アトム(前) 投稿者:丹石 緑葉 投稿日:6月19日(月)19時33分
 その日来栖川邸は、悲しみに包まれていた。
 非常に不幸な事故が起こったのだ。
 中でも、来栖川翁の嘆き様は大変なものであった。
 自室に閉じこもり、食事さえとらなかった。

 3日目の朝、自室にメイドを呼ぶと、一言こう命じた。

「長瀬を呼べ」


 そして、5年。

  ***

 ふと顔を上げると、向こうから黒髪の印象的な美少女が歩いてくるのが見えた。
 艶やかな黒髪、茫洋とした表情、高校生にしては小柄な姿。
 間違いない、あれは・・・

「よっ、来栖川先輩、相変わらずボーっとしてるな」
 
 彼女は、来栖川芹香。
 オレの1つ先輩、高校3年生だ。
 そしてオレの彼女だったりする。
 驚くなかれ、あの来栖川財閥のお嬢様なのだ。
 病弱な人で、時々学校を休んだりする。
 そのため、毎日やたらガタイのいい老執事が車で送り迎えをしている。
 とーぜん、オレが乗ったこともないような高級車だ。
 長期入院をしていて、中学にはまともに行ってないんだそうだ。
 お陰で、体も小柄なままで、オレよりも頭一つ小さいくらい。
 ・・・なでなでに丁度いい位置なんだ。

「・・・」
「え、何やってるかって?
 カフェオレを飲もうと思ったんだけどさ。百円玉落としちまったんだ。
 自販機の下に入ったんだと思うんだけど・・・」

 そう、自動販売機の前で一生懸命足元を探していたのだ。
 オレは藤田浩之、カフェオレ好きで目つきの悪い、高校2年生だ。
 たかが百円と侮るなかれ、オレの命の源カフェオレを買うための金である。
 ただでさえ、オレの食費は小遣いに直結しているんだ、一円だって惜しい。

 実はうちの両親は仕事が忙しく、家に寄りつかない。
 それどころか、夫婦で仕事場のそばにアパートを借りているのだ。
 おかげでオレは、高校2年にして一人暮らしをする羽目になっている。

「・・・」
「探すのを手伝いましょうかって? 魔法で?
 いや、別にいいよ、そんな・・・」

 懐から水晶の振り子を取り出そうとする先輩を、慌ててとどめた。
 何もオレの百円のために、わざわざ魔法を使ってもらわなくても、ね。
 ・・・と。

「あ、芹香お姉さまー。
 こんにちわー」

 この脳天気な声は!?
 辺りを見回してみると、想像通り、メイドロボのマルチが向こうからやってきた。
 こいつはここ一週間、うちの学校で運用試験をするんだそうだ。
 来栖川電工の、次期商品候補らしい。
 ・・・の割には、えらくどじなロボットだが。
 縁あって、オレはこいつと仲がいい。

「・・・おねえさま?」
「あ、浩之さん。
 今日もカフェオレですかー?」
「おう、今百円落としちまったんで探してたんだ。
 ところで、芹香先輩はおまえのお姉さんなのか?」
「はい、説明すれば非常に複雑なことながら・・・
 芹香さんはわたし達メイドロボにとっては、お姉さんのような方なんですー」
「ふーん?」
 マルチも、高校生に見えないほど小さい。
 仕様なんだろうが、小学校高学年の女の子にしか見えないのだ。
 ・・・いったい開発者は、何を考えているんだ?
 ちなみに芹香先輩はマルチより少し大きい程度、中学生とよく間違われるそうだ。

 結局、オレの百円は先輩に見つけてもらった。
 オレとマルチが話し込んでいる間に、魔法を使ったみたいだった。
 実はオレの足元に転がっていたのだ。

 マルチは確かにロボットだ。だが、非常に表情豊かで人間ぽく、耳飾りさえなければロボットだ
とは分からないだろう。
 そしてそんなマルチを見つめる先輩の目は、すごく優しそうだった。
 マルチも先輩を慕っていて、まるで本当の姉妹みたいだった。

 マルチは、いつも一生懸命だった。
 いつも誰かにいいように使われていたけど、そんなことちっとも気にしてなかった。
 なんの見返りも求めない、無償の奉仕。
 あいつは本当に人間のことが好きで、だからいつもにこにことして働いていた。
 プログラムされた心。
 そうに違いないのだが、そんな風には感じさせないものがあった。
 ・・・ただ、どうしようもなくどじな点は否めなかったが。

 実は、マルチと同時開発され、同時期にテストされているHMX−13というメイドロボもいる。
 こいつは開発番号からはマルチの妹に当たるんだが、ずいぶんとクールな奴だ。受け答えもそつ
がなく、それこそロボットみたいな奴だ。・・・ロボットなんだけど。
 何でもサテライトサービスとやらを駆使することで、大概のことができるようになるらしい。
 黙って立っていると、マルチよりもお姉さんに思えたりする。
 マルチと比べて、ずいぶんと対照的なものだ。
 ・・・何でもできる万能ロボットと、どうみても人間にしか見えないロボット、か。

 そういえば、マルチのことを「ロボットだ」と強く認識した出来事があった。
 そのときもオレはカフェオレを買いに中庭まで降りてきていた。
 マルチは、先輩と一緒に、なんだか犬と話をしているようだった。
「犬さん犬さん、クッキーをあげましょう。
 バスで席を譲ったおばあさんに頂いたのですけど、わたしは食べられないのです」
 しゃがみ込んでポケットから紙包みを取り出すと、その中身を与えていた。
 そうやってクッキーを与えながら、マルチは寂しそうな口調で独り言のように話しかけていた。
「犬さん犬さん、お腹がすくってどんな感じですか?
 わたしはものを食べることがないので、それがどんな感じなのか分からないのです。
 わたし達は『限りなく人間に近く』作られているんだそうです。
 それなのにどうして、わたしはお腹がすかないんでしょうか?」
 先輩は、マルチの頭をなでながらなんだか慰めているようだった。
「でもわたしは納得できません。
 わたしは人間の皆さんが幸せになれるように、この体を与えていただきました。
 そしてもっと人間の皆さんに幸せになってもらうために、人間のことをもっと知りたいんです」
 先輩は、一生懸命になってマルチの頭を抱きしめていた。


 数日後。
 マルチの試験運用が終わった。
 運用試験最後の日は、オレと先輩とで見送りをしてやった。
 それは、3人だけの卒業式だった。
「いい娘だったよなぁ」
 マルチの妹たちが発売されたら、絶対購入する。オレはそう約束していた。
 あんな風に、一生懸命なロボットだったら。一緒にいて、優しい気持ちになれるような娘ならば。
 しかし、あかりに言わせれば、メイドロボはあまりありがたい存在ではないらしい。
『だって、お嫁さんの仕事を全部とってしまうんだよ』
 少し、一人で考えたかった。
 あのお人好しで、頑張り屋なメイドロボのことを。
 そしてそれがどんな意味を持つのかを。
 将来的には、マルチのデータは現存する全てのメイドロボにフィードバックされると言うことだ。
 ということは、世界中のロボットが彼女のように優しくなると言うことだろうか。
 ・・・どじなところは、似て欲しくないけどな。

 あんまり天気が良かったんで、学校を早めに切り上げることにした。
 公園のベンチでボーっと空を眺めていると、変なおっさんに話しかけられた。
「おや? 学生さんはまだ学校だと思ったのですが・・・」
「あ? 今日は休みなんだよ」
「創立記念日かなんかですか?」
「制服着てるのを見れば分かるだろ?
 不良の特権、自主休校だよ」
 そう答えて、相手の方を見やった。
 穏やかな昼下がりの公園には相応しくない人物だった。
 なぜか白衣を着た、顔の長い、くたびれた感じのおっさん。
「はっはっは、奇遇ですね。
 私も会社を休んできたんですよ、自主的にね。
 ってことは、不良社員、わたしも不良さんってことですね」
「会社さぼるなんて、いいのかよ?
 サラリーマンって、最近は結構厳しいんだろ?
 ・・・鳩に餌やってる場合じゃないんじゃねーのか」
「はっはっは、最近うちの会社の導入したロボットは非常に優秀でしてね。
 今はやりの、汎用人型ロボットですよ。メイドロボとも呼ばれますね。
 何でもやってくれるんですよ、あいつらは。
 そのお陰で私のような人間には居場所が無くなってしまいましてねぇ。
 ・・・もう、いらなくなってしまうんですよ」
「おいおい、そりゃ違うだろ?
 いくらロボットが人間の代わりをできるったって、人間にしかできないことだってあるだろう?」
「いやいや、来栖川の今の研究が、ロボットに心を持たせることらしいですよ?
 そのうちに、人間にできてロボットにできないことなんてなくなりますよ」
「そんなわけねーだろ。
 少し観察力のある人間だったら、人間とロボットの違いなんて一目瞭然じゃねーか。
 そもそも、こないだまでうちの学校にいた最新型のメイドロボは、お腹が空くことが分からない
 って言っていたぜ」
「いやいや、メイドロボの技術は実は人体の代替物の研究の延長らしいですよ。
 人工技師、人造器官・・・ そういったものを寄せ集めれば、人間そのものなロボットだって
 できますよ」
「無理だよ、ロボットはどこまでいってもロボット、人間とは全く異質な存在さ。
 今の社会じゃそもそも人型ロボットを忌まわしい存在とみる向きもあるぜ?」
「では藤田浩之君、彼らロボットが、全く人間と見分けがつかなかったら?
 人間がロボットを忌まわしく思い怖れるのは、自らの被造物が自分たちの理解を越えている上に、
 自分たち以上の能力を持っているからです。いわゆる、フランケンシュタイン・コンプレックス
 というやつですよ。
 もしもですよ。人間の持つすべてを彼らが持つことができたならば、彼らは人間と取って代わる
 ことができるとは思いませんか?
 心という曖昧なものをエミュレートすることで、よりロボットを人間に近づける研究も進められ
 ています。
 チューリングテストというものをご存じですか? プログラムを人間と会話させて、どれほど
 人間っぽく見せるか、というテストだと思ってください。このテストで100点満点を取れる
 ようなロボットならば、人間に怖れられることもないとは思いませんか?
 そうですね、ロボットが人間を理解する。心を持つことは、許されることだと思いますか?」

 ロボットが人間の居場所を奪っていく? そんなはず、無いじゃないか。
 だって、マルチは「人間の皆さんのために」って、あんなに一生懸命だったんだぞ?
 しかしあかりの言った言葉が、そんな思考を虚ろなものにした。
『あたしは、マルチちゃんみたいなロボットなんて欲しくないな。
 だって、お嫁さんの仕事を全部とってしまうんだよ。
 そんなに何でもしてくれる女の子がいいんなら、ロボットと結婚すればいいのよ』
 オレには、答えることができなかった。

 気がつくと、おっさんはいなくなっていた。
 オレは周りが見えなくなるほど考え込んでいたらしい。
 だから、なぜか初対面のおっさんがオレの名を呼んだことには気がつかなかった。