ある日、目を覚ますと子供になっていた。 歳は十二、三歳ぐらいだろうか。とにかく背丈は縮み、声も高くなっていた。 かなり、慌てたが数分で落ち着いた。同じように柏木四姉妹も最初は困惑したが、すぐに落ち着いた。 やはり脳内を鬼の血なんかが流れてると神経もズ太くなるのだろうか。 飯を食って、のんびりしてると皆出かけてしまった。…少しぐらい、気にして欲しかった。 独りでゆっくり考えると、子供も結構イイものだ。 梓も相手が子供なら鉄拳制裁を行なうこともないだろう。 楓ちゃんと初音ちゃんは俺が子供になっても対応ぶりは変わらないだろう。 もしかしたら、風呂に一緒に入れるかもしれない。そう、考えるとかなり嬉しい。 …が、しかし、問題は千鶴さんだ。 あの人に『子供だから』などという理由は通用しない。 本性がそういう人種ではないことは重々承知している。 千鶴さんの名誉のために言えば、こんな印象を抱いているが千鶴さんの性格は『優しさ』が主流なのだ。 だからこそ、たちが悪いとも言えるのだが…。 だが、俺は賭けてみたい。『子供だから』なんて理由が通用しないことに薄々感づいていながらもスリルを求めずにはいられなかったのだ。 否、もしかしたら『子供だから』が通用すると夢を見ていたのかも…見ていたかったのかもしれない。 今……全身に包帯を巻き自家製の点滴を垂らして寝ている状況で考えれば、鬼の血の回復力を持ってしてもこれほどのダメージを負った身で 考えてみたら、その幻想はなんと愚かで危険極まりないものだったのであろうか。 俺はずっと前から千鶴さんに対して試してみたかったコトを実行することにした。 幸い、千鶴さんは都合上、一番早く帰ってくる。出来れば、初音ちゃん達が帰ってくる前に試したかった。 万一の事を考え、凄惨な現場を見せたくなかったのだ。 昼になった。 「ただいま〜。」 来た!!! 「ただいま、耕一さん。それとも昔みたいに耕ちゃんの方が良いかしら?」 いつもよりちょっぴり優しそうな笑顔(当社比1.3倍程度)で千鶴さんは言った。 「いつも通りでいいよ………いや、やっぱ『耕ちゃん』の方がいいなぁ。」 「わかりました、こ・う・ちゃ・ん(てへっ)。」 笑顔の中にちょっぴりの偽善パワーを含みながら千鶴さんが言った。 そろそろ実行した方がいいかもしれない。 「千鶴さん………いや、千鶴おばちゃ…………………」 「…………」 部屋の温度が−3℃以上下がった。笑顔がいつもの1.3倍ならばこちらは軽く10倍はいってる。 鳥肌がたち、子供心に原初の恐怖が巻き起こる。 凍てつく視線のバスタービームが真っ直ぐに俺をロックオンしている。 「…………ち、千鶴…お姉ちゃん………」 俺はなるべく普通に言おうと思ったが、それは無理な話だった。 ベトナム戦争の恐怖を体験した兵士達でも多分無理だろう。 「………なぁに、耕ちゃん?」 俺の一言を聞いた千鶴さんが今度は偽善100%のスマイルで言った。 「………なんでもない………。」 「そう………わたし、ちょっとご飯の支度をしてきます。」 そう言い残し千鶴さんは台所へと去った。 やらなきゃ、よかった。 それだけだった。 否、心中にはこの結果に満足してない俺がいた。 『おばちゃ』、…もし最後の『ん』を入れてたらどうなった!? あの視線の先の先には何がある!? この世の終わりか!?絶対の恐怖か!?それとも、ただ『無』があるのみなのか!? …どうしようもなかったのだ。とっくの昔にわかっていたのだ。 この疑問を解決するには実際に言ってみるしかないことに……。 何故、自分から死ぬような真似をするのかは、正直わからない。 子供の心身になり、好奇心旺盛な時代が再来したのかもしれない。 はたまた、柳川との死闘を終え、訪れた平和に満足できない俺の中の鬼が修羅を求めているのかもしれない。 千鶴さんの凍った視線の先に待ちうけるモノの正体も、俺の中の答も……どちらも神のみぞ知るのだろうか…。 台所の千鶴さんは静かだ。 いつものように鼻歌も聞こえない。 果たして善意から食事を作ってくれているのだろうか、 それとも先程の怨恨に決着を、そして俺にとどめを刺すための料理工作なのだろうか… 俺にはわからなかった。 意を決して、足を踏み出す。 何気無く、まとわりつく驚異的な威圧感に堪えながら俺は言った。 「ご飯、まだ……千鶴おばちゃん………」 振り向いた千鶴さんの顔が笑っていたのは気のせいだろうか? その笑みが『優しさ』とも『偽善』とも、そして『怒り』とも違う、 一種の超越的なモノに感じたのは気のせいだろうか? 俺にそれらを考えるヒマはなかった。認識する瞬間があったかさえ怪しい。 振り向く千鶴さん。 その笑み。 そして… 暗闇。 目を覚ますと自室の布団で寝ていた。 体は元通りになっていた。あとは、体中の包帯、点滴、湧き上がる痛みの奔流であった。 看病をしてくれた梓達によると、体全体の生傷の他に食堂、胃、腸がズタズタになっていたらしい。 一時的な寝たきりではあったが、鬼の血がありがたく思えたのは柳川から千鶴さんを救ったとき以来だった。 起きた後、千鶴さんに会うと彼女はただ、 「耕一さん、おはようございます。(てへってへっ)」 と言った。 結局、俺の疑問は解決しなかった。 あえて、答を求めれても『得体の知れないモノ』としか形容できない。 答は出なかった。 しかし、俺は不思議と爽快感と満足感を覚えていた。 それを『死地を乗り越えた実感』から来るものとすれば、 もう一つの疑問の答えは『俺の中の鬼が修羅を求めたから』となるのだろうか。 和やかな春のことだった…。