そは消え去るにあらず 投稿者:丹石 緑葉 投稿日:9月19日(火)00時51分
 一夜の逢瀬。
 つかの間の思い出を残し、マルチは去ってしまった。
 おそらく、永遠に。

 別れの朝。
 オレは、マルチの顔をまともに見ることが出来なかった。

「マルチぃ… やっぱり、行くな。
 研究所に帰ったら、おまえは封印されてしまうんだろう?
 死んでしまうのと変わらないんだろ?
 おまえはそれでいいのかよ? 何も感じなくなるんだぞ?」
「だいじょうぶです。わたし、ロボットですから。
 それに、ですね…」
 マルチは、笑顔だった。
 力みも翳りもない… 一点の曇りもない、笑顔だった。
「わたし、浩之さんにいろんなものを、もらいましたから。
 思い出も、心も、いっぱい、いっぱい。
 だから、今度はわたしが人間のみなさんにいろんなものをあげたいんです。
 誰かの役に立ちたいって気持ちは、きっと妹たちにも伝わりますから」

 そうやってこぼれんばかりの笑顔を残し、マルチはタクシーに乗った。
 それはあまりにも純粋な…無垢な想いだった。
 もう、心の中がぐちゃぐちゃで、何も言えなくて…
 必死に涙をこらえて、マルチを見送ることしかできなかった。
 そうしてマルチは、朝焼けの中消えていった。

   ***

 海。
 オレは、海を見ていた。
 海のど真ん中で、太陽にきらきら光るさざ波を見ていた。

 小さな波達が、ぶつかり合い、たゆたい、
 風とともに疾っていた。

 オレは、その小さな波になっていた。
 太陽の光を浴び、風を感じ、ほかの小さな波と戯れ…
 心地よかった。

 突然、遠くに大波が現れた。
 そいつは、小さな波を飲み込み、オレの方に向かってきた。
 どう逃げても、オレはそれから逃れようがなかった。
 小さな波達は、悲鳴を上げて大波に飲み込まれていた。

 大波が目前に迫ったとき。
 オレは必死に、大波に呼びかけていた。

    大波さん大波さん、どうしてあなたはそんなひどいことするの?
――ひどいこと? どうしてだね?
    だって、僕たちはもっとここにいたいのに
    まだ消えたくないのに
――わかってないなぁ…
――君は波じゃない、海の一部なんだ。
――僕も君も、同じ海の一部なんだよ?
――どうして波であることにこだわるんだい?

 そうしてオレの意識は何かにとけ込み――

  がくん!

 はっと、目が覚める。
 うららかな、春の日差しが気持ちいい。
 教師の解説の言葉を、生徒達はカリカリとノートに書き取っていた。
 時計を見ると、もうすぐ昼休みだった。
――ノートは、あとで委員長かあかりに借りるか…

 夕べはほとんど寝てないせいで、今日は朝から眠かった。
 でも、心のもやもやは何となく晴れた。

――『君は波じゃない、海の一部なんだ』か…

 なんか、納得した。
 あいつには分かっていたんだろう。
 少々形は違っても、きっとオレ達はまた出会えることを。
 マルチの妹。
 それはもちろんマルチ自身ではないけれど、きっとマルチの一部分なのだろう。

――マルチ… オレは絶対、おまえの妹を手に入れるぞ。
――だからまた、一つずつ思い出を作っていこうな


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