鬼狩人 西へ (1)  投稿者:アホリアSS


 暑い日差しが降り注ぐ。ゆるやかな風が木の葉を揺らしている。4〜5人の子供たちが
川辺で水遊びをしていた。子供の一人が「あっ」といって何かを指さした。 
 そちらを見ると、木々の中に妙なものが見えた。一見、人間をふた周り大きくしたよう
に見える。しかし、着衣らしきものはなく、その体表を茶色の毛がびっしりと覆っていた。 

両目は妖しく光を放ち、ぎらついている。その頭部には二本の角が生えていた。 



「鬼が出た?」 
 千堂和樹は絵を描いていた手を止めて、振り返った。 
「うん。この近くに宝山峡(ほうざんきょう)っちゅう谷があるんや。そこで頭に角が2本
あるバケモンが出たって」 
 猪名川由宇は答えた。
 和樹と由宇が知り合って1年以上が過ぎていた。東京の大学に通っている和樹は、大学
の夏季休暇を利用して由宇の実家に泊まりにきていた。由宇の家は神戸裏六甲にある温泉
宿である。 
「で、鬼が何か悪さをしたのか? 人と襲うとか」 
「別になんもせんと、そのままどっか行ってもたんやって」 
「熊か何かと間違えたか、それともお面かぶった変質者じゃないか」 
「ここの山には熊はおらへんて。まぁ、ほんまもんの鬼やって、おるわけないけどな」 
「ふむ…」 
 和樹は少し考えこんでた。彼らの前には小さな滝があった。2つの滝が階段状に続いて
いる珍しい滝である。和樹のもつスケッチブックには、描きかけの滝の絵があった。 
「どないしたん?」 
 由宇が小首をかしげた。 
「いや、次の即売会に出すマンガをどうしようか考えてたんだ。ストーリーだけど、夏ら
しく怪談にしようかってね。この辺りで何かネタになるような怪談話はあるか?」 
「怪談… そやな。ここの滝の話があるで。昔、1人のきこりが滝の側で切り株に腰掛け
て一休みしとったんや。ほんで、ふと気づいたら、足にクモの糸のようなものがからまっ
てんねん。木こりは邪魔やと思って糸を切り株にくくりつけたんや。ほしたら、糸が滝の
ほうにグイッて引っ張られて、切り株は抜けて滝に引きずり込まれたんやって。
おしまい」 
「あんまり怖くないぞ。別のところでも聞いたことがあるような気がするし。温泉の方で
は何かないのか?」 
「そやな。あることはあるで。ある温泉宿で、一人の男が夜に温泉につかってたんや。
そんで、綺麗な着物を着たお姉さんが『背中を流しましょう』とかゆうてきたんや。
男が湯からあがって、背中流してもらってたら…」 
「うん」 
「ほしたら、ヤスリみたんなもんでゴシゴシやられてな。皮が破れて、血が吹き出して、
肉が裂けて、男は逃げようとしたけど、女の力はめっちゃ強くて、逃げられんかったんや。
男はそのまま死んでもて、骨になるまで洗われたんやって」 
「グロイ話だな。その話は初めて聞いたぞ」 
「そらそうや。温泉でこんな話が流行ったら気味悪がって客がこんようになるやろ。ぜっ
たいにマンガに書いたらあかんで」 
「書くかぁっ。あ、そういえばこの近くに『地獄谷』っていう場所もあったよな。そこで
は怪談はないのか」 
「あれやな。昔、あの辺の谷で小鳥や虫がバタバタと死んでったことがあったんや。小鳥
には傷らしい傷もなんもなくて、エサがなくなったわけでもなかってん」 
「へぇ〜… 怪談らしくなってきたな。やっぱり何かのたたりか、悪いことが起きる前兆
だったのか」 
「ちゃうちゃう。毒ガスのせいや」 
「え? 毒ガス? サリンか?」 
「あほっ。毒ガスってゆうても、ほとんど無害やから心配せんでええで。このへんは地面
から炭酸ガスが出るんや。それが大量に出た時期があって、小鳥や虫が窒息したんやろ」 
「炭酸ガスねぇ… そういえば、ここの名物で炭酸せんべいっていうのがあったな。あれ
はガスで作ってるのかな」 
「ちゃう。炭酸水がでる泉もあってそれで作っとぉねん。せんべい売っとぉ店によったら
『炭酸水せんべい』って書いとうとこもあるで」 
「その炭酸水って飲める?」 
「うん。ここからちょっと行ったところに炭酸水の原泉があるから、そこでなんぼでも飲
めるで。味は…ちょっと気の抜けたソーダやな。地下水やからそれなりに冷たいし。うち
も昔はコップに角砂糖をいっしょにいれてよく飲んだわ。こんど和樹にも飲ましたる」 
「炭酸水に、炭酸ガスか。あまり怪談のネタにはならないな。他に何かない?
もうちょっと絵になるような」 
「そやなぁ。うちの昔の同人仲間にそーゆーのに詳しいのがおったわ。ちょっと待ってな」 
 由宇は携帯電話を使って、どこかに話しかけてた。 
「もしもし…ヒデやん? うちやうち、由宇。うん、これから遊びにいってええか?
……いや、彼氏連れてくから、お茶とお菓子も用意しててや。2時間でそっち行くわ。
ほならまた後でな」 
 由宇は電話を切った。 
「ちょうど都合ええみたい。これからいこか」 
「今、2時間っていったよな。遠いのか」 
「電車で行ったら2駅や。30分で着くけどもったいないやろ。歩いたら二人分の交通費が
浮くんや」 
「おいおい、電車賃ぐらいだすぞ」 
「あほ。贅沢覚えたらあかん。節約できるところは節約するんや。さぁ、歩くで」 
 和樹は軽くため息をつき、由宇を追って歩き出した。 



 扉には『会長室』と書かれていた。その部屋の中で、電話のベルが鳴った。部屋にいる
のは鶴来屋グループの若き会長、柏木千鶴である。
 千鶴は澄ました顔で電話に出ていたが、その表情がぱっと明るくなった。 
「あら、蛍子ちゃん。ひさしぶりね。どうしたの? え…?」 
 千鶴の表情がまた変わった。仕事中の顔とは少し異なる厳しい表情であった。 
「それは本当? ……そう。わかったわ。ごめんね。今は私は動けないの。従兄弟に頼ん
でみるわ。そう。前に話した耕一さん。え? ち、違うわよ。もう、からかわないでよ。
じゃあ、また後で連絡するから。それじゃあね」 
 電話が切れたあと、千鶴は少し考え込んでいた。そして、ふたたび受話器を取り上げ、
どこかに電話をかけていた。 



「へえ。猪名川の彼氏ってけっこうまともやん」 
 由宇の友人というその男、駒津秀雄は太っていた。本棚にはアニメ雑誌が並んでおり、
いろいろな模型が所狭しと置かれている。強めのクーラーがかかっていて少し肌寒い。秀
雄自身は夏だというのに長袖を着ていた。 
「ええ男やろ。東京もんにしては根性あるで」 
 由宇が言った。 
「それで、俺にききたいことって何かね」 
 秀雄は妙に芝居がかったような口調で言う。もっとも、和樹はさらに個性的な幼馴染の
声を聞きなれていたので、違和感は感じなかった。 
「この辺で何か怪談話はあらへん? マンガのネタになりそうな」 
「怪談? それは難しいわ。昔話はいくつか知っとうけど。バッドエンドになるような話
は少ないで。蜘蛛滝とか湯女の話かなぁ」 
「あ、その二つはもう話したで」 
「怪談以外で何か昔話はないですか? 何かネタになるものがあれば、そこからは創作を
加えればいいですから」 
 和樹がきくと、秀雄は少し考えて口を開いた。 
「別に敬語はつかわんでええよ。神戸では神功皇后の話がおおいな。十四代仲哀天皇の后
で、天皇と一緒に九州や朝鮮の征伐に行った人や。天皇は九州で戦死したんやけど、その
後は神功皇后が兵を率いて朝鮮に遠征して、見事に新羅を制圧したんや。
遠征中にお腹の子供が生まれそうになって、3つの石を腰に挟んで出産を遅らせる呪いを
してな、九州に戻ってから男の子を産んだんや。それが十五代応仁天皇」 
「それって九州の話だよな。神戸ではどうからんでくるんだ?」 
和樹がきいた。 
「あわてんでええ。話はこっからや。神功皇后は男の子が産んだけど、この王子には腹違
いの兄がおった。このままでは次期天皇の座は新しい王子に奪われると思ったんや。で、
自分らが天皇になるために、明石の辺りで帰国してきた神功皇后の軍に襲い掛かった。そ
こで返り討ちにあったんや。兄王子と腹心の首を合計六つ落とされて、甲といっしょに山
に埋められた。六つの甲を埋めた山が六甲山っちゅうわけや」 
「なるほど。マンガのネタに使えるかな…」 
「このへんの地名は神功皇后の話が元になっとう所はけっこうあるで。遠征の準備のため
に武器庫があったから、兵庫ってゆう地名になったんやて。そや。この町は韓櫃(からと)
ってゆうんやけど、ここの地名もそうやった。韓櫃ってゆうんは朝鮮の箱なんやけど、神
功皇后がそれに黄金のニワトリを入れて、森に埋めたんや。その森はこの近くにあるで。
そこからここの地名が韓櫃になったんや」 
 ここで由宇が口を挟んだ。 
「ニワトリって、また妙なもんを埋めたなぁ」 
 秀雄はチッチッチと指を振った。 
「昔の人にとっては、ニワトリは『朝』を象徴する神聖な生き物だったんやろ。このあた
りの昔話やないけど、こういうのをきいたことないか? むかしむかし、ある旅人が山の
中で一軒の廃屋を見つけ、そこで一夜を過ごすことにしました。その旅人は普通の床で寝
んと、天井裏で寝とったんや。ふと気づいたら、なんか騒がしくなって目ぇ覚ました。下
の部屋を見たらたくさんの鬼が集まって部屋で賭け事をしとったんや。旅人がニワトリの
鳴きまねをしたら、鬼たちはたちまち逃げていったってゆう話」 
「うん。どっかできいたことがある。あ、それで思い出した」 
 和樹は言った。 
「この近くで鬼が出たって?」 
「うん。ここの北の宝山峡ってところや。まぁ、目撃者が子供ばっかしで信用できへんけ
どな」 
「じゃあさ、この辺りで鬼に関する昔話はないか?」 
「鬼… 鬼の話は裏六甲ではあんまりないなぁ。鬼ケ島っていう峠があるけど。あ、そう
や。韓櫃に鬼の子孫と呼ばれる家系があったわ」 
「鬼の子孫? なんやそれ」 
 由宇がきいた。 
「樫木(かしき)一族、今もこの町に住んでいるよ」 




「樫木家…エルクゥとは違った鬼の一族か…」 
 夜行バスの座席で揺られながら、柏木耕一はつぶやいた。隣には従姉妹の柏木楓が座っ
ていた。バスの中は、彼らの他はほとんど客はいなかった。 
「樫木家は、私たちエルクゥの家系じゃないわ」
 楓が言った。
「千年程前の奈良時代、役行者と呼ばれる修験道がいて、その弟子たちが鬼と呼ばれてた
の。樫木家はその子孫よ」 
「ふ〜ん、次郎衛門がエルクゥと戦ったのが五百年前だから、それより更に五百年前か」 
「もしかすると役行者やその弟子たちにも異星人の血が入ってるかもしれないわね」 
「それで、これから行く樫木家に千鶴さんの友達がいるんだったよね」 
「うん。樫木蛍子(かしき けいこ)さん。千鶴姉さんの大学時代の同級生なの。前にうちに
もきたことがあるの」 
「その蛍子さんの実家の近くで鬼がでたんだよな。でもなんで千鶴さんに相談したんだろ。
蛍子さんは柏木家の血筋を知っているのかい?」 
「ひと通り知ってるみたい。姉さんは大学のときのグループで、蛍子さんだけには柏木の
秘密を話したって言ってた」 
「グループ? 何の?」 
「千鶴姉さんは友達と一緒にいろいろな事件を解決してたらしいの。探偵みたいなことや
化け物退治もやったって言ってた。4人組のグループで、千鶴姉さんと蛍子さんの他に篠
塚さんと牧村さんという人がいたって」 
「蛍子さん以外の2人は柏木家のことは知らないんだな」 
「うん。姉さんにはエルクゥの力があって、蛍子さんには霊感があるの。でも、他の2人
は普通の人だって。今回は、鬼が出たという騒ぎが起きる直前に、蛍子さんの霊感に何か
感じるものがあったって」 
「で、俺たちが調査の手伝いにいくわけか。もしかすると鬼退治になるかもしれないな」 



 夜の公園を街灯が照らす。若い女性が一人、公園の中を足早に横切っていた。髪を頭の
うしろでお下げにし、眼鏡をかけている。彼女の名は保科智子。智子は、前方に現れた妙
な人影を見て立ち止まった。 
「なんやの?」 
 見上げるほどの巨体、そして逆光ではっきりとは見えないが、頭には2本の角があった。 

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(注)この話はフィクションです。実在の人物や家系、地名などは一切関係ありません。
話の中で登場した昔話等も、実際に伝承されている話とは異なります。 


http://member.nifty.ne.jp/roadist/