華麗なる死闘 『沙織編』(1) 投稿者:姥神日明 投稿日:2月21日(月)18時29分
■はじめに
 この作品は、拙作「華麗なる死闘」の設定に準じた別シリーズ作品となっています。
 流れとしては、雛山良太を主人公とした3話以降よりも前の話になります。
 まずは図書館に収録されている2話までか、もしくは私のサイトで公開されている
加筆・修正版「序章 神岸あかり」を読んでいただければ嬉しく思います。

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 日も暮れた街の雑踏の中を、一組の男女が歩いている。
 まあ、それ自体は珍しくも何ともない風景である。だが、実際に彼らとすれ違う人
々は2人の顔を認めると、大概「あっ」という表情をして来た道を振り返った。
 2人――特に男の方は、芸能人でこそないがTVなどにも少なからず顔を出してい
る結構な有名人であり、そういう意味では人々の反応も当然だったかも知れない。
 ただ奇妙なのは2人を見る人々の目が、いずれも『笑っている』ことであったが、
男の方にはその理由が充分過ぎる程理解できていた。
 左肩にショルダーバッグ、右手にスポーツバッグを提げた男は溜息を吐くと、
「……なぁ、あかり」
 と、自分の左横を窮屈そうに歩く女――あかりの方を見た。
「なに?浩之ちゃん」
 何やら両手で抱えた巨大な『それ』の影から顔を覗かせる。
「お前さぁ……本当に好きだよな、熊」
 浩之はそう言うと、あかりが両手一杯に抱えた、巨大な――軽く1メートル以上は
あろうかという『それ』――熊のぬいぐるみを『ぽすん』と軽く拳で叩いた。
「あっ」
 横からの衝撃(と言う程の物ではない)に、ふらふらとよろけるあかり。
「練習が終わったら付き合って欲しいって言うんで、何処に行くのかと思ったら荷物
持ちが欲しかっただけかよ」
 あかりのスポーツバッグを軽く掲げて、ぼやいてみせる。
「だって、これを持ちながらバッグも持てないし、他にこんな事頼めるのも浩之ちゃ
んだけだし」
「こんな馬鹿でかい物、わざわざ自分で持ち帰らずに店の方から届けてもらえばよか
ったじゃねえかっ」
 浩之の剣幕――本気で怒っている訳ではないが――にあかりは首を竦める。
「ご、ごめん。今日が発売日だと今日まで知らなかったし、少しでも早く持ち帰りた
かったから」
 そう呟くと、もう一度ごめんねと詫びた。
「……。別にいいけどよ」
 流石に言い過ぎたと思ったのか、ばつが悪そうに頬を掻きそっぽを向く浩之。
「……」
「ほれ」
 突然浩之は立ち止まると、あかりが持つ熊をひょいと取り上げた。
「えっ?」
「持ってやるよ」
 空いた左手で熊を抱えるのを見ると、あかりは慌てて両手を振った。
「い、いいよぉ」
「歩くのも大変そうじゃねぇか。いいから持たせろ」
「でも、バッグまで持ってもらってるのに」
 心底申し訳なさそうな顔をするあかりに、浩之は苦笑した。
「……じゃあ、自分のバッグは持ってもらえるか?正直な話な、オレでも両手使わな
きゃきついからな」
 そう言うと、右手のスポーツバッグをあかりに差し出す。
「うんっ」
 浩之からバッグを受け取ると、何が嬉しいのかにこにこしながら歩き出す。
(やっぱり浩之ちゃんは優しいな)
「〜♪」
 思わず即興で鼻歌など歌ってしまう。
「……あ〜、あかり?」
「?なあに?」
「まさか、人にこれだけやらせといてタダで終わらせはしないよな?」
 にやりと笑う浩之。
「えっ?」
「これから晩飯ぐらいは奢ってくれるんだろ?当然」
「ええっ?」
「酒が飲める所がいいな〜」
「……んああ〜っ!」
 もうお金ないのに。あかりは絶叫した。


「うううう〜」
 さめざめと泣くあかりを引き摺って、浩之は近場の居酒屋の暖簾を潜った。
 店内は時間帯のせいか、仕事帰りのサラリーマンなどで結構ごった返していたが、
それでも広い店内ではいくらか空いた席が確認できた。
「いらっしゃいませ!何名様ですか?」
 慌しく駆け寄ってきた店員が、何やらファミレス店員を思わせる口調で浩之に尋ね
る。
 けして美人ではないがコロコロした可愛い感じの、若い女性だ。
「ん〜、3人」
「?」
 一瞬怪訝な顔をした店員だが、浩之が自分の抱えている熊のぬいぐるみを指差して
やると、にこりと笑って空いた席まで案内してくれた。
 いい娘だ、と浩之は思った。
 鶏の腿肉や焼き鳥、刺身、もずくやホヤといった一通りの料理とドリンク――浩之
は生ジョッキ、あかりも付き合い程度にカルピスサワー――を注文する。程なくドリ
ンクとお通しが届き、何にというのではないが2人は乾杯した。
 浩之は大ジョッキに口を付けると、その半分程を一気に喉に流し込んだ。
 生ビールは良く冷えており、酒といえば最近は発泡酒ばかりだった浩之を満足させ
るのに充分の旨さだった。
「――かあ〜っ、旨え」
「飲み過ぎちゃ駄目だよ、浩之ちゃん」
 格闘家の中には自己管理としてアルコールを一切口にしない人も中には多い。例え
ば、葵などは正にそれなのだが、浩之はその点あまり深く考えた事はない。
 一日クタクタになるまで身体を動かした後に酒の一杯も飲まないなどど言うのは、
浩之にしてみたら耐えられる物ではなかった。
 煙草は吸わないんだから酒ぐらい許せや、といった所である。
 一応、人にはもっともらしく「無理に我慢するよりは精神衛生上いいんだよ」とは
言っているのだが、単純に堪え性がないのだ。
 ジョッキを左手に持ちながら、慌しく小鉢に入った支那竹を摘まんでいる浩之の横
の席には、熊のぬいぐるみが物言わず鎮座している。
 その、何とも妙な光景に、あかりは思わず苦笑を浮かべる。
「何が可笑しいんだよ、あかり――」
 ムッとして浩之が顔を上げた、その時。
 あかりの頭上から、何やらこちらに飛んで来る物が目に入った。

 それは――。
 つくねであった。
 つくね。鶏肉を挽いて刻んだ葱などと一緒に団子にして焼いた、あのつくねだ。


 何故!?
 などと叫ぶ余裕はなかった。ほおって置けば、軌道上間違いなくそれは浩之の顔面
もしくは頭上に着地する筈である。
「とりゃっ!」
 綺麗な放物線を描いて飛んでくるそれを、浩之は非凡な動体視力で捕えた。そして
肉の部分ではなく竹串の部分を、器用にも右手の割り箸ではっしと摘み取る事に成功
した。
 一瞬あっけに取られたあかりだが、
「……す、凄いよ浩之ちゃん!宮本武蔵だよー」
「う、うははははっ。見たかあかり、オレの」
 言い切る事はできなかった。
 何故ならその時、絶妙の時間差で2本目のつくねがこちらに飛来していたのに気付
いたからである。
「「あ」」
 間抜けの証明のように、それを見る事しかできない2人。
 そしてつくねは、浩之の隣に座る熊氏の顔面に『べちゃり』と命中した。
「「あああ〜っ!!」」
 見事に息の合った悲鳴。
 慌ててつくねを取り上げるも、不幸な事につくねは『塩』ではなく『たれ』であっ
た。
 熊の顔面には、見事に濃い飴色の染みがこびりついてしまった。
 浩之は怒りに身を震わせ立ち上がり、
「誰だ、この野郎!」
 と、今まさに叫ぼうとした台詞が――、一足早く隣席から響いた。

「?」
 そちらを見ると、頭からシャツからをびっしゃりと濡らした、茶髪の若い男が凄い
剣幕で、先程つくねが飛来してきた方向を睨んでいる。
 そこには4人の男が席に着いていたのだが、浩之たちよりも不運な事に、どうやら
飲み物か何かがその内1人にひっかかってしまったらしい。
 グラスが当たらなかったのが、不幸中の幸いだったかも知れない。
「す、すいません!」
 泣きそうな顔で駆け寄ってきたのは、先程案内してくれた女性店員であった。
 どうも躓くか何かして、盆の上の料理や飲み物を豪快に飛ばしてしまったようだ。
「すいませんじゃねえよ!どうしてくれんだこれ!」 
 憤懣やるかたない男――茶髪は執拗に怒りをぶつけるが、それに対して店員の方は
涙を浮かべて頭を下げるばかりであり、そのやりとりは3分以上も続いた。
 やられた事を考えれば確かにお怒りは至極ごもっとも――ではある。あるのだが、
同じ被害にあった浩之やあかりの目から見ても、茶髪の言い様は悪気がなかった者に
対しては幾分度が過ぎるように見受けられた。
 可哀想に、店員の方はいよいよ嗚咽を堪え切れなくなってしまっているのだが、そ
れでも茶髪は店員を詰(なじ)り続けている。
「……酷い」
 居たたまれなくなったあかりが、ぽつりと呟く。
「……しつけぇ野郎だな」
 浩之も浩之で、いいかげん気分が悪くなってきた。
 たとえ赤の他人であろうが、一時でも好感を抱いた人が辛い目に遭っているのを見
過ごす事はできない――という性格は、高校時代から全く変わってはいないのである。
 一言いってやるか、と立ち上が――
「ちょっとしつこいんじゃないの?あなた!」
 ろうとした所に、一足早く別の方から怒声が響いた。

 どうにも今日はタイミングの悪い日だ――と思いつつ声の方を見ると、そこには一
組の男女が、茶髪と向かい合う形で立っていた。
 すらりと手足の長いロングヘアの女性の方が、どうやら先程の怒声の主のようであ
った。大きな瞳を吊り上げて、茶髪の方を睨みつけている。
 ハキハキした雰囲気の、かなりの美人である。
 ――胸もでかいな。
 口に出したら訴えられそうな事を、浩之は思った。
「そうですよ。クリーニング代も替えの服も出すと言ってるんです、その位にしませ
んか」
 続いて、女性の側に立っていた男性――彼氏だろうか?――が、笑いながら間に入
って茶髪を宥めようとした。
 しかし、こう言っては悪いが……その男はひどく頼りなさげに浩之には見えた。顔
は優しげで整った部類に入るが、そこからは男性的な魅力というのか、例えば頼もし
さとかいう物をあまり感じられないのだ。
 こと頼もしさなら、女性の方によっぽど感じてしまう。
 茶髪の方も同じような印象を受けたのだろう、
「……っせえな」
 と邪魔臭そうに、男性の胸を掌でどん、と押した。
「あっ」
 よろける男性の方を見て、心配そうな声を上げる女性。
 おっ、と浩之は思った。
 それでも男性は相変わらずの笑みを浮かべていたが、伏目がちのその瞳の奥に、何
か剣呑な……『狂気』と言っても差し支えのない、鈍い光が生じたように見えたので
ある。
 格闘技に限らず、いざという時ああいう『眼』をする奴が一番恐いのだ――それを
浩之は知っていた。
「……楽しく飲む場なんですから、止めましょうよ?ね?」
 そうやって茶髪の肩に手を置く男性の雰囲気に、得体の知れない『こわい』物を感
じた浩之だったが、茶髪はもはや外見で男性の事を舐めてしまっているようである。
「うるせえっつってんてんだろ、ああ!?」
 今度は強く、はねのけるように腕を振った。
 掌の甲がバチン、と鼻っ柱に強く当たった。男性は「くっ」とうめくと右手で鼻を
押さえたが、指の隙間から赤い筋が垂れるのが浩之やあかりにも見えた。
 しかし、男性はすぐに顔を上げるや間髪入れずに叫んだ。

「駄目だ、沙織!」

 ――茶髪にではなく、女性に。
 瞬間、乾いた破裂音と共に茶髪の頭が弾けた。
「――!!」
 かくんと膝の力が抜け、受け身も取らずに前のめりに倒れた茶髪の意識は完全に飛
んでいた。
 女性の方が右のハイキックを入れたのだ――それを確かに見て取れたのは、この場
では浩之とあかりだけであった。

                                 (つづく)


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