Use good quality tea,Warm the tea pot, Measure your tea,Allow time to brew. 紅茶の美しい水色がよく映える、白磁のティーセット。 リーフの優しい芳香が、そっと、わたしの鼻をくすぐります。 ポットにカバーをかぶせて保温し、トレーに乗せて、そして、砂時計を。 …1/1000sec単位で正確に時を刻むメイドロボに、さらさら砂時計は必要ないような 気はするのですが。 まあ…これも気分の一つ、ということでしょうか? ポットの中でリーフをゆっくり蒸らしながら、物音一つしない廊下を行きます。 ご主人さまのベッドサイドに朝のお茶をお持ちするのが、わたしの朝一番のお仕事。 モーニング・ティーから始まる、一日。 ――ここ来栖川邸の、とある休日のはじまりです。 「そんなコトの、あった日。」 こんこん。 「おはようございます、綾香さま」 漂う紅茶の優しい香りが、ご主人さまの、特別な目覚まし時計。 「ふわ…おはよ、セリオ……」 「――よくお眠りになられましたか?今日もいい天気ですよ」 朝に弱い綾香さまは、頭もカラダもしゃんっとしようと、朝一番の熱いシャワー。 それを横目に、わたしは綾香さまの着替えを用意して、ベッドメーキングをし、 ランドリーを籠に入れ、掃除を…と、いつも通りに朝のお仕事をするのです。 そんなわたしに、うーんっ…と伸びをして「おはよぉ〜」と挨拶する、黒猫さん。 …ちゃんと『猫ベッド』があるのに、どうして猫さんはいつも芹香さまや綾香さまの ベッドの隅で、ぐーぐー寝ちゃうのでしょうか?――ちょっと不思議です。 カーテンをしゃっと開けると、部屋中に、夏の朝の透明な日差しが入ってきます。 窓を大きく開けて、気持ちいい光と気持ちいい空気、たっぷりと―― *** 『――いってらっしゃいませ』 玄関先できちっと姿勢を正して、旦那さまを送り迎えするのが、わたしの日課。 …芹香さまの黒猫さんも、玄関で「にゃあ」と、車を見送ったりしてます。 わたしや、他のお仕えになっている方々がお休みになっている夜遅い時間にでも、 この子は必ず、玄関までとことことこ…と、出迎えにやって来るのです。 とても偉い猫さん、ですね――わたしも感心してしまいます。 で、猫さんが「ぼく、お外行きたい行きた〜い」とわたしにせがむので、外に出して あげました。 元気良く、とっとことっとこ…と、広い芝生のお庭に出て行きます。 …今朝はちょっと朝露が降りたようですから、家に入るときはちゃんとマットの上で 足をとんとん、ってしましょうね。 騒がしさとは無縁のこのお屋敷、母屋を囲むように広がる木々からは、爽やかな緑の 香りと、小鳥達のさえずりが。 どこまでも青く綺麗な空は、なんだか、とてもいいこと、ありそうな気がしますね。 *** 「…せーりおっ♪」 「――何でしょうか、綾香さま?」 …綾香さまがこうやって、ご機嫌にわたしを呼び止める時は、たいていわたしに何か 『お願い事』がある時。しかも、わたしにしか頼めないような。 わたしはメイドロボなのですから、なんなりと命令していただければ…と申しても、 『わたし、そういうのってイヤ。…だって、セリオはセリオだもの』 そんな綾香さまに、わたしの心は、ほんのりと暖かくなるのです―― 「――マニキュア、ですか」 「ん、そう!でね、足の方、自分だとなかなか上手く塗れないのよねぇ」 足のペディキュアはオトナな女を演出する、キュートで、かつ色っぽいおしゃれ。 …夏のファッションの主役の一つ、綺麗な素足にカラフルなサンダルの指先には、 欠かすことのできないアイテムです。 髪の毛の先から、つま先まで。 ――身体のどこもが、女の子がキレイになる場所、綺麗に彩られる場所なのですね。 …ちなみに、マニキュアは、もちろん校則違反なのですが。 シンプルな黒のロングソックスの下のペディキュアは、学校の皆さんの中でも密かに 流行っている、隠れたおしゃれだったりするのです。 *** 『――あの、綾香さま』 『どうしたの?』 『どうして、靴下を履けば隠れてしまう所なのに、おしゃれをするのですか?』 前に、疑問に思って、綾香さまにそう聞いたことがあります。 『…インナーだって、服を着たら隠れちゃうわよ?セリオ』 そう言って見せてくれたチェストの引き出しの中は、表現するなら… ――そう、ガラス瓶の、キャンディ入れ。 レースや花の刺繍、リボンで飾られたそれは、確かにおしゃれで、とても素敵で、 あたかもひとつの手工芸品なのかも?――と、思ってしまうほど。 常に誰かに見せようとおしゃれする訳じゃない、ただ自分でうきうきしたハッピー 気分になるための、隠れたおしゃれ。 身に付けるカラーやデザインによって、その日の自分自身の性格まで変わっちゃう。 …清楚で優しい女の子になりたいときの、ピュアなホワイトレース。 …元気でキュートな娘になりたいときの、お洒落なキャンディーカラー。 …自然に胸ツンと姿勢の良くなるような、シックなモノトーン。 色とりどりのインナーは、女の子にとって、もう一つの肌。 女の子は、その時その時の『色』に身体を包まれて、いろいろ変身するのです…。 『――よく、わかりません』 『確かに、これって単に気分の問題だからねー。 ま、女の子ってのはとっても複雑にできてる、ってこと』 『…はあ』 不思議、です。 …でも、何だかとっても素敵だと、思います。 だから、いつでも。 ――女の子は、とってもカラフルなのです。 *** さて、綾香さまが選んだ今日のマニキュアの色は、薄いピンク。 そのままの爪も、健康的なツヤツヤの桜色ですけど、その上に、またピンクを。 ピンク。…赤ちゃんのほっぺみたいな、ピンク。 ロゼシャンパンのきれいな泡、苺のプラマンジェ、マシュマロ。 儚げな一輪挿しのバラ、仄かに香るローズウォーター、小さな桜貝の貝殻。 おみみからしっぽまで真っ黒な黒猫さんの足の裏も、ピンクですよね。 ピンク。…やわらかくって、ふんわりしてて、可愛らしい色。――女の子の、色。 そんな色で彩られた綾香さまは、いったいどんな女の子に、なるのでしょうか…? 「わかりました。それでは――」 お星さま、お星さま。 …わたしの遙か頭上でわたしを見守る、わたしだけのお星さま。 夢見る女の子の、おまじない。 まんまるお月さまにお祈りすると、どんな願いも叶えてくれる素敵な魔法、かけて くれる。 だけど、わたしはメイドロボ。 ――機械仕掛けの女の子には、やっぱり、機械仕掛けのお星さまが。 そして、機械仕掛けのお星さま、人工衛星のかける素敵な魔法は。 Welcome to Crusugawa Satellite Network Service System-13C Option "Starlight System" Server(Version 3.3(2)) ready. CONNECTED... 「――データベースに接続し【ネイルケア】を検索。 必要な情報をダウンロードします」 …わたしを、何でもできるとっておきの女の子に、してくれるのです。 *** 椅子に座って、靴下を脱いだ綾香さまの足を、そっと取って。 …綾香さまの足の指って、親指より人差し指の方が長いんですね。 「白魚のような手の指」、とは言いますが、足の場合…どう言うのでしょうか? ペディキュアもマニキュアも、塗り方はほどんど同じ。 まず爪をキレイに整えて、ベース・ネイル・トップと3重に塗っていきます。 まずは塗ったペディキュアが綺麗に映えるように、足の爪の形をきれいに整えて。 爪やすりで爪の両側から中央に向かってしゅっ、しゅっと引くようにして、1つ1つ 丁寧に、ラインをきれいに整えます。 …これって、黒猫さんが見たら、 『あー、ご主人さまもツメとぎしてる〜。猫のぼくとおんなじだぁ♪』 って、喜ぶ(?)かも知れませんね。 そして、爪磨きで表面のでこぼこをやさしく滑らかにし、細かい面でぴかぴかに 磨いて、片方ずつ両足の爪を仕上げていきます。 片側の足が終わったら、リムーバーを塗って、足の爪の厚い甘皮を柔らかくして おいて。後で、スティックにコットンを巻きつけ、甘皮を押して爪全体の形をきれいに 整えます。 マニキュアもペディキュアも、すぐ塗ったり剥がしたりするものではないですから。 こうやって、ただ塗るだけでなく、細かいところまできちんと手入れをするから、 マニキュアも長持ちし、そしてより綺麗に、鮮やかに映えるのですね。 *** 足の指の根本に、スポンジのペディキュアストッパー。 …丸1日パンプスなんか履いてた日には、こうやって足指を1本1本広げると、 とっても気持ちいいですよね。 綾香さまは、そっと目を閉じ、じっとわたしのされるがままになっています。 乾くのを待つついでに脚のマッサージなんかしたりする、まるでプロのような (いや、プロのデータなのですが)わたしの仕事ぶりに、ときどき「ん……」と、 気持ちよさそうなちいさな息を漏らしたりして。 ――これで、よろしいでしょうか?綾香さま。 つん……と漂う、エナメルの匂い。 はじめに下地となるベースコートを薄めに塗って爪の保護とマニキュアを乗せやすく し、それからネイルカラーをかしゃかしゃとよく振って、きゅっと蓋を開けます。 最初に塗ったベースをそっと乾かして、次は、マニキュアの番。 エナメルカラーをブラシにたっぷり含ませ、余計な液を落として。 まずは、足の爪の先端に筆を当て、ペディキュアがはがれにくく、より長持ちする ようにするために軽く塗ります。 そして、爪の中央、それから左右という感じで、はみ出さないように爪先へと。 上手に塗れると、甘皮のUラインと艶やかなネイルの色が、とてもきれいに映えるの です。 「――仕上がりました。乾くまで10分ほど、お待ちになって下さい」 「んっ!さすが上手いわぁ、セリオは」 最後の仕上げに、表面を保護するトップコートを塗って、できあがりなのです。 女の子のちいさなちいさな足の爪が、1つ1つ、ゆっくりと、丁寧に。 綾香さまの白くすらっとした脚線美に、シンプルな淡いちいさなピンクで彩られた、 素敵なワンポイント。 …このきれいな脚のラインの下に、隙無く鍛えられた筋肉があるのですから、不思議 ですよね。 *** …それにしても。 マニキュアとか、眉毛描きとか、ヘアケアとか、脱毛とか、角質取りとか、どうして 女の子の日常って、そういった面倒ごとでいっぱいなのでしょうか? 『…ま、そりゃそうだけど。でもね、セリオ――』 ――そんな面倒ごともみんな、女の子にしかできない、女に生まれた特権じゃない? …そうかも、しれません。 やらなきゃ生きていけない…なんて事はまったくない、日々の生活の中の些細な、 イロイロ。 でも、ほんのちょっとだけキレイな自分でいたり、ほんのちょっと背筋伸ばして 微笑む自分でいることで、変わりばえしないいつもの日常も、ほんの少し、変わって くるのです。 …毎日欠かさない丹念なケアと、そして定期的な、きめ細かいお手入れ。 それをしているから、女の子はいつでも、そしていつまでも、素敵なままでいられる のですね。 『ロボットだって、きちんとメンテナンスをしないといけないでしょ?女もそれと 同じ』 『――はあ』 『だから「ロボット」で「女の子」なセリオさんは、2倍気を使わないと、ね?』 …と、奥様は申しておりましたが。 だから、いつでも。 ――女の子は、自分を磨くことと、スマイルを忘れずに。 *** 女を、磨くこと。 ――でも、わたしはメイドロボ。…本来、普通の「女の子」ではないはずなのです。 でも。 綾香さま、芹香さま。 旦那さま、奥様。それにお爺さま、長瀬さま。 …他のお仕えになっている方々や、果ては、芹香さまの黒猫さんまで。 『…セリオはいつも誰かのために尽くしてるもん。みんな、そんなセリオのこと、 大好きよ』 『――あ……ありがとう…ございます……』 この家の方は、みんな、みんな、優しい人ばかり。 わたしをロボットではなく、一人の『女の子』として、優しく包み込んでくれます。 それだけではありません。研究所の皆様も、寺女の皆様も、それに…。 ――皆さん……いろんな方と接することで、わたしは、いろんな事を覚えました。 それは、とてもとても、大事なこと。 楽しいこと、嬉しいこと、幸せなこと、キモチいいこと。 時には悲しいこと。嫌なこと。寂しいこと。 …データベースのどこにも載ってない、だけど、とてもとても、大事なこと。 『何だかセリオ、少しずつ「普通の女の子」っぽくなってきたな。…ご主人様の 影響だな』 『…はあ』 『ま、あんまり綾香様に似られてもちと困るがなぁ――ってセリオ、これは絶対 オフレコな』 マルチさんが、1つ1つ、お仕事を覚えていくように。 ――わたしは、1つ1つ、『女の子としてのココロ』を、学んでいきます。 そしていつか、マルチさんもわたしも、より人間に――いや、『女の子』に近い ロボット、真に人間と共存していけるロボットに…。 …主任さんは、そう思ってわたし達を【学習型】に設計したのでしょうか? 主任さんは煙草片手に苦笑いするでしょうが、きっと――そんな気がします。 *** 「ね、セリオもさ――ちょっとぐらいおめかし、してみない?」 「――はあ」 「わたしのリップ、あげるからっ」 そう言って、ポーチからリップを取り出し、鏡を見ながら自分の唇をそっとなぞる、 綾香さま。 「……どう?この色なら、セリオにも似合うって。あとで皆にも披露しなきゃ」 女の子から大人への最初の一歩は、口紅から。まずは、ちょっとコロンを付けたり、 リップを塗ったりするところから、始めましょうか。 わたしの、はじめての…。 「――ではデータベースから、【口紅の・・・」 …口紅の、きれいな塗り方を。 その言葉は、優しく、暖かく、柔らかに遮られ。 一瞬唇が触れ合う感触が、ちゅ、と、とても微かに。 それは、わたしの、はじめての……。 「…はい、わたしのリップ♪」 あ、リップの色。 ……綾香さまの唇と、鏡の中のわたしのこの唇、おんなじ色。 あ……。 機械仕掛けの女の子の、機械仕掛けの、心臓が。 …その瞬間、壊れそうなくらい、どきどきして。 「あ、綾香さま――?!」 「…もぉ、やぁねぇ。女の子同士の軽〜いキスなんて、キスの内に入らないのよ」 「…………」 「――って、ち、ちょっと!そんなに赤くなったら、逆にこっちが恥ずかしいじゃ ないの、セリオっ」 *** ……その日、1日。 唇に残る綾香さまの柔らかな唇の感触が、メモリーの中でいっぱいになって。 わたしのいつものお仕事が、うまくはかどりませんでした。 そして。 …今、鏡の前で練習してます。 ――皆様に、そして綾香さまに、とっておきのステキなスマイル、できるように。 <おしまい>