付いていくことにした。
 「マルチのおとうさん達」にも会ってみたかったしな。

 研究所では、1人の男が待ちかまえていた。
「あ、ながせしゅに〜ん」
   とてててて
「おお、マルチ。元気だったかい?」
「はい〜。もう、あえないかと思ってました〜」
 その男を見るなり、マルチは走り寄っていた。
 …どこかで会ったことのある男だった。
「あんた、もしかしてあのときの…?」
「久しぶりだね、藤田浩之君(にやり)」

  『所詮ロボットは、道具の一つなんだよ…
   それでも君は、ロボットに心は必要ないと思うかい?』
  『あった方がいいに、決まってんじゃねーか』

 そういう会話を、交わしたことがあった。
 それは、マルチと別れた日。 
 『ロボットに心があった方がいい』
 今でも、そう思っている。
 しかし、量産マルチ達が表情を持っていない理由も何となく分かっている。

 マルチが点検に行ってから、しばらく長瀬主任と話をした。
「長瀬主任… これ、量産マルチだったときのデータなんですけど…
 どうにかなりませんか?」
「どうにか、とは?」
「いや、今のマルチにこのデータも入れてもらえないかと思って」
「それは…やめた方がいいね。妙な競合を起こす可能性がある」
「やっぱり…そういうもんですか…」
「HM−12とHMX−12のボディは構造が違うことは知っているね?
 まぁ、HM−12の方が簡略化されているんだよ。
 OSも、それに合わせて作ってあるんだ。
 だから、HMX−12にHM−12のOSをのせると…どうなるか分かるね?
 あり得ないポートから誤信号を受け続けることになり、OSとかむようになるんだ。
 マルチも、量産型OSのままならば、故障を起こしていただろうね」
「それは…どちらにしろ、マルチをインストールしなければならなかった、ってことですか」
「どちらにしろ? まぁ…そういことだね。
 同じようなことは、逆の場合でも言えるわけでね。
 HMX−12にHM−12のデータをのせると…あるはずの入力が足りない、というわけだ。
 それ以上に、マルチにそのデータを入れると、記憶の混乱を来してしまう可能性がある。
 他人の記憶を取り込むことになるから…マルチの性格が、変わってしまうかもしれないね。
 あくまで可能性の問題だけど、ね。考え直した方がいいと思うよ」

 長瀬主任のその言葉で、気になっていたことが一つ解けた。
 あの夜の話し合いで、量産マルチとこんな会話を交わした。

「私たちメイドロボは、人間のみなさんを幸せにするために、お仕えしています。
 ご主人様の笑顔をみることが、何よりの喜び…私たちの存在意義だと感じるのです。
 ですから、私のことでご主人様が悩んでいらっしゃるのは、辛いことなのです。
 ご主人様を苦しめることは、自身の存在意義の否定ですから。
 それに、わたしのこの体は、どうやらHM−12のものではありません。
 推測するに、HMX−12…マルチお姉さまのものなのでしょう。
 ですから……この体、お姉さまにお返しします」
「でもよ、本当にいいのか? おまえ自身は、いなくなるんだぞ?
 今オレがマルチを取り戻すってことは…おまえは最初からいらなかったってことなんだぞ?」
「そのことでしたら、心配いりません。
 マルチお姉さまが戻ってくることでご主人様が幸せならば、それが私の役目だったということです。
 私は、元々マルチお姉さまのデータから作られていますし。
 それに…マルチお姉さまも、ご主人様に会うことを願っていると、思います」

 そう言って、あいつは確かに微笑んだんだ。
 もしかしたら、何もかも知っていたのかもしれない。



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