アトム(後) 投稿者:丹石 緑葉 投稿日:6月21日(水)00時43分
 最近、芹香先輩がなんだか生き生きしているように思える。
 前はもっとこう、何を考えてるんだか分からなかったっつーか・・・
 表情がほとんど表に出なかったんだ。
 それにもっとこう、おっとりしていた印象があったんだが・・・
 オレに対して、妙に積極的になったせいかもしれない。
 元気になったお陰で、前よりもオレと一緒にいる時間が増えたのはいいことだがな。

 芹香先輩が黒魔術にはまっているのは前に述べたとおり。オカルト研究部唯一の部員なのだ
そうだ。幽霊な部員はたくさんいるみたいだけど・・・
 で、最近オレも魔術の手伝いをするようになった。手伝いといったって、別に術式を執り行
うわけではない。ただ先輩につきあって一緒にいるだけだ。
 芹香先輩曰く、「魔術を成功させる要素は、信じる心」らしい。
「・・・(魔術は、ある種の手続きと法則に則った、いわばもう一つの科学なのです)
 ・・・(そしてその科学を支える根底にあるものが、信じる心です)
 ・・・(人間の心には、魔力に似た力が宿っているのです)
 ・・・(浩之さんの、わたしを信じる力を、貸してください)」
 そこまで言われれば、まんざらでもない。
 実際のところ、オレの目の前で魔術が成功しているしな。
 ・・・訂正。超常現象の発動自体は、成功している。
 その効果が必ずしも望み通りとは、限らないけど。

 そんなある日の放課後、先輩にクラブに誘われた。
「例の薬ができましたので・・・」ということらしい。
 オカルト研究部の活動の一環として、ある魔法薬を作ることを依頼していたのだ。
 そして今、その薬は俺の手の中にある。
 茶色の小瓶に入った薬だった。
「・・・」
「え? その薬をどうするんですかって?」
 言わずもがな。オレは(できるだけ照れくさく見えるように)その薬を先輩に差し出した。
「そりゃあ、先輩に飲んでもらって、エッチにになってもらうのさ」
 媚薬。それがこの瓶の中身の正体だった。
 先輩は何もいわずその薬を受け取ると、少し赤い顔をしてこくりと口に含んだ。
 そのままとろんとした目つきでオレを見つめる。
 薬のせいか、いつも以上にぽーっとしているように見えた。
「・・・(浩之さん、好きです)」
 先輩が、そっと抱きついてくる。薄ぺったい胸を押しつけるようにして。潤んだ目でオレを見
上げて。
「芹香・・・」
 オレは先輩のおとがいに手を添えると、そっと口づけをした。すぐに先輩の舌がオレの唇を割
って侵入してくる。おずおずと、オレの舌を探る。オレと先輩の舌が、オレの口の中で絡み合った。
 しばらく、くちゅくちゅと水っぽい音が部室を満たした。
 その間に、オレの腕は先輩の背中に回されていた。そのままなぞるように手の位置を下げ、先
輩の制服の中に入れる。そして制服を裾をはだけるように、先輩の背中をまさぐった。
「ん・・・ふぅ」
 声にならない、吐息が漏れる。
 唇を離し、お互いの火照った顔を見合わせた。
 銀色に光る糸が、オレと先輩の唇をつないでいた・・・

 ・・・・・・

 そのままオレ達は、溶けるように一つになった。何度も、何度も。
 お陰でその日学校を出たときには、日が暮れていた。


 次の日は、雨だった。
 そして、先輩は学校に来なかった。
 昨日のことがあるだけに、どんな顔をして会えばいいんだか分からなかったんだが・・・
 ほっとするよりも、えらく心配になった。
 ここしばらく元気で、休んだりしなかったのに。
 昨日、病み上がりに急にあんなことしたから、調子が悪くなったんだろうか?
 ということは、家で寝込んでいたりするのか?

 学校が終わり、とぼとぼと傘をさして校門を出る。
 雨に煙り、町並みは水墨画のように滲んでいた。
 オレの今の心中のようにぼんやりとした、ブルーな風景だよ・・・
 とはいえ、オレは結構雨の日が好きだったりする。
 特に、今日みたいな春の雨は。
 なんかこう、ぼんやりしたような、優しいような雰囲気がするんだよな。
 先輩の感じに似ているのか?

『後で、お見舞いに行ってみようか?』
 そんなことを考えながら、帰り道である公園を通り抜けていた。
 ふと、ベンチのそばに佇む小さな人影に気がついた。
 先日妙なおっさんと話をしたベンチのそばに。
 この雨の中傘もささずに立っていた。
 ある種の予感にとらわれ、駆け寄ってみると・・・
「先輩! 傘もささず、何やってんだよ?!
 こんなに冷えきっちまって・・・」
 その肩に乱暴に手を掛け、こちらを向かせる。
 やっぱり、芹香先輩だった。
 先輩は力無くこちらを向くと、オレの胸に頭を押しつけてきた。
「私、もういらなくなったんです」
 ぽつりと、消えそうな声で呟いた。
「え?」
 どきりとした。
『そのお陰で私のような人間には居場所が無くなってしまいましてねぇ』
 唐突に、あのおっさんとの会話を思い出した。
「どういう・・・ことだよ?」 
「本物にもなりきれない、お爺さまの言うことも聞けない・・・
 そんな悪い子は、もういらないんだそうです・・・」
 なんだかひどく混乱しているようで、何を言っているのか要領を得ない。
 ともかく、先輩をオレの家に連れて行くことにした。

「とりあえず先輩、シャワーを浴びて体を温めてくれよ」
 先輩を浴室に連れて行ってから、留守電のチェックをした。
 珍しく、いっぱいになっていた。
 2件がオレの親父からだった。
 残りのうち半分は先輩のうちの執事のセバスチャンから。
 もう半分は、HM研究所の主任とか言う人物からだった。
 用件はどちらも、「芹香お嬢様について話したいことがあるから連絡が欲しい」と言うこと
だった。
 まずは、HM研の主任とやらに連絡を付けることにした。
 留守電に残っている電話番号をプッシュする。
「あ、藤田という者ですが、そちらに長瀬主任はいらっしゃいますか?」
 しばらく待たされた後、ぼんやりとした話し方をする人物が電話口に現れた。
「はい、長瀬です。藤田、浩之君かい?
 久しぶりだね」
「? あれ?
 もしかして、こないだ公園で会ったおっさんか?」
「はっはっは、まあそういうことだ。
 もしよかったら、今から会って話をすることはできるかい?」
「それならば・・・」
 近所の喫茶店で待ち合わせることにした。
 長瀬主任との電話がすむと、すぐさまセバスチャンに電話を入れる。
 そして芹香先輩がこちらにいる旨を伝え、近所の喫茶店で合う約束を取り付けた。
 電話が終わっても、先輩はまだシャワーを浴びていた。
「せんぱーい、オレちょっと出かけてくるからさ。
 着替え、オレの服だけどここに置いておくから。
 てきとーに暖かい格好していてくれよ」
 返事はなかったけど、おそらくこっくり頷いたんじゃないだろうか。


 HM研究所の主任は、相変わらずくたびれた格好をしていた。
 このおっさんの顔も長いが、セバスチャンの顔も長い。
 方やくたびれたおっさん、方やパリッとしたじーさん。
 しかも長い顔が二つ並んでいるのは、なんだか愉快な眺めだった。

「藤田様・・・ 実はせりかお嬢様は、メイドロボのプロトタイプなのです」 
 話は、セバスチャンのそういう言葉から始まった。
 二人の話によれば、5年前、オリジナルの芹香さんは交通事故で亡くなっているのだそうだ。
 それを悲しんだ来栖川グループの会長、先輩のお爺さんは、当時確立しつつあったメイドロボ
の技術で、芹香さんの似姿を作らせたんだそうだ。
 それがあまりにも生前の芹香さんにそっくりだったため、以降来栖川翁はそのロボットを
『芹香お嬢様』として可愛がっていたらしい。

「ちょっと待ってくれ、いきなりそんなショッキングな話をされても・・・
 だいたいそんな話をオレなんかにして、どうしようってんだ?」
「来栖川翁にとって、今の芹香お嬢様はいてはならない存在になってしまったのです。
 本物の芹香お嬢様の面影を持ちつつも、異なる心を持ってしまったが故に」
「おい! ひとの話を聞けよ!
 ・・・っつーか、ずいぶんと勝手な話じゃないか?
 勝手に偶像を作り上げておいて、それが自分の理想とは違ってきたらポイかよ?」
「・・・人型ロボットとは、そういうものなんですよ。
 要は、『慰めるためのお人形』ってわけです。
 工業的には、ロボットが人型になる必要はないんです。
 ユーザーの精神的な癒し、メンタルのサポートをするのが、人型ロボットの役割です。
 そして来栖川翁には、お嬢様の代わりが求められていたのです」
「・・・その居て欲しいってだけのために、いったいどれほどのロボットを犠牲にしたよ?
 マルチだって、『人間の似姿に作られたに関わらず、あまりにも人間と違いすぎる』って悩んで
 いたんだぞ?」
「浩之君、君は何か考え違いをしていますね。ロボットの役割は、人間を幸せにすることなんです。
 言い換えれば、彼らの幸せは人間が幸せになることであり、彼ら自身がどうであるかは関係ない
 のです」
「てめぇ、それがいったいどういう結果を生んだかわかってるのかよ!
 あれはもうプログラムなんかじゃない、一個の人格だぞ? 悲しんでいたんだぞ?
 あいつらだって、幸せになってもいいんじゃないのか?
 そもそも、そうやっていったいいくつの存在を切り捨ててきたんだ?!
 だいたいなぁ、てめぇら学者ってのは・・・」
「いい加減にせんか、小童子(こわっぱ)!」
 いきなり、じじいに怒鳴られた。それまでじっと黙っていただけに、えらく驚いた。
「ワシにとってあれは孫にも等しい!
 自分の孫や娘につらく当たって、平穏な人間がおるか!」
「・・・君がどう思っているか知らないが・・・
 わたしだって、娘が幸せであってほしいと思っているんだ。
 わたしの開発したロボットは・・・マルチも、セリオも、そしてセリカも、みんなわたしの
 可愛い娘ですよ・・・
 だからあなたに頼むんです。セリカの面倒を、しばらくみてやってください」

 それからもしばらくもめた。結局当分の間オレのうちにおいておくことになった。
 帰る頃には、もう真っ暗になっていた。雨上がりの、澄んだ空気が漂っていた。
「ただいまー」
 辺りに、人のいる気配はなかった。
 もしかして・・・ ある種の予感に誘われ、階段を上がった。
 果たして部屋に入ってみると、先輩はオレのベットで眠っていた。
 ・・・オレのシャツを着て。泣き疲れたように。
 オレは先輩の枕元に座り、そっと先輩の髪をなでた。
 知らず、自分の心を確かめる言葉が、口から漏れていた。
「いらないわけ、ないじゃないか。
 ロボットだろうとなんだろうと関係ないよ。
 オレにとって先輩は・・・芹香は、大事な女の子だよ」
 ふと、マルチの言葉を思い出した。
『わたしのデータは、現存する全てのメイドロボにフィードバックされるんですー』
 ・・・幸せに、なって欲しいよな。心を持つ、ロボット達に。
 さっと、窓から光が射した。
 いつの間にか、月が雲間から現れていた。
「うーん」
 芹香が、寝返りをうつ。
 起こしたのかと思ったが、違ったようだった。
「とりあえず、服を買わないとな」
 先輩はきゅっとオレの手を握り、安心したような顔で眠っていた。