隆山事件簿 〜呪詛の棲む匣(前編)〜 投稿者:いち
『──見付けた』

 ざわり
 駆け抜けた一陣の風に、生い茂る樹々が一斉にざわめいた。
 避暑地として知られる隆山には、いわゆる特権階級と呼ばれる人々が屋敷を構える高級
別荘地区がある。そしてその一角に、道行く人々が自然と足を止める場所があった。
 これぞ庭園と呼ぶに相応しい趣ある庭に、異国の風情を漂わせるどっしりとした屋敷。
 隣屋敷と比べて格別に豪華というわけではない。しかし、色々な要素が見事に調和した
空間は主人のセンスを感じさせたし、丁寧に手入れされた庭は管理者の情熱を感じさせた。
 その中にあって存在感を霞ませるどころか、しっとりとした落ち着きを加えている人物
が一人。
「.......」
 細い声。
 二階の窓際に座るその女性は、おっとりとした黒水晶の瞳でぼんやりと景色を見ていた。
 その視界に映る『全て』を、そしてそこに漂う気配を。
 ゆったりとした漆黒のワンピースに、長く艶のある黒髪。膝上には表紙に大きく五芒星
が描かれた古びた書物。その美しい外見にしてもそうだが、その女性は自身の内部からど
こか神秘的なオーラを醸し出していた。
「──お呼びにございますか、お嬢様」
 その時、戸を開けて執事の長瀬が入ってきた。このやたら体格の良い長瀬という初老の
男、あの蚊の鳴くような声を聞きつけるのだから、ある意味で執事の鏡と言えるであろう。
「は、お車をでございますか? かしこまりました」
 車の支度に出ていく執事を見送ると、その女性はクローゼットからマントと鍔広のとん
がり帽子を取りだした。それらはこれから行う儀式に必要不可欠なアイテムである。
 もうお判りであろうか?
 この一風変わったお嬢様の名は来栖川芹香。
 そう、お嬢様は魔女である。

「なにか手掛かりが見付かるでしょうか?」
「...さあな」
 言葉の端に希望的な願いのこもった葵の問いに、柳川はいつも通り素っ気なく応えた。
 松原葵と柳川裕也は、県警・捜査一課に所属する刑事である。
 葵を知る人間で、彼女を羨みこそすれ、嫌う者などいないだろう。自はともかく、他は
誰もが認める県警のアイドル(マスコット?)、そんな葵であった。そして葵のパートナ
ー兼教育係という立場の柳川はというと、こちらも署内に熱狂的な女性ファン(この連中
が葵を羨んでいる)が存在すると言われる有名人である。最近では若手の男性警官にも隠
れファンが──もっともこれは噂に過ぎないが。
 それはさておき、只今、二人は担当している事件の捜査に向かっているのだが、葵の言
葉が表すように、事件は非常に難解なものだった。
 あらましはこうである。
 二ヶ月ほど前から、一人の男を標的にした殺人未遂事件が四件続いた。
 標的となった男は、窃盗、恐喝、薬物売買──と、警察のブラックリストにも名を連ね、
今回は被害者の立場とはいえ、なんなら殺されても全く不思議ではないという札付きの悪
人である。今回の事件の場合、問題は男を襲った四人の加害者達にあった。
 主婦、お年寄り、定年間際のサラリーマン、果ては今朝、通学途中の小学二年生。
 この顔ぶれの奇妙さに加え、全員が『なぜそんなことをしたのか?』自分でも解らない
とくれば、誰もが首を傾げたくなるというものだ。だが、たった一つだけ全員に共通する
事柄があった。
 "メゾン隆山"
 四人が住むマンションの名前である。
 全員が同じマンションの住人という事実は当初、捜査の突破口としては十分すぎる共通
点だと誰もが思った。しかし、いくら所轄の刑事達が調べても、例えば被害者の男がマン
ションの建設に携わっていたというような関連性は見当たらなかった。
『お互いに顔ぐらいは見たことがあるかもしれないが面識はない』
 四人の加害者達は口を揃えて言う。
 今朝の小学生などは一週間前に引っ越してきたばかりで、もちろん、二ヶ月前に最初の
事件を起こした主婦とは全く面識がない。こうなってくると、同じマンションの住人とい
う共通点が余計に事件をややこしいものにしていた。
「柳川先輩は今回の事件をどう思いますか?」
 車を走らせる柳川に葵が訊いた。
「...もしもそれぞれが単独の事件だとしても、それならば敢えて警戒の強まっている
 この時期を選んで犯行に及んだりはしないだろう。しかも全員がその場で取り押さえら
 れている」
「そうですね」
「ならば、やはり関連性はあるとみるべきだ」
「でも、私には四人が今回の事件のような犯行を犯す人達には見えないんですけど...」
「恐らくはな」
 助手席に座る葵が『えっ?』と柳川を見た。
 柳川は葵の『人を見る目』は密かに評価している。ただし、悪人をではなく、善人を見
極める能力を、だ。柳川の隣に座っているという点でも、それは明らかである。
「なにか、同じマンション内でなければいけない理由があるのだろう」
「ひょっとして...柳川先輩は他に主犯が居て四人に襲わせた、と?」
「可能性が無いとはいいきれん」
「そんな事できるんでしょうか?」
「動機の無い四人の人間が、意味もなく殺人を犯す確率よりは高いと思うがな」
「そ、そうですね。わ、忘れないウチにメモしておきます! いみもなく──と」
 大急ぎで手帳にメモする葵を横目に、柳川はふぅと心の中で小さく溜息を吐いた。
 柳川は本来、仕事熱心な男ではない。今回の事件にしても『殺されても仕方ない男なら、
殺されればいい』とすら考えている。犯人を捕らえることで刑事としての柳川の仕事は終
了するのだから、むしろさっさと殺された方が早期解決に繋がるというものだ。
 とまぁ、刑事としての才能はあっても情熱は皆無である柳川だが、では、そこに全身こ
れ情熱の塊である葵がパートナーとして加わればどうなるだろうか?
 答は簡単。
 二人の検挙数は驚異的な上がりを見せていた。
 で、そんなこんなで『ややこしい事件』はエースたる柳川と葵に回ってくるようになっ
ていた。それは至極当然のことであり、もちろん彼に限って事件の難しさにへこたれるわ
けなど無いが、最近の自分の勤勉さにに若干の疑問を感じている柳川でもあった。
「...着いたぞ」
 そんな柳川の葛藤をよそに、車は目的地へと到着した。ハイッと元気よく応えると、葵
は車を降りる。
「改めて見てみると、けっこう大きなマンションで──あれッ!?」
 そこには映画でしか見たことのないような巨大な黒塗りのリムジンが停車していた。思
いっきり周りの風景から浮きまくっているそれだが、葵の視線はリムジンよりも、傍らに
立ち建物を見上げる人物へと釘付けになっていた。やがて、はっきりと二人を確認すると、
ブンブンと手を振り大慌てで駆け寄っていく。
「芹香先輩ッ! それに長瀬さんも!? うわぁ、お久しぶりです!!」
「.......」
「これは葵様。『お久しぶりです』とお嬢様も申されております。いや全く奇遇ですな」
「ホントですねぇ」
「葵様もますますのご活躍。綾香お嬢様もたいそうお喜びに御座います。して、あちらの
 御仁は?」
「あ、あの人は私がお世話になってる先輩で、柳川裕也さんです」
「ほほぅ...なかなかの面構えに御座いますな」
「ちょっと待って下さいね、紹介します。あ、でも、どうしてお二人はこんな所に?」
「むッ!?」
 葵がそう質問するや、長瀬の表情がきゅっと引き締まったものに変わった。
 芹香がコクコクと合図すると、長瀬はスッと一歩下がって主人の傍らに待機した。芹香
はゆっくりと向き直ると、なにやら妙な雰囲気に神妙な面持ちで構える葵へ、もそもそと
何かを告げた。
 三人を遠巻きにしていた柳川の眉がピクリと上がる。
「あ、あの...よく聞こえなかったんですけど」
 いつもにも増して小さな声を葵はよく聞き取ることができなかった。いや、実際には聞
こえていたのだが、その言葉の内容が内容だけに、自分の聞き間違いだと錯覚したのだ。
 長瀬はそんな葵にスッと近付くと、芹香の台詞をゆっくりと反復する。
「葵様。芹香お嬢様は『この建物は呪われています』と、申し上げております」
 ゴクリ
 聞き間違いでは無かった。葵は無意識に唾を呑む。
 自然と視線が、一階から上へなめるようにして上がっていった。
 "メゾン隆山"
 どこにでもある平凡なマンションだったはずのその建物が、今は葵達の侵入を拒むかの
ように威圧していた。

                                   (つづく)