華麗なる死闘(8)  投稿者:姥神日明


「と,ととと突然お邪魔してしまいまして本当に」
 私の目の前に座る女の子は、裏声の凄いどもりで挨拶した。
「そ、そんなに緊張しないで、ね?」
 葵ちゃんが声を掛けると、女の子は顔を真っ赤にして、
「は、はいいい」
 と、さらに身を強張らせてしまった。
 無理もない……のかな?
 考えてみれば彼女――光江ちゃんにとって、この場にいる人(特に綾香さんや浩
之ちゃん)は普段雑誌やブラウン管を通してしか、お目にかかれない存在なのだ。
 特に葵ちゃんは彼女にとって神にも等しい存在らしく、先刻葵ちゃんに挨拶され
た時などは、なんと感極まって泣き出してしまっていた。
 光江ちゃんは電話帳で良太くんの家の電話番号を探し当て(『雛山』という苗字
は珍しいのでさほど苦労はしなかったそうだけど……)、そのとき電話に出たひよ
こちゃんからLEAFの住所などを聞き出し、わざわざここまで良太くんを追って
来たらしい。
「でも、どうしたんだよ先輩。急な話なのか?」
 そう尋ねる良太くんに、
「う、うん。雛山くんに伝えたいことがあって」
 そう答え、光江ちゃんは自分を落ち着かせるように深呼吸をすると、
「2ヶ月後、私も試合をします」
 と言ったのだった。

 その後私たちは、彼女までが試合をすることになった経緯を聞いた。
 ――時間を少し遡り、良太くんが保健室を出た後の話になる。


「……失礼します」
「あっ」
 光江の制止を聞かず、良太は保健室を出た。
「――呉くん!何のつもりであんなこと……」
 そう言って呉の方を向いた瞬間、光江は絶句した。
 呉が先程まで良太が寝かされていたベットに顔を埋め、痛みを堪えるように低く
唸り声を上げていたのである。
 左手で、右腕をきつく押さえている。
「ち、ちょっと呉くん!?」
 慌てて保健の先生が呉に駆け寄り右腕の袖をまくると、そこから赤く腫れ上がっ
た右腕が表れた。
 軽く触診をすると、呉は苦痛に顔を歪める。
「……折れてはないけど、ヒビがいっちゃってるわね」
「えっ!?いつの間に……」
 光江が驚きの声を上げたその時、
「失礼しまーす。ってあら、やっぱりこうなったね」
 と呑気な声が窓の方からした。
「友美!」
「やあ、光江」
 光江の言う通り、声の主は先刻良太をレスリング部に勧誘していた女生徒、鶴田
友美であった。
 開け放たれた窓の外に立ち、何が楽しいのか、にこにこと笑みを浮かべている。
 光江と友美は互いに知らない仲ではない。
 それもその筈、友美は一時期エクストリーム部に光江と一緒に所属していた。エ
クストリーム部に失望し辞めていった光江の親友とは、友美のことであった。
「鶴田か……見てたのか?」
 友美はこりこりとうなじを掻きながら、
「そりゃあ、あんな派手なことやってりゃあ見物もするね」
 と呉に答えた。
「その右腕、雛山くんのミドルキック受けてやっちゃったんでしょ?凄いねえあの
子。私よりも軽そうなのに、いい蹴り打つわ」
「……」
「呉くんもよくやるよ。その腕で顔面殴って投げ打って首絞めて?いくら試合中は
痛みを忘れるもんだといっても、無茶にも程があるって」
 それを聞いた保健の先生が目を丸くする。
「――オレだって、まさか一発で骨いってるとは思わねえよ」
「最初にタックル失敗したのだって、ローキックをガードして足痺れたからじゃな
い?もっとも、大して上手くもない胴タックルだったけど」
「うるせえ」
 呉は毒づいたが、内心友美の的を射た指摘に舌を巻いていた。
 良太にタックルを切られたのは、足の痺れで踏み込みが一瞬遅れたせいだと呉は
確信していた。ローをカットした左足のスネは、打撲で青い痣になっていた。
「で、納得いかないからもう一度やりたくなった、と?」
「……聞いてたのか。――ったく吉田といいよぉ」
 苦笑する呉に、屈託なく微笑む友美。
「目はすぐ閉じられても耳は塞げないもんよ」
 などと、わかるようなわからないような理屈を言う。
「……ウチの柔術部だって楽じゃねえんだよ。立ち上げたはいいが、入部希望者は
大体がエクストリームで有名になりたいとかそんなんばっかりだ。柔術の技術だけ
が目当てなのさ。でも、オレが伝えたいのは『武術』であり『スポーツ』じゃない」
「エクストリームは『武術』じゃない?」
「そうだろう?ルールのある『競技』で勝つ方法を教えるのではなく、あくまで心
身の鍛練が本来『武術』を学ぶ目的だ。エクストリームなんて見世物に出る気はな
い……そう言うと大概辞めていくぜ」
「ま、今はそうでしょうねえ」
「学校は『うちにはもう柔道部があるじゃないか』という態度だし――柔道と柔術
は違うっちゅうの――練習だって裏の神社でやっている有様だ。それでも、それで
もいいと3人の部員が入ってくれた。オレはそいつらに報いてやるためにも、柔術
部を――柔術が真の武道であることを学校の奴らに認めさせなければいけねえんだ」
「わお。御立派」
 そう茶化す友美を、呉は無視した。
「今回みたいな『肉を斬らせて』なんてのは柔術の本道じゃない。自らと、相手を
も無駄に傷つけずに勝負をつけるのが柔術の極意だ。今度こそそれを証明する」
 そこまで言うと、呉は目を鋭く細めて沈黙した。
「はあ。そんな堅っ苦しく考えないでも『楽しかったからもう一回やりたい』でい
いじゃない、ねえ光江?」
 しかし、光江に言葉はなかった。
 呉がここまで柔術部のことを考えているとは、思いもよらなかったのである。
 自分がエクストリーム部を大事にしているように、彼も柔術部を認めさせること
に必死なのだ。
 ――いや。違う。
 彼が今まで一生懸命になっている間、自分はエクストリーム部の為に何かしたと
いうのか。ただ現状を嘆き、部を改善する為の具体的な行動は何一つ取らなかった
ではないか。
 部を辞めていく友美に対しても、説得の言葉一つ掛けられなかったのだ。
 雛山くんが戦っている時だって、私はただ見ていただけだ。
「……」
「ん〜、相変わらず暗いねえ。……しっかし、面白くなってきたわ。うん、あんな
子がいるなら、またエクストリーム部に戻ろうかなあ」
「えっ!」
 思いもよらない親友の発言に、光江は仰天した。
 勿論光江にとっては歓迎すべき言葉なのだが、あまりに唐突である。
「実を言うとねえ、もうレスリング部には男子も含めて私の相手になる人がいない
のよ。技術的なことも大体『わかった』し、次は打撃技でも学びに空手部にでも入
ろうとか考えていたけど、打撃なら雛山くんに教えてもらった方が良さそうだね」
「待て待て。本気で言ってるのか鶴田?お前の実力なら、このままレスリング部に
いれば全国一だって狙えるだろうが!」
 呉の方も、『何を言っているんだこいつは?』とでも言いたげな顔で叫ぶ。
「別にいいよ、そんなのは」
「そ、そんなのっておまえ……」
「仮にアマレス一筋でやって五輪とかに出たとしても、手に入るのはせいぜい名誉
とかメダルじゃない?それはちょっとねえ」
「な……」
「私の目標は、あくまで『銭の稼げるスポーツ格闘家』だからね。私に言わせりゃ
あ、部活動なんてそれこそ呉、あんたの嫌いな技術習得の手段でしかない訳。せっ
かく人より優れた体格と運動神経を持っているんだもの、それを生かした『仕事』
を将来したいわけだね」
「……」
 そうきっぱりと断言する友美に、呉は言葉を失うしかなかった。
「というわけだから、2ヶ月後に私と勝負しなさい、光江」
「へ?」
「試合よ試合。試合しましょう」
 何が『というわけ』なのかさっぱりわからないが、突然友美は光江を指差して決
闘を申し込んだのである。
「ま、待って。さっぱり話の筋が通っていないんだけど――」
「いやあ、部に戻るのは別にいいんだけど、その前に現部長であるあなたの実力も
見ておきたいと思うわけよ。それで私が負けたら部に戻るってことで」
「な、何でそんなことする必要があるの?」
 完全に混乱して問う光江。
「当然、その方が面白いからよ」
「わ、私が友美に勝てるわけないじゃない!」
「そんなの当たり前じゃない。何で私が光江に負けるのよ」
「言ってることが滅茶苦茶だよ〜」
 そう言いながらも、友美にはこういう勝負事を好む上に突飛な面があったことを
光江は思い出していた。
「まあ聞きなさいな。だから『2ヶ月後』なんじゃない。その位猶予があれば、あ
なただって結構鍛えられるかもしれないし、当日のルールは光江の好きに決めても
いいということにすれば、割といい勝負になるんじゃないかな」
「そうかあ?」
 呉が疑問の声を上げる。
「まあ、呉くんが2ヶ月後を指定したのは、単に腕を治す時間が欲しかっただけな
んだろうけど」
「う、うるせえ!」
「まあ、光江がやりたくないなら無理強いはしないよ。私も絶対エクストリーム部
じゃなきゃいけない訳でもないしね。どうする?」


「で、やると言ったわけだ」
 そう言う綾香さんに、光江ちゃんは頷いた。
「はい。それに――」
「それに?」
「ここでやらなければ、私は雛山くんや先輩方に顔向けができませんから……」
「んなこと気にしねぇで、断っちまった方が良かったんじゃねえの?」
「え……」
 浩之ちゃんの冷たい言葉に、光江ちゃんに葵ちゃん、良太くんが驚きの表情を見
せた。私も思わず、浩之ちゃんに咎めるような視線を送ってしまう。
 ただ綾香さんだけは、相変わらず口元に微笑を浮かべて浩之ちゃんの方をじいっ
と見ていた。セリオさん(何となく、さん付けで呼んでしまう)は――言うまでも
ない。
 浩之ちゃんが続けた。
「その試合は、誰もいない所でやるわけじゃなくて生徒を集めて見せるんだろう?
だったら極端な話、勝ち負けよりも『エクストリームがいかに強いか』を試合の中
でアピールできるかどうかが、一番重要なことなんだよ」
 そして良太くんを指差し、
「今日の良太がまずかったのは、試合に負けたこと自体よりも、『手も足も出ずに
負けた』というイメージを見ていた奴らに植え付けてしまったことだ」
「ま、そういうことよね」
 綾香さんが頷いた。
「これはプロ向きの話なんだけどな……。『観客』という奴が存在する場合、勝ち
方や負け方にも内容ってもんが要求されるんだよ」
 なるほど――。
 私には浩之ちゃんの言わんとすることが何となく理解できた。どうやら、葵ちゃ
んも同じく浩之ちゃんの真意を悟ったようだ。
「?」
 良太くんと光江ちゃんは、不思議そうな顔をしている。
「たとえば同じ『負け』でも、一方的に手も足も出ず敗れるのと相手を散々苦しめ
て惜敗するのとでは、見ている側に与える『強さ』のイメージがさっぱり変わる。
前者は『何だこいつ』で終わりだが、後者は『よくやったじゃん』と思われる」
「でも浩之にいちゃん、負けは負けじゃないのか?」
 その疑問には、浩之ちゃんではなく綾香さんが答えた。
「よくそう言うわよね。『惜しくても負けは負けです』とか。観客がいないなら、
それで正解。でもね、プロは『負け方』次第で観客やファンの支持がまるで変わる
ってことよ」
「――おれたちの置かれた状況にも、それが当てはまるのか。試合の内容次第で、
エクストリーム部への印象も変わる」
 良太くんも気付いたようだ。
「勝つにしろ負けるにせよ、観客の心に響くいい勝負ができたなら、エクストリー
ム部のイメージは悪くはならない。観戦に来た生徒が『結果』しか見ないレベルの
低い奴らばかりでなければの話だけどな。呉のうまかった所は勝ち方にこだわった
ことさ」
「骨折を悟らせなかった上にわざわざ派手な背負い投げを使ったりする所、凄くプ
ロ向きの人材ですよね、呉くんは」
「あはは、ギャラリーに与える印象は最高よね」
 葵ちゃんの言葉に明るく笑う綾香さん。
「そういうことかよ〜、ちくしょ〜」
 良太くんは両手で髪をくしゃくしゃとかき乱している。本当に悔しそうだ。
「まあ、実際には良太と呉の実力差ってのは、そう大きくなかったのさ。良太は次
回そこに気を付ければいい。……でもなあ、光江ちゃんの場合は鶴田って娘との実
力差が明白なんだよ」
「……雛山くんが頑張っても、私がそれを帳消しにしてしまう可能性があるという
ことですね……」
 光江ちゃんが、しゅんとして呟いた。
「『なんだ、エクストリーム部が強いんじゃなくて、雛山良太だけが強いんじゃな
いか』ってなっちまうと、意味がないのさ。その位なら光江ちゃんは鶴田の挑戦を
断って、良太一人に任せた方がまだ賢い」
「……」
 ――確かに、浩之ちゃんの言うことは正しいし、その方が賢明だと思う。
 でも、それは……。
「でもまあ、どっちを応援したくなるかというと、無理を承知で挑戦を受けてしま
う方なんだよなあ、オレって奴はよ」
「――えっ?」
「今まで部をほっぽらかした詫び、と言っちゃあなんだけどな。これから2ヶ月間、
良太と一緒にオレたちが徹底的に稽古をつけてやる。やるからには必ず勝たせる!
いいだろ?葵ちゃん、あかり」
 そうだ。浩之ちゃんはこういう人なんだよ。
「うんっ。勿論だよ」
「はい!及ばずながら力になります!」
 私と葵ちゃんは、笑顔で協力を約束した。
 綾香さんも、
「私も色々忙しい身だけど、時間が空いたら協力させてもらうわ」
 と言ってくれた。
「あ……」
 光江ちゃんはしばらく呆然としていたが、やがてぽろぽろと涙をこぼし、
「み、皆さん。私なんかの為に、……っ本当に……、〜」
 あとは言葉にならなかった。
「よかったな、先輩」
 良太くんが、光江ちゃんの震える肩に優しく手を置いた。

                                 <続く>